榊、意外な再会を果たす
険しいと同時に、荒涼と虚無に満たされた黒い岩山。
聖都の裏にそびえる太陽神の霊峰だ。一筋の砂利道が九十九折に山肌を這い巡って伸びている。
榊、環、そして現地の太陽神官ジンは黙々と試練の道を登っていた。
「なにか気がかりでもあるのか?」
黙々とうなだれて進む環に、ジンが声をかけた。
環は狐耳をピンと立ててジンを見上げる。筋肉が人の形を取って動いているような筋骨隆々の大男は、その瞳に純粋な善意と気遣いを宿している。
「いや、なにもないぞ。どんな試練か今から不安がっても変わらぬしな、今は頂上を目指すだけじゃ」
ふんす、と気合いを示すように両手の拳を握って斜面に挑む。
その尻尾は心境を示すように重たく垂れ下がったままだ。
「環様なら大丈夫だ」
不安げな顔をするジンに、榊が声をひそめて言う。
「今は少し、後ろめたいと思っているだけだろう」
「……後ろめたい?」
ああ、とうなずいて榊は環の背中を見る。
まだ子どものように小さな神の背中を。
「環様は『自分にも挑むほどの理由などないのではないか。神性を見極められて、神失格と言われるのではないか』と不安がられている」
「それは、大丈夫と言うのか?」
「今はどうかな。だが、それほど時間を必要とはしないだろう」
榊は迷いなく絶対の信頼を見せる。
環のことを信仰している。
「環様はこの地に至り、そして今も進まれている。自分に必要であろうと判断した試練に向かって。だから、もしここに来たのが間違いだったとしても、環様は大丈夫だ」
間違いだったとしても。奇妙な前提にジンは榊を見る。
「間違えたなら、また他の道を進めばいい。己の道を確かめながら、人に頼ることを恐れずに、ただ進み続ければ──環様は目指す場所へたどり着ける」
だから大丈夫だ。榊は一切の疑念なくそう言い切った。
ジンは眩しそうに目をすがめる。
神の祝福を受ける覚悟を固められなかった、ただの太陽神官にすぎないジンは。
「なるほど。やっぱり、俺たちとは違うんだな」
羨ましそうに。あるいは、どこか安堵したかのように、そうこぼした。
§
山道は延々と続く。
大気は静かに白さを増し、人知れず俗世から離れていく。その途上で、ふと榊が顔を上げる。
濡れたような愛染の長髪。
頭から一対の狐耳をすらりと伸ばし、艶めかしいうなじを覗かせる着物姿で岩塊に腰かけている。
岩山に現れる妖艶な美女に、山の化生か亡霊か、とジンが思わず身構えた。
「待てジン。知り合いだ。──なぜここにいる? 雅」
そこにいたのは、邪神、山賊の守護神である雅だった。
毛を逆立てる環を庇って尋ねる榊を、雅が物憂げに見る。唇の端を釣り上げるように笑った。
「聖女に会いに行くつもりであったが、これはしたり。意外な顔と出会ったのぅ」
ゆるりと口元を着物の袖で隠す。
優美な所作に対し、環は牙を剥いて威嚇した。
「わざとらしい! またぞろ悪巧みでもしておるのじゃろうが!!」
「落ち着いてください、環様」
今にも飛びかからんばかりに気炎を吐いていた環は、榊を振り返って仰天した。
榊は戦意を見せていない。
構える素振りもなく、榊は雅を向く。
「御使いに追い払われなかったのでしょう。なら、雅にもここにいる資格はあります。私たちとて試練を受ける身、戦いを吹っかけて消耗する必要もありません」
「じゃが、こやつ……山賊の守護神じゃぞ!」
環の糾弾に、状況を計りかねていたジンが驚いて雅を見る。
雅は深みのある笑みを浮かべて黙するのみだ。
「この地は太陽神の霊峰です。ここでの在り方を決めるのは太陽神です」
雅を庇うような榊の言動は、太陽神を立ててのもの。
ジンは意外そうに目を丸くした。
「他神に敬意を払うんだな」
「招かれざる客なら別だが、訪ねているのはこちらのほうだ。礼を示す義務がある。ひとたび鳥居をくぐったなら、その先は我々の領域ではない」
郷に入っては郷に従えだ。榊はそう言って肩をすくめた。
「だが環様の身が優先だ。不審な動きをすれば相応の対応を取らせてもらう。そのうえで聞くが──雅、ここでなにをしている。足でも挫いたか」
雅は未だ座り込んだままだった。
雅はムスリと口を引き結んで、雪駄を履いた細い足に目を落とす。
「神が怪我などするものか。この場は太陽神の領域じゃ。妾にはちと……相性が悪い。霊峰に忍び込むまで強行軍じゃったからの。疲れが出た」
「ふんっ! 悪巧みの報いじゃな」
ツンケンと吐き捨てる環に、榊は顔を向けた。
「環様。私はこの遭遇も試練のうちと考えています。介抱したいと思いますが、いかがでしょう」
環は驚きに耳と尻尾を尖らせて榊を見上げた。
「おぬし、あれだけボコボコにされて恨んでおらぬのか?」
「……特には」
榊は自分でも驚いたように、少しの間を置いてそう答えた。
絶句する環に、己の心境を確かめるように探り探り言葉を続ける。
「怪我をすぐに癒やしてもらえたのもあるでしょう。そもそも雅に立ちふさがったのは私です。雅の理由も知っていますし、山賊に宗教を乗っ取られたことには同情しています」
「……乗っ取られとらんわ」
雅は不貞腐れるように口を挟んだ。
環はむっすりと口を閉ざして雅を見る。
知らぬげにそっぽを向いた雅は自然な所作で立ち上がり、
「──くっ」
くらり、とバランスを崩して身体を傾がせた。
榊が雅の腕を取る。尖った岩に手をつく寸前で、雅の身体は支えられた。
「ご覧のとおりです、環様」
「……そのようじゃな。必要以上に体力を使わぬように運んでやれ」
しぶしぶ環はそう許可を出した。榊はうなずいてジンを振り返る。
「先に行ってくれ。着物を背負おうとすると裾をはだけないといけなくなる」
「あ、ああ。だが本当にいいのか? 敵……なんだろ?」
「太陽神を含めたこの聖都全ての敵だ。だが、敵対意思があるならあの御使いに燃やされている」
ジンは不満げな環をうかがいながらも、納得を見せて先頭に立つ。
雅は榊の腕に支えられたまま、自身の着物の裾を押さえていた。拗ねたように顔をそらす。
「妾とて神ぞ。妾の存在が勝手に太陽神の試練に仕立てられたなどあっては、たまったものではない」
「それはお前の迂闊が招いたことだ」
「助けなど求めておらぬ」
「干乾びるまで座っていたいなら構わないが。しかし、お前にもはるばる聖女に会いにきた理由があるのだろう」
悔しげに口元を歪めた雅は、榊の背中を叩く。
「しゃがめ。乗れぬであろう」
屈んだ榊が雅をおんぶして立ち上がる。神とて重みは人並みにあるらしい。
と、
榊の首に腕が回され、雅が身体を押しつけた。
「褒美じゃ。妾の肢体を感じておれ」
「歩く邪魔だ」
切って捨てる榊に対し、背負われる雅はやけっぱちな仕草で榊に抱きつく。豊かな胸が榊の背中で押しつぶされる。
ガッと環が榊の足を蹴った。
「鼻の下を伸ばすな、たわけめ」
「伸びているか? ジン」
「俺に聞くな」
「妾が許す。堪能せい」
「ふん! そんな女狐めより、稲荷様のほうがよほど豊かであったわ!」
榊の眉が0.2ミリ動く。
パッと雅が身体を離した。
まじまじと榊の後頭部を見つめる。
「……今、妾の胸で大きさを測ろうとしたな……?」
「していない」
好きなもの!
悪女っぽいけどそうじゃない人。




