榊、太陽神の試練に臨む
雅を背負い、榊は淡々と岩山を登っていく。
「雅」
「なんじゃ?」
「なぜお前は邪神になったんだ」
「妾は真摯に信徒を守ろうと思うておる。邪神と呼ばれるのは豪腹じゃの」
榊は黙した。
雅は邪神と呼ばれることをまったく厭わないと知っているからだ。
ふっと笑って雅が瞑目する。
「……とはいえ、妾は妾自身の行いに迷いはない。妾の成すことが邪道であるなら、妾はたしかに邪神なのであろ」
「邪神は自ずと邪道を成してしまうから邪神、か」
雅は笑みを深めてうなずいた。
視線を滑らせて、榊の隣を歩く環を見下ろす。
「先ほどまでああもキャンキャン騒がしかったのに、ちっこいのはずいぶんと殊勝じゃの。ははあ、さては貴様も邪神であったかの?」
「なッ──なぜそれを」
弾かれたように顔をあげて環は狼狽を表に出す。
その動揺を嗤い、雅は蠱惑的に目を細めた。
「クク。分からないはずがなかろ。癒やしの願いを叶えられぬ神が真っ当であるはずもない。邪神であろうと思っておったわ」
環は胸を衝かれて絶句する。
そこで雅は笑みを緩めた。棘のない、慈しむような柔らかい笑み。
「──よくあることじゃ。善しと信じた行いが他者から悪しと誹られるなど」
環がわずかに顔を上げて雅を見る。
ジンが呆れた声を出した。
「一緒にするな」
筋肉ダルマの内側に深い問いと洞察を宿す太陽神官は、はっきりと、聞き違えようもなく否定した。
「神と邪神には明確な違いがある。そんな心のすれ違いみたいな話じゃない。神が信仰する者を利用するのが邪神だ」
「ほう! 心外じゃな。妾ほど信者に滅私奉公しておる神はおらぬぞ? 妾は神の鑑のようではないか!」
雅は己を仰ぐものすべてに力を分け与えている。雅自身の身を顧みず、己の身を削る形で。
雅の教義──仲間を助ける。その信念のために。
雅を背負う榊が口を開いた。
「お前は、お前自身の教義と目的のために、駒を増やしているだけだろう。それが信徒のためにもなるから。……決して、信徒の祈りに力を与えているわけじゃない」
雅は環に向けて悲しげに狐耳を垂れ下がらせる。
「神は一方的に搾取される可哀想な存在じゃ。辛い身の上じゃのう……?」
環にすり寄るような発言にジンが渋い顔をする。
「神は力を与える主体だろうが。信徒になれなくて半狂乱になる信者を腐るほど見たぞ」
ジンは苦々しさに一粒の懊悩を混ぜて、つぶやく。
「奇跡を願うのはいつだって力の弱い人間で。神は奇跡を恵む側だ」
榊は静かにうなずいた。
「ジン。お前が信徒になることを諦めたのは正しい」
「ありがとな」
絞り出すような答えが投げ返された。
§
日本において八咫烏は太陽の神使といわれている。
太陽神の御使い。
炎を宿す烏が岩山の棚に留まっている。
「頂上まで行かなくていいのか。ありがたい限りだな」
ジンが硬い声で言う。笑おうとして緊張で失敗していた。
まるで戦場としてあつらえたような、断崖に丸く囲われた広い岩棚。その対岸で鴉は待ち構えている。
「試練とはなんだ」
榊は問うた。
鴉の霊妙な眼差しは、声を用いずして意思を伝える。
──うぬらの信念を、示せ。
翼を広げた。熱風が岩棚をオーブンのように炙る。そして羽が飛来する。
「避けい!」
背負われていた雅が、榊を蹴飛ばして羽から逃がす。燃え盛る羽は火球と化して岩を焦がした。
「戦えばよいのか!? うぶっ!」
環が腕で顔を庇う。
あまりに熱い熱風に、前を向くことすらままならない。
「環様! 神器を!」
「うむ!」
上着をはだけて背中を見せる。なめらかな細い背中に浮く肩甲骨。それらを埋め尽くすように、無数の柄が湧いて出た。
かつて環の前世を絶命せしめた数々の刃物。
そのなかから、榊は両手で二本それぞれの柄をつかみ取る。
引き抜く。
ずるずると、環の痩身からあり得ない長さが伸びて抜けた。
「ピッチフォークと槍」
榊は弾ませるように柄を持ち換えて鴉を振り向く。槍を投げた。
放物線を描いて美しく飛んだ槍は、飛び立った鴉の尾羽をかすめて岩山に突き刺さる。
「避けられたか」
榊はフォークを持ち換えて、同様に槍投げを構える。
応じる鴉は、雄大な翼を広げて空から見下している。
熱風に煽られるジンは、額に汗をにじませて自嘲した。
「神の力がぶつかると、こんなこともなるのかよ……ついてくるんじゃなかった。俺に何ができるっていうんだ」
「厳ついのは外見だけか? 軟弱じゃの」
涼やかな声。雅が着物の袖で口元を隠して嗤っている。妖しく細めた目を鴉に向けて、榊に叫んだ。
「榊、この場は共闘じゃ! 文句はなかろうな!?」
「環様?」
「ぐぬ、やむを得ん! 山を降りたら覚悟しておれ!!」
環の返事に合わせ、雅は地を舐めるように駆け出した。紫暗の炎が着物の端々から湧き出る。全身を押し包む。
雅は紫炎の火球となって鴉の足下に近づいていく。
「環様。濫用をどうかお赦しください!」
榊の投げた槍が、雅から離れようとした鴉の鼻先をかすめた。
榊は環から手当たり次第に武器や農具を引き抜いて鴉へと投擲し続ける。
「いくら太陽神の神威といえど、所詮は神使! 本物の神に敵うと思うてか!」
陽炎どころか、岩から湯気が立つ鴉の直下で雅は嗤う。
紫暗の炎が噴き上がる。
その炎はみるみる膨れ上がり、鴉の巨体を覆い尽くした。ケーッ! と怪鳥の悲鳴が響く。
が。
鴉は翼を羽ばたいた。
雅の痩身は軽々と煽られ、紫暗の炎がかき消える。
「ククッ……!」
吹き飛び転がる雅はしかし、不敵に笑って鴉を見上げる。
「見下してばかりで、空を仰ぐことを忘れたかえ?」
鴉が顔をあげた。
高く高く、鴉より上空まで跳躍した榊は、環の太刀を振りかぶって鴉へ落ちる。
「環様の炎を味わえ」
野火が枯れ草を燃え伝うように、太刀の刀身に狐火が走る。神なる大狐を落命せしめた、神殺しの山火事の火だ。
それが鴉に振り下ろされて、
「ギィッ!!」
鴉はまるでハエをつまむかのように、嘴で太刀を白歯止め。神殺しの火も嘴の先を焼き焦がすのみだ。
だが、榊は眉一つ動かしすらしない。
「ジン!」
名を叫ぶ。
行きあったばかりの榊のために、神の地まで同道する心優しき青年を。
「ああクソっ! 太陽神に歯向かったとか言われたら洒落にならねぇぞ!」
何者の助力も受け得ない一般人のその男は、
「任せるぞ、ジン! 右肩のやつじゃ!」
「これか! 異教徒で悪いが触らせてもらうぞ環様!」
環の背から矛を引き抜き、野太い筋肉をミシリと引き締める。
榊を見据えて大きく胸を張るように槍投げの構えを取る。
「──ゥオオオッ!!」
ぐん、と踏み込む巨漢はまるで射出機のよう。しっかり引きつけた腕を伸ばし、矛は回転をつけて投げ放たれた。
榊は野太刀の柄を支点に体を返す。鴉の喉を蹴って飛来する矛を空中でつかんだ。
鴉の羽ばたき。熱風が壁のように吹きつける。目を開けることすら叶わない熱地獄のなかで、
「そこだな」
榊は矛の勢いを減じないまま、角度を変えて突き上げるように投げる。
どむ、と鴉の胴に突き刺さった。
「榊!」
雅が地面で榊を受け止める。
榊は返事を──呼吸をしない。熱風で呼吸器官に火傷を負っている。まぶたも嗄れて開くことすらできなかった。
「まったく。おぬし、癒やしの奇跡にすっかり味をしめておるな?」
雅が苦笑とともに榊のまぶたを撫でる。治癒の祝福を与えようとした。
そのとき。
ばさり、と威風がはばたく。
腹に矛の突き刺さった鴉は未だ墜ちていない。
好きなもの!
キリスト教が悪魔と断じるものには、宣教の地にあった土着の信仰が含まれていた……という説。
人を守る雅が邪神と定義されるのもここからです。好き。




