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榊、不本意な戦いに身を投じる

 右。

 突進してきた猪に、正面から蹴りを当てて粉砕する。

 壁に当たったボールのように跳ねた死体が、ゴブリンの群れを蹴散らして森の幹にぶつかった。

 左から跳びかかってくる狼の腕の付け根を取って転がす。腐葉土を蹴散らして滑り、他の魔獣に踏み潰されていく。


 振り返り、ふらつく男の襟首を持ってブン投げた。がちんと背後に迫った狼の顎が空を噛む。

 狼の頭蓋に拳を叩きつけ、首根っこを掴んでバットのように振り回す。二、三の殴り飛ばした手ごたえ。正体を確かめる暇もない。枝の上から降ってきた猿の盾にして、もろともに殴り飛ばす。


 男の襟首を引っ掴んで跳躍。しかし、群れる魔獣に阻まれて足が止まる。


「はぁッ、はぁッ! キリがない!!」


 榊はうなるように毒づき、果てのない群れに挑みかかっていく。

 ちぎっては投げちぎっては投げ、同時に蹴って。四肢を振り回して相手を倒す。


「どこに、こんなに! 隠れていたんだ!? ――ぐゥっ!」


 ゴブリンを投げ飛ばす途中で腕を噛まれた。魔狼だ。喉を殴り、あごをむしるようにして振り回し巨大な山猫に叩きつけた。

 腕から流血しながらも榊は止まらない。指が痙攣する手でチョップを振り下ろし小鬼を叩き潰す。

 ひらひらとかわし受け流す環が、拳を握って榊を振り向いた。


「く――、もう限界じゃ! 榊!」

「なりません!」


 榊は叫ぶ。


「神罰を下される罪業がかれらにはありません。環様は手を出されませんよう!」

「じゃがそれでは榊が持たぬ!」

「なんの。この程度の修羅場……!」


 榊は荒い息を喘がせて狸を蹴り倒す。

 治ったはずの腹が青あざのようにどす黒い。青い顔のまま、榊は熊の頭蓋を握ってなぎ倒す。

 不調と裏腹に、榊の四肢からにじむ光はいや増している。今の均衡は榊の精神力と環の祝福によって成り立っていた。


「要は、セナに声が届くところまで行けばいいのです。しのぐだけならば、私だけでも……!」


 振り返った榊が、ほんの一瞬だけ止まった。

 環が彼の視線を追って息を呑む。


巨鬼トロル――!」


 榊は歯噛みして振り返る。

 男はもう意識すら定かではなく、立っているだけで身動きさえしない。

 つかんで逃げようとして、

 痙攣する指からほどけて男が倒れた。

 助け起こそうとする手の角度を変え、ゴブリンを張り飛ばす。

 足音。

 振り返るまでもない。トロルが迫っていた。

 ――逃げ切れない。


「く、ここまで来て……!」

「榊」


 榊に向かい、環は苦渋の声で告げる。


「その男を捨てよ」

「な――」


 瞠目した。

 一度ならず二度の隙に榊が襲われなかったのは、奇跡でも加護でもない。

 この敵意の中で"ただ付いてきているだけ"を徹底する環が、注目をひきつけ避け続けているからだ。環は振り返りもせず魔獣の爪をかわし、叱声を向けた。


「見捨てよ! このままではお主が死ぬ!」

「ですが……!」

「やつが自ら招いたら結末じゃ。お主が付き合う道理もなかろう!」


 必死の形相で訴える。死ぬところは見たくないと。生きていてほしいと。そう繰り返す環の決断だ。

 だが――


「環様。申し訳ありません」


 榊は止まらない。

 歯を食いしばり、血を飛沫しぶかせて、背中を山猫の爪に薄く引き裂かれながら男を担いで大きく一歩。


「あの女将に私が言ってしまったのです。連れて帰ると」


 突き飛ばした男がふらつく一瞬に、山猫と前方の鬼を蹴り飛ばす。傷ついた背で背負ってもう一歩。


「環様がこの男を見捨てたと思われるのは……耐え難い。どんなに神意を示されようとも、私は布教を担う第一の信徒として、不都合な事実が残ることこそ恐ろしい」


 榊は進む。

 言い募ろうとする環の弱音を、榊の強い視線が縫いとめる。

 生き残る――その貪欲なまでの意思。


(それに、)


 榊は言葉にせず心に浮かべて苦笑した。

 男を助けなければならない理由は、榊自身の内にもある。


(この男は、一歩間違えた私の姿だからな)


 見返りを求めない。己の身を惜しまない。相手のためだけに。

 共通する信条を持つ二人の、違う点はただひとつ。

 相手のためになって()()()ことを認める覚悟が、あるかどうか。


 この男は女将に親切を押しつけ、その結果から逃げ回った。快癒する霊薬だけを残さなければならないほど追い詰められた。

 それは取りも直さず、相手が求めていないことをしている自分を、受け入れることができないからだ。だから女将を直視することができなくなった。


 榊も同じだ。

 信仰とは相手を思いやる行為ではない。行いを積み重ねる自分を信じることだ。

 たまたま環の顔を見て、声を聞くことができるというだけで――本質的には、神憑かみがかりや預言者の言葉に従うことと変わらない。常に自分の内側で捻じ曲げるリスクとは隣り合わせになっている。


 だから。

 自分はこの男とは違うのだと。

 環のために、環の隣にありたいのだと。


「神よ!」


 榊は血を流し、泥にまみれながら、血を吐くように叫ぶ。


「今一度、私に我を押し通す力を!」


 この神には声が届く。神への願いが確かに通じる。

 環は泣き笑いを浮かべた。


「無論じゃあっ! 思い切りやれ、榊!!」



「 お お ォ !」



 震脚。

 突然の圧力に爆発した腐葉土が周囲の魔獣の目をくらまし、白く輝く榊が土砂を追うように走る。背負った男を投げるように木の根に転がすと、

 回し蹴り。

 投げつけられた若木の幹を粉々に蹴り砕いて、榊は足を下ろす。


「つくづく、上手くいかないものだ」


 苦々しく見る先で、トロルが左手に持った若木をも投げつけてくる。

 榊は再度後ろ回し蹴りで蹴り砕いた。木片が男に散りかかる。舌打ちした。


「せめて見目麗しい女性であれば、守るのも美談になったろうに」

「言うとる場合か」


 するりと榊の背後に駆けてきた環は苦笑する。さしもの彼女も、わずかに肩が上下していた。

 警戒するように耳をピンと立て、蜂蜜色の瞳でトロルを見やる。


「まだやるのか?」

「ええ。この腕では、抱えて走るのはもう限界です。ですから」


 ゆるりと構える。

 武道の心得もない榊だが、この極限状態で身体が知り始めていた。

 いかに隙なく動きを積み重ねていくか、という理論を。

 ゆえにその構えは重く、したたかに、柔らかい。


「殲滅します」


 踏み込みは鋭く――しなやかに。

 強打したトロルの腹がクレーター状にたわむ。硬い皮膚にぎりぎりとしわが寄り、トロルが苦悶に顔を歪めた。

 だが、堪えない。


「下がれ榊!」

「っ!?」


 飛び退いた榊の鼻先を、トロルの太い指がかすめる。

 この期に及んで迫っているゴブリンをトロルへと蹴り飛ばす。トロルは巨木の根のごとき足で踏み潰した。

 ぐぬうと環はうめく。


「仲間ごとか……。いや、特に仲間というわけでもないのかの?」


 つぶやきながらも、環はただ立ち尽くすしかすることがない。背後で倒れている男を恨めしく一瞥し、もどかしく爪をかむ。

 おもむろに伸びたトロルの腕が、小枝でも折るように木の枝をちぎった。湿った音を立てて折れる枝は、先ほどの若木よりも太い。

 棍棒にして振り下ろされ、避けた榊の代わりに魔獣が土に埋まる。

 榊は淡々とゴブリンの頭を鷲づかみに、振り回して周囲の獣を叩き伏せる。死体をトロルに投げつけた。トロルは鼻で笑って腹で受ける。

 鬼の皮膚は異様に強靭で、殴打はろくに通じない。トロルの振り回す棍棒に巻き込まれて群れの数は減っているが、榊はじりじりと追い詰められている。


「っ!」


 かすめた枝の端が榊の頬を切った。叩きつけられた地面から弾けた土に顔を背け、

 跳ね上がった棍棒に薙ぎ払われる。


「榊っ!」


 飛び石のように腐葉土を跳ねた榊は体を転がし、土を散らしながら四つん這いに滑る。膝を突き、震える腹を上下させて唾を吐いた。


「っか、ふう……っ! 大丈夫です……っ!」


 応え、榊はトロルを見据える。

 トロルは足元に群れる獣を掃除するように棍棒を払いながら、榊に近づいていく。トロルと榊に気を取られて環たちの方に来る魔獣は減っている。だが、いつ再びこちらに気づいて追ってくるか分からない。


「わらわが男を担いで逃げることもできようが……しかし、榊があれでは……」


 榊は腹の古傷から血をにじませ、流血する右腕をだらりと垂らして敢然かんぜんと立ちあがる。白く光の揺れる足はしかし、度重なる苦痛に震えていた。

 環は両手を握りしめ、唇をかむ。


「なにが、祝福じゃ。なにが神じゃ。なにもしてやれぬではないか。自分で乗り越えようと挑む榊に、なんの助けも与えてやれぬではないか。どの口で我を通せなどと言うのじゃ……」


 悔やんでも悩んでも、榊は止まらない。どんなにボロボロになっても戦い続けている。

 そんな彼から戦いを"取り上げること"は簡単だ。だが、それでは。しかし、それでは榊が。それに、でも。

 思考の堂々巡りに、環の大きな瞳に涙がにじむ。


「情けない。わらわに、もっと力があれば……」


 涙があふれ、零れ落ちる。

 神のしずくを受けた土から新芽が細く頭を出した。場違いな奇跡を忌々しくにらみつけ、

 目を見開いた。


「――そうか」


 憑き物が落ちたように、環は顔をあげる。


「奇跡や祝福を授けねばならぬ法などない。わらわが直接、榊に()()()()よいだけか」


 言うが早いか、環は帯をほどいて着物を脱いだ。

 好きなもの!


 不利を飲み込んで戦いに臨む主人公! くぅ〜たまらん!

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