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エピローグ



 それから、しばらく後の話だ。

 無茶な動きをしまくった俺は、あれからすぐに病院直行ルート。今までにないほどの筋肉痛に火傷が数箇所。医者曰く、


「どうしたらこんな風に体を痛められるんだ」との事。


 燃え盛る薪を背負ってカチカチ山よろしく全力疾走したとしか思えない、などと言われて苦笑い。ま、本質的には間違いじゃないしな。ごうごう火を出す奴の攻撃から逃げ回っていたワケだし。

 ちなみに、見舞いに来たのは刀夜と草加さん、あと姉貴。クラス委員長が来たような気がしたが、あんまり親しくないんでよく覚えていない。

 ニュースではいまだ捕まらない連続焼殺事件の話で持ちきり。それを見るたびに笑ってしまう。もう、犯人はもう、生きていないというのに。


 そして今の俺は――――


    ◇


「くっくっく、そうだ! もっと持ってくるのだ栗栖三等兵! くはははは、いや、草加さんの飯は格別でありますねぇ」

「ま、いいけどさ……」


 呆れたように苦笑いする刀夜とともに弁当をつつく。

 一般人の静間を巻き込んだお詫びとして、何か一ついう事を聞く。という話になったわけだ。

 最初、草加さんに巫女装束を着て欲しいと言った。だが、いつもの笑顔に微量な殺意を感じたので電光石火で『草加さん手作り弁当をください』、に変えたわけだ。

 しかし、草加さんの巫女装束――むう、多少の殺意などに負けるべきではなかったと少し後悔。――あ、この芋の煮っ転がしうめえ。


「そういや、さ。魅霊が帰ってくるのって今日の夜だっけか?」

「……まあね」


 魅霊の話題が出た瞬間、ムスッとする刀夜。まあ、それはどうでもいい。

 ――あの事件が終った後、魅霊は俺を病院に送ってすぐに異法協会に向かった。なんでも、事件の報告がどうのこーの、と俺にはよく分からん話だったのだが。

 別に魅霊と一緒なら非日常の世界に足を踏み入れても構わんと思っているんだが、魅霊直々に「待っていて欲しい」と言われたら引き下がるしかないわけですよ。


「そうか、今日か――」


 明日からは一緒に学校に行けると思うと、知らず頬が緩んでくる。

 さてさて、何をするかね。

 一緒に弁当食ったり、姉貴と一緒に馬鹿な話をしたり、ああ、今年の文化祭を一緒に回るのも楽しそうだ。

 ……そういや今年で俺も三年か。魅霊よりも先に卒業してしまうのが残念だな。


「ん、そういや、さ。入院した時に言ったアレ。どうなってるんだ?」


 それはカズマと戦った時の妙な感覚。そして、刀我性格の消滅――いや、これは吸収って言った方が正しいのかもしれん。刀我の能力は静間の俺でも使えるようになっているワケだし。

 それを聞くと、ああ、などと軽く、


「あの男――和馬って人が紅家の人だからじゃないかな」


 刀我の家を焼き払ったのはその家系だし、と言う。――軽く言うなぁ、お前。まあ、へヴィな話が苦手だって事を知っているから、あえて軽い論調で言ってるんだろうが。

 ちなみに、刀我性格は構造を維持できなくなって消滅したとか。なんでも、惨殺者のプライドが俺の一言でズタズタに引き裂かれたんじゃないか、と。自分が自分のプライドを汚す、ってのも、中々妙な気分だ。

 そんな事を考えていると、チャイムが昼休みの終わりを告げた。明日を楽しみに思いながら、教室に向かった。


     ◇

      

 夜。姉貴に「散々あたしを心配させた罰だー!」とか言われて押し付けられた家事を終らせて、ベッドに横たわる。

 そんな他愛もない事が、事件は終ったんだと実感させてくれた。それに数週間前なら、夜の街を歩き回っていた時間帯だしな。


「――ん」


 半ば意識が眠りの海に引きずりこまれてきた。だが、まだ寝るのは早いと言うように、小さな音が俺をまどろみから引き抜いていく。

 なんだろう。この、かつんかつん、という小さな音。


「――まあ、いいか」


 多少の音なんて今の睡魔には勝てんのです。

 数秒後、意識は今度こそ眠りの世界に――

 グワシャアァァン! と、盛大な破砕音!


「なばっ!? て、敵襲か!? 皆の者、出合え、出合え――ッ!」

「……なに訳のわからない事言ってんのよ、アンタは」


 延髄反射でワケワカラン事を口走る俺に突っ込む誰かの言葉。数日じゃその性格は変わんないか、と呆れ果てたような声が響く。それは、ここ一週間で聞きなれた――


「み、魅霊!?」


 慌てて音が聞こえた方向――すなわち窓へ向かう。

 ……不自然な形に盛り上がっているカーテン。恐る恐る開いてみる。



 窓ガラスを突き破って室内に侵入している右腕が、ここにいるのが当然とばかりにそびえ立っていた。

 そして、電柱に掴まるゴスロリさん。

 ――――なんつー奇妙な光景。



「ちょ、おま! なにやってんだ! うわ、ホントに貫通してやがるし! なんですかノックするとかそういう穏やかな発想は無かったのですかアナタ!」

「ノックくらいしたわよ! ただ、いつまでたっても出てこないから、ついカッとなって……っ!」

「それにしたって貫通はねえだろ貫通は! ったく、久々に会ったていうのに……」


 もっと、マインドにぐっと来る再会ってのはないのか。そう言おうとして飲み込む。さすがに、それを真っ向から言うほど、俺は女に慣れてはいない。


「ま、それより。ちょっと付き合ってよ」


 付き合ってって……この時間に?


「ったく、強引な奴だ」


 確かに時間は遅いが、久々に一緒に話せるんだ、このチャンスを不意にする気はない。

 前のように電柱に掴まり、するすると降りる。


「で、どこに行くんだ?」


 少なくとも、ショッピングなんて出来る時間帯じゃないしな。

 それを聞いた魅霊は、月光のような穏やかな笑顔で、


「散歩。今まで一緒に歩いた場所を、ね」


 一瞬、その笑顔が翳ったような気がした。

 だが、それは気のせいだったのか、「さっさと行くわよー」と言って先を歩いていく魅霊。


「ま、本来の俺の趣味だわな」


 目的なんてなく、ただ夜の空気を感じるだけの徘徊。その時間を共有できる事が、なぜか嬉しかった。


      ◇


 ただただ、時間は穏やかに流れた。

 魅霊はやたら饒舌に話していた。あっちでなにがあったとか、同僚のアキタカって男が自分に体操着を着せようと画策していて困る、など、その他俺にはワカラン専門的な話を含め、今までにない勢いで話してくれた。

 それに相槌を打つことくらいしかできなかったが、知らない魅霊を知り、少し優越感を感じていた。


「あ――っと」


 ふと、歩みを止める魅霊。

 なんだ、と思い彼女の視線を追うと、非日常の終焉をかざった自然公園があった。

 だが、けっこうな規模の火事が起こり、今はそれが事故か放火か調べているらしく、立ち入り禁止になっていたはずだ。


「ねえ、ちょっと入らない」

「――へいガール? 日本語読めますかアナタ?」

「ちょっとよちょっと。ま、見つかれば気絶させるわ」


 危険な事を当たり前のように話すな。

 それに、あまりここには居たくないんだ。

 あの男――カズマって男を思い出すと、僅かな寒気がする。

 初めて見た時の恐怖に比べればスズメの涙程度だが、やはり心の奥底に刻まれた恐怖は、例えその性格が吸収されたとしても僅かに残るらしい。


「いいでしょ? そう――、一生のお願い」


 ……ま、こんなに頼み込んでるのに断るのもな。

 おーけー、と言って内部に侵入。この背徳感が、なんともいえない快感でもある。

 しばらく二人、無言で歩くと、あの場所に到着した。

 不自然に露出した土。周りの焼け焦げた木々はもう回収されたのか、もはやその姿は無い。


「いやー、けっこう派手に自然破壊したと思ったんだがなー。パッと見、地面くらいしか破壊の跡はねえなぁ」


 なあ魅霊、そう、同意を求めようとした。

 ――もし、この時に振り返らなければ、俺は知らずに命を落としていただろう。

 漆黒の空に一人きりの、孤独な月。それをバックに、魅霊があの巨剣を振り上げていた。


 ――――な。


 思考が止まる。理解が追いつかない。なにが起こっているのか、頭は答えを出す作業を停止させる。

 ひゅん、というワリと軽い音。だが、それは静間宗司という人間を瞬時に断裂させる事のできる破壊を秘めたモノだ。


「――ッ!?」


 頭は動かなくても、体だけは主人の危機を感じ取り、後ろに跳ぶ。ずがん、と地面に重機で破壊したような跡が残る。


「――お、おい、魅霊。これは、冗談じゃ、すまねえぞ。ま、まあ、ごめんなさい、って言えば、赦して、やる、さ」


 もし、避けるのが遅れていたらミンチ肉になっていた。

 口元が引きつる。引きつったまま、唇は希望を歌う。

 これは、何か悪質な冗談なんだ、と。そして魅霊は「いやー、ごめんね。あまりにも無防備だからつい」なんて、軽い言葉をかけてくれると信じて――


「ごめんね。これ、冗談じゃないんだ」


 掬い上げるような斬撃を紙一重で避けようとして――吹き飛ぶ。

 巨剣が纏った風は俺を軽く弾き飛ばす。急速に離れていく魅霊の姿を見ながら、その勢いのまま地面に叩きつけられる。


「あ、が――」


 背骨が軋む。衝撃で呼吸が上手くできない。いや、そんな事より、今の俺は心が痛かった。

 魅霊、どうして――その言葉が先程からエンドレスで頭の中で響く。


「みれ――どう、し……」 

「どうしてこんな事を、って言いたいの?」


 大剣を引き摺って歩く姿が瞳に映る。

 ――ぞくり、とした。

 その小さな体から放たれる濃密な殺気。それは、あの時戦ったカズマよりも。

「わたしが和馬と知り合いだって事は知ってるわよね? わたしが――彼の事が好きだった事も」

「まさか――」 


 それが――理由?

 好きな人を殺されたから?

 そんな馬鹿な、だって――


「あいつは、お前を殺そうと」

「そんな事は分かってるわよ!」


 月すら貫きそうな叫び声。それは、怒りのようにも聞こえ、嘆きのようにも聞こえた。


「……それでも、わたしは彼が好きだったのよ。どんな事をしても奪いたいって思ったのよ。そりゃ、あの時は、殺すのは正しいと思ったわ。けど――けど! 時間が経つと彼がこの世界にいないのを実感して、すごく、悲しくなって――彼を殺したアンタが、憎く、なってきて――」


『――その女が、殺人者だとしてもか? 彼女を――リーリエを笑いながら殺す狂人でもか?』


 あの時カズマが言った言葉。それを、寒気がするほどの戦慄と共に理解した。

 ああ――魅霊は、本気だ。

 体の力が抜ける。そうか、と僅かな諦めが心を浸す。


「はは――そう、か」


 魅霊のキモチに気付かず、俺はあの男を殺した。魅霊を守るためと、その行動に今日まで疑いを持たず。自嘲するような笑いが唇から零れ落ちる。

 ほんと――なんて、愚か。そんな独りよがりで、魅霊の心を追い詰めていたのか。

 思えば、異法協会に向かう時、俺を置いていったのは殺意から遠ざける為。だが、時間が経てば薄れると思ったそれは、逆に少しずつ膨張して今に至ったんだ――


「なあ、最後に少し、いいか?」


 魅霊は一瞬、警戒するように眉を寄せたが、俺では自分を殺せないという事に思い至り、動きを止める。遺言くらいは聞いてやろう、そう、思ったんだろう。

 おそらく、これを言ったら、俺は殺される。でも、心は水面のように穏やかだ。


「――ありがとな」


 宝石のような瞳が見開かれる。なにを言っているんだ、と。それが今から自分を殺す相手にいう言葉か、と。

 殺意は不可思議と合わさり、別の感情に変化する。それは当惑。


「いや、さ。俺、今まで自分がどんな人間だか、さっぱり分からず生きてきたんだよ」


 そう、不可視の刃。異能と呼ばれる技能。

 それらは、今でこそ俺以外にも似たような力がある事を知っている。けど、少し前は真剣に悩んでいた。

 俺は、一体なんなんだ、と。

 これは、思春期あたりの人間なら誰でも考える、どうでもいい事。でも、他人と共有する事のできない悩みは、次第に肥大していき心を蝕んでいった。

 理解者のいない悩み。そして――初めて出会った、自身の悩みを打ち明ける事のできる友人。


「お前には感謝している。ま――出会った時に先延ばしにしたツケを今払う事になっただけだ」


 異法士と名乗った彼女。自分と同じ――人には無い、力を持つ誰か。

 それは、とても嬉しい事だった。

 それは、とても楽しい時間だった。


「――ッ!」


 巨剣が振りかぶられる。その一撃は、今度こそ俺を叩き潰すだろう。

 そっと、瞳を閉じる。やっぱり、死ぬのは恐いわけで、剣が振り下ろされる瞬間をリアルタイムで見る勇気は俺にはない。


「最後に、もう一度だけ――ありがとな。たった一週間ちょっとだったけど、俺は、お前と一緒で楽しかった」


 何度か死にかけて、楽しかったってのも変だが、それは偽る事のない真実だった。

 風を斬る音が響く。全てを叩き潰すそれが、落下する。そして、地面が砕け散る音――


「――え?」


 微かな衝撃。瞳を開くと、俺の隣の地面が砕け、細かな石が体を叩いていたんだと気付く。


「ぅ――」


 小さな嗚咽。それは、巨剣を振るった魅霊の喉から漏れる音。

 がらん、と巨剣は両手から離れ、彼女は膝をついた。長い、絹のような黒髪が、顔を覆う。

 ふと、魅霊の体が土煙で汚れている事が気になった。せっかくの美人が台無しだぞと、ぼんやりとした頭は、そんな場に似合わない思考をしていた。


「魅霊――?」

「ずるい――そうじは、ずるい……! そんな――そんな事言われて――――」


 殺せるわけが、ないじゃない、と。途切れ途切れ、言葉を連ねていく魅霊。

 ああ――と、思う。魅霊は、二つの感情の真中で、風見鶏のように揺れていたんだ。

 思い人を殺されたという怒り、殺してやりたいという激情。だが――それと同時に、静間宗司という人間を殺したくない、という感情も、微かにあったんだ。


「魅霊――」


 踏みとどまってくれた彼女。それは――魅霊の心の中に俺がいたという証明。

 その事実が嬉しくて、しゃくりあげる少女の姿が愛しくて、その小さな体を抱きとめた。

 小さな驚き。それすら包み込むように、両腕に力を込める。


「宗司、なに、してんの――わたし、アンタを――」


 殺そうとしたのに、と微かな疑問。だが――


「そんな事、どうでもいい」


 そう、どうでもいい。

 今はただ、一緒に居たかった。


      ◇


「――ねえ、本当にいいの?」

「ああ」


 空に浮かぶ孤独な満月を眺めながら、会話する二人。


「でも、わたし――また、アンタを殺そうとするかもしれない。それでも――」

「そん時はそん時だ。それに、お前に殺されるのも悪くはないしな」


 信頼をした知り合いにして友人に殺されるなら本望。

 ――ああ、ホントウに。俺は世間とはズレている。

 殺人者である彼女を容認し、次の被害者が俺になる確率すら肯定するそれは、健全な人間ではありえない姿。 


「そう――」


 僅かな会話。それだけで伝わった。

 空の闇は少しずつ掻き消え、僅かな明かりが浮かび上がっていく。


 ――朝日、ねえ。


 くつくつ、と噛み殺した笑いを漏らす。その光景は、まるで三流作家の物語だ、それも滅茶苦茶な駄作。だけど――悪くは、ない。


「んじゃ、そろそろ帰ろうぜ。明日――いや、今日か――は学校だしな」

「そうね」


 あー、そういや窓ガラスどうすっかなー、などと考えながら歩みだした。

 隣を歩く魅霊の手を握る。思わず顔を赤らめる魅霊に、そんなロマンティックな理由じゃねーぞ、と告げる。


「窓ガラス、姉貴にちゃんと謝れよ。つーか謝ってください。これ以上問題起こしたら男子高校生がミイラで発見なんてニュースが流れますぞ……ッ!」

「ふふっ、それもおもしろそうね」

「なぁ――――っ!?」


 それは、退屈なまでに穏やかな時間。代わり映えのない日常。だが――それが、俺には嬉しかった。

 歪んだ関係。歪んだ異常の結末だ。なんて不恰好――だが、掌には小さな幸福があった。


      ◇


 きっと、誰かは言うだろう。こんな結末は赦せない、と。罪無き者――リーリエという誰かを殺した罰を与えよと叫ぶだろう。


 ――――そんなモノ、知った事か。

 

 俺は、自分の友人を――共に歩く誰かを守れればそれでいい。そう、例えそれが咎人であろうと。

 それが、俺の生き方。静間宗司という人間を形作る要素。それを変えるつもりは無い。

 ――分かっている。こんな信念、周りから容認されない。このまま行けばいつか罰を受ける事となるだろう。

 でも、それでも俺は――――


「宗司ー、アンタ何組になったの?」


 遠くから聞こえてくるやわらかい声音。



 ――季節は四月。俺は、彼女と初めて出会った木の下で、駆けて来る人影に笑いかけた。新たに幕を開ける日常の日々に思いをはせながら―――



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