桃、穏やかな時――祈り。
累計PV500,000記念 第一弾!
「お祭り、ですか」
「東洋の国では古くから幼い子供の、特に女の子の成長を願って、縁起のいい物を食べたりしているそうよ」
眼鏡の奥の緑の瞳がぱちくり、と瞬きをした。唐突な話で驚いているアイビーに、ミモザはふふ、と笑みを零す。その手には異国の衣装を身に纏った小さな人形がある。
「オリヴィア様のお茶の時間に、ちょっとした花を添えたいだけよ」
「ミモザがそう言うなら。……必要な物を書いてください」
「わかったわ、私は茶器と場所ね」
ミモザは、紙の切れ端にさらさらと物のリストを書き、アイビーに渡す。
「あらかじめ決まっていたなら、教えてください。お菓子の試作をしてたの知っていましたよ」
リストを受け取ったアイビーが拗ねたように言う。祭りの準備に入れなかったのが不服らしい。
「まぁ、相変わらず鋭いわね。試作も食べたかったなら残念だけど、人様に出す物は私が納得した物でないと出さない主義なの」
お分かり?と笑う彼女に合わせて、ミモザは手にしていた人形を小さく動かす。
「こだわりが強いのも難儀ですね。買い出し、行ってきます」
はぁ、と呆れたようにアイビーは小さく息を吐いた。
「はぁい、よろしく頼むわね~」
出かける同僚の背中を、小さな人形とミモザが手を振って見送った。
――
静かな部屋で、紙とペンの擦れる音が響く。ここは、オリヴィアの書斎だ。
「……終わる気配がないわ」
少し途方に暮れたような様子で、この部屋の主はペンを置いた。何かの研究の論文だろうか、文章の他に数式と化学式が見て取れる。椅子から立ち上がって、大きく背伸びをする。
「よし、あと少し。この事案の有効性を証明できれば、他の領地の皆も他の農家も少しは楽になるはず」
ぽーん、と部屋の時計が時刻を告げる。少し間を置いて、書斎の扉がノックされた。
「失礼いたします。お嬢様、お茶の時間でございます」
扉を開けて入ってきたのは、ミモザだった。いつもの白と黒を基調とした侍女の服装ではなく、異国風のあずき色の衣装にエプロンを付けている。
「あら、可愛い格好ね」
「ふふふ、もっと可愛いのが見れますよ」
ミモザはそう言うと、エプロンのポケットから手作りの人形を取り出す。灰色の髪に琥珀の瞳があしらわれており、白、緑、赤と美しい布が重ねられた衣服に身を包んでいる。
「これは、」
自分とよく似た人形を見て、オリヴィアは不思議そうに首を傾げる。そんな彼女の隣で、ミモザは楽しそうに笑った。
――
「お嬢様、お疲れ様です」
庭で出迎えてくれたのは、ミモザと色違いの衣装をしたアイビーだった。深い緑色を見に包んだ彼女は、少し照れているのか頬が赤く染まってた。
「とてもよく似合っているわ」
「あ、ありがとうございます。お茶の用意はできております」
「ぁ、なんて、綺麗なの」
白いテーブルには、映えるように赤いクロスが引かれ、えんじ色の茶器、漆の器にはパステルカラーの桃、白、緑のお菓子が添えられ、一輪挿しの花瓶には満開の桃の花が咲いた枝が活けてある。小さな台座のようなところには、黒い異国の衣装で男性を模した人形がある。
「お気に召しましたか?」
「えぇ、えぇ!とても!ありがとう、ミモザ!」
そわそわ、と左右に揺れてテーブルを眺めるオリヴィアの目は、喜びに満ち溢れている。
「まずはお座りになってくださいませ。…アイビー、貴女もですよ」
黒い人形の隣に、ミモザはオリヴィアに似た人形を添えると、お茶の準備に取り掛かる。
「え、そ、それは、」
「たまにしてるでしょう?今日は、わたくしたちが主役だもの」
固まるアイビーの手を引いて、オリヴィアは彼女を座らせる。
「お茶の時間でも学びの機会は作れます。さぁ、お二人とも、今日の茶葉は何か。香りで当ててくださいませ」
茶葉を蒸らす時間を利用して、ミモザはお茶会で必要な教養を語る。よい茶葉の匂いを覚えれば、貴族の社交場では話のタネになり、侍女は間違いのない仕入ができるようになる。
「これは、紅茶ではないわね」
「なにか、果実の香りが、フルーツティーでしょうか」
「どこかで嗅いだことあるわ。桃かしら」
「爽やかですね」
「二人とも、いい調子です」
ミモザは器を温めたお湯を捨て、白い茶器にお茶を注ぐ。透明な美しい金色のお茶だ。
「綺麗ですね」
「これは東洋の烏龍茶と呼ばれるものね?この香りは、一級品だわ」
「さすが、オリヴィア様。正解です」
「なかなか手に入れるのは難しい品よ、ありがとう」
「運良くごうだ…こほん、気に入っていただけたようで、何よりですわ。さぁ、まずは香りから」
オリヴィアとアイビーの前に、1つずつ茶器が置かれる。温かな湯気と香りが疲れた心体を癒やす。
「熟れた桃と新鮮な茶葉の香りがするわ」
「い、いただきます」
「あとは、お茶を楽しみながらお菓子を召し上がってください」
二人は思い思いに目の前のお菓子を口にする。オリヴィアは菱形の三層のケーキのような物を、アイビーは粒状の揚げ菓子を摘む。
「うん、うん。……すっごく、質感というか、そう食感、食感が面白いわ。甘さも控えめで、お茶の美味しさを邪魔しないのもいいわね。美味しいわ、とても美味しい!」
目を見開いて、何度も頷くオリヴィア。お菓子を頬張る口元は笑みを浮かべ、その瞳は子供のようにキラキラと輝いている。
「オリヴィア様…サクサク…これ、サクサク…美味しいです…ポリポリ…すごいです、美味しいです」
うさぎのようにお菓子を食べるアイビーに、ミモザとオリヴィアは思わず笑ってしまう。
「お菓子の色、形にも意味合いがございます。話半分でいいので、聞いていてくださいね」
ミモザは二杯目のお茶を注ぐ。あぁ、いつまでもこの穏やかな時間が流ればいいのに、口にしなくとも、この場にいる3人は同じ思いだった。時間は静かに流れていく。
――
「ミモザ、今日はありがとうございました。オリヴィア様も楽しそうでよかったです」
「ふふ、何よりだわ」
お茶会は静かに幕を閉じ、2人の侍女は食器や飾り付けを片付けている。
「でも、なぜ?」
アイビーの問いに、ミモザの手が止まる。
「オリヴィア様、ここ最近この庭でお茶を飲んでいらっしゃらなかったのは知っているわね?」
「それは……はい、なんとなく」
「お嬢様にとって、ここは憩いの場だったの。それが例の件から、辛い思い出になってしまった」
ミモザは手をぎゅっと握りしめる。その表情はどこか硬い。
「私は、悔しい。あの時、何もしてあげれなかった。ずっと……何も、できなかったの」
ミモザが俯いた。重力に沿って、ひとつ、ふたつと煌めく何かが零れ落ちた。
「ミモザ、……そんなことないです。そんなこと、」
アイビーは硬く握りしめた手を解き、そっと手を重ねる。
「だから、決めたの。」
震える声を抑えて、ミモザは顔を上げて、目元に光る涙をぬぐった。
「私がオリヴィア様のためにできることは、安らげる心地よい場所と時間を用意することだと」
「ミモザ……」
「それしか、出来ないけれど。これが、私の矜持なの」
夕暮れの冷えた風、ミモザの頬を優しく撫でた。
――
「お人形、2つももらっちゃったわ」
オリヴィアの書斎の机には、台座に乗った2つの人形。どちらも、瞳に金糸が使用されている。
「誕生日は毎年お父さまから、お人形をもらっていたのよね。でも、勉強が忙しくなってきて、お人形遊びができなくなってしまった」
いつからだろう。父からもらったプレゼントが本になったのは。美しいドレスでも、家具でもない。その本は女性向けの恋愛小説のような内容から、騎士道物語のような物まで。
「ん?」
じっと男性を模した人形を見つめる。どこか、ふてぶてしさを感じる。黒い髪に、黄色の瞳。意図せず彼に似せたわけではないのだろう。
「早く元気になることね」
オリヴィアは祈るように、その人形を握りしめて額に当てた。




