榊、生還す
「おーい」
声に振り返れば、山林の中をセナが登ってきている。
榊は尻もちをつき環を腹に乗せた姿勢のまま口を開いた。
「セナ。どうした、街を守ってるんじゃなかったのか」
「このざまを見ればわかるでしょ」
セナは手を広げる。
周囲には、榊が切り捨てた魔物が死屍累々と積み上がっていた。いくら魔物寄せの香水を撒いているといっても、あまりに多すぎる数だ。
「なるほど。市壁に集まっていた魔物がみんなこちらへ流れてきたのか」
「あぁ……それでいくらでも湧いてきたのじゃな……」
セナは榊が全身に負った傷を見ると、短く「太陽神よ。癒やしの光を」と囁いて治癒をかける。手の輝きを榊に添えながら呆れ顔をした。
「これだけの魔物を倒すなんて、私でも無理よ。あんたすごいのね」
「俺など、大したことはしていない」
言って、環を見る。
環はきょとんと榊を見上げ、狐の耳を広げた。
「環様の祝福がなければ、俺はただの一匹すら倒せなかっただろう。すべて環様の御業だ」
「相変わらずね」
セナは苦笑して榊に手を伸ばす。榊に乗っかったままの環を撫でて退くように促し、榊に手を差し伸べた。
「ほら。立てる?」
「ありがとう。ああ、そうだ。せっかく来たんだ、ついでにあれを運ぶの手伝ってくれ」
「あれ?」
示されたほうを振り返ったセナの顔が凍りついた。
木の根の横に倒れているのは、血みどろ死にかけのみすぼらしい男だ。セナも知っている、門番だったあの男。
「あっきれた。あんた、まさかあれを助けたの?」
「まあ、そうなるな」
肩をすくめる榊に、環は得意げな顔で胸を張っている。
環のため云々といって無理を通したと看破して、セナは苦笑をにじませた。
「ほんっと、あんたって変なやつね」
§
一連の騒動の犯人として連れ帰った男を街の保安官に引き渡し、榊は傷だらけの体を押して宿屋に向かった。
宣言通り生かして連れ帰り保安部に引き渡した、と榊に聞かされて、女将は深く頭を下げた。
「うちの人が、ご迷惑をおかけしました」
顔をあげた彼女の寂しそうな微笑は、付き添ったセナも口をつぐむほど。
昨日の再現のように再びセナの治癒を浴びるほど受けて横たわる榊だったが、前回と違うのは榊に意識があることと、治療を終えて部屋を去るセナが妙に機嫌よさげだったことだ。
「よいか榊。治りかけで無茶をしたのじゃ。少なくとも今日一日は絶対安静にして、回復に専念せい。わかったな」
「…………………………わかりました」
「いやな間じゃなぁ」
厳命された榊が横になり、椅子を隣に持ってきて病室のように見舞う環がうつらうつらしているうちに日が暮れた。
窓から見える木材と赤土で作られた街並みは、日中の魔物騒ぎも忘れたように穏やかな夜を迎えている。点々と立ち上る煙突からの煙はかすかに匂い立ち、夕飯時であることを嫌でも感じさせる。
部屋の扉がこつこつと叩かれた。女将の声がかけられる。
「よろしいでしょうか」
「んみゅ、どうぞ」
榊が何か言う前に環が返事をしてしまった。くぁああ、と大きなあくびして狐耳を伸ばしている。
「よろしいのですか、寝ていたのでは」
「あふ。寝ておらにゅ。……それに」
扉を開けて女将が運び込んできたのは、柔らかな湯気を立てるお膳だった。
唇を緩ませて環は微笑む。
「食わねば治るものも治るまい」
榊のおかゆと環のための山菜煮物御膳とを運んで、女将は気恥ずかしそうにはにかんだ。
「心ばかりのお礼……というには、少し質素すぎますが」
「いや、上等じゃ。ありがたくいただくぞ」
小さな書き机を片手で寝台の隣まで運んだ環は、並べられた膳にほくほく顔をする。
半身を起こした榊も口の端を緩め、小さな土鍋のおかゆを食べようと手を伸ばしかけて、
「む。待て榊」
環に遮られて榊は手を下ろした。
湯気をあげる御膳の小鉢に一瞥をくれた環は、レンゲで土鍋のおかゆをすくう。白米ではなく、玄米をすり潰したもののようだった。
環はふうと息を吹きかけるとレンゲを榊に向ける。
「ほれ榊、あーんせい」
は? という顔で固まった榊。
まあ、という顔で微笑んだ女将の視線に目を背けて、榊は軽く首を下げる。
「いえ環様。私などが環様に介助を賜るなど……」
「えいうるさい。労うためならわらわも強権を振りかざすぞ。わらわがやれと言っているのに逆らうつもりか」
む、と榊は口を引き結んだ。それを言われると弱い。
怒ったふうに眉を吊り上げてみせる環も口元は面白そうに緩んでいる。分かって言っているのは明らかだ。
「……では、恐れながら」
「あーん。熱くないか?」
「だいひょうぶでふ」
口を隠しながらうなずく榊に、環はご満悦な顔でうなずく。次をすくい、榊に向けた。
「ほれ次じゃ。あーん」
あーんと言っている環のほうがよく口を開けている。犬歯に目を向けて、榊は粛々と従った。
「むぐ。……やはり、私ばかりというのは気おくれがします」
榊は書き机に並べられたまま空しく湯気をあげて放り置かれている御膳に手を伸ばした。お玉に似た木べらで里芋を取る。
「環様。冷めてしまいますから」
「ふぇ?」
環は大きな蜂蜜色の瞳をぱちくりとさせて榊とその手の芋を見た。
しばらく考えたのちに、むむっと唇を曲げる。
「おぬしは、されっ放しでは満足できぬ性質じゃからな……」
大人しく大きく開けられた口に、榊は慎重に里芋を運んだ。舌に乗せるようにして食べさせる。ぱふんと唇が閉ざされた。
「んっ。む……うまい」
「そうですね。女将、ありがとうございます」
「え? ああ……いえいえ、喜んでいただけて」
女将は虚を突かれた顔で遅れて応じた。二人だけの世界に自分がいたことに気づかなかったという顔で、照れたように頬を押さえている。
そんな彼女を他所に、環はレンゲを手繰る。
「さて榊、次はおぬしじゃ」
「いえ環様。私は二口いただきましたので、もう一度」
「それでは埒が明かぬ。どちらが優先じゃと思っておるのじゃ」
「環様です」
「であろうな! 怪我人を優先などとおぬしの口から出るまいな!」
と小競り合いが起きている部屋に、
「あーもー信じらんないーっ!」
不機嫌な顔を剥き出しに、セナが駆けこんできた。
「むお。どうしたのじゃ急に」
「ちょっと神様、環ちゃん。あんたの口から冒険者ギルドに言ってやってよ。あれだけ魔物を倒した榊に『証拠がないんで~』とか『倒した実績が認められないから~』とかなんとか言って、義勇兵と同じ報酬しか出さないっつってんのよ! もうマジ意味わかんない!!」
ぷんすかと息巻いている。
冒険者ギルド――斡旋所のことだろう。そこで応対をやっていた調子のいい受付嬢を思い出し、榊はうなずく。あの小ずるい娘ならば証拠の提示くらい当然要求するだろう。
環もまた平然として首を傾げた。
「ふーむ。まあ今回は金も名声も目当てではなかったからなあ。わらわはじゅうぶんな報酬も得られた」
環は頬をほころばせて女将に目を向ける。環に信仰を分け与えた女将は尊崇を示すように会釈を返した。
彼女の信仰ポイントは1ptに過ぎないが、それでもこの世界で初めて得られた環の一歩だ。
「なに落ち着いてんの、もっと怒りなさいよ。あんたたちのことなのよ?」
「そもそも、なぜおまえが怒っているんだ」
同じく平然としたままの榊が切り返して、セナは鼻白んだ。
ばつが悪そうに口を尖らせる。
「べ、べつに……あんたのために怒ってるわけじゃないんだからね。個人的に、そういう不公平なのは気に入らないのよ。あんたは街を守るのに一番貢献したのに、それが正当に評価されないなんて」
「そうか。だが街を守りたくてやったわけではないからな、俺も特に依存はない」
「……あーそう。揃いもそろって……なんかバカバカしくなってきた」
はあっと大きなため息をついて、セナは話を打ち切った。顔を上げた彼女は改めて榊に顔を向ける。
「あんた、これからどうする?」
「布教だ」
即答しつつ、悩ましげに眉をひそめる。
「……特に当てはないが」
「じゃあ聖都を目指したらどうかしら。環ちゃんが神の一柱として承認を受けたら、提携神殿のある都市すべてに布告されるし、教会を建てる交渉を街に対してできるようになるから」
「なるほど。それは有利に働きそうだな」
それに、と榊は環を見る。
環は己の正体を知りたいと言った。この世界でどう生きたのか、と。
環の生前はなんらかの伝説になっているはずだという。
神を管轄する聖都ならば、手がかりが得られるかもしれない。
「聖都に向かうのはいい考えかもしれません」
女将が口を開いた。
「聖都には力の強い巫女様がいて、神がどのような祝福を与えることができるのか見分けられると聞きました。環様はどのようなご神徳を司っておられるのか分かるかもしれません」
「ほう! それはいいな。では、当面の目的地は聖都としようかの」
環がうなずいたので、話はまとまった。
セナは言いにくそうに唇を動かして、顔を背ける。ぼしょぼしょと言った。
「……一緒に行ってあげてもいいわよ」
意図を図りかねるように見つめる榊と環に、セナは頬を赤らめて部屋の隅をにらみつける。
「道案内! してあげてもいいわよって。私みたいな一流の冒険者が護衛につくなんて値千金よ? だから、その……今回の、報酬代わりにはなるでしょ」
榊の呆れ顔は、顔を背けるのに必死だったセナに見られずに済んだ。
報酬はいらないと言ったのに律儀なやつだ。そんな言葉を飲み込んで、かわりに軽く顎を引く。
「……わかった。それでは頼もうか」
「ええ。頼みなさい。出発はいつにする?」
「明日」
榊の即答に、セナはようやく顔の紅潮をひっこめて振り返った。呆れている。
「ほんと、あんたって……わかったわ。じゃあ支度してくる。出発早々ダウンしないように、しっかり休んでおきなさい」
「そのつもりだ」
返事を受けて、セナが部屋を出ていく。
環は榊を見上げている。彼女を振り返って榊は口を開いた。
「では環様、冷める前に」
「真っ先にやるのがそれか! いや、おぬしが食うのが先じゃ……」
女将は「もう自分で食べた方が早くないですか」という言葉をぐっと飲みこんで、足音を殺して部屋を辞した……。
小汚いムカつくおっさんさえ助けるスタンス。
美少女を助けるナイトの話ももちろん好きなんですが、しかし内心でどう思っていても助ける相手を助けてしまうタイプの主人公は、「どうあってもヒーローから逃れられない」感じがあって熱いです。
需要とは。




