榊、旅路を行く
「自分たちの馬車なんて、信じられない贅沢ね」
セナが御者台で伸びをしながら言った。
純白のロングコートと白銀のガントレットをまとう祝福弓士は、最低限の警戒を保つのみで気を緩めているようだ。ブーツの足をブラブラと振る。
御者を務める榊は、馬の手綱を握りながら口を開いた。
「馬車がそんなに珍しいのか?」
「冒険者が馬車を持つことはまずないわね。馬も荷車も、冒険者の稼ぎが吹っ飛ぶ値段よ? そのくせ悪路には持ち込めないんだから、持つだけ邪魔なの」
今回は聖都まで街道沿いだから、頼りになりそうねーと言って荷車に寄りかかる。
榊は道の先が安全であることを確かめてから、荷車を振り返った。
幌もない開放的な荷車には、仲間たちがそれぞれ好き勝手に羽を伸ばしている。
狐耳と尻尾をふわふわに膨らませた環は、丸くなって日向ぼっこ中だ。髪は二つのお団子に引っ詰めて、うなじの上で留めていた。
今のお召し物は素朴な土色の袴だ。裏地のない涼しげな灰色の羽織を掛け布団がわりにかけている。
カテナも常の青い兜を傍らに置いて、荷車の壁に寄りかかって眠っていた。
光を押し固めたような金髪が陽射しに眩しく輝いている。
肩に槍を立てかけて片膝を立てているのは、傭兵流の常在戦場という心意気だろう。
「みな、よく休んでいるよ。我も旅路で羽を伸ばすのは久しぶりだ」
そう言うフランは、一番くつろいで見えた。
灰銀色の髪をポニーテールに結い上げて、紅のフルプレートアーマーは脱いでいる。
黒いタンクトップにダボついたツナギを履いて、小さな金槌を手に鎧の合わせを手入れしていた。
「フランも鎧は脱ぐんだな」
「当然だろ。我をなんだと思っているんだ……」
「街で一度も脱がなかったから、そういう風習なのかとな」
榊がそう言うと、フランは苦笑して肩をすくめる。
「仕方がないだろう。あの街では落ち着く暇もなかったんだ」
「ま、確かに。いきなりカテナが逮捕されたもんね」
セナがふやけた声をあげて、思い出し笑いに喉を震わせる。
榊は環の穏やかな寝顔を確認して、正面に向き直った。
あくびが出るほど変わらない道のりがえんえんと地平線まで続いている。
街を出てから、そろそろ半日。
「夜営の支度する頃合いねぇ」
セナが気合の入らない声で言った。
天幕は持ち込まず、一同は焚き火に車座になった。
中心に鎮座する大鍋からは、鶏ガラの柔らかな脂が匂いが匂い立っている。それぞれが手にする器には新鮮な生野菜の盛り合わせだ。
夕食はサラダと丸鶏の鶏ガラスープという、およそ旅路では考えられないご馳走だった。
ほうと息をついたカテナが両手を合わせて礼をする。
「保存の効かない食材を、きっかり人数分積み込んでくれた領主の贅沢グセに感謝」
「むしろ、悪くならないうちに使い切れる量をキッチリ計上した金遣いを尊敬すべきじゃないか?」
フランと二人で笑い合っている。
まだ遠出に出たばかりの榊たちと違い、旅の長い二人には新鮮な体験なのだろう。
セナはスープに口をつけながら、路肩で車輪止めを噛ませた馬車をしきりに気にしていた。
「なんか屋天に馬車置いておくなんて不用心じゃない? 大丈夫なのかしら……」
「心配しすぎじゃろ。こんなところ人通りはおらんし、あっても気づけるぞ」
「まあそうなんだけど。馬が逃げたら馬車なんて無用の長物じゃない? 平気?」
「気の毒なくらい厳重に縛ってあるじゃろ」
環は呆れ顔を路肩の馬車に向けた。
馬は野原の雑草を食んでいるが、近くの幹につないだ縄は重たく首に垂れ下がっている。
セナは落ち着きなく地団駄を踏んだ。
「うぅ……馬車で旅なんてしたことないから、勝手がわからないわ! こんなことなら、商人の護衛のとき何をしてたかよく見ておけばよかった」
「それも経験だ」
フランがまだ柔らかなパンにかじりついて笑う。
「今夜は馬車の荷台で寝たらどうだ? 少なくとも寝てる間に盗まれる心配はない」
「それいいわね! そうするわ」
「意外に心配性じゃのう」
環はケラケラと楽しそうに笑う。
榊はとくにコメントもなく黙々と食事をして、時折鍋を混ぜていた。
好きなもの!
長い旅の途中に差し込まれる風景。
旅の風情は本当にいいですよね。まったりした中で、できることはそう多くなく、そのうえで油断してしまうわけにはいかない。
旅慣れた緊張感とゆるやかさの均衡が好きです。




