榊、欲望に負ける
「自分のことを妾、という声が聞こえた」
榊の説明を聞いた瞬間。
セナとフランは沈痛に顔を曇らせた。
「榊……ついに頭がおかしくなったのね」
「残念だ。悪い人間ではなかったのだが……」
「ちょっと!」モモカが声を上げる「榊様がおかしくなったみたいに言わないでよ! きっとなにか深遠なお考えがあるに違いないわ!」
「いや、ないでしょ……」
カテナも辛辣だ。
周囲の評価などお構いなしに、榊は環を連れて石造りの建物が織り成す裏路地に分け入っていく。
迷いなく角を一度折れ、二度折れて、かび臭い日陰を突き進んでいく。
狭そうに槍を立てて持ちながら、カテナは小首を傾げる。
「この道知ってるの?」
「知らん。初めて入った」
榊は即答しながらも、まるで旧知の道をのように足取りは淀みない。
その足が再び角を折れて、
「見つけた」
「んな、なにぃ!?」
驚愕する声。
瞠目する大柄な体躯は既知のもの。
逃げたはずの豪鬼とひょろ長が驚愕に目を見開いて榊を見ていた。
そこにいるのは二人だけではない。
山賊の傍らに、二人組の女性が立っている。
片方はヴァイキングのような羽飾りのヘルメットや革鎧をまとった女性。
そしてもう一人は――
「なんじゃ、騒がしいのう」
とろけるような声が典雅に揺れる。
細身を占い師のようなローブに包み、アップにまとめた亜麻色の髪から覗く肩とうなじは息を呑むほど細く儚い。
嫣然と細めた目は夜空のようなダークパープル。
頭頂部の髪先に伸びる一対の毛は、まるで獣の耳のよう。
女性は口もとを笑ませて、長い犬歯を覗かせた。
「招かれてもおらぬのに妾の前に参するなど、救い難い無礼じゃのう……」
榊は雷に打たれたように体を震わせる。
妾と。彼女はそう言った。
環は驚いたように目を丸くする。
「ずいぶん珍しい口調じゃな」
「おんしがそれを言うか、童女め」
きゅっと狐のように目を細め、女性は笑う。
「で――おんしら、妾たちを誰と心得てそこに立っておるのじゃ?」
彼女たちが何者か。
教えられるまでもない。
セナは顎に汗を伝わせて低く呻く。
「ブラッディリンクス……!」
緊張が走るなか、榊は一歩踏み出した。
豪鬼がにやりと笑い、応じて踏み出す。
「鼻の利くやつだ。俺たちに追いついたのは褒めてやるが、迂闊が過ぎたんじゃないか、ええ?」
「貴女様は――」
榊は豪鬼に目もくれない。
手を伸ばす。相手の女性に。
「神職にご興味はありませんか」
ざわつく。
「……あのバカ、敵陣営の偉いっぽいやつを勧誘するつもり!? バカなんじゃないの!?」
「おい誰か止めろ! 我は嫌だぞ、知り合いだと思われたくない!」
カテナは興味なさそうに槍に寄りかかり、モモカは考え込むように首をひねっている。
榊たちのプチパニックを他所に、当の誘われた女性は上品に笑った。
「クク。面白いやつじゃのう。世が世なら、愉悦に任せて応じてやったところじゃが、妾は神職に着くことは叶わぬ。なにせ――」
細めた目に、力が宿る。
「妾自身が、神であるゆえな」
まるで言葉が重力を持つような圧倒的プレッシャー。
セナもモモカも、フランやカテナでさえも息を呑むほど彼女の神気は壮絶だ。
豪鬼、ひょろ長、女蛮族でさえもひざまずく威圧感を前に。
榊は微動だにしない。
「では友誼を結んではいかがでしょう」
妥協案を提示した。
「妾と仲良くお喋りしたいなら」
すげなく袖を翻して彼女は口元を隠す。
その瞳は間違いなく榊の姿を捉え、その声は榊のただ一人に向けられる。
「妾を捕まえて見せることじゃな。差し当たってはこの三人を乗り越えて妾に触れることができたなら、一緒にお茶して語らってやる」
瞬刻。
ノータイムで豪鬼と榊がぶつかり合った。
手四つに組み合い石畳を軋ませて、豪鬼が青筋を立てまくっている。
「てめえ、我らが女神を低俗な誘いに招いているんじゃねぇぞ……?」
「低俗ではない」榊は真剣そのものの表情で、「環様のためだ」
「嘘こけ!!!」
ぶん投げられた。
路地をごろごろ転がって中腰に立つ。その背中を環が支えた。
「榊や」
「環様。私にお任せください。あなたの神としての道を――いてっ!」
環は榊の背中を力強くつねっていた。
「お主、二心は許さぬぞ?」
「とんでもない。これまでもこれからも、私の信心はただ環様のためだけにあります」
淀みなく応じる榊の言葉を聞いて、環は己の懐に手を入れた。
お守りの口を開いて木札を引っ張り出す。
101pt。
女将の信仰を加えての数字から、榊の信仰心は変わっていない。
「信じてやろう」
ふん、と鼻息をついて環はお守りをしまった。
好きなもの!
余裕たっぷりな妾のひと!!! すき!!!!
見た目が華奢で、でも圧倒的強者のオーラを放つやつが大好きです。




