榊、神器を賜る
「榊ィ!」
戦いを続けながら呼び声に振り向いた榊は、二度見した。
環が、時代劇の名奉行のように、着物から片肩を抜いて背中をさらしている。なめらかな肩甲骨が白磁の肌に浮いていた。
その背が突如、火を吹いた。
マグマに切れ込みを加えたかのように火柱が生える。高々と伸びる火の手は木の幹を撫で、枝をも舐める。2つ、3つと数を増やし、
「……なんだあれは?」
炎の中心に棒状のものが生えていることを見て、榊は訝しむ。
棒の根本から火を吹いているようだ。それぞれ棒は大きく、環の細腕と同じくらい太いものもあった。
背を向けたまま、肩越しに榊を見た環は叫ぶ。
「榊! 抜け!」
榊の足は弾かれたように動く。背をかすめる悪鬼の指先を一顧だにしない。
駆ける榊の四肢から白い光が陽炎のように立ち上る。
榊が見据えているのは、環ではない。
彼女の叫びに反応した魔狼だ。
榊は低く跳躍すると魔狼を追い抜き、環の背後に滑っていく。逆手に環の背から生える棒を握る。
引き抜きざま、魔狼をその棒で引っ叩いた。
引っ叩いたはずだった。
「……なに?」
狼を通り抜けた棒は、榊の想像を遥かに超えて長い。環の身長をも超える二メートルの鉄の棒。炎を凝らせたまま土に埋まった棒は途方もなく重い。鋼鉄製だった。
そして魔狼はつんのめったように倒れて榊の前に転がり、
ふたつに分かれた。
鼻先から尻まで、真っ二つに断ち切られている。
「これは」
榊は唖然として手元を見下ろす。
編み込まれた柄巻。持ち手と本体とを分かつ鍔、すらりと伸びる玉鋼に浮き上がる優美な刃紋。
野太刀だった。
「使え。わらわの神器じゃ、切れ味は保証するぞ」
着物を直しながら環が言う。
榊は呆然としたまま刀を持ち上げた。
重厚な拵えの刀は真っ直ぐに伸びて空を指す。
木やプラスチックとは違う質感。実用のために打ち込まれた頑健さが、傾く重さに抗って確かに屹立する。
「これは――」
榊は顎を引いた。
剣呑な眼光が、迫りくる魔獣の群れを睥睨する。
「使える」
一歩。すれ違いざまに刀が薙ぎ払われて四体一気に殴り飛ばす。
二歩。竜巻のように持ち上げられた刀に足を折られて魔獣が倒れる。
三歩。力任せに叩きつけられた長大な鉄棒が爪を、牙を、首の骨をへし折っていく。
四歩。たまたま刃に当たった哀れな豚熊が、最初からそうであったかのように肩からふたつに斬り飛ばされた。
榊に剣の心得はない。ただ重くてでかい鉄の棒として振り回している。それで充分すぎるほどだ。祝福を得た榊の膂力で振るわれる重量物は、まるで消しゴムをかけるかのように魔獣の群れをすり潰す。
環の保証した切れ味は最たるもので、刃が向いていれば水を切るように肉も骨も斬り払う。
「!」
トロルが棍棒を振り下ろす。
即応して野太刀で打ち払った榊は、
「ごっ!?」
斬り捨てた丸太に顔面を打ち据えられて仰け反った。
直後、
トロルに蹴り飛ばされる。
榊は地面に弾み、木の幹に背を打ちつけた。幹が放射状に潰れる。
動かない榊は力なくずり落ちていく。だらりと首を垂れた。投げ出された四肢から、白く祝福の光が立ち上る。
「……がぁ、くっそ」
榊の目は瞳孔が拡散し、焦点を結ばない。
震える指先が太刀の感触を確かめた。ようやく手首が動く。杖のように刀を突き立て、震える足で立ち上がる。
顔をあげた榊の前に、
「ニィ」と醜悪な笑顔。
立ちはだかるトロルが巨腕を薙ぐ。
榊は張り飛ばされた勢いで頭を地面に突き立てて横に回転し、大の字に倒れた。ほどけかけた指を握りしめ、太刀の柄尻を捕まえる。
倒れたまま、榊は目を見開いて呼吸を荒らげた。
「――届かない?」
たとえ神器があろうとも、地力があまりにも欠けている。
細く揺らめく光を見つめたまま動けない。頭皮を切って血が溢れていた。呼吸が荒い。腕が震える。
「榊っ! しっかりせい! 逃げるんじゃ! 敵の数はじゅうぶんに減った!」
環の声援も遠い。
腐葉土を踏みしめる湿った足音が近づく。見上げる榊の視界の端で木の枝が震える。目だけを動かすと、引き抜いた若木を肩に担ぐトロルのごつごつした脳天が見えた。
体を起こそうとして、諦めた。
肘をついて、上体を起こして、足を引いて――など、とても間に合う間合いではない。榊は目を閉じた。
足音が近づく。沈み込んだ腐葉土の感触に榊は眉をひそめる。
「榊、なにをしておる? 榊? おい……」
環が声を細らせ、途切れさせた。
聞くでもなく聞きながら、榊は深呼吸をしていた。深く吸い、ゆっくりと吐く。
「――足りない」
刀を持たない手を握り、また開く。白い光が薄く揺れる。
足を止めたトロルが高々と棍棒に握る丸太を振り上げる。その重心の変化が腐葉土を通して伝わる。
「これでは、足りない。届かない。もっと、もっと寄越せ」
榊はこの窮地、この万死の状況で。
「今、奇跡を為すために」
神に祈った。
目を見開く。
トロルが幹を振り下ろす。
力感に膨らむ太い腕、肘。握りしめられた木の繊維と、力の伝播するたわみ。榊の意識は木肌の繊維ひとつに至るまでを見分けている。
榊は白く光る身を肩で跳ね上げ、腕を振り上げる。
刀は正しく刃を向けて、切っ先で舐めるようにトロルの手首を切り落とす。力の抜けた丸太が、乱れた重心に振り回されて傾いた。
榊は刀を振った勢いに乗せて体を起こし、踵に体重を流して立ち上がる。榊の背後に落下した丸太が突き刺さった。
斬られたことさえ気づかず、断面から血を引いて腕を振り下ろすトロルを見上げる。未だ殴殺の笑みが違和感に曇る段階のトロル目がけ、榊の腕は振り抜いた太刀に力を添える。
慣性を相殺し、遠心力の向きをずらし、重たい鋼鉄の重心を流す。
柄を握り直し、刀身を滑らせて、腕の角度を変えながら足を踏み込んでいく。
榊の眼光が、必殺の軌道を見抜く。
「――ふッ」
呼気に小さく裂帛を込めて。
一条の紫電がトロルの首を駆け抜けた。
大きく半円を描いて振り下ろされた野太刀は地面の寸前でひたりと止まる。
斬撃の軌道が狐火に燃え上がった。
「ゴぁ……?」
トロルは振り下ろした手ごたえのなさに首を落として、狐火に肌を焼かれながら地面に突っ伏す。
残心に刀を握る榊の四肢は、陽炎以上に、黄金色の炎で燃え上がっていた。鮮やかな稲穂を思わせる色合い。環の髪と同じように。
「――ふぅ」
ようやく肩の力を抜いた榊の手から、刀が煙のように消滅する。炎も同時に吹き消えた。
空の手を開いて見つめた榊は、それ以上の興味をなくしたように顔をあげる。
「こ、の、馬、鹿ッたれ――――――っ!!!」
一音ごとに大きな歩幅で駆けつけた環が、水平の跳躍で榊の腹に直撃した。
「おごッ」
「馬鹿! 馬鹿たれ! 罰当たりめ! なんでそういつもギリギリなんじゃ! お主なんでいっつも死にかけるんじゃ!! お主が倒れたまま動かなくなったから、わらわは、わらわはてっきりぃ」
尻もちをついた榊にのしかかって叱声を浴びせる途中で、環の大きな瞳が濡れる。
くしゃっと顔をゆがめた。小さな唇を震わせ、榊の胸に頭突きを落とした。
「てっきり、諦めたのかと思ったぞ……っ!」
榊は目を瞬かせて、胸に顔をうずめる小柄な少女神を見る。
耳は震え、稲穂色の髪を乱し、小さな手で血染めの服をぎゅうぎゅうと握りしめている。柔らかな尾は怯えたように膨らんで震えていた。
「――ええ」
榊は言葉に迷うように困惑した手を、
そっと環の肩に添えた。
「ご心配をおかけしてすみません。ありがとうございます、環様」
ふぬん、と布にくぐもった声で返事がする。
榊は目を伏せた。
環の肩を優しく叩く。
「ありがとうございます、環様」
もう一度、感謝の念を言葉に乗せて、
環に祈った。
好きなもの!
多すぎて分かんない。ヒロインから武器を受け取るやつ?




