榊、作戦を開始する
明朝、戦争の始まりは遅かった。
日が昇りゆっくりと朝食を取り、それからカラマンダ兵は略奪に向かった。サンはそれを止めるべく飛び立ち、カラマンダ軍の本陣から雷が打ち上がる。空の轟音を開戦の銅鑼にして両軍は動き出す。
「しばらくは様子見ですな」
村人は装甲馬車を枝葉で偽装して息をついた。
夜明け前に拠点としていた森から移動した狐団のチャリオットは、平野の小さな林に身を隠している。
馬車に腰かけて、セナは矢を一本でも多くこしらえながら榊に声をかける。
「本当に私がついていかなくて平気?」
「ああ。狐団に信徒が一人もいないのでは陽動を任せるにも不安が残る。突破は私と環様だけでいい」
狐団がカラマンダ軍に陽動をかけ、その後背を突くかたちで榊が本陣まで強行突破する。
山の斜面に陣を張るカラマンダ軍へは、回り込んでも近づくまでに身を隠せない。最短経路を突っ切り敵兵を盾に接近することが、最も安全な策だった。
「心配は無用じゃ。こちらは暴れるだけじゃからの。セナはどうか村人たちを助けてやってほしいのじゃ」
「素手で岩を投げてくる連中だからね……守るくらいはやるけどさ」
弦の張りを確かめるセナ。太陽神の加護を受けた剛弓は並ならない威力を発揮する。
信頼を込めてうなずき、環は戦場に目を向ける。
聖都は相変わらず包囲されており、敵は城壁の亀裂に集まって苛烈に攻め立てている。
「しかし……落ち着かぬのじゃ。見ているだけは歯がゆい」
「しばしの辛抱を。我らがアレを止めに行くのですから」
「そうじゃな。そのために機を待っておる。分かってはおるのじゃが……」
むずむずと尻尾を揺らす環。榊はその尾を撫でようと手を伸ばして、グッと己の手を戒める。
ぬっと他の手が伸びて環の尾を撫でた。
「落ち着きなさってください、環様。大丈夫、聖都の皆さんはうまくやってくれますとも」
村の女だ。料理や支度の諸々を仕切る、この狐団の裏のリーダーでもある肝っ玉母さん。
尾の根本近くをくすぐるように撫でて、環は強張っていた狐耳を下げる。
「うむ……そうじゃな。聖都のみなと息を合わせることが肝要じゃ。待つのも作戦のうち、じゃな」
そうですとも、と笑いかける村女。
榊は村女に密かにおののく。
「……さすが、祟り神としての大狐を先祖代々慰撫し続けてきただけはある」
「関係あるもんなの?」
セナは胡乱げにつぶやいた。
しばらくは推移を見守る。
「っ! 動いた!」
聖都で動き。
カラマンダ軍が攻め立てて押し込んでいく。ついに防御を突破して壁内に突入した。
手はず通りだ。
「急げ! わらわたちの出番じゃぞ」
環の号令を受けて、狐団は手際よくチャリオットの偽装を解き馬をつないで、配置についていく。
榊は敵の侵入を許した聖都に目をやった。
仕組んだこととはいえ、被害が出ないわけではない。むしろ住居の損壊や私有財産の略奪を甘受することになる。
「勝たねばな」
環が言った。いつの間にか榊の隣に来ていた。
榊はうなずく。
「無論です」
§
狐団の総員が、それぞれのやり方で環に祈りを捧げる。
ゆっくりと目を開けて、狩人は弓を取った。
「作戦開始だ」
チャリオットが走り出す。
聖都と本陣の間は通常ありえないほど離れている。聖女の力を警戒してのことだろうが、そのぶんだけ本陣を守る兵の数は限られる。
限られた兵に向けて狐団の弓兵たちは矢を射かけていく。揺れる馬車から放たれたとは思えない精緻さで、斉射された矢は兵隊の列を襲った。
「動かない的を射つなんて──やりがいのない話よね」
セナの矢が音を立てて放たれる。
降りかかる矢を防ぐ矢盾。狙いすましたセナの矢はその板の束を打ち砕いた。
「恐るべき威力ですな」
「神の祝福をこんな下らないことに使ってたら、そのうち神に見放されそうよね」
セナは鼻で笑って次の矢を取る。
射掛けられた敵は堪らない。雅に授かる怪力を活かして岩を投げ返す。
だがセナは弓をあげて、矢を放った。
チャリオットに当たりそうな岩を見分けて矢で叩き割る。
「……恐るべき威力ですな」
「こっちなら許されそうな気がするわ」
涼しい顔で次の矢を抜く。
岩投げはセナが射止め、矢の数が足りないカラマンダに反撃する手立てはない。一方的に攻撃にさらされた敵部隊は部隊を分けた。
狐団に追っ手をかけた。
「思ったより少数だな……だが仕方がない」
矢盾を掲げて行列を組む部隊はそう簡単には仕留めきれない。その中を部隊単位で突進してくるのだから、悠長に攻撃していられない。
「逃げるわよ。肉薄されれば対抗できるのは私だけなんだから。逃げながら連中に射るの」
チャリオットは向きを変えて、逃げながら部隊に矢を射かける。セナの矢が盾を弾き飛ばしたが、彼らはすぐに予備の盾を持ち出した。
矢の恐怖が払われて安堵するカラマンダの本陣部隊。
その横腹へと駆け込んだ。
「通してもらう」
榊のサスマタが旋風のように猛威を振るう。
ひと薙ぎ、ふた薙ぎと敵兵を吹き飛ばす榊の背に、しがみつくようにして環はおんぶされている。
「深追いするでないぞ、足を止めてはならぬ!」
「承知しております」
榊はサスマタを横一文字に構え、山の斜面を駆け上がっていく。
無差別に加護を振りまいた雅とは、比べ物にならない出力の身体強化。突撃する榊たちは、ちぎっては投げ、兵士の数を物ともせず雅の元へ駆け上っていく。
「付け焼き刃ではどうもならんか」
本陣の前。雅のもとまで突破して、榊は将軍と対峙する。
「……まったく雅様の仰る通りでしたか。特別に兵を割くべきでした」
浅黒い肌に切れ長の目。剛健な鎧に身を包んだルガ将軍が抜き身の両手剣を地に立てて待ち構えている。
「なに。不安要素を確実に潰せると見れば、そう悪い展開ではなかろう」
鷹揚に構える雅。着物の裾で口元を隠す。彼女の独特な構えだ。
榊の背から降りて環は雅を見据える。
「雅! いちおう言うておく。兵を引け!」
「妾が」雅の四肢から紫暗の炎が吹き上がる。金の瞳を冷酷にすがめて環をにらみつけた。「信者を見捨てるとでも?」
撒き散らされる殺気に榊が環を背にかばう。
応じるように歩み出たルガ将軍が、重々しい金属音を響かせて両手剣を持ち上げている。
「兵の進退を決めるのは俺だ。俺を無視して雅様に戦争の話をされるのは、気分がよくないな。──いずれにせよ答えは同じだが」
榊がサスマタを握り直す。四肢から狐火が吹き上がる。
ルガ将軍もまた両手剣を構えた。重たい金属音は歌うように未だ響く。
「ゆくぞ」
肉薄。
轟と振り込まれた大剣をサスマタの金輪で受け止める──はずが、剣の重みに押し込まれた。ルガ将軍が強引に剣を振り抜いて鍔迫り合いを弾かれる。榊の上体が大きく泳いだ。
「ぐ……重い──!」
「将軍の席は伊達ではないのでな!」
榊は剣戟に合わせてサスマタで受け流す。一撃一撃、榊の身体が弾かれながらの防戦だ。
身体強化の出力差を補う得物の威力。
と、榊は顔を跳ね上げた。
陣幕を蹴倒すように飛び込んで、斧の伏激が叩き込まれる。
榊はサスマタを背後に放り捨てて飛び下がる。
鼻先を削るような紙一重。
烈風のように振り下ろされた斧をかわし、がら空きの胴をルガ将軍の大剣で突き飛ばされた。
地面を数度跳ねながらも姿勢を整える。地面を滑り下がりながらサスマタを拾った。腹から血がにじむ。傷は浅く済んだと見て榊は無視を決め込む。
「伏兵か」
「……今の不意打ちを避けるかよ。ったく、お前とはつくづく因縁があるらしい」
鬼のような大柄に、粗野そのものの髭を顔中に生やす。まさに山賊という外見の大男は、斧を持ち上げて肩に担ぐ。
山賊団の副首領にして雅の一番の信奉者。
「ゴウキ。お前が、雅を放っているはずがないと思っていた」
「へっ。野郎に見透かされてるなんざぞっとしねえ」
笑いながら、ゴウキは横目にルガ将軍へ合図を送る。ルガ将軍は渋々合わせて剣を構えた。
「とにかく──ニ対一だ。卑怯とは言わせないぜ? これは戦争だ。こっちの泣き所をみすみす通すわけにはいかないんでな」
「ああ、わかっている」
榊は表情を変えないまま、サスマタを両手に低く構える。
「それでも、押し通るまでだ」
激闘のさなか──
雅と環もまた向かい合う。
「榊の背中に隠れんでよいのか?」
闇の炎を見せる雅に応じる環は、静かに呼吸を整えている。
──昨晩。
作戦が決まったあと、環はひと気のない森までサンを呼び出して話をしていた。
「なにやら、神性を解放する手があると言うておったな」
それは大神殿に招かれたとき。
環の本質を見通したサンが教えたものだ。
俗世に現れる神は、影響力を抑えるために神性を低減させている。その力のすべてを解放することを『神性解放』という。
「はい。ただ……あまり濫用すべきものではありません。本来の神性を顕にするということは、神の自我を確かにするということ。信者との結びつきを振りほどくことになりかねません」
「……心得ておく。どうやればいい? 教えることができるのじゃろう──」
「──使うぞ! 【神性解放】」
環は耳を震わせ尾を逆立てて吼えた。心に残る原初の咆哮を。
好きなもの!
代償のある必殺技。
いつ切るのか、使わずに切り抜ける手はないのか。そういった駆け引きを包括しての必殺技は盛り上がりますね。




