榊、戦争について話し合う
「本題に入る前に、現状を整理しよう」
ジンは神殿の会議室に地図を広げて、榊たちの顔を順に見た。
榊、環、フランは平然と。戦争に巻き込まれたくないセナはしぶしぶ地図に視線を落とす。
「聖都は、盆地に作られた都市国家だ。周辺の村を含む盆地一帯が領地の小国と言えるだろう。大陸全土の神殿から贈られる寄進で運営されている」
霊峰山脈に三日月形に囲まれた盆地に聖都はある。
街道は聖都の左右から山麓に沿って緩やかに、山の隙間を通り抜けて伸びている。南に抜ければ、宿場町そして隣国の共和国へ通じていた。
「敵は部隊を分けて街道を占拠しようとするだろう。守備隊は少数だ、信徒の部隊が相手では歯が立たない」
ジンの太い指が敵部隊を示す駒を滑らせ、地図に印された二本の街道を塞ぐ。山に囲まれた聖都はそれだけで孤立した。
ふむ、とピンとこない顔で榊はジンを見た。
「物資が絶たれるのは不味いんじゃないか。増援は出さないのか?」
「厳しいだろうな……」
ジンは渋い顔で呻く。
「聖都は十万人都市だが、半分はスラム民と巡礼者だ。常備軍は千人程度。予備役を招集しても三千人がめいっぱい。あちこちに声をかけて傭兵を集めたとして、一万五千人がいいところだろう」
「一万五千か。厳しいな」
フランが地図を見据えながらつぶやく。
城塞都市でもある聖都だが、すでに第一の城壁である山脈を越えて内懐まで踏み込まれている。
すでに首根っこをつかまれて揉み合っているようなものだ。
フランは全身鎧のまま腕を組んで目を細める。
「篭城戦の攻略には三倍の戦力差が必要とされる。敵の規模は五万、ちょうどそのくらいだ。そのうえ雅の加護で強化されている。ざっくり三倍の戦力と見ていいだろう」
「1.5万と15万の戦争か? 十倍差じゃあ篭城も不可能だな」
ジンは忌々しげに吐き捨てた。フランが問う。
「増援は見込めないのか?」
「各地の神殿から戦力を送ってもらえるだろう。だが神殿兵は多くはないし、なにより時間がかかる」
「旅の途中でいくつか国を通った。同盟を結べばいいんじゃないか」
榊の提言にうなずきつつも、ジンは渋い顔のままだ。
「カラマンダは山越えという形で、隣国の国境線に近寄らず最短距離で聖都に詰めてきた。共和国には同盟を求めるにしても、戦場に招く援軍は難しいだろう。
カラマンダの横腹を殴ってもらう場合でも……間を隔てる山岳地帯は、天然の山城になっている。攻略は至難だ」
孤立無援、というほどではないが、自力で勝つしかない状況に聖都は置かれている。
「そもそも、問題はそこじゃないでしょ」
セナはウンザリしたように言った。
「聖都の連中の緩みきった顔! 『まさか本当に攻め入られるとは思っていなかった』って言って、なに一つ準備していなかったんでしょ? 準備どころか、今もまだ呑気にしてる!」
会議室の窓に手のひらを向けて怒鳴る。
神殿から見える街並みは、開戦に動揺を覗かせながらも、変わらない賑わいを見せていた。
市が開かれ、街角に大道芸人が立ち、人々は日向で談笑している。戦勝にあやかった土産物を売る屋台すら立っていた。
「連中、上から下までどこまでも『聖女様がいれば大丈夫』っつってんのよ? 頭湧いてるんじゃないの?」
「湧いてるかもしれないな」
ジンは苦々しく眉間を揉む。
「軍議は、昼食を取りながら資料も持たない形で行われた」
さすがにセナですら絶句した。
危機感がないにも程がある。
榊は淡々と言う。
「無理もないだろう。実際、聖女の力なら五万人の軍勢もひと薙ぎで片付く」
太陽神の御使いは、それだけの力を秘めて榊に応じた。聖女であるサンも比肩する力を持っている。
ジンは頭を抱える。
「サンが神殿長になる前は、もう少しマトモだったんだがな……聖女を頼りにするのは信心が足りないという風潮を、前神殿長が作ってくれていた」
「そのご隠居を引き戻さないといけないわね」
「やめてやれ。じゅうぶん長生きして、やっと墓の下で眠ったんだ」
むぐ、とセナが自分の口をふさぐ。
ジンは小さく自嘲して視線を落とした。
「……遺言に背いた罰かな」
「遺言?」
「神殿騎士団の長になるよう言われたんだ。でも、試練のつもりなのか、誰にも話を通していなかった。ヒラ神官がヒラの騎士見習いとして転向するところから始めなきゃいけなかった」
環がきょとんとジンを見上げる。
「騎士にならんかったのか?」
「俺は孤児でね。名家だの商家だのの子息が鎧で着飾って悦に浸る軍団とは反りが合わない」
「結果、現騎士団長はファッショナブルなジジイが悦に浸るポストになってるわけね」
「そういうことだ」
セナの皮肉に抗することなく、ジンは両手を上げてみせた。お手上げ。
榊はうなずいて口を開く。
「現状はだいたいわかった。つまりこういうことだろう」
カラマンダの電撃侵攻で聖都は孤立した。
聖女に頼り切った聖都は緩み切っていて、絶望的な戦力差に危機感もない。
だが聖女が出れば戦争に勝てる。
「聖女がいる限り揺るがない。その前提が変わらなければ議論の余地はなさそうだな」
と、榊はそうまとめた。
フランがジンに目を向ける。
「サンはやる気なんだろう。なぜお前は止めたがっているんだ?」
「そりゃ止めるだろう。幼馴染が何万人の虐殺に手を染めようってんだぞ」
ジンは手のひらを広げて訴えた。
「侵略してきたカラマンダ軍にも善人はいる。攻め込まれた聖都の民にも悪人はいる。もちろん逆も。信仰の名のもとに一方を処断するのは道理が通らない」
「そうだ。サンはその上で覚悟している」
フランの表情は変わらない。
ジンは言葉の接ぎ穂を失う。言葉に窮するジンを断罪するように、フランは続けた。
「お前の言うとおりサンが戦うことをやめたとして。お前の言う罪なき者を、殺さねばならないのは戦う覚悟のない聖都の兵士だ。お前の言うことは筋が通っていない」
ジンは抗弁を探すように手をあげた。口を開き、視線をさまよわせて、……肩を落とす。
「……悪かったよ。口先の詭弁で語ったことは謝罪する」
「理由を教えてくれ。なぜそんなに戦わせたくないんだ? 幼馴染のえこひいき──だけじゃ、ないんだろう」
「説明が難しいな」
ジンは頭をかいて、会議室のテーブルに分厚い手を載せた。
「太陽神は、あまねく恵みをもたらす愛深い神だ……とそう理解されていると思う」
「うむ、そうじゃな」
「実際にはそんな神じゃない」
えっ、と環は耳を立てた。
素直な驚きに微笑んで、ジンは少し遠回りをする。
「どうして『聖人』と呼ばれる者が神の力を使えるのかわかるか?」
「本人と神が近いから、と聞いた」
「榊も知ってるか。そのとおり。魂、信念、性格……なんと呼んでもいいが、両者は似通う」
そして、とジンはつないで、肩をすくめた。
「サンがどんな性格か、だいたい分かっただろ? 頼まれたら断れない。人の期待に全力で応えようとする。そのためなら平気で無理をしてしまう」
「……太陽神もそうだ、と?」
榊の確認に、ジンはうなずいた。
「望まれた神の姿を演じているに過ぎない。太陽神には愛も優しさもなく、ただ『機能』で願いに応えている」
『慈悲深い神』という役割を望まれたから、応じている。その本心に関わりなく。
「太陽信仰には規範も聖典もない。教義も各地の神殿が自ら編んでいる。だから地方によって太陽神の教義は変わるし、太陽の見方も変わる。太陽神の本質はわからない。ここまでが神学だ」
うなずこうとしたセナが、妙な締めくくり方に応じ損ねる。
ジンは筋肉でできた大きな肩をひそめて、言う。
「ここからは個人的な感想になる」
「──俺はずっとサンを見ていた。聖女っていう重荷を背負わされた幼馴染を、見てきた」
「あんた孤児って言ってたわね。サンとはどういう関係なの?」
「神殿が経営する孤児院での、家族だよ。俺はジン=コロナ。サンはサン=コロナだ」
幼馴染とはいうが、実際にはほとんど兄妹だった。血のつながりがないだけだ。
「サンは生まれつき聖女だったわけじゃない。神の力に触れていくうちに、聖女になった」
榊がうなずく。
榊もこの世界に来て環とともに旅するうちに、いつの間にか環という神の聖人と呼ばれうるほど力を授かっていた。
しかし共感と成長という榊・環の経緯は、サンとは全く違う。
「人の期待に無理してしまうだけだったサンは、神に力を注がれて聖女に仕立てられたんだ。俺はそう思っている」
仕立てられた。
剣呑な言葉選びに環は顔を曇らせる。
「……なぜ、」
「なぜ太陽神はそんなことを? 俺もそう思っていた。だが気づいたんだ。聖女とは何か。どんな存在なのか」
ぐ、と拳を強く握り締める。
誰にでも優しい。皆に愛される。聖女かくあるべし、と言わん限りのサンの振る舞い。その存在意義。
低く唸るように、ジンはその答えを示した。
「──搾取の対象だ」
「サンが聖女になってからずっとだ。限りない優しさと底なしの力を、無限に搾取され続けている」
「太陽神の献身的な姿の発露だと。前神殿長は考えていたよ。でも、それは違う。そうだとしたらおかしいんだ。──太陽神が真に誰にでも優しいのなら、なぜその愛がサンに向けられていないんだ?」
「太陽神は人間を愛していない。愛を囁かれて笑顔で奪われていく『犠牲者』を作り上げる程度には、人間を冷笑している」
だから──ジンは言った。
「俺は太陽神を信用できない」
太陽神の聖女としてサンが身を捧げるなど、受け入れられるわけがない。
「でも俺にはどうすることもできない。力もない、発言権もない。すまない……手伝ってほしい」
ジンは大柄な身体を沈ませた。会議室の机に額をこすりつけるほど深く頭を下げる。
放り込まれた「本題」に、セナは困り顔で榊たちの顔色を見る。
「手伝えって言われてもね」
「戦争はすでに起こっている。聖女の存在を欠くと、備えのない聖都には酷な戦いになる。被害が多くなるぞ」
フランが応じてジンを見た。
もともとカラマンダは軍隊を差し出して聖女と刺し違えるつもりなのだ。その聖女が自ら戦列から消えたとなれば、カラマンダの丸儲けでしかない。
「苦労しそうじゃの、お主は」
環が笑う。
「やるとは言えぬ。もう少し状況を見てからじゃ」
好きなもの!
神を否定する神父とか。
己の立脚点に問を重ねる姿は求道者独特のストイックさがありますよね。




