榊、聖都を目指す
「ここまで順調ね」
揺れる荷馬車の縁に背を預けて、セナは苦しげに息を吐く。
狐の村を出た榊たちは聖都への旅路を急いでいた。
草原のような緩やかな丘陵地帯を馬車は進む。御者として馬車を操る榊が、振り返って事務的にセナを気遣う。
「傷は痛むか?」
「もうほとんど治ったわよ。祝福を祈ったぶんの体力がきついだけ」
セナは意識的に深く呼吸している。白銀の胸当てや籠手は外して楽にしていた。
暴れ馬に蹴り抜かれた腹部を撫でて、セナは恨めし気に息を吐く。
「カテナめ。馬が帰ってくるなり本当に出て行きやがって。ていうか馬に名前くらいつけなさいよ分かりにくい」
恨み節の通り、女傭兵カテナは狐村から帰ってすぐに出立した。
カテナの目的は馬を探し出すことだった。目的を果たしたなら旅を続ける必要もない。
隣国カラマンダとの戦争緊張が高まっている今、本業の傭兵稼業に戻ったのだ。
女戦士フランが苦笑する。
「カテナも詫びていただろう。それにカラマンダの情報がわかったら伝えるとも言ってくれた。そう腹を立てるな」
「別れの挨拶がなかったのを根に持っているのだろう」
「榊うるさい。私だって冒険者よ。別れくらいでガタガタ言うわけないじゃない」
怪我で眠っている間に別れを済まされていたセナは、不機嫌に膨れている。
それにしても、と榊はふと口を開いた。
「カテナの馬は普通ではなかった。蹄から雷を発していたぞ。この世界にはそんな化け馬がいるのか?」
セナが笑った、かと思えば苦しげに背中を丸める。傷はまだ痛むらしい。
「……魔物じゃあるまいし。放電する馬は居ないわよ。カテナの馬は天神の祝福を受けているんじゃない?」
「馬が信心を持つのか?」
「全く無いわけじゃないけど……それよりも動物って、神の使いとして顕れるのは珍しいことじゃないの。カテナへの祝福として遣わされた神馬なんじゃないかしら」
「神社の狛犬や、稲荷様の狐か? いや、むしろヒンドゥー教における牛のようなものか……」
真面目に考察する榊。
と、荷馬車がギシリと悲鳴を上げた。
筋肉ダルマのような大男の聖都神官ジンだ。走り込みのトレーニングを終えて、走る馬車に直接乗り込んだ。
汗だくの体で水袋を取りながら笑う。
「そろそろ聖都が見えてくるぞ。聖都に着いたら旨いものがたくさんある。案内しよう」
「聖都か」
フランが道の先に霞む白亜の城壁を見やった。
「聖都に行くのは良いが、本当に聖女に会うのか?」
「俺から大聖堂に話は通してある。普通に会うよりは早く面会が叶うはずだ」
「そうじゃない」
フランは体ごと御者台を振り返る。
環は、まるで存在を隠そうとするかのように身を縮めて榊の隣に座っていた。
狐村を出てからずっと隠れている。
「本当に聞くつもりなのか? 神としての本質だの授けられる祝福だの……自分自身の真実を、他人の口から」
環は答えようと振り返って、言葉が見つからないように口を閉ざした。耳がしぼむように垂れる。答えられない。
「聞きたくありませんか?」
榊の問いには、なんとか重い口を開いた。
「怖いのじゃ。恐れていることが……決定的になりそうで、の」
荷台の一同は顔を見合わせる。
誰もなにも言わなかった。
神にかけるべき言葉など、持ち合わせる者はいない。
§
聖都までの距離は見た目以上に遠い。
「無理に進んでも、入門検査で時間がかかると門前で夜を明かすことになる。門前に宿場町はできているが、人が多いし宿は高い。苦じゃないなら野宿して翌朝に着いた方が楽だ」
聖都の神官ジンの説明に従って野宿する榊たち。
見れば道々で点々と野宿の灯りが見え、聖都の門前では街のような灯りが集まっている。
「都市の前に小さな街をつくるとは、無駄が多いな」
榊は遠い聖都に目を向けながらつぶやいた。
焚き火を囲んで女性陣は眠っている。
榊に同じく焚き火の番をするジンが小声で応じる。
「無駄とも言えんよ。聖都の行政府は都市内部の治安に責任を持つ。だが都市の外なら保証はない。税金の取り方も使い方も変わってくる。……ブランドイメージの高い都市を運営するうえで、管轄外の街を管理できるのは都合がいいのさ」
皮肉るような口ぶりで、焚き火に薪を投げ入れる。静かな夜に焚き火の音がパチッと爆ぜた。
榊はジンを振り返った。
「ジン。なぜお前は加護が使えないんだ?」
「なんだ、急に」
「フランも加護を使えないが、あれは分かる。神の助けを求めないからだ。だがジンや、一般の信者はなぜ使えないんだ? 信徒となにが違う?」
榊は真剣そのものの顔でジンを見る。
「聖女と呼ばれるほどの人物と親しいお前が、神の祝福を扱えないとは、どういうわけなんだ?」
ジンは、苦笑した。
そうだなあと唸って焚き火に顔を向ける。薪を投げ込む。
「俺は、聖女と……サンとは幼馴染なんだ。加護を賜るとはどういうことなのか、いつも考えていた」
考えをまとめるように間をおいて、ジンは口を開いた。
「加護を受けるとはつまり、命の、一番根っこのところを神様に預けるってことだ」
筋肉に覆われた分厚い手のひらを開いて榊を示す。
「たとえば戦いの最中に突然加護が消えたら? 危機が迫って、祈りを捧げても加護が得られなかったら? もし怪我をしている人の命を救うその瞬間に──治癒の祝福を与えることができなかったら?」
致命的。
それゆえに、加護に頼るということは神への絶対の信頼を意味する。
「俺は太陽神を信仰しているが、姿も見えず声も聞こえない、存在を感じ取ることもできない相手にすべてを預けることはできないんだろう。だから加護が得られない」
ジンは己の腕を見下ろし、肘を曲げた。
鍛えられた筋肉が野太い力こぶを作る。
「もしサンが神から見捨てられるようなことがあったとき。助けられるのは俺だけだ。そのために俺は身体を鍛えている。……神に祈るのではなく、な」
信徒ではない、とはそういうことだ。ジンは肩をすくめた。
黙って聞いていた榊は顎を引く。
「では、雅はどうなんだ」
榊はつぶやいて、ジンに目を向けた。
「……俺たちは以前、雅という邪神と出会った。あれは信仰する者全てに加護を与えると言って、実際に加護を使わせていた。そんなことは可能なのか?」
「不可能、とは言えないが」
ジンは鼻にシワを寄せる。
「神にとって、祈られることはエネルギーの補充。そして加護はエネルギーの放出だ。収支が釣り合わなければ身を削ることになる。祈られずに力を浪費されれば、神はそれだけ力を削がれる」
「身を犠牲にして加護を与えているのか」
ジンは首を左右に振った。
「釣り合わない力に溺れて、信仰心が生まれるはずもない。新たな不幸を生むだけだ。できるできないより、やる意味がない。その雅ってのは、何を目指して信者を増やしているんだ?」
「信者の身を守ること」
「そいつぁ……自己矛盾を生みそうだ」
肩をすくめるジンをよそに、榊は顎に手を添えて沈思する。
「邪神であっても、善き神になることはできないのか……?」
榊の背後、長い影が伸びる先。
寝袋に包まったまま目を開けていた環は、懐に手を入れる。
手製の巾着を取った。稲荷神に授かったお守りだ。
木札を取り出す。
「……っ」
信仰ポイントは178。榊ひとりで100ptを数える数値の増分は、狐村の人口にほぼ等しい。
信仰対象を見失っていた狐村の民の祈りが一挙に流れ込んでいた。
環は悲痛に顔を歪め、逃げるように目をつむった。
夜は更けていく。
明日は聖都へたどり着くだろう。
好きなもの!
「都市壁と壁外スラム」。
中世風世界の城塞都市もそうですが、近未来やポストアポカリプスの退廃世界での「シェルターに守られた未来都市と、その外」も同じように萌えます。素敵。




