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榊、狐団と夜会す

「やあ、ここまで来れば大丈夫でしょう」


 夜闇のなか進めてきた装甲馬車(チャリオット)を森に止めて、朴訥な村人は朗らかに笑う。

 山と畑の似合う素朴な中肉中背は、卓抜した弓の腕で幾人ものカラマンダ兵士を仕留めたばかりとは思えない。

 環は狐耳を揺らし村人を見上げた。


「狐村の民が皆来ておるのか?」

「まさか。人の手が入らなくなれば、村はあっという間に山の自然に呑まれてしまいます。どの家もひとりふたりは残していますよ」


 村人はそう言ったが、環が総出と思うのも無理はない。山村で迎えられたとき以上の人数に迎えられたからだ。

 森に隠して拠点を築いていた。

 空っぽの矢筒を手遊びしながら、セナが不満げに村人を眺める。


「女子どもも連れてくるの? 戦争に」

「ははは。いつもはもっと子どもが多いですよ。我々が傭兵稼業に出るのは、農作業も狩りもない冬の間です。火も扱えない子どもらを雪に閉ざされる村に残すわけにはいかんでしょう」


 説明しながらチャリオットの手綱を村女に手渡した。馬車を降りる環に手を貸す。


「矢や革具の繕い、馬の世話、料理からなにから……。妻たちは、矢を放つだけの男衆よりよほど立派な戦力です」


 榊は馬車を降りる前に振り返る。

 村では環たちを案内した無愛想な狩人は、相変わらずむっつりと黙り込んで喋らない。それでも彼の弓の腕は、腕利きぞろいの村人にあってセナが声を漏らしたほどだ。 

 狩人は榊の視線に気づき、迷ったふうに口を開く。


(ナギ)は、いないのか」


 梛。偶然を装って狐村に同行した神だ。

 環と同じかつての大狐を起源としている謎の神。


「村で姿を消して以来、現れていない」

「そうか……」


 狩人は礼のような言葉を不明瞭につぶやいて馬車を降りる。

 セナが榊を小突いた。


「環を信じてる者同士、似てるわね。死ぬほど無愛想よあんたら」

「一緒にするな。俺はあんなに無愛想ではない」

「………………本気で言ってないわよね?」


 そのとき村人が朗らかに声をあげる。


「さて、皆さん! 早速ですが夕飯にしましょう。腹が減っては戦なんぞできませんとも!」


 §


 石を積んだかまどに平たい石で蓋をして、燃えにくい大きな葉で漏れる火の光も隠す。熱した石を調理器具代わりにして村人はパンや木の実、野兎の燻製をこしらえていた。

 煙を散らす布張りの屋根の下、しっかりした食事にセナが驚く。


「火を使ってるの? 煙は星明かりにも目立つわよ」

「ええ。ですから、手早く調理を済ませましょう」


 村人たちは老若男女問わず、慣れた手際で支度を進めている。傭兵稼業が副業というのは本当のようだった。

 セナは分けてもらった食事を手に、環を見る。


「それにしても、環ちゃんはこの人たちが来るってよく分かったわね。知ってたの?」

「いや。わらわが気づけたのは、彼らが祈ったからじゃ」


 環の視線を受けて村人は誇らしげに笑う。


「環様が聖都に向かっているのは存じておりましたからな。情報を追っておりました。恥ずかしながら開戦には間に合いませんでしたが」

「駆けつけてくれたことが有り難いのじゃ。実際助けられたの」


 ふんふんとうなずく環に、村人は頭を垂れる。

 顔を上げた彼は表情を曇らせた。


「しかし、ことは太陽神殿の問題。詮なき戦いに参戦なさっているということは……環様はこの戦をどうするかお考えがあるようですな」

「む、うむ。戦争を止めたい、と思うておる」

「やはり……」


 村人は答えを予期していたようだった。笑みを収めて神妙にうなずく。


「戦争が終わるパターンは概して三つあります。シンプルに片方が征服した場合。経済問題や国内事情の変化など、何らかの要因で戦争どころではなくなった場合。そして互いに損を避けて和睦を結んだ場合」


 しかし、と村人は手をひるがえして山を示した。

 山の向こうには荒野の広がるカラマンダ王国がある。


「カラマンダは不作の土地です。兵士となった若者たちには、食い扶持を減らす意味も含まれていましょう。彼らには戦争をやめても帰る場所がない……」


 環の狐耳が萎れて垂れる。

 村人は不都合なことをハッキリさせるように、言葉を続けた。


「飢え死にするか、戦争で勝って家族に土産を残して死ぬか。カラマンダにとって戦争は勝っても負けても得で、止めることに損しかありません」


 それでも戦争を止めるのか? 村人は問を重ねることはしなかった。

 榊は口を挟まない。静かに環の様子を見る。

 村人は静かに環を見つめる。彼一人ではない。無愛想な狩人も、料理番をする村女たちも。環のために駆けつけた狐村の民が皆、環に注目している。

 環はぐっと唇を引き結んで顔を上げた。

 蜂蜜色の瞳は萎えてはいない。


「それでも。人の命は可能性の数じゃ。未来が摘まれてゆくのをみすみす見逃すことはできぬ」


 ためらいの長さは迷いではない。

 決断のせいで失われる命を悼む時間だ。

 その重さを引き受けた上で環は宣誓する。


「わらわは戦争を止める」


 村の男はしっかりと言葉を聞き届けた。

 そしてニッカリと笑う。


「そうと決まれば、ちょいと思案が必要ですな。我らは寡兵で敵は多勢、なまっちょろい太陽神殿の聖騎士連中じゃどれだけ保つか分かりません」

「て、手伝うつもりか? わらわが言うのも何じゃが、危険じゃぞ。無茶をするのはわらわと榊だけで良い」


 さらっと外されたセナが不満げにパンを噛みちぎった。

 村人は穏やかに笑い、しっかりとうなずく。


「私らだって戦争が好きなわけじゃありません。殺しすぎず殺されず、そこらを上手いこと駆け引きするのが傭兵の真骨頂ってなもんでしてな」


 ですが、と言葉を止める。村人の微笑に自嘲の影がさした。


「そもそも戦わないよう手を尽くさないのは、それが無理筋だと先に頭で思っちまっているからです。環様は、まったく不可能だなんて思っていらっしゃらないのでしょう?」


 環は一瞬迷うように榊を盗み見た。直後に、様子をうかがう動きを制する。

 榊の協力さえあれば不可能はない。

 そして榊が環に応じなかったことなどないのだ。

 村人は答えを待たず、うやうやしく首を垂れる。


「未来ある若者を救えるなら私らだってそうしたい。その気持ちから逃げる原因を、環様がいま取り払ってくれたんですよ」


 そう言って環に祈った。


「じゃが……勝算は、ないぞ」


 愚直な暴露に村人は顔を上げた。困ったような微苦笑のにじむ顎を撫でる。


「勝算があるとすれば、聖都にはカラマンダから勝ち取りたいものがないってことでしょうな」


 殴られたならば、そのぶんの補償を求めるのが当然だ。

 だが聖都の長たる聖女サンは、未だ聖都が「持てる者」の側であることを見誤りはすまい。

 和睦するにあたって、カラマンダに対する条件は限りなく低くなるだろう。


「カラマンダ側さえ和睦のテーブルへつかせれば良いと。考えることが半分になりましたな」

「戦争が終わるには」方向がまとまったならばと榊が口を開く。「パターンがあると言ったな。勝つか、損を避ける合意をするか」

「ええ。泥沼化した戦争なんかでは、互いに和睦を図りながら戦い続けていることもあります。……あとは、戦争より優先する事変ですな。国内でクーデターが起こって戦争どころじゃなくなった、なんて小耳に挟みました」

「じゃカラマンダの国体を転覆させればいいわけ?」


 セナの大胆な方策には、榊が首を振った。


「無駄だろう。雅も言っていたが、いまカラマンダ王政は山賊団の傀儡だ。裏で糸を引く山賊団の首魁をどうにかしなければ意味がない」

「……探してたら戦争が終わりそうね」


 セナは面倒臭そうに自身の提案を引っ込めた。

 榊は一同を見て言う。


「全員動けなるまで叩きのめせば、話をする気にもなるんじゃないか」

「あんた話聞いてた?」


 セナの言葉にも榊は動じない。

 村人は笑って榊の提案にうなずく。


「たしかにそのとおり! ですが、重労働はこの老骨には堪えます。もう少し楽な手があれば嬉しいですな」


 ふむ、榊は少し沈思した。そしてすぐに、


「これはジンからの受け売りになるが……」


 そんな前置きをしてから語りだす。


「敵が強いのは、神の加護を受ける怪力の信徒たちだからだ。それがなければ、武器の粗末な民兵の集団でしかない」

「そうじゃな」


 環が受けてうなずいた。


「雅を討つ。──それしかないじゃろう」



「敵の親玉を潰す。常套手段ではありますが、さてもさても」


 村人は大きな平手を重ねて手を揉んだ。目はカラマンダ軍の本陣がある山肌に向けられている。

 本陣は火が焚かれて寝ずの番が敷かれている。兵士の数も相応だ。

 聖都を包囲してなお余る規模がカラマンダにはある。


「暗殺といえば夜襲ですかな」

「いや」


 それには榊が否定した。榊の目は空に向けられている。

 夜空は無限に暗く澄み渡り、月と星がしんしんと輝いていた。あれだけ轟いていたカテナとサンの激突が止んでいる。


「夜はむしろカテナがいる。カテナとやり合うことになったら面倒だ」

「となると昼戦ですか……。戦争の真っ只中を素通りさせてはくれないでしょう。一筋縄にはいきませんな」


 村人が考えあぐねた口にベーコンを押し込む。

 黙って食べ続けていた寡黙な狩人が、突然弓を手に立ち上がった。村人は目を丸くして彼を見上げる。


「どうした急に。ションベンか?」

「なにか来る」


 環もまた狐耳を立てて顔をあげた。

 キリリと矢をつがえる狩人に叫ぶ。


「よせ! ()つでない!」


 言葉よりも一瞬早く、狩人の矢は放たれていた。

 木の葉を貫いて夜天に飛んだ矢は、

 閃光をもって焼き落とされる。


「夜分失礼します」


 矢の軌跡をなぞるように飛来した人影は、榊たちの前にふわりと舞い降りた。

 焚き火の明かりを受けてた途端、日なたのような暖かさがその姿から感じられる。

 ミルクのような白い肌に、チーズのような金の髪。純白に美しい神官衣。


「こんばんは、環様、セナ様、榊様。そして、初めまして傭兵『狐団』のみなさま」


 順繰りに挨拶する柔和な顔立ちの微笑みには、青ざめた疲労が隠せていない。当然だ、天地に轟く大立ち回りを演じたのだから。


「わたくしはサン=コロナと申します」


 太陽神の聖女、サンその人だ。


 §


「聖都は無事です。ジンが頑張ってくれました」


 焚き火の前に迎え入れられたサンは、出されたお茶を美味しそうに飲んで「ほう」と息をつく。


「おいしい……身体に沁みますね。山葵ですか?」

「え、ええ。うちではお茶に混ぜます。村でよく採れるんでさ」


 村人は聖女の存在感にすっかり気圧(けお)されていた。

 聖女は恐縮されることすら受け入れる貫禄で、泰然とした穏やかさを崩さない。榊たちに振り返って連絡を続ける。


「破られた壁は聖都の大工が力を合わせて修繕中です。夜を徹して作業にあたるそうですから、明日も持ちこたえられると思います」

「本当? そりゃ頼もしいわね」


 疑わしそうにセナが言う。

 サンは湯呑みを膝に、環たちに向き直った。


「環様たちはどうされるおつもりか、うかがってもよろしいですか?」

「うむ。戦争を止めるつもりじゃ。聖都に和睦の受け入れを頼むやもしれぬ」

「もちろん、そのときは受け入れます。略奪品を、残っているものだけでもすべて返すことが条件になりますが」


 ほぼ無条件だ。消費した食料や器物の賠償を求めていない。

 即決で国事を決めたサンは続ける。


「カラマンダに対してはどのように?」

「戦う力を削がねば対話もできぬ。ゆえに、わらわたちは雅を討つ」

「……そう仰ってくれると思いました」


 聖女サンは安心したように、しかし少し寂しそうに微笑んだ。


「実際、聖都は苦境です。このまま雅様とことを構えていたら戦い抜くことは難しいでしょう」


 雅さえいなければ、少なくとも聖都に負けはない。

 セナはその純粋な信頼に肩をすくめた。


「その雅をどうやって倒すのかが問題だけどね。あんたはまた明日になればカテナとやり合うんでしょう?」

「カテナ様……ああ、雷神様ですね。はい、そうなると思います。私は略奪や包囲を止めなければなりませんが、すると必ず私を抑えにいらっしゃいます」

「カテナと戦って勝てそうなの?」

「無理だと……思います」


 即答だった。

 サンは手元に目を伏せる。白く透き通るような指は柔らかく、武器の重みとは程遠い。


「カテナ様は私を本気で落とそうとはしていません。無傷で首を貫けるなら、という間合いの取り方を保っています。私も集中力を切らさなければ……負けはしないとは思いますが……」


 きゅ、と唇を引き締める。

 思いつめたサンの唇に、野いちごがグイと押しつけられた。びっくりした顔で受け取るサンを、ずびしとセナは指で差す。


「しっかりしなさいよ。あんたが負けたらこの戦いはおしまいなんだから」


 セナの取り繕わない真っ直ぐさに、サンは救われたように笑みをこぼした。


「はい。しっかり気を引き締めますね」


 野いちごを食み、ぐっと飲み込む。

 いくぶん明るくなった顔でサンは言った。


「それに、どちらにしても猶予は多くありません」


 そんな悲観的な予測を、高らかに。


「うまく差配すれば明日は持ちこたえられるかもしれません。でも、明後日には確実に聖都が落ちます」

「……カラマンダ軍の包囲が、聖都の裏まで届くからだな」


 榊の言葉に、サンはうなずく。


「欠けた城壁の守りに人員が取られていて、籠城戦術を取る人手が足りていないんだそうです。壁を越えられたり、破られたり……城壁を守りきれなくなります」


 サンは伝聞で言った。

 ジンの予測だろう。彼のそばには女戦士フランもいる。間違いはない。


「だから明日で決着をつけます」

「だから、どうやってよ?」

「セナ様」


 サンが急に名指しで呼んで、セナは目を丸くする。サンは少し楽しそうに笑いかけた。


「聖都が明日いっぱい持ちこたえるかどうか、賭けでもしたいところでしたが……お互い諦めましょう」


 含みのある微笑みだった。

 怪訝がるセナの横で、村人が身を乗り出した。笑みが引きつっている。


「まさか聖女様、あんた……」

「はい」


 聖女サンは(おく)さずうなずく。天意に支えられているかのように、しっかりと。


「聖都にカラマンダ軍を引き込みます」


 聖都の放棄を。

 セナが深刻そうにつぶやいた。


「……信仰が深くなると脳筋になるのかしら」

 好きなもの!


 旅の夕食を囲みながらの会議。

 実利主義的なやり方が格好いいですし、食事風景と内容にギャップがあるともっと素敵。

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