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榊、思いがけない再会を果たす

 空は茜色を広げつつあった。

 ジンとの話し合いを終えた榊たちは大神殿の前に出た。

 象牙色のレンガで舗装された街並みは夕陽も鮮やかに映える。

 通りから見下ろせる広場は、神殿騎士団の駐屯地に接収されていた。

 市民の不安を払拭するために一般公開されている。そういう広場で聖騎士たちは訓練の名のもとに整った武装をひけらかす。

 輝かしい装備に包まれた聖騎士たちの会話をうかがった祝福弓士セナは、うんざりと肩をすくめた。


「敵の悪口と聖女に任せる話ばっかり。こっそり飲酒してるやつもいるみたい」

「乱れきった規律、緩みきった軍紀。ジンが嘆くわけだ。真面目に勝つ気がほとんどない。敵と会したら逃げ出しそうだ」


 赤い全身鎧に身を包む女戦士フランが呆れて評する。

 装備や人数は勇ましいが実態の伴わない戦力を見下ろす榊たち。その背に声がかけられた。


「皆さんの目には、ひどいものと見えるでしょうか」

「サン?」


 振り返った環が声を漏らす。

 金糸をあしらった白い神官衣のサンは、榊たちの前を横切って高台の石柵に歩み寄る。彼女に気づいた聖騎士たちに手を振り返した。

 微笑のまま榊たちを振り返る。


「これは平和の成果です。歴代の神殿長が心を砕いて築き上げてきた穏やかさ」


 静かな声で、はっきりと言う。

 その声に一切の揺らぎはない。サンは戦争を知らない危機感のなさを恥じていなかった。


「人に対する信頼と優しさこそ、私たちの目指したものです」

「平和を重んじるのは結構だが」


 榊が口を開く。


「平和を守る盾まで平和ボケしてしまったら守れない」

「いいんですよ。聖騎士たちの役目は荒波の防波堤ではなく、その内側の避難誘導ですから」

「防波堤は二つあるといいそうだ。一段目で勢いを削いで、二段目で居住区への影響を遮断する」

「……お詳しいですね」

「日本は災害大国だからな」


 なんの話をしているのよ、とセナが呆れ顔になる。


「あんたの幼馴染がずいぶん思い詰めてたわよ。どうすんの?」


 サンは口許を微笑に保ったままうつむく。

 茜色が白い頬と柔らかな金髪に差して、その輪郭をぼやけさせる。儚さを散らして石柵に手を乗せた。


「ジンは私を買いかぶりすぎています。私はいたいけな信仰の被害者ではありませんし、心清らかな聖人君子でもありません」

「どういう意味?」

「逃げてください、とは言いましたが」


 サンは露骨に話を変えた。セナだけでなく榊や環にも一人ひとり顔を見る。


「望めるのなら、皆様にも助力をお願いしたいです。フラン様だけではきっと民を救えない」


 榊は意外そうにサンを見た。

 その弱気な発言は、すなわち太陽神の力を受け継ぐ聖女をもってしても戦争で人を救えない、という宣言でもあった。

 サンは微笑のまま遠く市壁に目を向ける。市壁の向こう、陣を敷くカラマンダ軍の方を。


「私はカラマンダの兵士たちを……殺してしまっても。大丈夫だと思います。聖女でなくなることはないでしょう。では──敵は、何を狙っているのか」


 はじめて慈愛以外の烈しい色をその碧眼に宿した。

 油断のない剣呑な敵視。負けたくない相手の勝ち筋に目を向けるまなざし。


「そもそもカラマンダの全軍と私が正しく共倒れしたとして、その後にどうするつもりなのでしょう? 第二陣を編成する余力を彼らは残していません。山賊団が独立して攻めてきたとしても、城塞都市を攻め落とせる人数なら隠せないでしょう」


 つまり。険しく目をすがめて、サンは言う。


「雅さんが聞かされていなかった別の企みが敵にはあります」


 山賊の守護神でもある邪神、雅。そんな神すら手駒として操る悪魔的な策略家が敵に居る。

 マリと呼ばれた山賊のボス。


「それが何かはわかりませんが……なんであれ、私の身動きを封じるものであることは間違いないです。太陽神の聖女、という力は大きすぎますから」


 自嘲するような気弱そうな笑いに小首を傾けた。サンは改めて一同を見渡す。生まれ持った善良さを心に込めて。


「だから。皆さんにお願いします。──私が欠けた聖都を守ってほしいのです。ジンと一緒に」


 気を呑まれかけていたセナが、気を取り直すように深呼吸した。いつものように体を斜に構える。


「虫のいい願いね」

「そうですね。だからこれは、単なる私のお願いです」


 くすっと笑ってサンはうなずく。軽く地面を蹴ると、小柄な体が空に浮かぶ。


「もう行かなくては。カラマンダ軍が略奪を始めようとしています。止めなければなりません」

「敵を殺すのか?」

「……はい、きっと」


 まばゆいばかりの日光をまとって、サンは夕焼け空に浮き上がっていく。

 もう一度、言葉を重ねようとするように口を開けて、

 なにも言わずに唇を結んだ。

 きっと顔をあげて空を向く。日輪の輝きを尾に引いてを駆けていった。


「『なぜ空は落ちないの?』『お天道様が支えているからよ』」


 セナがつぶやいた。

 榊の視線に気づいて肩をすくめる。


「この辺じゃ有名な母子の問答よ。太陽神の信仰を極めた信徒は空を飛べる。空は太陽神の座する領域だから」

「お主も飛べるのかの?」

「私は無理よ。そこまで強い信仰心を持ってない」


 あっさりと自身の信仰を言い捨てて、セナは広場を見下ろす高台の石柵に両肘を乗せた。改めて空を見上げる。


「……太陽神は人間を冷笑している、か……」


 悩める太陽神官ジンが言った、太陽信仰に対する推論。

 環が窺うようにセナを見た。セナは笑って広場を見下ろしている。広場の隅に屋台がある。


「なんとなく分からなくもないのよね。太陽ってはるか天上から下界を見渡しているわけじゃない? 私たちの人生ってどう見えてるのかなって思ってた」


 彼女の見る先では、氷菓子の屋台で小銭を握る子どもが真剣な表情でフレーバーの品定めをしている。


「私たちは、どうしようもなく小さなことが、あまりにも気になりすぎる」


 セナが微笑んだ。

 やがて子どもは意を決したように顔を上げ、思い切って屋台の店主に声をかけた。


 太陽神の見守る大陸の歴史から見れば、その決断のなんと小さなことだろう。

 だが小さいからといって、瑣末だとは限らない。




「……みんな? なんでいるの?」


 言葉のわりには平坦な声が背後から投げかけられた。

 振り返る。斜陽の街角に立つ女性の姿。光を押し固めたような金髪に青い瞳、髪から覗く葉のように尖った耳先。

 世のすべてを突き放したような表情の薄いその女傑。

 傭兵カテナだ。


「カテナ! あんたもやっぱりここに居たのね。戦争だからどこかにいると思ってたわ」


 セナは顔を輝かせてカテナに駆け寄った。

 親しげに手を取られたカテナはちょっと鬱陶しそうな顔をして、セナと榊たちを見る。


「てっきり、とっくに逃げてると思ってたのに。戦争が始まるってわからなかった?」


 旅人に対するものとしては至極当たり前の推測に、環が苦笑して耳を震わせた。


「ちょっと様子見じゃ。なにかと頼まれごとをされてしまっての」

「いつ逃げられなくなるか分からない。できるなら、すぐに出ていったほうがいい」

「それはもしかして心配してくれてるの?」


 セナが懐疑的に問うた。

 淡々としたカテナの声からは案じる気配が感じられない。カテナは無視して口を開く


「それより聖女見なかった? この辺にいたと思ったんだけど」

「もう行ったわよ。略奪を止めるんだって」


 カテナは目をすがめた。


「……ふぅん。ご立派であらせられること」

「聖女様に用事? 傭兵なのに、ずいぶん偉い立場なのね」

「心外。あたしは傭兵筋ではそれなりに有名人」

「傭兵筋じゃないもの、私。ま、もしまた聖女様に会うようなことがあれば伝えておくわ。あんたが探してたって」

「セナ、少し待て。話をする前に確認したい」


 榊が片手を挙げて遮った。


「カテナ。お前はどちら側の傭兵だ?」


 カテナは答えなかった。

 フランがわずかに身構え、セナが愕然とカテナを見る。


「えっ? ちょっと。あんた、まさか」

「……お人好し集団だから、気にしないと思ったのに」


 カテナははじめて微笑を見せた。

 何気ない風を装ってセナから距離を取り、自然な姿勢のままいつでも動けるように構える。そんな態勢を取りつつもまだ槍を構えない。


「誤解しないで。あなたたちが太陽神殿についたとしても積極的に敵対するつもりはない」

「いや、どうしてあんたがカラマンダについてるのよ。連中が侵略してきているのに」

「その前から。太陽神殿はカラマンダに内政干渉していた。……それに実際のところはどっちでもいい」


 カテナは頭を振って、碧眼に強い感情の光を宿す。――怨みの感情を。


「あたしは太陽信仰がキライなの」


 衝撃を受けたようによろめくセナの肩を榊の手が支える。

 狼狽するセナの視線にうなずいて、榊はカテナに声をかけた。


「正義は誰の側にもある。それはジンもサンも認めていることだ。だから俺たちもこの場でお前と事を構えるつもりはない。……だから先に聞かせてくれ。お前はなにをするつもりなんだ」

「べつに大げさなことは何もしない。あたしの請けた依頼はふたつだけ……聖女を止めること」

「もう一つは?」


 カテナが吐息で小さく笑った。

 ばちりと静電気の爆ぜる音がする。

 榊は弾かれたように振り返る。濃紺の広まった空の下、地を駆ける雷鳴が怒涛の勢いで迫り来る。


「もうひとつの依頼は、門を開けること」


 音に気を取られた榊たちの脇をすり抜けて、駆け出したカテナは石柵を踏んで跳躍した。

 翻る金髪に紫電をみなぎらせて天神に祈る。落雷のような閃光を噴き上げてカテナは空を裂いて飛び、聖都の閉ざされた城門を貫いた。

 閃光。砕け散る城門。空をどよもす轟音は遅れて響く。


「な……!?」


 フランが焦燥を表情に見せて振り返る。舞い上がった石材の破片や門扉の欠片が、防備を固める兵士たちに降り注いでいく。

 引き裂かれた城壁の向こうには街道がよく見えた。

 馬蹄に雷光を弾けさせて駆け去る、カテナと神馬の後ろ姿が見分けられるほどに。

 門を丸ごとひとつ吹き飛ばされた。


「……してやられたな」


 フランが苦々しい表情でつぶやく。


「壁の欠けた城砦など、袋小路とそう違いがない。籠城の選択肢を封じられた」

「カテナ、あんな力があったわけ?」


 セナもまた呆然と立ち尽くしている。


「あれほどの火力なら、本当に太陽神の聖女と渡り合えるんじゃないの」


 聖女サンが案じていた山賊首魁マリの秘策。

 カテナがサンを止めること。

 これで盤上から聖女が取り除かれた。

 戦況は絶望的だった。


「……榊。この戦争、参戦するべきだと思うか?」


 砕かれた城門を見つめて環は問いかけた。

 榊は聖都を見渡す。突然起こったことに動揺を隠せず、しかしパニックに陥るほど状況が危機的だと理解できない聖都の住民を見る。


「参戦するべきではないでしょう」


 そう告げた。


「太陽信仰に関する宗教戦争です。私たちの信仰が立ち入る余地はありません。聖都の負け戦です。関わり合うメリットはありません」

「じゃが、カラマンダの侵略は不義理ではないか?」

「戦争に正義はありません──正しくは、どちらにも正義はあります。正義など如何様にも作り上げられる。例えばいま彼らは不当に暴利を貪っていた聖都への報いだと唱えています」


 隣人の貧困に同情の目を向けながら、自身の豊かさが喪われるなど想像だにしていなかった。

 平和は誇らしいことだろう。だが状況としては最悪極まる。


「確かにな。わらわたちは居合わせただけで、運命を共にする義理などない」


 ──それでも。


「わらわは見過ごせぬ」


 環は言った。そして笑った。


「ああ、なるほど。わらわはたしかに邪神のようじゃ。榊を、榊が戦う意味のない戦いへと巻き込んでしまう」

「自ら望むところです。きっと、それこそが問題なのでしょうが」


 榊は応じて小さく笑う。

 好きなもの!


 どよもす。


「どよもす」という言葉があるんですよ。もう一般的な言葉ではありませんけれどね。

 漢字では「響もす」と書いて、字の通り「声や音を響かせる、鳴り響かせる」という意味です。

 なんというか、語感がすっごくいいですよね。

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