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榊、聖都を脱する

 まるで地獄の釜の蓋が割れたかのようだ。


 引き裂かれた城壁の隙間に、丸太を束ねたバリケードを築いて、聖都の騎士団たちが必死の形相で抑え込む。

 バリケードから木片が飛ぶ。

 外側から凄まじい衝撃が断続的に打ちつけられている。


 バリケードをよじ登った敵兵士が長槍で串刺しになる。だが──その敵兵士はニヤリと笑った。

 胸から生えた長槍をつかんで、聖都の兵士を逆に放り投げる。高々と舞い上がった聖都の兵士が石畳に叩きつけられた。


 騎士たちは群れてかかって、信徒一人を槍で埋め尽くすように滅多刺しにする。それでようやく一人を仕留めた。

 まるで悪魔の軍勢と戦っているかのよう。

 言葉にしないまでも、誰もがそう思っていた。


「手を休めるな! 日が暮れるまでの辛抱だ! 聖都の地面を奴らの土足に汚させてはならない!」


 鍛えられた肺活量を活かす大音声。

 指揮を取るのはジンだった。

 冷静に状況へ応じる彼の声が、自然と彼を総指揮官に押し上げていった。


 突然、建物の屋根が音を立てる。穴が開いていた。砕けた木片と煙が立つ。


(敵が飛び込んできたか!? いや──)


 ジンは素早く辺りを見回し、ついで空を見上げて、誰よりも早く状況を見切った。


「敵が投石し始めた! 大盾を、なければその辺の扉を借りて盾にしろ!!」


 石が投げ込まれている。

 投石機は本来なら土木工事のような機材で組み立てる攻城兵器だ。だが怪力の信徒たちならば、ハンマー投げの要領で手軽に投げ込める。


「落ち着け! この辺に大岩はない。弾数は無限じゃないはずだ!」


 投げ込むに適した石は無限にあるものでもない。石さえ限りある物資のひとつだ。

 つまり、その限られた物資を使って攻め入ってきている。


「連中、もう夜になるっていうのに、ずいぶん全力だな……!」

「ああ。やり手の指揮官がいるようだ」


 ジンが声に振り返る。紅蓮の全身鎧を着込む女戦士フランが傍らにいた。

 敵を賞賛する言葉をジンは鼻で笑う。


「イノシシじゃなくてか?」

「そうだ。夜の闇と静寂に、仲間のあげる苦痛のうめきは『効く』。連中は本気で聖都を落とそうとしているぞ」

「……ああクソ! 敵が有能だとうんざりするな!」


 ジンは表情を引き締めて騎士の動きに目を向けた。

 被害を減らすには敵を追い払うしかなく、敵を追い払うには駆けずり回るしかない。


「わらわたちも手伝ったほうがよいのでは?」


 環がジンの近くに歩み寄って声をかける。

 情報を地図に書き起こす手を止めて、榊が顔を上げる。ジンは「いや」と否定した。


「サンに寄りかかって騎士団はダメになったんだ。サンがみんなを守れない今だから騎士団は立ち上がった。そんなところにサンとはまた別の依存先を見つけたら、それこそ騎士団は動けなくなる」


 騎士団は口々に「聖都のために!」「聖女のために!」と叫んで己を鼓舞している。

 慰めであると同時に、彼らの献身の表れだ。


 ジンは空を見上げて皮肉っぽく笑う。未だ天を轟かす閃光が瞬く。サンとカテナによる神々の争い。

 文字通り手の届かない争いが、目と鼻の先で繰り広げられている。


「敵がまだどんな手を隠しているのかわからない。俺たちじゃ対応できないことがあるかもしれない。その意味でも、軽々に頼るわけにはいかない」

「頼られたくもないけどね」


 セナがボソリとつぶやいた。

 喧騒に揉まれてジンまで届かない声に、環と榊が振り返る。敏腕冒険者の弓使いセナは険しい表情を二人に向けた。


「このままでは負けるわよ」


 声をひそめて、そう言った。


「他の神殿から救援が来るまで、なんて持ちこたえられない。どうやら敵の指揮も甘くないみたいだし。勝ち目はない……いえ、たしかに敵の補給線は弱いから、干上がるのを待つ手もあるかもしれない。けど、そんなことしたら略奪が進むだけ。最後には聖都が干上がっちゃう」

「わらわたちが協力すれば、なんとかなるのではないかの?」

「無理よ。手の届く範囲には限界がある。聖女様の現状を見なさいよ。強い駒なんて用兵次第で生殺しにできる」


 言いながらセナはフランを見た。

 底知れない実力を持つフランもまた、本気で戦おうとはしていない。

 視線に気づいた彼女は肩をすくめた。


「安易に力を示して当事者の手から『戦争』を奪うなど、部族の誓いが許さない。我は傭兵ではないからな」

「あくまでも市民の被害を減らすだけ?」

「それが聖女の依頼だ。まだ正式に依頼されたわけでもないがな」

「どんな部族よ」


 吐き捨てるセナの言葉に、フランは笑う。

 セナはフランから視線を外して、改めて強調した。


「とにかくこのままではジリ貧なの。協力するっていったって、漫然と一緒にいて共倒れなんて御免よ。何をどうするのか決めて頂戴よ。時間はないのよ」


 セナはそう言って西の空を見上げる。

 太陽は山の稜線に半分以上が沈んでいる。

 もうすぐ夜になる。


 環の耳が跳ねるように立ち上がった。

 がはっと環は顔をあげた。勢いよくジンを振り返る。


「ジン! わらわたちがこの場から欠けてもよいか!?」

「はあ!? どういう……、」


 騎士と話していたジンは飛び上がるように驚いた。

 詳しく問い質そうとして、声を止める。ぱしんと己のこめかみに手のひらを当てた。

 目の前で騎士が待っている。

 時間がないのは、なによりもジン自身だ。今や彼が防衛の指揮を取っている。


「任せる! 好きにやれ!」

「必ず応える!」


 環は榊に目を向けた。

 榊はさっと姿勢を変えて走り出す。その四肢から燃え立つような神威の輝き。


「ちょ……私にも打ち合わせくらいしなさいよ!」


 セナの悲鳴を背に、榊は跳躍する。

 騎士たちの背中を飛び越えた。バリケードの頂点を踏み、榊は破られた城壁の間へと突っ込んでいく。

 どよめくカラマンダ軍の兵士──雅から怪力の加護を受ける彼らのなかで榊が暴れまわる。

 その喧騒を聞きながら、環はセナを向いた。


「セナ。わらわたちは包囲を突破して外に出る」

「なんで!? 外は敵がウジャウジャいるのよ?」

「わらわは神じゃ」


 目を剥くセナに、環は笑ってみせた。


「天啓を得た」


 セナは虚をつかれて息を呑む。


「それ神は与える側じゃ……ああ、もういいわ。環がその気なら、もう決定じゃないの。私も付き合うわ。榊だけじゃどうにもなんないでしょ」

「助かるのじゃ」


 うむとうなずく環へ、フランが仁王立ちのまま静かな声を向ける。


「我は付き添えん。聖女との約定がある」


 フランは行かない。

 どんな苦境でも未だ力を温存してきた随一の腕利きがいないことに、セナは不安げな顔を見せる。

 だが環は動じずに首を振った。


「フランにはむしろ、この場を頼みたい。ジンだけに任せるのは酷じゃろう」

「頼まれたなら仕方がない」


 フランは不敵に笑ってうなずいた。


「よし。ではセナ、行こうぞ」

「ああもう、あんたたちといると楽できないわね!」


 環はセナを促して榊を追う。




 榊は絶体絶命の窮地にいた。


 視界いっぱいを埋め尽くすのはざっと三十人ほどの敵。

 一発で殴れるのは二人が限度。敵も侮れない力を持っている。その状態が見渡す限りどこまでも続く。

 敵の群れに飛び込んで勝てるわけがなかった。


 前方の二人を殴り飛ばした榊は、後頭部を剣の柄で打たれてよろめいた。横腹を別の男に蹴られて膝をつく。背後から肩を押さえ込まれた。

 前に立った男が、押さえ込まれる榊へと剣先を向ける。


 榊は瞬きの間に応じた。

 まず柔術の応用で肩をすかして、片足を浮かせる。浮いた足を振り上げる力だけで飛び上がり、身をひねった。背後の兵士に足をかける。そのまま前方へと投げ飛ばした。

 剣を構えた兵士は、眼前に仲間が飛び込んできて硬直。絡まるように転倒する。


 拘束は抜けた。だが未だ全方位に敵がいる。

 振り返る榊の眼前に剣。


 榊は剣の横腹を殴りつけて折り飛ばした。顔を上げて息を呑む。

 兵士の顔面から矢が生えている。

 兵士は榊に切りかかった勢いのまま、前のめりに崩れ落ちた。


「待たせたの!」

「敵のど真ん中で止まらないでよ!」


 環とセナが降ってきた。

 兵士を射たのはセナだろう──他にいない。

 榊と同じようにバリケードを跳躍で越えてきた二人に背中を任せて、榊は敵を投げ飛ばす。


「申し訳ありません。助かりました」

「いや。わらわたちを待って立ち止まったからじゃろ。すまぬが榊、続きを頼む」


 環は榊に背を向けた。

 環の背が燃え上がり、炎を濃縮したような無数の柄が生えてくる。

 太刀の柄に手を添えた榊は止まった。環が横顔で榊を見る。


「──すまぬ」

「いえ。私も無闇な殺生は気が進みません」


 別の柄を握った。

 振り返りざまに引き抜き、切りかかってくる兵士を柄の先で打つ。


 抜き放たれた長柄は、先端がU字型になった独特の形状──サスマタだ。


 江戸時代には火事の建物を崩して延焼を防ぐために用いられ、現代でも対不審者用に学校などで備えられている非殺傷武器。


 兵士の足を先端部で引っかけて、横ざまに払えば足をすくい上げて転倒させる。鉄輪の重みで、振り回す棍としての機能も十全。


 榊は振り下ろされた剣を長柄で受け止めて、兵士の腹を蹴り上げた。

 鉄輪に兵士の胴を引っかける。加護の宿る剛腕で兵士ごと振り回した。周囲一円の敵を文字通りに薙ぎ払っていく。

 榊はうなずく。


「立ち回るには充分だ」


 榊たちの強さを目の当たりにして、包囲する敵が攻めあぐねる。

 着物を直した環が叫んだ。


「突破じゃ!」

「かしこまりました」


 榊はサスマタで兵士をひとり捕まえる。

 鉄輪は半円だ。左右どちらにも動けないが、一歩下がれば逃げられる。兵士は後退りしようと片足を浮かせ、

 勢いよくサスマタを押し込んだ。


 突き上げられた兵士の身体が、サスマタの先端で浮き上がる。榊はそのまま走り出した。

 兵士の身体を傘代わりに、敵陣を突っ切っていく。


「後ろは任せて! 走って!」


 叫びながらも一矢を放つセナ。榊のこじ開けた空間を走りながら矢を放ち、敵の動きを封じ込める。

 榊、環、セナの陣形で、まさに敵陣を刺し穿つ矢のように三人は突き進んでいく。


「どんだけ走ればいいの?!」

「三万の軍勢といえど、全員が一箇所に群れているわけもない! 初詣の行列を駆けるよりずっと早く終わるじゃろうな!」

「初詣の行列がわからないわよ!」


 馳せながら、セナは息つく間もなく矢を番えては放つ。まさしく矢継ぎ早に左右後方へ的確に射ち分けられる。見るも華麗な絶技だ。

 雲霞のごとき敵陣に埋もれるたった三人の進撃は、たとえ空から見てもわかるほどの流れの変化として表れていた。線を引くように戦団が乱れていく。

 左右に大きく広がったカラマンダ軍を食い破るその鏃が、半ばを越えて、果てへ近づいていく。


 そこで。

 セナの指が矢筒の空をつかんだ。


「──ッ矢が切れた……!」


 道を阻む敵兵士を、セナは前方宙返りで魔法のようにすり抜ける。弓を両手で携えて兵士を一人二人殴り飛ばし、

 走るのはそこが限界だった。


「……参ったわね」


 榊と環の間を阻まれて、セナの足は止まっていた。

 前線からかなり離れただけあって、兵士はさほど密集していない。

 それでも武器を封じられたセナに立ち塞がるには充分だ。


「先に行きなさい! 私はなんとか逃げるから……」


 言葉の途中で、眼前の男が吹っ飛んでいく。セナの頭上を越えて、背後の敵をなぎ倒した。


「先がなんだって?」

「榊、あんたね……」


 立ち止まり、そればかりか戻ってきた榊が長柄を構える。


「見捨てるものか。環様の意思に反する」


 榊のぶっきらぼうな言葉に、セナが肩を落とす。駆け戻ってきた環と合わせて三人背中を合わせた。


「善い判断じゃ、榊。早う動いてくれて助かった」

「無論です。私は環様の信徒ですから」


 周囲を囲むカラマンダ兵士たち。手に手に雅の加護が息づいている。

 進んだかどうか不安になるほど、果てなく尽きない敵の数。


 毛ほども臆する気配もない。榊は手のサスマタを握り直した。


「仲間を()()()()()ために動くのは、私も同じです」


 ただ願うだけでは済まさず、自ら叶えられるならそれで善し。


 影の支配する薄暮のなか、榊はカラマンダ兵士へ打ちかかる。

 一人を投げて二人を倒す。背後の一人を打ち倒す。

 右へ左へ投げては殴って、あるいは蹴って。

 環を庇い、仲間の背後を守る。その隙を突かれて狙われた背後を仲間に救われる。


「助かった」

「お互い様!」


 セナと榊。四肢に神威の光をなびかせ、二人は大立ち回りに立ち回る。

 だが倒せば倒すほど敵の増援はいや増すばかりだ。

 首を伸ばしてセナが叫んだ。


「あと少しなのに!」


 セナの千里眼にはすでに戦団の終端、敵の切れ目が視えている。

 しかし敵は多く、応じる手は足りない。

 半歩進めるだけでも幾人となく打ち倒さねばならなかった。


「もう夜になってしまう……!」


 環が細い声でうめく。

 太陽は山際に触れて濡れたように歪んでいる。


「日が暮れたらまずいの?!」

「暗くて見つけられんくなる!」

「なにか探してんの!? この状況で!?」


 セナは身体を沈めて敵兵士の剣を避けた。敵兵士の顎が跳ね上がる。榊のすくい上げるような長柄の一打だ。


「言いそびれてたんだけど! 武器替えたら!?」

「大して変わらん。後詰めの数が多すぎる」


 セナの提案を一蹴して榊はサスマタを振り回す。

 棍に優る神器の殴打は敵をなぎ倒してなお揺るぎない。

 ピクリ、と環が狐耳を立てた。


「しゃがめ!」


 叫ぶ。


「っ!?」

「はい」


 セナは驚きを息ごと飲み込んで、榊は穴に落ちたような素早さで、二人はしゃがみ込んだ。

 ひょう──と風の音。

 空から叩きつけられた矢の雨に打ちつけられて、周囲のカラマンダ兵士たちが一斉に叩き伏せられた。

 しゃがんでいた榊たちには矢の一本もかすめていない。


「今じゃ!」


 至近にいたため矢を避けた兵士をサスマタで殴り倒し、榊は鋭く駆け出した。

 じりじりと包囲を狭めていた敵兵士には動揺が広がっている。敵陣の背後でも騒ぎが起こっているようだ。

 狼狽える敵兵士を数人殴り倒し、榊の視界が突然開けた。


 敵陣を抜けた。


 まばらな敵を追い散らし、武装した馬に曳かれた装甲馬車(チャリオット)が駆けてくる。


「行け! 飛び乗れ!」


 環の指示に追われるように、猛スピードで駆ける戦車へと破れかぶれに転がり込んだ。

 セナが飛び起きて弓を構える。空の矢筒に表情を翳らせる彼女の前で、男は手を上げた。

 手のひらを開いて。敵意はないと示すように。


「見間違いかと思いましたが、いやはや……。まさか、聖都の包囲を脱出なされたのですか?」

「久しいの。狐村の」


 環の言葉に、人の良さそうな村長はニッコリと微笑んだ。

 環の生前を奉っていた、山奥の村人たちだった。


 村の狩人たちが矢を放つ。貧しい山で培った類稀な弓の腕はカラマンダ兵士を近づけない。


 その瞬間。ふっと陽の明るさが途絶えた。

 日が暮れたのだ。


 光源のない平らな盆地は日暮れを境に闇に沈む。

 御者が慌ただしく馬の脚を緩め、そろそろとした進みに変えた。


「日が暮れましたな。今日のところは引き上げましょう」


 うむ、と環は当然のように応じる。

 榊とセナは顔を見合わせ、振り返った。

 太陽神の恵みで不夜城のようだった聖都は、いまやとっぷりと夜に暮れている。

 榊たちは狐村の民とともに聖都を脱していった。


 好きなもの!


 中世ヨーロッパの村。

 冬の間は傭兵をして、春になると畑に帰るライフスタイルが当たり前にあったらしいです。

 戦争が副業って……!

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