榊、報せを受ける
夢を見た。
「お狐様!」
そこには村人がいた。
彼らはみな素直で純朴で、善良だった。
「お狐様、今年も豊作でさぁ! お狐様のお陰で、ほんにありがとうごぜぇます!」
己と違う大狐の親切を疑わずに受け入れ、自然と隣人を慈しみ、嘘と裏切りを厭う。
彼らはみな善良で――
だからこそ、隣村の存在を受け入れることはできなかった。
狩場も同じ。水源も同じ。
彼らが獲物を取るたびに、自分の村の取り分が減る。
隣人に分け与える食料が減る。
彼らは善良で、同時に愚かだった。
山の恵みを等しく受ける、同じ山の民だとわからなかった。
そういう夢を、榊は見ていた。
「……」
ぱちり、と榊は目を開ける。
月夜。
天井は板を張っておらず、梁の向こうに屋根の茅葺きが見えている。上半身を起き上がらせて、環を振り返った。
大部屋ひとつに布団を並べて雑魚寝する一党のなか、環は隣の布団で横向けに丸くなっている。
獣から神に成った、記憶と信仰を持たない神。
「この村の神は……初めは人間に親切にしていたが、豹変して村を滅ぼそうとして殺された大狐、か」
榊は声を出さずにつぶやいて、
からららん、かららららんと鳴り響く鳴子の音を聞いた。
「何事じゃ!?」
環が狐耳をびりびりと逆立てて飛び起きる。
だが傭兵カテナ、女武士梛は落ち着いた動きで起き上がっていた。戦の鉄火場に慣れたカテナのみならず、梛にも夜襲に動揺の色ひとつない。
カテナが窓を見上げる。
「敵襲?」
「いや。敵ではなかろう。村の狩人と申し合わせていただろ? 馬が現れたら報せると」
梛が大籠手を腕に嵌めながら言う。
さっとカテナの顔色が変わる。
「馬が来た?」
踏み入った山は寝間着には肌寒く、夜露に霞んでいた。環が狐火を灯して山道を先導する。
「こっちじゃ。足元に気を付けい!」
以前は村の狩人に止められた稜線を超えて山を進む。
その先で、不気味な閃光が山の木々を照らしていた。
「あれは何事だ? なんの光なんだ?」
榊のつぶやきに、カテナが答える。
「私の馬よ。戦ってる」
「おまえの馬は光るのか?」
「そうよ。急ごう」
端的に答えて足を速めた。
問い詰める前に榊の足が木の根につまづいて、なんとか転ばずに持ち直す。
山を抜けると、そこでは確かに戦っていた。
ひょおおおう、と高く寒風が吹き抜けるような甲高い音。
山の開けた場所にある大きな塚に、青白い靄のような煙がわだかまっている。
ぞくりと肌寒い空気、崖下を覗き込むような悪寒を強いる不気味さは、その正体を直感するに足るものだ。
「怨霊じゃと……!?」
環が怖れと困惑に声を強張らせる。
そして。
うごめく怪異に敢然と嘶きをあげて、棹立ちに蹄を振り上げるのは、サラブレッドほどにも大きい悍馬。
その蹄からは雷光が閃き、鬣は燃えるように紫電を発して、蹄を打ち鳴らせば落雷のごとき衝撃を放つ。
「ほう。馬?」
梛が笑った。
馬は稲光を打ち鳴らして岩間を駆け、怨霊に雷を浴びせている。
「おい傭兵の。馬か? あれが馬か?」
「馬以外の何に見えるの」
「馬以外の何かにしか見えんなあ」
カテナはくだらなそうにかぶりを振って、怨霊に槍を構える。駆けだす直前に、
「おい」
近くの木に身を隠していた狩人が声をあげた。
彼は同胞らしい狩人仲間に肩を貸している。生気のない青ざめた顔は、外傷より病か呪いの類に苦しんでいる。
「なんでもいいから、あの馬を止めてくれ」
「馬を? あの禍々しい怨霊はよいのか?」
環の問いに、狩人は苦しそうに顔を曇らせる。
「あの塚は、我らが神の亡骸からできたものだ」
「なんだって」
榊は改めて雷光に照らされる塚を見る。
土が堆積して盛り上がった塚は、確かに周囲の土からできたものではない。あきらかに違う質のものだ。
塚そのものから、錆びた鉄や農具の破片が飛び出している。
大柄な馬の蹄に打ち崩される懸念だけではない。雷を浴びるだけでも危険だ。
「今は塚を守ることがなによりも優先だ。怨霊だか何だかはいずれ対応すればいい」
「それは違うのではないか?」
面白がるような笑いを含む声。
狩人の鋭い目が、梛を射貫いた。梛は柳に風と受け流している。
「怨霊の”原料”はいろいろあるが、正体の如何に関わらず同じようなものになる。つまり、災いを導く”不運”そのものに」
榊に向かってそう語り、塚の上にわだかまる怨霊を見やった。
「怨霊の力は充分なほど増している。この馬が怨霊の力を削いでいなければ、今ごろ村は流行り病のひとつやふたつ起こっていたことだろう。それは、馬を引き離しても同じ結果を生む」
ぐっと唇をかむ狩人。苦しさを押し切るように絞り出す。
「だとしても……狐塚を壊させるわけにはいかない。あるいは、この場に憑りついた怨霊こそ……我らが神のご意志なのやも」
「たわけ」
環が遮った。
環は榊に一瞥をくれる。榊は恭しくうなずいて、四肢に炎を宿らせた。
怨霊に向かって歩き出す。神威の炎に炙られて怨霊の身体が削れていく。怨霊の悲鳴――軋む大気と局所的な地揺れが狐塚を揺るがした。
「やめろ! おい……やめさせてくれ!」
狩人は悲鳴を上げて環に取りすがる。
環は狩人の目を見つめ返した。
「あの怨霊がおぬしらの神か?」
「違う! あれは、どこかから流れて憑りついたものだ……だが、神の祟りは」
「神の言葉でないものに、お主らは従うのか?」
返事に窮する狩人から視線を切って、環は狐塚を見る。
「ここに神はおらぬ」
はっきりとそう断言した。
目を見開く狩人に対して苦笑にも似た笑みを見せ、なお迷いなく。
「もし居たなら、恨み言であれ、許しであれ、お主らの気持ちに返すものがあったじゃろう。なにもないのであれば、ここに神はもはや無い」
「だが……だとしても……」
「うむ。だからこそ、大事にするのはいい心掛けじゃの。じゃから、安心せい」
環は笑う。
「わらわが保証しよう。塚が損なわれた程度で、お主らの信心が揺るがぬことを。わらわが許す。お主らの塚を損なってでも、お主らが生き延びようとすることを」
は、と狩人が惚けたように環を見た。
環に。部外の神に、いったい何の保証ができるというのか。
だがそれでも――均衡する葛藤に、一押しを足すには充分だ。
「掟や神体を守るためになにも為せなくなるくらいなら、それらを捨ててでも何事かを為すべきじゃ。……ま、これはわらわの気持ちじゃがな」
にっかりと微笑んで環は言い、そして榊を振り返る。
「榊! やれ!」
「は!」
榊は放たれた矢のように飛び出して怨霊にもぐりこむ。
威勢よく返事をしたはいいが、やみくもに手足を振り回すだけで有効打を与えていない。不定形の怨霊は煙のまま塚の周囲を漂っている。
カテナが祈りを捧げた槍を鋭く構え直した。
「榊、一度下がって。馬! 合わせて!」
カテナと彼女の馬は、同時に駆けて雷光を閃かせる。塚の周囲を囲むように高速で走り、互いのあいだに走る電光がまばゆく照らす。
神なる雷火が怨霊を塚から引き離した。
「今だ! 燃やせ!」
「おおッ!」
雷の檻に閉じ込められた怨霊に榊が跳びかかり、
「祓いたまえ!」
両掌から吹き上げた狐火が焼き尽くして浄化する。
怨霊を成す瘴気は、無毒の霊気となって夜に還った。
塚は崩れていた。
ほとんど周りの土と比べられないほど低くなった塚を前に、瞑目した狩人は立ち上がる。周囲に視線をめぐらせた。
「本当に祓われているのか」
「わらわも神じゃからの」
ふふん、と胸を張る環。
狩人は微笑ましそうに目を細める。環に、そして榊たち一党に頭を下げた。
「ありがとう。お陰で村は救われた」
「これに懲りたら、危難はちゃんと村人たちで協力して解決に当たるのじゃぞ」
「そうしよう」
狩人は少しだけ逡巡して、そして環に目を向ける。
「あなたのために祈っても許されるだろうか」
「それは……どうなのじゃろ。感謝するのみに留めておくがよい」
そうしよう、といって狩人は笑う。
環はふと顔をあげて「あっ」と声をあげた。
「夜明けじゃな」
朝日は金色に夜を焼いて、夜気を払っていく。
好きなもの!
夢を見る演出!
忘れていない・忘れられない過去をスリムにまとめて、エモさが増します
頻出するとよくないですけどね……!
2019/1/3
……この場にいないキャラクターが生えていたので、修正を加えました。今年もよろしくお願いします。




