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榊、発つ

 騒ぎが起こっている門は東側だけだった。

 西側は閑散としていて、遠い騒ぎに怯える見張りが増員されているだけだ。冒険者としての依頼札を提示するだけで簡単に外へ通してもらえた。

 ぐるりと街を回り込むように山へ分け入って、環は耳を震わせる。 


「出てきたは良いが、どうやって探すのじゃ? 心当たりでもあるのか?」

「心当たりと言うほどでもありませんが」


 榊は山を見上げる。


「やつはドラゴンの死体が目的。ドラゴンが来なければ話になりません。いざ来ても、霊薬の材料を回収できなければやはり意味がない。不利な綱渡りをしているのです。不安でたまらないはずだ」


 であれば、と大きな木の根をまたぐ。環に手を貸した。引っ張り上げる。


「少なくとも『ドラゴンが来たのに出遅れた』という可能性だけでも減らしたいでしょう。近くにいるはずです」


 魔寄せの香水を塀に撒いたのも、セナのいる場所を限定するためかもしれない……と付け足して榊は顔を上げる。

 東門から広がった防衛線、その端が見下ろせた。小熊や猪に似た妙な怪物が丸太柵にかじりついており、柵の上から身を乗り出した義勇兵が熱油をまいて追い払っている。

 セナがいるのは激戦区、門の前だろう。東門は見えなかった。

 ふーむと環はうなる。


「近くに、といってものう。足で探せるほどこの山は小さくないぞ? それに、あまりうろつくと、怪物どもに見つかってしまいそうじゃ」

「それが問題です」


 榊は思案げに辺りを見回す。山道を見分けられる榊でも、分け入った人間の痕跡は見分けられない。諦めるように首を振った。

 ふと、街に目を向ける、


「そういえば――山で門番を見つけたとき。あの小娘は耳になんかやっていたな」

「祝福じゃったか。そういえば唱えておったの。音聞きの祝福とか言うておったか」

「ふむ」


 榊の意図に気付いて、環は悲しげな顔をした。耳がぺたんと寝かされる。


「じゃが、治癒を真似て唱えてみたが、なにも起こらなかったぞ……。わらわは祝福を与えられぬ神なのかもしれぬ」

「いいえ。祝詞を唱えてこそいませんが、私の体には環様の身体強化が宿っています。ですから、おそらく」


 榊は確信を持ってうなずく。


「"信者が求め、神が授ける"と稲荷様はおっしゃいました。私が環様に祈らなければならないのかもしれません」

「そうじゃろうか」

「ものは試しです。やってみましょう」


 不安げな環に向かい、榊は合掌した。身体を傾けお辞儀をする。


「環様、環様。我に音聞きの祝福を賜わいますよう。畏み畏み、畏み申し奉ります」


 さあ、とさざ波のような風が吹く。

 環の狐耳が震えた。

 同時に榊の耳が淡く光る。榊は目を見開いて顔を上げた。


「これは……なんと」


 驚いた顔のまま辺りを見回す。環はオロオロと両手の指を合わせて榊を見上げた。


「ど、どうじゃ? 大丈夫か?」

「ええ、はい。大丈夫ですよ。痛みや厄介さはありません。ただ――」


 榊は目を閉じる。耳を澄ませるように首を傾けた。


「目の不自由な人は耳で世界を知るといいます。こんな感じなのでしょうね。ひどく音が鮮明です。音が大きくなるのではなく……細かな音色まで聞き分けられる」


 騒音のなかで音を聞き分けることができないと、雑音になる。

 普段なら雑音として片付けるような、かすかな音の細部まで理解が及ぶようになっていた。

 ふと榊は顔を上げる。


「いました」

「なんと」


 環はビックリした顔で榊の見るほうに狐耳を震わせる。むむと目を眇めて耳をピクピクさせるうちに、ピンと止まる。目を丸くした。


「ほんとじゃ。声が聞こえおる」

「行きましょう」


 榊は斜面へと足を踏み出した。




 小高く盛り上がった丘の上で、門番は憤怒の形相で待ち受けていた。

 二人の足音で気づいていたのだろう。彼の手にはナイフと、水袋が握られている。

 腹をかばうようすもなく歩く榊を見て、門番は唇を歪めた。


「死に損なったか」

「環様と、セナのお陰でな」


 そういう門番は、右の足首が風船のように赤く腫れ上がっている。榊が握り潰した骨折は治せていない。

 つまり、彼に信じる神はいない。

 男は脂汗さえ乾いた顔で苛立たしげに肩を震わせた。


「お前はつくづくかんに障る……! お前が出しゃばったせいでドラゴンはなかなか出てこない。勝手に彼女の服を着て、しかも俺の足まで壊しやがって! 挙句、死んで詫びるどころかまた出やがるだと? 大概にしろよ」


 それこそ榊は鼻で笑った。すでに論理が通っていない。

 榊の袖を引いて、怯えた顔の環がささやく。


「あの男、こんなに乱暴な性格じゃったか? 人格変わっとらんか」

「たんに、限界なのでしょう。親切で気遣い屋な一面に抑圧されてきた暴力的な一面が、大きすぎる不安と焦りで過剰に前に出ているのです」


 もともと門番になる前は冒険者だったという。少なくとも、手段としての暴力を選ぶことができない人間ではない。

 男が唾を吐き捨てる。ぎらついた目で榊をにらむ。


「この期に及んでなにくっちゃべってやがる!」

「信心のないお前にはわからないことだ」

「なにが信心だ、くだらねぇ……!」


 男は苛立たしげに髪をかきむしり、歯を剥いてうなる。


「お前はムカつく! 存在自体が迷惑なくせに、神に重用されている気になってやがる。いい気なもんだ。そこの神も哀れだよ。そんな男しか頼る相手がいないなんてな!」


 あからさまな挑発にも環は目を丸くして驚き、慌てて手を振って否定にかかった。


「迷惑なぞとんでもない。わらわにとって榊は、信徒以上に頼れる男じゃ」

「ならお前の頭が緩いんだな? 好きなだけそいつの自己満足のはけ口にされるがいいさ!」


 白く陽炎が立ちのぼる。

 一歩踏み出した榊が、静かに男を見据えていた。


「私はいい。だが、環様への侮辱は許さない」


 四肢に宿る神力が光となって揺らめく。

 その威力は身をもって知っているはずの男だが、ひるむ気配もなく軽蔑を目に満たして笑っていた。


「ハ! 侮辱だ? 事実だろうが! ただの! 事実!」


 重ねられた愚弄に目を見開いた榊は、

 ふっ、と。

 微笑んだ。

 優しく、甘く、憐れむように。


「そんなに、私が羨ましいか?」


 男の瞳孔が開いた。


「黙れェエえええ!」


 目がくらむほどに怒り狂った男はナイフを掲げ、振り下ろした。

 水袋が液体を撒き散らして破裂する。

 怪訝な顔をした榊は、鼻にツンとくる刺激臭に身構える。


「香水――まさか、魔物をここに引き寄せるつもりか」

「なんじゃとぉ!?」


 男は引きつった高笑いをあげて、手に残った水を振りまいている。水袋の切れ端を投げ捨て、両手を広げて榊をあざ笑った。

 常軌を逸した気迫に環が息を呑む。


「もろともに死ぬつもりか……!?」

「死なねぇーよ! 俺は死なねぇ! お前らだけだ!」


 枯れ葉を散らす足音。丘の下からだ。狸のような怪物が口からよだれを撒き散らして飛び出してきた。

 男に向かって。

 男は飛びかかった獣を空中でつかみ、喉笛にナイフを突き刺した。投げ捨てる。


「年季が違うんだよッ! 俺は切り抜ける。お前らは魔物の群れに飲まれて死ねッ!」


 血走った目で怒鳴る。

 その足はすでにふらついていた。当然だ。粉砕骨折になんの手当もせず、いつまでも動けるはずがない。


「まずいな」


 榊は顔をしかめる。

 顔を上げた環に向かい、鋭く言う。


「大怪我の痛みが予想以上に精神を追い詰めていたようです。自分に都合の良い展開しか考えられない錯乱状態――正常な判断能力をすでに失っています」

「つ、つまりどういうことじゃ?」

「盛大な自殺に巻き込まれた、ということです」


 榊は声を切って後ろ回し蹴り。

 背後から迫った狼を叩き落とす。即座に頭蓋を踏み抜いてとどめを刺した。


「あの香水も魔物の正気を奪うようですね。せっかく生きて帰すと決めてきたというのに、まったく厄介な話です……!」


 榊は地面を低く跳ぶ。レッサーゴブリンと揉み合っている男の背後に迫る狼を蹴り飛ばした。身を翻し、レッサーゴブリンの頚椎を握ってへし折る。

 死体と格闘する男を見下ろしてつぶやいた。


「敵を守りながら戦わねばならないとは」


 全方位から足音がする。

 膨大な数の怪物たちが、丘を包囲し尽くしていた。


 好きなもの


 仲間の技術を盗んでいく展開はいいですよね! これがなくちゃ、とすら思いますw

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