五話 黒き百合は舞い踊る
――月はゆるゆると溶け出し月光と化す。その蒼い光が街を淡く照らしていた。
ジャケット越しに流れ込んでくる冷気に身を震わせる。
寒い……けれど、自然と頬が緩むのがわかる。
寒いのは嫌いではない。いや、むしろ好きな部類に入るだろう。痛いほど冷たい冷気は体を引き締めてくれるようで……。
軽い足取りで公園に入ると、ベンチに座るゴスロリ少女を発見。
「よう、早いんだな、お前」
「ん? ……っと、宗司か。それを言うならアンタも、まだ九時半よ」
こちらを向いた魅霊の右手に板チョコが握られている。さっきまで食べていたのか、口の周りに少しチョコがついている。
俺の視線でその事に気付いたのか、慌てて口を拭う魅霊。……微笑ましいというか、マヌケというか。
「――ッ、なに笑ってるのよ。それより、そろそろ行くわよ」
「あれ、あと三十分くらいあるんじゃないっけ?」
「いいのよ、別にここでする事もないでしょっ!」
突っ込むと、がーっ! なんていう擬音がジャストフィットするような怒りを体全体で表現してくれる。
正直、最初会ったときの冷たい印象はなんだったんだー、って感じだが、これはこれで面白いから問題はないだろう。
◇
夜道を二人で歩く。一人は黒服にシルバーアクセをつけた男。もう一人はゴシックロリータの少女。
――うわぁ、すっげえ怪しい。不審人物二人組みだー。
俺は夜遊びをする学生に見えるかもしれないが、魅霊はどんな風に見えるんだ一体?
……ま、まあ考えても仕方がない。今は犯人捜しに勤しむとしよう。
けど、
「なあ、本当に適当に歩くだけなのか?」
「前も言ったでしょ。手がかり――というか、犯人の行動パターンが理解できないからね。自分の足で手がかりを見つけるか現場に立ち会うかしないと」
遠くから響いてくる車の駆動音。それ以外には二人分の足音しか聞こえない。それは、かつんかつん、と時計が時を刻むように響き渡る。
その時、ふと何かが聞こえたような気がした。
トラックでも足音でもない。例えるなら、滑空する鳥が風を切る音――
「wish――ッ!」
瞬間、魅霊が俺に足払いをかける。
清々しいほど綺麗に横転し、地面にキスをするはめになる。
「……っんの、いきなり何すんだお前は!」
視線に怒りを込めて魅霊を見やる。
その時見えたのは、右手の短刀で化物の爪を受け止める魅霊の姿だった。
この前、俺が戦ったのと同じ、鎧の両手に巨大な爪を付けた化物だ。
魅霊は俺に視線を向けると、地面を蹴り後ろに跳ねる。その勢いを殺すことなく俺を右手で掴み、一気に化物から距離をとる。
「まったく。あんなのに反応できなくてどうするのよ」
「う、うるせえ。普通の高校生があんなのに反応できるわけねえだろ!」
虚勢を張って言い返すが、正直生きた心地がしない。体がイカレたのか、冷たい汗が凄まじい勢いでだらだらと分泌される。
あの化物に視線を向ける。
巨大な爪を道路に擦りながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「……宗司。この前の戦いぶりはなんだったのよ、一体。……まあ、いいわ。お昼の約束を果たしてあげる」
先程も同じような動作で俺たちに迫ったのだろう。化物が空高く跳ねる。月光を反射し鈍い金属光沢が夜空で輝く。
それは自身を主張しているようだ。そう、昼の常識に囚われた俺の頭に、自分は今ここに存在している、と脳内に刻み込むように。
「それじゃ、魅霊さんの異形狩り。とくとご覧あれ」
そう言う間にも化物は近づいてくる。滑空しながら右手を振り上げ――一気に振り下ろす。
なんて単純な攻撃。しかし、単純が故に強力な攻撃。
滑空の勢いに化物の体重、振り下ろす勢い。それらのエネルギーが全て、あの凶悪なまでにデカイ爪に注ぎ込まれているのだ。そんなものをまともに受けたら、ただではすまない。
だが、それが振り下ろされる事は無かった。まるで、パズルのピースが崩れるように、化物の腕は空中分解したからだ。
「ギ――ッ!?」
わけがわからない、そんな言葉がその叫びには込められているのだろうか。
なぜ、自分の腕が崩れたのか?
なぜ、目の前の女は無事なのか?
なぜ――女の持つ短刀から、自分の血が滴り落ちているのだろうか?
そんな思考で埋め尽くされている事だろう。
――正直、俺も混乱している。辛うじて捉えられたのは、魅霊の右手が霞んだ事くらいだ。その次の瞬間には、あの出来事だ。
「馬鹿にしないで。そんな軌道が判りきった攻撃、わたしに当たるわけないでしょ?」
嘲笑するように、口元を吊り上げる。短刀から大粒の涙のように、化物の血液が滴り落ちる。
タン、タン、とダンスのように、リズミカルな動作で化物に向かう。
「さあ、踊りましょうか」
短刀を逆手に構え、舞うように一回転する。
スカートの裾が花弁のように広がり、思わず見入る。しかし次の瞬間、魅霊の服になにやら液体が付着する。そう、例えるならば、濃厚な赤ワインのような色の――
「あ――」
そう、それは血液だ。
見ると、まるで初めからそういう形の生物だったのではないか、と夢想するほど綺麗に胴体を断たれた化物の姿。だが、絶え間なく吹き出す血液が、欠落した部位がある事を周りに教えている。
その隣で、魅霊は血液を浴びる。黒いゴスロリ服は朱色に染まっている。肌は白と赤の斑となっていた。右手の短刀だけが、月光は反射して煌々と輝く。
――前に、魅霊の美しさは人形のようだと思った。けれど違う、人形などという魂の篭らないそれを彼女に当てはめるのは、凄まじい侮辱ではないか。
血のシャワーを浴び妖艶な微笑を漏らす彼女は、魔界に潜む悪魔とでもいうべきだろう。そう、危険な存在だと分かっていながらも見入られる――いや、魅入られる。そんな美しさこそ、彼女を現すに相応しい。
「ふふっ、どう? これでお昼みたいな質問はできないでしょ?」
化物の姿が薄れていく。それと同時に服にへばりついた朱色も消えうせ、元の黒に戻る。
「異形は本来この世界に存在しないもの。死んだら構造を維持できなくなって消えるのよ」
すでに先程いた化物の名残は無い。いや、道路にある爪痕。それだけが、常識外れの化物がいた事を告げている。
「しっかし、すげえな。あの化物を簡単に殺しちまうんだからな」
それは円舞のように。流れるような動きで化物を断つ姿は、強いだけではなく華麗だった。
だが……今の感情はなんだろう?
怒りにも似たそれが、魅霊を見ると沸き起こる。
それは、例えるなら嫉妬か。だが、何に対して?
「宗司。それ、この前同じタイプの異形を殺した人間の言うセリフじゃないわよ。まあ、悪い気分じゃないけどね」
満足そうに微笑みながら、ずっと地面に座りっぱなしの俺に手を差し伸べる。
その頃には、先程の感情は霧散していた。
「さて、それじゃ早く帰りましょ。また異形にあったらめんどくさいし」
そうだな、と言って公園へ向かう。公園から俺の家が近いため、そこまで送ってくれるらしい。さっきの状態を見て、一人にしておくわけにはいかない、と思ったんだろう。
……普通、逆だよなぁ。
別に率先して守ろう、などと大それた事を考えていたわけではないが、それでもこれは情けない。
まあ、あんな化物相手だ、仕方が無いのかもしれないが……。
「そういや、あいつ火とか使わないよな。って事は、事件とは無関係なんじゃねえのか?」
「関係があるかどうかは分からないけど、害意のある異形を狩るのも異法士の役目だし、ついでよついで」
……ついでであんな戦闘するのかよ。
今すぐ魅霊をオリンピックにスカウトするべきだろう。どんな競技でも金メダル間違いなしだぞ。
「それに、異形の事件も問題だしね。連続焼殺事件で影が薄くなってるけど」
――え?
「なあ、あの事件以外にも厄介な事があるのかよ?」
「あれ、知らなかった? 最近ニュースでやってたと思うけどね。行方不明者が出てる、ってやつ」
聞いた事はあるような気がするが……連続焼殺事件のアクが強すぎて、行方不明なんてのは頭に入ってこない。
だって、ただ人が消えるのと、マニアが好みそうな猟奇殺人。どちらが記憶に残るかと問われると、迷うことなく後者を選ぶだろう。
「そんな事より。着いたわよ」
魅霊の声を聞き周りを見渡すと、そこはすでに公園だった。
「悪いな。なんかさ、むしろ俺は足手まといじゃないか? 今回だって魅霊が助けてくれなかったら一発で死んでいたんだし」
――自分で紡いだ言葉だが、それが意味する事を想像すると寒気がする。
あの鋭利な爪。月光を反射して輝く白刃。それが俺の首に吸い込まれ、白と赤の斑になる。
……別に、恐いわけではない。けど、恐怖とは違う別の感情が胸を満たす。
それは、怒り。なぜ自分があんな低俗な化物などに殺されなければならないのだ――と。
首を振る。それは、突如現れた危険な思考を断ち切るように。
「安心しなさい。今のところ、たしかに足手まといだけど、だからっていきなり殺すなんてしないわよ」
おそらく用無しになったら殺されるのでは、と畏怖しているのだと思ったのだろう。安心させるように、たおやかに微笑む。
その笑みだけを浮かべていたら、とてもあんな戦いをした女だとは思えない。むしろ心優しい乙女のように見える。
「そうか。安心した」
……でも、なんで魅霊は俺を生かして使おうなんて考えたんだ?
さっきの戦いでもわかるが、足手まとい以外何者でもないというのに。




