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二話 黒き百合の異法士

 のそり、と緩慢な動きで布団から出る。

 体の節々が痛い。無理な運動でもしたか? ハンガーに吊るしてあるブレザーに袖を通しながら、そんな事を考える。

 昨日は普通に学校に行って、普通に夜の散歩を――


「――あ」


 そうだ。その時変な、変な夢を見た。

 普通にベンチに座りながら空を見上げていただけなのに、いつの間にか熟睡していたらしい。殺人鬼が出てるっていうのに、ノンキな奴だな、俺。

 しかし、嫌になるくらいリアルな夢だった。けど、時間が経てばその感覚も曖昧になってくる。


「そん時に、変な体勢で寝てたんだろ」


 いつもと違う形で寝たから、体に負担がかかったんだろう。……そんなに柔な体だったのかね。

 今度刀夜に鍛えてもらうか。そんな事を考えつつ、リビングに出る。

 そこでは、いつものように姉貴が朝食を作っていた。

 まあ、電子レンジでパン焼いて冷蔵庫から缶コーヒーを取り出して並べるだけだが。

 なんで缶コーヒーなのかと言うと、単純に家にコーヒーメーカーが無いからだ。

 買えばいい、そういう話になるが、俺も姉貴も一々作るのが面倒だという理由で未だに買っていない。

 ……別にいいさ。利点だってちゃんとあるし。冷蔵庫開ければすぐにコーヒーにありつける、という利点が。飲みたい時に飲める、うん、最高。


「うーっす、おはようさん」


 ひらりと右手を掲げながら、やる気の無い声で言う。 

 早速コーヒーのブルタブを――駄目だ、寝起きで力が入らない。飲みたいときに飲める神話が、ここで崩れた。


「ほら、開けてあげるよ」

「いつもすまないねぇ、ごふっごふっ」

「それは言わない約束だよ、おとっつあん」


 ……朝から何をしているんだ俺らは。自分でも頭が痛くなってくる。

 パンにマーガリンを塗り、はむ、とくわえる。うん、やっぱりパンにはマーガリンだ。


「ねえ、宗司……」


 恐る恐る、という言葉がカチリと結合するような声音で、姉貴が問いかけてくる。

 はふ? とパンをくわえているせいか、緊張感の無い音が口から漏れる。


「昨日の夜、何かあったの?」


 ――ああ、その話か。まあ、聞きたくなるのも無理はないと思う。


 自分の忠告を無視して外に出た弟が帰ってきて、怒鳴りつけてやろうとして外に出てみたら、疲れ果ててふらふら、その上なぜか放心状態。まあ、そりゃ驚くさ。

 何があったんだ、ってその場で聞くのが普通だろう。けど、姉貴はとりあえず俺を布団まで誘導して寝かせてくれた。疲れている所に質問攻めは堪えると思ったんだろう。

 ……ガサツに見えて、いつも他人の事考えてるんだよな、姉貴。口に出して言うのは照れくさいから、心の中で感謝の言葉を言っておく。……サンキュな。


「俺もよくわかってないんだけどな。たぶん、ぼーっとしてるうちに寝て、その時変な体勢だったから負担がかかった、って思ってるんだけどな」

「本当にそう? あたしは、なんか……凄い無茶な動きをした後みたいだと思ったんだけど」


 ……どうなんだろう。俺には、わからない。


「っと、んな事より学校だな」


 テレビを見ると、最近行方不明者が続出していますCMの後は連続焼殺事件についてー、なんて内容のニュースの左上にデジタル時計が浮かんでいる。――そろそろ準備をしないと間に合わないな。


「……わかったわ。それじゃあたしは大学に行ってくるから、宗司も早く行きなさいよ」


 了解っ、などと言いながら支度を始める。と、言ってもカバンの中身はほとんど空だ。学校の机の中に常時入れておくという、究極の忘れ物防止策をしているからだ。


「いや、ただ単に持って帰るのが面倒なだけなんだがな」


 自分の言い訳じみた独白に苦笑しながら、玄関のドアを開く。

 さて――行くか。

 妙な夢を振り払うように、いつもの通学路に足を向けた。

 事実、学校に着く頃にはそんな夢は頭から抜け落ちていた。


       ◇

 

 ――昼休み。それは、弁当持ち以外の野郎どもの戦場だ。

 いつ、どこで、誰が死んでもおかしくない。なぜなら――


「どけぇぇぇぇええ!」


 前方の一年坊主に体当たりをして、無理矢理コーナーの軌道を修正する。ぽーん、と吹き飛ぶ見知らぬ少年。

 ――とまあ、こんな感じに無茶な事が起こるからだ。『怪我をしたくなかったら昼休みのチャイムが鳴っても十分間外に出るな』、これは生徒達の暗黙の了解である。

 もし、それを破れば――先程の生徒のように、購買戦争に巻き込まれる事になる。

 再度廊下のカーブに差し掛かり、ドリフトの要領で上履きを滑らせる。ゴムが溶けるんじゃないかと思うほどの激しい音が昼休みの廊下に鳴り響く。


 そして――見えた!


 無数の男子生徒が群がる黒山、そこが俺のゴールだ。

 全力で駆け抜けて、その山の中に潜入。押し広げるように、自分の居場所を確保する。

 押し合いへし合い、地獄絵図のような状況の中、目の前に女神がいた。――無論ただの購買のおばちゃんだ。けれど、ここにいる奴らは皆そう思うだろう。

 おばちゃんの周りには誰も居ない。カウンターが周りにあるからだ。そしてそれが、まるでそこから先が不可侵の聖域のように見えるのだ。故に、そこに笑顔で佇むおばちゃんの姿を女神と錯覚する。

 しかし、この女神も中々厳しい。なぜなら徹底した、声が大きい奴優先じつりょくしゅぎなんだから。


「カツサンドにタマゴサンド。コロッケパンにアンパン――ッ!」


 ――喉が痛い。朝から体の調子が悪い上に全力疾走したんだ、まともに声が出せるだけ儲け物か。

 だが、この声は届くのか? くそ、届いてくれ俺のソウル――ッ!


「はい、五百六十円だよ」


 ――女神は俺に微笑んでくれた。

 俺は、この戦争の勝者となったんだ――――


        ◇


「うん。やっぱ運動した後のメシはウマイな」

「――連続殺人で次の死人が出るより、あそこで死人が出る方が早いような気がするのは、僕の気のせいかな……」


 苛烈な購買戦争の勝者となった俺は、いつも通り刀夜と教室で飯を食っていた。

 しかし、そろそろ学校側も何か対策を練った方がいい。購買だけで飢えた高校生の腹が満たされるわけねーだろうが。学食が俺がいる間にできる事を切に願う。

 いや、それ以前に昼休みにしか購買が来ないのがおかしい。早急な対策を求める。

 ちなみに刀夜は弁当だ。しかもけっこう豪華で、その上サイズが半端じゃない。俗に言うドカベンが二箱ある、と言えばどれだけの量であるか想像できるはずだ。


「ってか、相変わらずよく食うな……」

「そう? 僕は静間がそれで足りるのが不思議でならないんだけど」


 まあ、俺は男子高校生の中では少食な方かもしれない。けど、刀夜のは異常だろう。こいつの体の半分は胃袋だろうと、俺は半ば確信している。

 しかも食うスピードが半端じゃない。――その量で食べ終わるのが俺と同じってどういう事だ。

 しかし刀夜が言うに、


「こんなの普通だよ」


 だ、そうだ。

 いやいやいや、言わせて貰えば、明らかに普通じゃないだろう、それは。

 その事について小一時間くらい追及しようとしたが、刀夜のポケットから、


『あ、あの。先輩、電話ですよー』


 こんな感じで響いて来た甘ったるい声によって遮られる。いや、ちょっと待て、ちょっとどころか盛大に待て。それってまさか――


「あ、ごめん。電話だ」

「やっぱりか――ッ!」


 そうですか着ボイスですかしかも二次元美少女の後輩ですかそんな物を堂々と電話の着信設定にしてやがりますかこの馬鹿野郎は堂々とそういう事ができるキャラが確立されてるお前が心底羨ましいぞチクショウッ!


 ――なんか、自分でもよくわからん勢いで思考が流れたな。いや、んな事より――刀夜、それはマズイと思うぞ俺は。


 けど、電話を受けた刀夜の顔は真剣で、まるで暗殺依頼を受けた凄腕スナイパーみたいな顔をしている。


「うん、わかった。――ごめん静間。僕、今日は早退するって先生に言っておいて」


 疑問を口にする間もない。ものすごい勢いで教室から出て行く。

 ――って待て。


「おいコラ! なんだよイキナリ!」


 一応叫んでみるが、刀夜の姿はもう見えない。……相変わらず人間離れした運動神経してるな、アイツは。

 そういや、前もこんな事あったよな。いつだったかな、あれは……。


「おい静間。呼ばれてるぞ」


 その思考は、クラスメイトの声で打ち消された。

 そいつの方に視線を向けると、そいつは無言で廊下の方向に指を指す。


「おう、サンキュな」


 ったく、誰だよ一体?

 俺はあんまり同学年にあんまり友人がいないから、多分ゲーセンに入り浸ってる先輩の誰かだと思うが。

 そんな事を考えながら、廊下に出る。

 

 そこには、全く予想もしなかった人物。冬樹魅霊ふゆきみれいが立っていた。


「――えっと、お前が俺を呼んだんだよな?」


 自信がなかったが、人を待っているように見えるのは彼女だけだ。まあ、俺を呼んだ後全力疾走で逃げ出した。とかいう悪戯路線なら、まだ可能性はありそうだが……。

 しかし、


「ええ」


 と頷いたのを見ると、間違いないんだと思う。


「冬樹魅霊、だったっけ? ……それで、何のようだ?」


 正直、なんで呼ばれたのか分からない。

 雑談するほど親しくもないし、ちょっと面貸せワレェ、って校舎裏に連れ込まれるほど嫌われてもいないはずだ。


「その前に、アンタの名前は?」


 ――はい?


「いや、静間宗司だけどよ……。てか、知ってて呼んだんじゃないのか?」


 その言葉に、魅霊は「ううん」と言って左右に首を振る。


「アンタを探してたのは事実だけど、名前までは知らなかったわ」

「それじゃあ、どうやってクラスの奴に伝言頼んだんだよ」

「さっき大声で叫んだ男子を呼んでくれ、で通じたけど」


 ……なるほどな。

 いや、それはどうでもいいんだよ。問題は、なぜ魅霊という一年の女子が俺を呼んだのか、だ。

 そんな疑問が顔に出ていたのか、


「分からないなら教えてあげる」


 と言って、微笑んだ。けれど、俺の瞳を真っ直ぐに見つめる彼女からは、どこか尋問しているような雰囲気が出ている。

 まるで、自分の部屋に断りもなく侵入される感じ。――ハッキリ言って、不快だ。


「早くしろ。俺だって暇じゃねえんだよ」

「……けっこう暇してたみたいだけどね。まあ、そんな事どうでもいいわ。わたしが聞きたいのは、昨晩の事よ」

 

 ――――ッ!?


 心臓が、激しく脈打った。

 まるで、トリックで自分の罪を隠したというのに、容易く追い詰められた犯人のように。


「――ッツ」


 ……馬鹿か俺は。何を動揺している。昨日の夜の出来事は夢だ。夢、夢、夢夢夢!

 だって明らかにおかしいんだ。俺はあんな事できない。それにあんな風に、人ではないといえ刃で切り裂いて、その感触を愉しむような感性を持っていない。


「何言ってんだ馬鹿。俺は、特別な事はしてないぞ」

「そうなの? って事は、毎晩あんな事してるってわけ?」


 明らかに、俺が嘘を吐いている事を前提に話を持って行っている。

 それは、言葉巧みに欲しい情報を吐き出させる尋問官のように。

 背骨が凍る感覚。ぞわぞわ、と湧き上がる寒気。何に対してこんなに恐がっているのか理解できないのに、なぜか心は先程から警鐘を鳴らし続けている。


「まったく。異能の力を使って、あんなに堂々と戦っていたのに、白を切れると思っているの?」


 だが――彼女の言葉が、俺が抱いたネガティブな感情を全て吹き飛ばした。


「ちょっと待て。異能って、お前この力を知ってるのか!?」


 まるで日常会話に頻繁に出ている単語のような気軽さで、魅霊は言った。異能、と。

 異常な能力で異能、だと思う。それはきっと、俺の力を指している――!


「――まさか、知らない。なんて言うんじゃないでしょうね? あそこまで強力な異能持ってて、そんな事を――」

「うるさいっ! んな事より早く教えろ。その口ぶりじゃ知ってるんだろ、この妙な力を!」


 押し倒すほどに接近し問いかける。知りたい。俺の力が何なのかを。

 けれど、魅霊は疑わしい目で俺を見つめる。ああ、クソ。なんだって言うんだよ。

 ……待てよ、それなら――


「ああ、そうだよ。俺は昨日の夜、鎧みたいな化物相手にその異能っていう力を使って戦った!」


 昨晩の事。魅霊はそれが聞きたいと言った。それなら、こちらから教えるのが筋だろう。

 けれど、魅霊はありえない物を見たように、こちらの瞳を覗き見る。


「――信じられない。ここまでアッサリばらすなんて……」

「おい、俺はお前が知りたい事を話したぞ。今度はそっちの番だ」

「――わかったわ。けど、それは今日の夜。アンタが異形――化物と戦った公園で話すわ」

「ああ!? なんでだよ!?」


 なんで、ここで話さない。

 今まで生きてきて、ずっと解らなかった俺の力。それが、あと少しで解るっていうのに――ッ!

 そんな俺を、魅霊は呆れたように見る。


「周りを見なさい。この状態が、他人からどう見えると思う?」


 なんの事だ?

 言われた通り後ろを向くと――


「え、ええ? な、なんでこんなに人が――!?」

「わたしが壁際で、アンタが襟首掴みながら凄んでいるからだと思うけどね」


 ――なるほど。モロにカツアゲとかそんな状態じゃねえか。

 ああ、なんか視線が痛い。


「それじゃあ、今日の十時に集合ね。遅れないでよ」


 その間に冷静になりなさい。

 そう言って魅霊は一年の教室に向かうため、階段を昇っていく。ちなみに、うちの高校は一年が一番上で二年、三年、と下がっていくようになっている。

 って、そんな事はどうでもいいんだ。

 俺はこれから、この沢山のギャラリーにどうやって説明すりゃいいんだ。


      ◇


 冴え冴えと弦を張る月が、夜の闇を照らしていた。

 と、言っても。夜闇を追い払うのは大部分が街灯の役割だ。けれど、月の輝きがあるのと無いのとでは致命的な差がある。


「――ふー、は」


 深呼吸を一回。口内から吐き出される生暖かい息が白い煙となる。


 ――少し、緊張しているんだと思う。


 携帯を開いて時間を確認すると、八時半、いくらなんでも早過ぎだ。

 十時が待ち遠しいような、来るのが恐いような。そんな矛盾した感情が胸を満たす。


 ああ――きっと、恐いんだろうな。


 この力。魅霊が異能と呼んだ力が、どんな物なのか。

 それを聞いたが最後、自分が真に異常なのだと理解してしまうかもしれない。


「こんな力――」


 こんな力――いらない。

 ……漫画の主人公は気楽だよな。平然と人と違う力を振るう。

 きっと、そういった類の物語を書いている奴も、それを読んでいる奴も知らないんだろう。


 人と同じ事が、どんなに安心できる事かを。

 人と違う事が、どんなに心細い事なのかを。

 

「ハッ、俺らしくねえ」


 ベンチに座り、ネガティブな気持ちを流し込むようにコーヒーを呷り、


「ぐ、げはっ、ごふ」


 咽た。

 熱い熱い、熱いって! 今、絶対フリーフォールで気管に入ったから!

 もう、熱いし咳は止まらないし、最悪だ。


「――何やってるのよ、アンタは」


 ふと、後ろから呆れたような声音が聞こえてきた。おそらく魅霊だろう。

 ……まあ、呆れるよな、普通は。

 咳を押さえ込み、ゆらりと立ち上がる。


「お、おう。何だ、お前も時間よりはや――、」


 ――刹那の間、魅霊の姿に見惚れた。


 袖の膨らんだブラウスに裾の広いスカート。首筋にチョーカーを巻き、両腕には二の腕を半ばまで覆う長手袋。頭には百合の花のようなヘッドドレスが巻かれている。

 そしてその衣装は、魅霊の白い肌を引き立てるような闇色だった。

 俺の記憶が正しければ、これはゴシックロリータ。いわゆるゴスロリってやつだと思う。


「ええ、家に居てもやることは無いしね。――って、何よ一体。別にゴスロリなんて目立ちはするけど、そんなに珍しいものじゃないでしょ?」


 ……それは大きな勘違いだと思うが。

 それはそれとして、俺が魅霊に見惚れたのは、ゴスロリだからではない。

 それは、まるで中世の姫君のように美しくて――


「何よさっきから。頭に虫でも湧いたの?」


 ――訂正。こいつが美しいなんて思ったのは俺の気の迷いだ。

 俺は馬鹿な事を言うな、という言葉を視線に込めて睨みつける。

 だが魅霊はそれを涼しい顔で流し、こちらに近づいて、


「まあ、少し早いけど、始めましょう。貴方だって早く知りたいでしょ?」


 心臓が跳ねた。

 ああ、遂に来た。いや――来てしまった、と言うべきか。

 次の瞬間にも自分の力を理解したいという感情と、全てを忘れ日常に埋没したいという感情。

 矛盾を孕んだそれが、混ぜてはいけない洗剤を混ぜてしまったかのように、強い毒素と化し頭を揺さぶる。

 聞いたら自分が他人とは違う人種――異常者だと自覚してしまうのではないか。そう思うと、耳を塞いで逃げ出したい衝動に駆られる。


 くそっ――何を迷ってんだ、静間宗司。


 自分が異常なんて姉貴に会った時から分かってた事じゃねえか。

 これが最期のチャンスかもしれないんだぞ。いいかげん――覚悟を決めろ!


「ああ、頼む。俺の力、異能って力の事を教えてくれ」


 自分自身の事も満足に知らずに生きていくのは苦痛だ。

 この、いつ爆発するかも分からない異常な何か。それを抱えたまま一生を過ごす自信は、俺には無い。


「そう。わかったわ。――さて、何から話そうかな……」


 唇を指先で玩びながら、考え込むように唸る。


「えっと、ね。これを説明するならまず異法からかな。異法ってのは、要するに緻密なイメージね。普通、何か物質や現象を頭の中で思い浮かべても、どこか曖昧でしょ? その曖昧さを取り払って、現実世界でも遜色ないくらいにイメージを的確にすると、『世界』が『現実にそこに存在している』って勘違いするの。完璧じゃなくてもそれに等しいほどの、緻密なイメージが必要ね。

 ちなみに、異法が実際に発動したら――こう見えるわ」


 wish、という単語が発音される。

 すると魅霊の右手に、まるでパラパラ漫画の世界に途中から書き足されたような不自然さで、月光を反射する短刀が生まれた。


 ……言葉が、ない。


 まるで最初からそこに存在していたように、彼女の白い掌に握られている白刃。

 なんて幻想的な光景。それは、この公園だけがファンタジーの世界に取り込まれたのではないか、という無意味な空想が頭を過ぎるほどに。

 

「――これを扱うにはかなりの鍛錬が必要なの。破綻の無い緻密なイメージに、それがこの世界にあって欲しいと願う感情。この二つのどちらが欠けても成功はしないわ。――で、異法が技術だとして、手足のようなものが異能って呼ばれるもの。異能ってのは『世界』が許した例外で、その力は体の一部なの。どんなに『世界』の法則から外れた能力でも、手足を動かすように使えるってわけ。そう、貴方の力みたいにね」


 ――世界が許した例外、ね。つまりは、こういう事か?


 世界を一つのゲームに例えると、

 最初からキャラクターに設定されてる特技や魔法が『異能』

 プログラムを弄って、無理矢理ゲームには無い技を追加させる反則技が『異法』

『異能』は使うのは問題ない。なぜなら初めから使うように設定されてるんだ、使えないはずはない。

『異法』は無理矢理追加してる分、そのゲームに合わせた仕様にしておかないとエラーが出て発動すらしない、ってところか。それに、ゲームに付け加える技術があっても、付け加えようとしなければ意味はない。


「まあ、仕組みについてはよく分からんが分かった。けどさ、なんで俺はそんな能力を持ってるんだ?」


 完全にランダムなのか、なんかの条件を満たすと異能になる、とかさ。


「異能になる理由の事ね。それは、大雑把に分けて二つ。一つ目は、古代からそういう能力を伝えてきた家系に生まれる事。二つ目は、精神的に大きなショックを受けた時ね。貴方の場合は後者ね。静間なんて家は聞いた事ないし」


 精神的なショック。あの、大火事が引き金となったんだろうか。

 刀我の家にいた頃に記憶は無いからなんとも言えないが、俺にとって一番衝撃的な出来事といえばそれだろう。


 ――しかし、俺の悩んでいた事も、言葉にされて答えられるとほんの数分で語り終えてしまうほどの長さだ。案外、悩みってやつはそんなものなのかもしれない。


 無論、自分が異常者であるという事は変わらないから、根本的な解決にはならない。けれど、その力が言葉で表現できる物という事、それを知るだけでこんなにも楽になれる。


「さて、一応は全部語り終えた事だし、これからの事を話しましょうか。協会のルールに従ってね」


 ルール? 

 何の事だかサッパリ分からない。そんな感情が顔に出てたのか、魅霊は呆れたように溜息をつく。


「つまりね――こういう事」


 瞬間、魅霊は神速の弾丸となる。

 一瞬で距離をゼロにまで狭められた。そう認識した時には、既に俺の首には白刃が突きつけられていた。


「――なんの、マネだ」


 背筋が冷たい。嫌な汗が多量に流れる。

 呼吸も荒くなり、混乱し始める頭の中で、冷静になれと必死に言い聞かせる。

 けれど、冷静になろうと思えば思うほど、頭は熱くなっていく。


「協会のルールではね、協会に所属していない異法士または異能者は、見つけ次第殺せ、って事になってるの。一般人に情報が流れないようにね」


 彼女の笑みは、恍惚とするほど美しく、けれど、氷点下の冷気を内包している。

 マズイ、マズイマズイマズイマズイ!

 俺の足が、怯えていますと、がたがた震えながら魅霊に伝えてくれている。ああ、人間の感情って仕草で分かるんだな、クソッ!


「まあ、殺す以外にもやり方はあるんだけどね。アンタの場合、本当に異法や異能の事を知らなかったみたいだし。そっちを適用してもいいわよ」

「……条件でも、あんのか?」


 それでお願いします、と叫びたいのを必死に抑えながら言う。

 殺す、と言った舌の根も乾かぬうちに他のやり方があるなどと言ったんだ。きっと、裏があるはず。

 ――魅霊に視線を向けると、感心したような瞳でこちらを見ているのが分かる。

 ああ、そうだろうな。魅霊は、俺が後先考えずに返答をすると思っていたに違いない。


「ええ……協会に所属するなら大丈夫、殺さないわ。まあ、断ったらどうなるかくらい理解できるでしょ?」


 完全に脅迫じゃねえかこのアマ。美人に性格のいい奴がいないって神話は本当か!


 ――でも、きょうかい、か。話の流れで教会ではないだろう。なら、協力する会で協会か。


 所属していない奴を殺す。それは、そこに俺のような能力を持った奴がたくさん居るという事だろう。一人や二人の組織で所属していない者を――なんて事は言わないはずだ。

 ……この一秒後にも首から血を吹き出して倒れるかもしれないっていうのに、頭はどんどん冷静になっていく。むしろ、普段よりもクールな思考が可能となっていく。


「ああ、考えるまでもないよな」

「そう。で、どうするの?」


 答えなど既に知っている。そんな顔で、魅霊は嘲う。

 だから俺は、



「ほら、断ったら殺すんだろ? さっさと首を斬れよ」



 唇を三日月の如く歪め、魅霊の予想から完全に外れているであろう答えを叩きつけた。


「な……あ、アンタ、正気!?」

「ハッ、何を言うかと思えば。正気だからこそ、この答えだ」


 面白いほど狼狽する魅霊。ああ、そうだろう。お前はこんな答えを予想してないよなぁ、恐怖で半泣きになりながら承諾すると思っていたはずだ。

 けれど、それで生き延びたとして、そんな人生にどの程度の価値がある?

 ただ生きるだけでは意味が無い。それはただ死んでいないだけだ。そんな生に、なんの意味があるっていうんだ。


「アンタ、自分が殺されないとでも思ってるの? 人間の死体を処理するなんて、わたしには簡単にできるのよ」

「お前馬鹿か? 俺はな、そんな場所に行って自分の日常を崩されるくらいなら、サクッと死んでやる、って言ってんだよ」


 協会とやらが何をやっているのかは知らないが、俺は普通に生きたいんだ。

 朝起きて姉貴と話して、学校で刀夜と馬鹿な事をやって、夜に適当に散歩をする。

 それ以上、俺は求めない。けれど、それが二度と手に入らないとしたら? 似たような日常が永遠に消え去るとしたら? 


 その時、俺は求めるだろう――死を。


 俺は、自分の理想からかけ離れた世界で生きていく気力も勇気も根性もないんだから。

 ……魅霊は不可思議な物を見るように、俺を凝視している。

 信じられない、分からない、理解できない。そんな思考が脳内で大売出しされてるんだろう。


「……アンタ、死ぬのが恐くないの?」

「馬鹿言うな。俺だって死にたくないさ。けどな、俺は日常で生きるからこそ生きているのに意味があるんだ」


 それだけ言うと、そっと目を閉じる。 

 さすがに、自分の首が斬られる瞬間をリアルタイムで見る気にはなれない。

 死の恐怖。それはきっと、人間という概念に納まっている限りは逃れられない感情なんだろう。

 だが、この先に救いがないなら、構わない。さあ、殺せ。


「アンタ……変わってるのね」


 呆れたように、けれどどこか感心したような曖昧な声。首筋に突きつけられていた冷たい感触が離れる。


「名家の出じゃない後天的な異能者は、どこか超越者願望があるのよ。なんの努力もなしに突然、人には無い力を手に入れたりするから仕方がないのかもしれないけど」


 目を開くと、考え込むような仕草で唇に指を当てている魅霊の姿。……そういえば、異能について聞くときもやってたな、それ。


「ねえ、ちょっと取引をしない? 受け入れてくれたら、協会に引き渡さないし、殺しもしないから」


 ……これまた随分と都合のいい方向に話が進んでますなぁ。無茶苦茶、胡散臭いぞ。

 頭に全精力を注ぎこむ。

 考えろ。何が自分にとって都合がよく、何が自分にとって悪影響なものなのかを。


「……そんなに身構えなくても大丈夫。ちょっと仕事を手伝って欲しいの。まあ、これはアンタが言う日常のカテゴリに属するものじゃないけど、手伝うのは一回きりだから」


 さて、この言葉を信じるか否か。

 こっちの条件を受け入れなきゃ首を斬る、なんて事を言外に伝えて脅してから数分しか経ってない。いくらなんでも変わり身が早すぎじゃないか?


 ――だが、ここは受け入れたほうがいいだろう。


 なんせ、ここで断ったら即刻、この公園に新しい噴水が建設される事だろうしな。しかも濃厚な赤ワインのような赤い色水を放つ、特殊なやつが。 

 どうせなら、生きて日常を楽しむ事ができる可能性を最期まで追い続けなければならない。


「まあ、その仕事しだいだな」


 さてさて、どんな厄介事を掴まされるのやら。


「わたしの仕事はね、今ここで一般人を無差別に殺してる異法士の討伐。まあ、殺人鬼を見つけたら即刻殺せって事」

「殺人鬼退治、か……で、そいつどんな奴なんだよ?」

「細かいところは分からないけど、ニュースでよくやってるでしょ? 連続焼殺事件。その犯人を捜すの」


 ――? それは今、警察が必死に探してるやつだろうに。

 確かに焼き殺す通り魔なんてあまり聞いた事はないが、別に異法とか異能とかの非日常に生きてる奴が珍しがる要素はなさそうなんだが。

 その疑問を口にすると、


「ううん、これは完全にわたしたちの側。現場に必ず精神世界で現実世界に干渉した後――って言っても分からないか。つまり、異法を使った形跡が見られるの。それにね、日本の警察は優秀よ。常識の範囲ならトップレベルの犯人捜査能力を持ってる」


 つまり、この事件は常識外れの、異能や異法の側に属するもの、という事か。

 ……正直、あまり実感がない。

 その、警察すら見つけられない犯人を探すとか、その犯人と出会ったら殺しあう事になるとか、全てが絵空事のように思える。


「で、答えはどうなの?」

「その前に質問を一つ。その仕事を手伝うとしても、ちゃんと学校に行けるか?」

「大丈夫。活動するのは夜だけよ」


 なるほど。

 魅霊が語った様々な事柄を粗食し、そこから意味を取り込む。


 ――悪くは、ない。


 しいて言えば夜の散歩に変化が起こる程度だが、これからの日常のためなら仕方ない。


「おーけー、任された。――っと、こういう場合、自己紹介くらいしとくべきだな。俺は静間宗司、普通の高校生だ。力は『不可視の刃』を生み出す事。っと、こんなもんか。よろしくな、魅霊」


 すっ、と手を差し伸べる。

 何を求められているのか理解できないのか、俺の手と顔を交互に不思議そうに眺める魅霊。


「いや、だから、握手だよ握手。ついでに自己紹介もヨロシク」


 えっと、などと、少々どもりながら手を差し出す魅霊。それを強く握り締める。

 触れた掌は小さく、けれどごつごつしていて、歴戦の戦士を思わせる。


「わたしは、冬樹魅霊。身体能力特化型異法士よ。よろしく……宗司」


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