榊、環の戦を見る
吹き飛んだ雨が、ゆっくりと吹き戻ってくる。
交錯の衝撃とその余波だけで雨を散らした。神威の衝突はそれほどのもの。
互いの蹴りをふくらはぎで交差させて、環と雅は眼光を交わす。
「やりおるな」
環が唇の端を戦意に笑ませて、
「生意気な」
雅が忌まわしく眉をひそめる。
環は足を下ろすと振り子のように足下をすかして、ぐるりと踵落とし。
だが着物の袖で打ち払われた。
流れるように突き込まれる雅の掌打を肘で打ち返して、環は狐火を灯す。
「るがぁ!」
吹き上がる炎を、雅は涼しげに半身を引くだけで避ける。
炎熱の余波で水蒸気が揺らぐ。
小さく舌打ちを漏らした環を、雅がせせら笑う。
「えらく雑で困るのぉ。自分を焼いておるではないか」
湧き上がった炎の熱は環をも苛んでいた。
狐火と呼びつつも、虚空より生み出でるだけの、ただの炎だ。
環はそれでも両手のひらの上に狐火を喚ぶ。
「じかに炙られるわけでなし。この程度、お主を焼けるなら構わぬよ!」
「まったく、田舎の野狐は野蛮でかなわぬ」
「呵々!」環は獰猛に大笑した。「お高く留まって信者に振られるようでは世話がないの!」
雅の目に激憤と殺意がよぎる。
飛びかかる環の爪撃を、雅は手首でいなしてカウンターの拳。
「っとぉ!」
拳が腹に突き刺さる前に、環は己ごと爆破した。吹き上がった体で打突をかわす。
直後にもう一度の爆破。慣性をねじ切るような空中機動で五指の爪を振り下ろす。
「っさせぬよ!」
ぱしっと環の手首をつかんで止める雅。眼前で爪は止められた。
環はニィィと笑みを吊り上げる。
「灼かれよ」
環の手のひらから、火焔が吹き荒れる。
ギャッと悲鳴を上げて炎に巻かれた雅が、環を突き飛ばして仰け反った。数歩後ずさって両手で頭を押さえる。
「多少は効いたじゃろ……!」
環もまた手首を押さえて歯を食いしばる。吹き荒れた炎は環の手のひらもまた焦がしていた。
だが翻っていえば、神身をも焼くほどの炎熱だ。
「倒せぬまでも無事では済むまい。今が好機じゃ」
環は牙を剥いて笑い、爪を構えるように五指を曲げる。四肢から炎を散らして飛びかかる。
立ち尽くす雅が、
凶悪に微笑う。
「っ!?」
雅が腕を下ろして眼光を光らせた。
そう見えた瞬間には、まるで旋風のように環の体がひねられ、投げ飛ばされていた。
「投げ――っ!?」
環は身体の周囲で狐火を破裂させた反動で体勢を整える。
吹き飛ぶ勢いはそのまま、距離をとって雅を見た。
いない。
雅は、空中で勢いを減殺した環に『走って追いつき』、未だ空中にある環を投げようと腕を伸ばしている。
「捕まるかァ!」
伸ばされた手を――環は蹴り上げ、さらに焼く。
「っち……獣ふぜいが!!」
紫色の霞にも似た神威をたなびかせて、雅が余裕を投げ捨てた速さで襲ってくる。
環は狐火を燃やし、身をよじって殴り返した。
「好い!!」
地を駆け、空を跳び、雅へと襲いかかる。
「この……!」
伸ばした爪撃は当然のように払われて、狐火の破裂で二度、三度とつなぐ攻撃を本命とする。
忌々しげに雅は環の連打をすべて払い、環の腹を蹴り上げた。
「くはは――ヌルいの!!」
蹴り上げられたことすら織り込んだ、宙返り半ひねりからの踵落とし。
雅の頭蓋を打ち下ろす。
「……ぎ、この……うざいわッ!」
「ごッ!?」
雅の膝蹴りが環の顔面、中心を雑に打ち抜いた。
ひっくり返りながら打った蹴りは空を切り。されど虚空を走った狐火に巻かれて雅はたまらず飛び退る。
「捨て身、強引、野蛮……嫌じゃ嫌じゃ。知性のカケラも感じぬわ」
「お主もな」
鼻血を拳で拭い、環は笑みを釣り上げる。
「上品ぶっても、少し困ればすぐこれだ。お主のひねくれた根性が透けて見えるようじゃの。真似しないようにしなくてはな」
あからさまに挑発とわかる見下した笑み。
「わらわまで榊に蔑まれとうないからの」
雅の眉間に青筋が立つ。
たかだか信者一人ごとき……。それを引き合いに出す、あまりにも安い挑発だ。その安さゆえに、かえって雅のプライドをくすぐった。
「神殺しの火を使える程度でのぼせ上がるな――田舎狐が」
「好きに言え。そう簡単に遅れは取らぬよ。……わらわは約束したからの」
環は狐火を灯して牙をむく。
「榊に――追うべき信仰の在り方をわらわが示すと」
「笑止!」
神と神。
二柱の織りなすあまりに激しい打ち合いに、壮絶な衝突音と衝撃の余波が雨を舞い上げる。漏れ散る火の粉が吹き上がった。
余人の踏み込めぬ、文字通りの神の領域。神業と神業の交錯が繰り返される。
館が軋み、前庭の人々を戦場の隅に押しやった。
戦場を人の手からさらっていった。
榊は地に這って震えていた。
榊は武器を使わない。神器を賜らない限り、武器など必要なかったからだ。
なぜ、必要なかったのか。
環の戦い方が、必要としなかったからだ。
榊は正しく環の力を引き写した。それ以上のものは何一つとしてなかった。
榊はなにも持っていなかった。
「死ねコラ!」
「っ!?」
山賊の振り下ろす斧を、必死に身を転がして避ける。
避けきれずに腕を切りつけられた。
激痛に膝が折れる。
榊の体は、戦闘に堪えないほどに鈍くさい。
「次は外さねぇ」
山賊は斧を振り上げる。
榊の足が泥に滑った。
逃げ切れない。
どむ、と胸に矢が突き立って、山賊は斧を振り下ろさずに倒れた。
腕をつかまれて引かれる。青いヘルムと流れる金髪。カテナがいた。
「下がって。巻き込まれたら死ぬ」
「だが環様が」
「素人に手出しできることはないわ」
環と雅の交錯が火の粉を散らしている。
榊は歯噛みして顔を背けた。今の榊では動きを目で追うことすらままならない。
反論の余地はなかった。
好きなもの!
同じことをしているのに、言動や受け止め方で対照的な姿が浮き彫りになるキャラクターの対比!




