榊、邪神と対決する
たおやかに立つ邪神を前に、榊は再度口を開く。
「もう一つ、訊ねておきたいことがある」
「構わぬ。言うてみよ」
「名前はなんだ?」
「雅じゃ」
「そうか。環様にはそうお伝えしよう」
いよいよ飛び出そうとする榊に、雅は肩をすくめて小首を傾げる。
「おんしの名前を聞いておらんな」
「榊だ。それだけ知っていればいい」
「名を聞いたんじゃよ? 寂しいのう」
「化狐の呪う手腕を知らないはずがないだろう」
にぃ、と裂けるように雅は笑った。
まさに頬のない犬面のごとく。
「ほんに、面白い男じゃ。今の妾はお前にばかり構ってられぬのが口惜しいのぅ。早いとこ終わらせるとしようかの」
「望むところだ」
榊のまとう陽炎が炎を発した。環の神気が色濃く漂う。
雅は目を細めて、
「却下じゃ。その力を妾に向けるのは認めぬ」
瞬間。
榊の燃える炎が吹き消えた。全身に宿る力感が消える。
そればかりか榊の構えが突然ぎこちないものになった。
まるで、体の使い方を忘れてしまったかのように。
動揺の隠せない榊を、雅は美しく笑う。
「息をするように加護を受ける身では難儀しよう? 息の仕方を忘れたようなものじゃからな」
「何をした」
「何ほどのこともあるまいよ。ただ妾の神力で、おんしの受ける神力を相殺せしめておるだけじゃ」
「だがそれにしてはあまりにも――」
榊はハッとした。
動きにくいのではない。
雨に濡れた体の重さは、重みを逃がす困難さは、現代日本では当然のもの。
今まで動けていたことが異常すぎたのだ。
環に賜った力は身体能力だけではなかった。
体捌きすらも神からの借り物だ。
そして、加護を失った今。
「木偶じゃな」
ゆるりと迫った雅が、長い足をしならせて榊の腹を蹴り上げる。
「おご――……ッ!?」
剥き出しの内蔵を踏み潰されたかのような。
激痛に五感が機能不全に陥る。平衡感覚が失せ、視界が赤黒く飛び、耳が聞こえない。泥と跳ねる雨水に溺れる。癒やしたはずの脇腹で傷が開いて血が溢れる。
たった一撃で、それも超人的な力ではない打撃で、榊は無残に沈んでいた。
受け身も防御も、なにひとつ叶わない。
ずぶの素人が戦場でのたうち回る。
榊の頭でだけ雨が止む。
雅がしゃがみ込んでいた。
「のぅ、おんしよ。今一度だけ聞いてやるぞ」
雅は目を細める。
「妾の信者にならぬか? おんしのためなら、この顕体をくれてやっても構わぬのだぞ」
「……れが」
吐瀉物の残りを歯がみして、榊は泥に腕を突く。
「誰が、わざわざちゃちな信仰に鞍替えするか」
すぅ、と雅の笑みに色が消えた。
表面だけの笑顔に、冷厳な殺意をみなぎらせて雅は立ち上がる。榊の頭に雨が戻った。
「なれば死ね」
高下駄を持ち上げる。
ひねりも素っ気もない、路傍の虫を踏み潰すような踏み殺し。
「させぬ!!」
ロケットのように狐火を吹いて、回し蹴りが飛来した。
飛び退った雅に追いすがるように、破裂する狐火がネズミ花火のように虚空を跳ねる。連鎖する回し蹴りを雅は手のひらで弾いた。
くるくると、煙を引いて着地する小柄な少女。
「無事か、榊!」
「環様……」
環は息も意識もある榊に安堵して肩を下ろす。
すぐに肩を怒らせて雅を見た。
「榊。わらわは力を振るうぞ。まさか否やもあるまいな」
今まで、繰り返し助力を申し出た環に対し、榊は断ってきた。
振るうべき相手にのみ振るうようにと。
それは例えば、
――邪神のような。
「やれやれ。信者の喧嘩に割って入るなど、見苦しいと思わぬのか?」
雅は防御に挙げた手を、誤魔化すように袖に隠した。余裕を崩さず呆れて見せる。
「そっくり返すわ、たわけめ。人の信者を誑かしよって」
環はやや前屈みに、飛びかかる猫のように両手を中空に構える。
対する雅は風雅に屹立して左手の袖で口元を隠している。油断に見せかけた、一分の隙もないカウンターの構え。
戦闘の術理もなにもない野性味あふれる環の無手を見た雅は、嘲りを満面に表して顎を上げた。
「子狐。武器は抜かんでよいのか?」
「――黙れ女狐ッ!!」
環の尻尾が火を吹いた。
二人の拳が交錯し、瞬間に身を返した二人の蹴りが打ち合い――
雨が消えた。
好きなもの!
上品に格の違いを見せてくる相手。
そして優しく穏やかな味方が、ついに見せる本気の一端。
フゥ〜! 女神対決。
テンションあがりますね!




