榊、聖女と面会する
聖都大神殿の心臓部。
聖女の坐す大楼閣は、自然光を反射する白い大理石で築かれている。
王座を思わせる荘厳霊妙な伽藍堂に榊たちは通された。
「すごいところじゃの」
環は榊に耳打ちする。気圧されたように耳が垂れていた。
乳白色の大理石は神殿彫刻で素朴に飾り立てられ、中央を貫いて赤絨毯が敷かれている。最奥の一段高い壇を見上げる構造だ。
「この程度で肝を潰すとは、まだまだよの」
雅がせせら笑う。榊は脚の間に丸められた雅の狐尾を見て、何も言わずに飲み込んだ。
「俺もこの部屋には来たことがないんだ。なんか妙に緊張するな……」
聖都の神官であるジンがなぜか恐縮している。
「環様、足元お気をつけください」
榊はいつも通りだった。
日光の透き通るような大理石の間に、肉声が響く。
「お待ちしておりました」
華奢な細身に絢爛な神官衣をまとう、うら若き神殿長が壇上に姿を見せた。
聖女サン。
大神殿の頂きに君臨する神子は一行の正面に立ち、微笑んだ。
「お会い出来て光栄です。環様、雅様、そして榊様。……一応ジンも」
一応ってなんだよ、とジンは笑う。
幼馴染の二人らしい気安い視線は、すぐに切られた。
「皆様のご用件はなんでしょう。微力を尽くさせていただきます」
環が一歩前に歩み出た。
震える手を握って顔をあげる。
「太陽神の聖女よ。お主は……他の神の力を見通すことができると聞く。わらわにも可能か?」
「もちろん、占えます。失礼いたします」
言うが早いか、サンは壇上のまま高らかに手をかざした。
伽藍堂に満たされる陽光が環の顔に影を作り、サンはその色合いを見つめている。
サンの目尻に、隈取りのように白い炎が湧き立つ。太陽神の加護だ。
「……視えました」
ごくり、と環は生唾を飲む。
唇を引き結んで緊張する環に対してサンはゆっくりと語った。
──人々を育て見守る狐から変じた、ヒトの神。
文明を慈しみ、進歩を愛するが故にヒト種の守り神となった。
愛すること、憎むこと。
育むこと、殺すこと。
ヒトの行いすべてを受け入れて、その上で歩むことを勧めてきた。
「運動能力を強化する力に加えて、神話に関連した神殺しの炎、無数の神器があるようです。それと──二人一柱、つまり二人でひとつの神なのかもしれません。神性が欠けています」
サンの語る言葉を聞いて、環と榊は顔を見合わせた。
「……知っておることじゃの」
「ご存知でしたか……?」
困ったふうに眉尻を下げるサン。壇上に立つのが似合わないほど、小柄な少女は肩を縮めて恐縮する。
環は「はふ」とため息をついた。
「ちょうど、ここにたどり着くまでの旅程で知ったことじゃ」
「そ、そうでしたか。お役に立てず申し訳ありません」
「いや、相すまぬ。知り得たことはすべて偶然じゃ。改めて教えてもらってよかった」
環は苦笑してうなずく。
「……そうか。わらわは己を見つけることができていていたのじゃな」
「お役には立てませんでしたが、喜ばしいと思います。神と信徒との対話によって祝福が定められていくことが本来あるべき姿ですから」
ほっと微笑むサンが小首を傾げて環の耳を見る。人にあり得ない狐耳がピンと立つ。
「環様は『神性の解放』をご存知ですか?」
「なんじゃそれは」
「神が本来の力を呼び醒ますことです。俗世で過ごす神は、人の世への影響を低減させるために無意識に神性を眠らせるそうです。ですが、その枷を解放する方法を失っていたり、編み出していなかったりするのだとか」
「ほーん……そんなものが。お主はわかるのか?」
「ええ。お聞きになりますか?」
「……いや、やめておこう。ここまで自力で突き止められたようじゃしの。最後まで貫こう」
「それがいいと思います」
サンはニコッと微笑んだ。
環は榊を振り返る。自分の身体を見回して、榊を見上げた。
「用件、終わったの。なにも教えてもらう必要はなかったようじゃ」
「喜ばしく存じます。明快な理解のもと、一層の信仰に励みます」
環は榊の態度に相好を緩める。知ろうが知るまいが、榊は変わる気配もない。
その微笑のまま雅を振り返った。
「そっちのアホはなんの用じゃ?」
「降伏勧告じゃの」
何気なく雅は言葉を放った。
剣呑な語に、一拍遅れてサンが表情をこわばらせる。
雅は妖しく笑って口を開いた。
「カラマンダで開戦の機運が急速に高まったのは知っておろう? その糸を引いておるのは、妾たち山賊団じゃ」
ジンが訝しく眉をひそめる。
「……山賊が一国家を操っているのか?」
「世論を、と言ったほうがより正しいじゃろうな。実質は変わらぬ。王とて恨みは国民と同じ。妾たちはそれを思い出させただけじゃ」
なるほど、と唐突に榊がうなずいた。集まる視線を意に介さず榊は口を開く。
「なぜお前の口からそんな話が飛び出してくるのかと思ったが──カラマンダ軍は全てお前の庇護を受けている、という話か」
雅はしたりとうなずいた。
つまり信徒だ。兵士の一人ひとりが怪力を持ち、癒やしを施し、炎を操る。それは戦力が何倍にもなるに等しい。
サンが顔色を失った。
「信仰を広めるために戦争を煽ったのですか!?」
「少し違うのぅ」
からからと声を上げて雅が嗤う。
どこか自嘲すら宿した目を細めて、唇を釣り上げる。
「妾は護るだけじゃ。無理に信仰を広めれば衝突が起こる。妾には信仰を広げる意志がない」
「え……ではなぜ──」
「そういうことか」
サンの疑義を遮って、榊は雅を見据えた。
「山賊団の首領はお前の信者じゃないんだな」
「は? 待てよ、この邪神が山賊団の守り神って言ってただろ」
不可解そうなジンに、榊はうなずいて返す。カラクリを語る。
「首領が勝手にお前を広める。お前は信者を守らざるを得ない。邪神の庇護を受ける手駒を、首領は簡単に手に入れられる」
山賊に信仰を乗っ取られる、どころでは済まない。
完全に、都合よく利用されている。
「たとえそうであっても、妾は信者を守らねばならぬ」
雅の嘲笑は透徹していた。
世界も、信者も、己自身でさえも嘲笑うように。
サンが静かにうなずいた。
「だから、試練を受けてここに来たのですね。あなた自身が囚われるリスクを負ってでも。戦争から信者を守るために」
「まさか。ただの恫喝じゃよ。貴様らは絶対に戦争に勝てぬ」
雅は嘲弄をサンに向けた。
「聖都は信者の街じゃ。神の加護を受ける者はわざわざ聖都にまで来る必要がない。装備と人口、あるいは訓練で勝っておったかもしれぬが……敵する全員が信徒、となると伍する人材は足らぬであろう?」
ジンが悔しげに顎を引く。
そのとおりだ。開戦の危機にも関わらずこれまで聖都が大きく構えていられたのは、「神の聖なる街」であるという自負の他に、カラマンダ軍との間に確実な戦力差があったからだ。
だがそれは、すでに覆されていた。
「戦争にはなりません。──私が出ます。たとえ何千、何万の兵が相手でも問題になりません」
サンの言葉の途中で、雅は笑みを釣り上げている。
厭らしく底知れない、罠に踏み入る獲物を眺めるような嗜虐的な笑みだ。
「できるのか? 平等な太陽の恵みを奉じる神子が、一方的な大量虐殺を。否、すべてを殺し尽くしたとしても──それでも、神の信仰を疑わずにいられるか?」
サンの表情が凍りつく。
聖女がいる限り聖都は決して陥落しない──聖女さえ倒されない限りは。
「カラマンダ全軍を殺させることで、サンの信仰心を折る。そのために戦争を起こす。そういうことか」
ジンが苦々しくうなる。
戦争そのものが、サンを倒すためのもの。
サンは顔色を失ってふらついた。
「そんな。何千何万もの犠牲を──家族と人生を、私を無力化するためだけに……?」
「お前が出てこなければ、聖都軍は壊滅する。お前が出てくればカラマンダ軍は壊滅するが、お前もまた立ち上がれなくなる。諦めるがよい。妾もそうじゃ」
まるで優しく労るような、柔らかな口調で。
「マリの繰り糸に囚われた時点で、詰みだったのじゃ」
何もかもを諦めていた。
マリ。榊は声なくその名を繰り返す。
それが首領なのだろう。神としての性質を存分に利用して、雅を手のひらで転がす大悪党。
好きなもの!
「そうせずにはいられない」という、宿業にも等しいサガ。
人を救わずにはいられない。
人を守らずにはいられない。
そして、そんな意地や信念や損得勘定すべて見定めて掌握する「策士」もまた。
『刀語』のとがめは実によき造形でした……




