榊、二女傑と出会う
丸太でできた市壁の東門。
山道を望む道の前に、榊と環、そしてセナが立っていた。三人を見送るように門前にたたずむ女将が体の前で両手を重ねる。
「なんだかあっという間ですね。それなのに、ずいぶんとご迷惑を掛けてしまった気がします」
「迷惑なものか。世話になったのはこちらも同じじゃ」
「また服もらっちゃってるもんね」
セナの言葉に、環は「うむ」と大きくうなずく。
環は黒地に葵の模様が入った着物に革製の肩当や腰巻を重ねた森狩人の衣装に身を包んでいる。榊もまた紺の着流しに黒革の小手を巻いて腰蓑を下げた浪人姿だ。
白いコートに銀の軽鎧を重ねるセナは空の太陽を見上げる。まだ上ったばかりで朝もやも明けきらない。
「じゃ、そろそろ出発しましょうか」
「環様。毎朝お祈りいたしますね。みなさん旅路お気をつけて」
「うむ、ありがとう。では……行こうぞ!」
環は意気揚々とこぶしを突き上げ、街に背を向けて歩き始めた。
山を二つ超えて日は高く上り、環は榊に手を引かれながら背中を丸めてトボトボ歩いていた。
「まーだーかーのー」
旅素人にありがちな空回りにセナは苦笑する。
「まだまだよ。旅なんてどうあがいても先は長いんだもの、ゆっくり気長に行くものよ」
「うむぅ……」
「聖都に向かうとのことだったが」
環の体重を預かる榊は、顔色一つ変えないままセナを見る。
「そこまでどのくらいかかるんだ。食糧の二週間分、歩きどおしになるのか?」
「まさか。食料は安全マージンを取った余裕分。聖都は南部の北端にあるから、まるっと縦断する感じね。休みながら、ざっくり三週間くらいかしら」
「足りないじゃないか」
「いや真っ直ぐ行くわけじゃないわよ。途中の街に寄りながらよ」
愚直な榊に呆れるセナを見て、むむと環は首を傾げた。
「そもそも、この世界はどんな形をしておるんじゃ?」
「世界のことは知らないけど、ここは海に囲まれた細長い島みたいなものよ」
セナは手ごろな木の枝を拾って地面に線を掘る。
二つの大きな細長い島が、時計の長針短針でいう0時35分の位置関係に並んでいる。二つの間に点々と無数の穴をほじった。
「北部と南部に分かれていて、中央は島嶼地域……島がやたらいっぱいある場所ね。もとは一続きの島だったけど真ん中でへし折られた――っていう冗談がよく言われる」
「む、冗談なのか?」
「当然でしょ……誰が大地をへし折るのよ……」
きょとんと見上げる環に呆れ顔で返して、セナは南部の下から指一本分あたりを叩いた。
「で、私たちは今このへん。ここから……このあたりまで移動するわ」
びゅーんと飛んだ枝の先は、島嶼地域のわずか下、南部北端より指ひとつ下のあたりに着地する。「ちなみに今あたしたちが目指してる二日の移動分、隣町までの縮尺は枝一つね」と言って出発地に戻った枝はころんとズレた。
榊は首を伸ばして簡易な地図を覗き込む。
「大きい島なんだな。むしろよく三週間でつけるものだ」
「隣町からは街道沿いだから、スムーズにいけるはずよ。大変なのは今だけ」
肩をすくめるセナに、榊は何度もうなずいた。
江戸から東海道を進む伊勢参りで、おおよそ片道十五日の旅程とされる。それより長い二十日超を要する行程だ。聖都までの距離は相応だろう。
「助かる。やはりお前についてきてもらって正解だったようだ。ありがとう」
「へ?」
目を丸くしたセナは、足元に描いた地図を見るために額を突き合わせる榊と視線をばっちり絡ませた。榊の黒い瞳にセナが小さく映り込む。
セナは飛び退るように立ち上がった。
「……ふ、ふん! ま、当然よ! なんといってもこのあたしは一流冒険者だからね! さ、もたもたしてないで行くわよ!!」
顔の赤いセナが乱暴に枝を道の外へ放り投げる。
雑草を散らして落ちた枝は、鈍い音をあげて跳ね返った。倒れるなにかが割れる音。
三人はぎょっとして振り返る。
山道を外れた崖下は枯葉と下生えで見通しがきかない。
「見てこよう」
榊が短く言ってセナに環の手を預け、道を外れて分け入っていく。
「ちょっと、危ないわよ! 崖になってても分かりにくいんだから」
「気をつける」
わかっているのか怪しい返事を残して姿を消した。
草の動きだけで存在を知らせる男が、やがて気配を消す。セナと環は顔を見合わせ、セナが代表しておそるおそる声をかけた。
「……榊ー?」
「セナ、こっちだ。来てくれ」
どうやら転落していないらしい。
榊の呼び声に今一度顔を見合わせた二人は、慎重に榊の踏み分けた道を抜けて山道を外れる。
ほどなく、藪漕ぎされた簡易なキャンプ地が現れた。
「わ。なんじゃここは?」
環が声を上げる。
藪やススキなど雑草を刈り取って作った円形のスペースは、組み合わせた鉄棒から吊り下げたテントに、石と炭を積み上げたかまどが築かれている。刈り上げた雑草はスペースの端に積み上げられていた。
紛れもなくキャンプ地だ。それも切り開いて作った手製のもの。
榊は焚火の近くに立ち、なにやら放置されていたらしい鉈を手に取って眺めている。セナの投げた枝は瓶詰めをかち割っていた。
「誰かが野営したようです」
そうでしょうね、とセナはうなずく。瓶詰めに近づこうとして、
同時に、セナと榊は弾かれたように山の奥を振り返った。
雑草が衝立のように押し隠す影から、矢が迫る。
「太陽神よ!」
「環様!」
セナは四肢に光をまとわせて飛び退り、榊は環の前に飛び出してかばう。
二人の傍らを駆け抜けた矢は山の腐葉土に突き立った。悲鳴を飲み込む環を背に、榊は横目で矢を一瞥する。
「矢、ではないな。これは……投げ槍?」
真っ直ぐに打って伸ばした枝を尖らせた、手製の投げ槍。
野営地から外れたセナに、茂みを駆け抜けたなにかが襲いかかる。「きゃあっ?!」と短く悲鳴を上げて茂みの中を吹き飛んでいく。
「セナ!? ――環様、お下がりください!」
榊も同様。
投げ槍を追うように茂みをかき分けて飛来するなにか。それは榊に飛びかかり、手四つに組み合う。ブーツの跡を引いて押し込まれたものの、榊は姿勢を崩さず耐え切った。
「ほう? 存外、いい反応をする」
「……女?」
榊の眼前で、美貌が燃えるように笑う。
翻る長い髪は灰銀色。榊の指を締めつける腕、挑みかかる総身は真紅のフルプレートアーマーだ。不気味に音を吸う黒いマントを背に、その女戦士はアメジストのような瞳に戦意の炎を燃え上がらせる。
「楽しませてくれそうだ!」
まるで炎が風に翻るように。
女戦士は組み合う力を受け流した。上体の泳いだ榊に向けて掌打を放つ。
肩口に受けた榊は猛烈に回転してゴム鞠のように跳ね、
「――ほう!」
女戦士は喜色を浮かべた。
自ら吹っ飛んだ榊が、地面に足をつけて一度スピン、ファイティングポーズに両手を構える。淡い光が四肢から煙るように浮き上がっていく。打撃のダメージに鈍る気配はない。
「榊!」
「問題ありません。お下がりください、環様」
環は不安げな面持ちのまま、向かい合う二人から距離を取る。
女戦士が環に意識を割いた瞬間、榊の体勢がにじりよった。即座に警戒心を榊に集中させる。
女戦士は牙をむくように笑みを刻んだ。
「技術はないがセンスはある。面白い! 面白いが……残念だ」
無手で片腕を頬の横に、片腕を差し伸べるように構える独特なスタイルで女戦士は榊に相対する。
「お前ほどの男が、賊に身をやつすか」
「――賊?」
榊は放り捨てた鉈と、かち割った瓶詰めを見た。
風。
肉薄する微笑に、榊は四肢にまとう光を――消した。
「……どういうつもりだ?」
拳が凛々しい声で問う。
榊の眼前、薄皮一枚の距離で寸止めされた拳が榊の視界を埋めている。ガントレットに包まれた文字通りの鉄拳を前に、榊は涼しげな顔で応じた。
「どうやら互いに誤解があるうえに、こちらに非があるようだ」
「……」
拳を引いた女戦士は不服そうに榊を眺め、腕を下ろす。森に叫んだ。
「おいカテナ! もうよせ、戻ってこい!」
「命令しないで」
獣が跳ねてきたかのように。
藪を軽々と飛び越えて宙返りしながら降ってきた金の影が、己の槍に寄りかかるように立つ。
光を押し固めたような、しなやかな金髪が青いヘルムから垂れる。胸当てや肩当てといった、要所のみを守る軽鎧に身を包む戦乙女。
まつ毛の長い、物憂げな碧眼が榊と環を眺める。
「……あなたたちは、私達の荷物を狙いに来た賊じゃないのね?」
「賊ではない。が、あなたたちの荷を損なったのは我々だ」
榊は振り返る。
頭のてっぺんまでボサボサに枝や葉っぱの刺さったセナが、くたびれた足取りで戻ってきた。
「ひぃ、ひぃ。ひどい目にあったわ」
「私が捉えられないなんて思わなかった」
戦乙女の淡々とした、しかしどこか感心するような声に、セナはますます疲れた顔で肩を落とす。
環は地面に散らばる瓶詰めのスパムを悲しそうに眺めている。
「もったいないのぅ」
「わざとじゃないもの。わかってたら投げなかったわよ……」
口を尖らせてセナは不服そうにつぶやく。
全員が一堂に会したことを確認して、女戦士は口火を切った。
「お互い何者で、これがどういう状況なのか……胸襟を開いてみるとしようか」
好きなもの!
ふつくしい女戦士と戦乙女……!




