十一話 刀我
歪む。視界が、意識が。
鮮明な景色。刃を振るい男を両断する殺人風景。そこからノイズ。ざぁざぁ、ざぁざぁ、と耳障り。
気付く。自分が何をしていたのか、罪悪感が吹き出す。けれど、それを押しつぶすように歓喜が押し寄せる。
ああ、こんなに 苦しい/愉しい のに、なんでもこんなにも 愉しい/苦しい のか。二つの感覚、二つの矛盾。
だけど、次第に歓喜が上回り、全てが歓喜に染まり始め、それを押さえ込もうとしたら気が狂いそうな痛み。
壊れそうだ。自分という存在がわからない。常識が塗りつぶされ、違う常識に置き換えられる。それを抵抗、そして激痛。死にたくなる。
救いを求め伸ばす腕は掴まれる事なく、コンクリートに落ちる。
助けて。消える。消える。いっそ殺してくれ。自分が自分ではなくなる。
すると、鳩尾に衝撃、薄れゆく意識。僅かな安堵。無意識の海に身を委ねる。
◇
「ぐ、うう――」
嫌な夢を見た、気が、する。
起き上がろうとして、身を焦がすような激痛。体中筋肉痛だ、今までのとはレベルが違う。動かすだけで苦痛の声が漏れてしまう。
いや、それより痛いのは、腹部――いや、正確に言えば鳩尾あたり、だな。痣になってんじゃないのか?
痛みが眠気を消し飛ばすと、ここが自分の家のベッドではないと気付く。
視線を横にすると、畳の上に敷かれたフトンの上で寝ている事が分かる。和室だろう。僅かに開いた襖からは心地よい冷気が入り込み、その向こうは広い庭。かこーん、と竹が岩を叩く音が鳴る。
「ここは――」
「あらあら、お目覚めですか?」
――心臓が止まるかと思った。
いきなり出現した背後の気配の方に視線を向けると、枯れ草色の割烹着を身に纏う女性。
「あらあらまあまあ、襖、開いちゃってますねー」
すみませんねー、と甘い声。
ふわりとなびく黒の長髪、覗く横顔を見て、彼女が草加一重さんだという事に気づいた。
「いえ、大丈夫っすよ。少し寒いくらいが俺には丁度いいんで」
「あら、そうですか? あ、そうだ。朝ごはんをお持ちしましたけど、食べますー?」
「あ、お願いしますさっきから腹へって――ってあれ?」
待て。なにかおかしい。ナニユエに俺は今このような状態に?
「あの、草加さ――」
「お味噌汁、どうです?」
「頂きます!」
……いや、そうじゃないだろう俺。でも、お盆にの上に載った料理の香りが――ああ、ちくしょう、今はどうでもいいさ。
手を動かそうとすると、だめですよー、とでもいうように俺の手を止める草加さん。あの、なんですか? お預けですか? 食べる前に芸の一つでもしないといけませんか?
「静間さん、体ボロボロなんですから動いちゃだめなんでよー? と、いうわけで、口をあけて下さいな」
「ほうほう、なるほど、そういう事か――ってなにぃいいいいい!?」
ラーメンなどに使うレンゲで掬い、
「はい、あーん、ですよ、あーん」
などとノタマウ草加さん。待って、待ってください。そんな嬉しすぎて死にそう――もとい、恥ずかしすぎて死にそうな事をやれと言うのですか!?
「ちょ、待っ! 落ち着いてくださいっ、傷は浅いですよ!?」
「わたくしは静間さんに落ち着いてもらいたいですねー、……そいやっ♪」
会話の途中、何の予備動作もなく口に突っ込まれるレンゲ。ほどよく冷まされた味噌汁が美味しい。さすが草加さん、見事です――って違う!
「ちょ、草加さんっ! 恥ずかしいから自分で――痛てぇええええ!」
いつものように腕を動かそうとして激痛。その隙を突いて口に注ぎ込まれる味噌汁、うう、勝手にしてください。あぁ、でも美味いなホント。
だが、更に追求せねばならないような事実に気付く。今、俺が着ているのは黒のジャケットやジーンズではなく、作務衣。いつの間に着替えたのだろうか?
頭の中に浮かぶ一つの仮説を心の中で否定しながら、そっと、草加さんに問いかける。
「あのー? いつのまに着替えたのでしょうか俺は?」
「あ、さすがにボロボロだったので、着替えさせてもらいましたー。わたくしのですが、サイズが合ってよかったです。あっ、刀夜さんにサイズを聞いたので着替え、買って来ましたよ」
――さぁて静間宗司くん。これがどういう事かよーく考えてみましょうね?
一つ、これが草加さんの服である事。なんかいい匂いがするような気がしないでもないが、おそらく俺の勘違い。というか妄想。
二つ、着替えさせてもらいました。これは、どういう事だろうか。させて、だ、『させて』。うむ、つまりは言葉の流れからして草加さんが着替えさせてくれた、という事でおーけー?
「――って、ええええええええ!?」
「わわっ、どうしました?」
言葉の割にあまり驚いているように見えない草加さん――いや、むしろ俺の反応を楽しんでる感じ――は、小首をかしげる。
「ちょ、ちょ、ちょお!? いや、その、ええ!?」
「落ち着いてください、静間さん。大丈夫です。汚れてた部分は隅から隅まで拭かせて頂きましたから。もうピッカピカですよ」
「そんなところを心配してるんじゃないんですけど!? てか新たに告げられた新事実がぁ――!?」
天然か、はたまた確信的犯行か、おそらく後者。……まあ、どちらにしろ言えることは一つ。この人、楽しんでる。俺のリアクション楽しんでる。
◇
騒いでる途中、「あー、そろそろ食器洗わないといけませんねー、あはは」などと言い逃走した草加さんを見送った後、質問を忘れていた事に気付く。ついでに今日は平日である事も。サボりですか。皆勤狙ってたのにっ!
「……いや、問題はそこじゃないだろ」
まったく、自分の間の抜けた思考に思わず笑みすら浮かびますよ?
しかし、退屈だ。なんか体が痛いから起き上がるわけにもいかないから、
――目をそらしたい事柄を、嫌でも考えてしまうじゃないか。
「は、あ。人殺し、ねぇ」
思いのほか動揺は無かった。いや、昨夜、吐き出し尽くしたのかもしれない。罪悪感や嫌悪感を全て夜の闇へ。
――殺されたほうも報われないだろうな。
憎悪の炎で焼き尽くすほど恨みを持っていたワケでもなく、殺した瞬間に歓喜に震えるわけでもなく、ただ殺したという事実を頭に思い浮かべるだけ。
「なんつー、自分勝手な人間」
昨夜の狂乱を過ぎてから、殺している自分が『普通』に感じるんだ。頭に刻まれた常識がこの感覚は異常だと告げる。だが、それだけだ。頭の知識としてあっても、理解ができない。
きしきし、と廊下が軋む音。それは俺がいる部屋の前で止まった。
「静間、起きてる?」
刀夜の声だ。ああ、と答えると、ゆっくりと襖が開いていく。
一重の着物の上に白の長衣を羽織った刀夜は、俺の隣に腰を降ろす。
「気分はどう?」
「最悪。せっかく、ここが草加さんの個人宅で、俺は今、草加さんと二人っきりだっていう妄想を膨らませてたってーのに」
「ははっ、それだけ言えれば大丈夫だね」
「まあな。体以外はいつも通りだぞ」
まじ体中が痛てえし。動かすたびに軋むような感じの痛みがするのは勘弁して欲しい。
「で、お前は答えてくれるのか? 草加さんは必死にはぐらかしてたみたいだけど」
「そのつもり。でも、草加さんの事を悪く思わないでね、僕が話したいから黙っていて欲しいって頼んだんだから」
――重い、重い声。できればあまり話したくない事実を伝えるべく、すうっ、と息を吸った。
「まず、何から話せばいいかな。静間、昨日の事はどこまで覚えてる?」
「ああ……俺が、殺して、頭がぐじゃぐじゃになって、誰かが俺をぶん殴って――そこで終わりだ。気付いたらここで寝てた」
そう、とだけ言って無言。言うべきか否か、まだ迷ってる感じ。
「さっさと言えよ。知らないより知ってる方が気が楽だ」
付き合いは長くはない、けれど普通よりも分厚い時間を過ごしてきたつもりだ。そんな俺に、隠し事なんてできるほずがない。
静間に隠し事はできないね、とだけ言うと、いつものように笑う。
「その殴って気絶させた人、僕なんだ」
庭から響くかこーんという音を皮切りに、唇を動かす。
「そうか」
「驚かないね、もしかして気付いてた?」
「いんや。でも、それが記憶に引っ掛かっててな、今の説明で納得できた」
そう、今、刀夜が羽織っている長衣。歪んだ視界に朦朧とした意識、その中で捉えた僅かな情報の欠片が今の話でかちりとはまった。
「て、事はだ。数日前に俺を気絶させたのもお前だろ?」
「あははっ、同じ服装だもんね、分かって当然かな」
「当たり前だ、背格好だってお前と同じだったし。――で、話す事ってのはそれだけじゃねえだろ?」
このくらい、俺らの間で遠慮するような事じゃない。気絶させるくらいどうでも――よくは、ないな。動けるようになったら鉄拳制裁をしなければ。
「うん。――静間も気付いてるんじゃないかな? 自分がおかしいって事」
「まあな」
異能なんていう力と、それとは別の妙な感覚。夜、異形を見る度に増していく衝動。かちり、とスイッチでも切り替えたように変化する自分という存在。全て全て、普通じゃない。
――あらためて羅列すると、これは……。
マトモじゃ、ない。無論、そんな風な事はよく考えていた事だ。けど、最近はそれに拍車がかかっていく。まるで、自分が改良――いや、改悪か?――されていく感覚だ。
「さっきのも含めて、これを知ってるって事は……。刀夜、お前、魅霊と同じ側の人間って事か?」
「……あの女と一緒にされるのは嫌だけど、まあ、そんな感じ。僕は異法協会所属異法士で身体能力特化型異法士、なんて呼ばれてるタイプの異法士だね。現在この街の守護者をしてる」
「守護者?」
魅霊が言っていたような気はするが……。
「あの女、そんな基本知識無しで一緒に戦わせてたの? ほんと、何考えてるんだか。守護者は、代々その地域を守る退魔士――ああ、面倒だから異法士で一括りしちゃって構わないよ――の事。まあ、要所だけ言えば、遥か昔からこの土地を異形から守ってる一族、かな」
刀夜が漏らす言葉の節々に魅霊へのトゲが含まれている事に驚きを覚える。普段、人を憎んだ事なんてありません、って顔をしているのに。
「話を戻すよ。静間がおかしいのは必然、というかな? 静間、昔の家の事、覚えてる?」
「刀我、だったな、確か。けど、それが――」
ふと、自分の過ちに気付く。
馬鹿か俺は、魅霊は始めに、こう言っていたじゃないか、
『異能になる理由とかの事ね。それは、大雑把に分けて二つ。一つ目は、古代からそういう能力を伝えてきた家系に生まれる事。二つ目は、精神的に大きなショックを受けた時ね。貴方の場合は後者ね。静間なんて家は聞いた事ないし』
冷静に考えればすぐに解る事。だが、後者だと確信してしまい、前者の可能性を捨て去ってしまっていた。なんて馬鹿野郎だ俺は!
「静間が気に病む事はないよ。異法士の癖してロクに調べなかった黒百合が悪いだけ。――で、問題になるのがその家なんだ」
古来からそういう能力を伝えてきた家系。つまりは、
「不可視の刃を伝えてきた――?」
「違うんだ。それは静間宗司一個人が持つ異能さ。……もっと別の、静間が最近、気付きはじめたものだよ」
一瞬、なんの事か分からなかった。だが、すぐにある可能性に気付く。
異形への惨殺衝動、そして、自分ではない自分。
「『性格反転』、それが刀我が伝えてきた能力だよ。刀我は異形殺しの一族でね、その家に生まれたら刀我の戦闘技術を教え込まれる。けど、昔から何かを殺す事を前提に訓練をしている人間は、高い確率で精神が歪になるんだ。結果、死体にしか愛情が浮かばない変態や、殺しを愉しむ狂人となってしまう。けど、刀我家の異能はその問題を解決したんだ」
それは、初めて魅霊に異能について問いただした時よりも、俺の上に重くのしかかる。
「刀我の異能は二つの性格を一つの人格が使い分けるようなもの。分かりやすく言えば舞台で登場人物になりきる俳優みたいなものかな? 惨殺者が主演男優、その影でエキストラとして一般人の役をしている」
――ちょっと待ってくれ。
心臓は早鐘と化し、激しく鳴り響く。うるせえ、黙れ。集中できないだろうが。
その言葉。それが指し示す意味は――
「気づいたみたいだね。そう、静間宗司という人間は日常に生きやすいように作られた登場人物。本来は、異形への殺戮衝動を起こす性格がメインなんだ」
つまりは、なんだ?
あの、化物を前にして狂ったように笑う俺が本物で、今の俺は、ニセモノだっていうのか?
だが、刀夜は首を横に振るう。殺戮衝動を内包した性格も、また登場人物。それらの性格を操る人格がある、と。
「でも、静間は運がよかった。性格反転は幼い頃からの訓練により、メインとなる性格は変わる。だけど、その訓練の途中で家が滅ぼされて日常に生きてきた。そのおかげで、メインの性格は普通とは真逆、一般人の性格が表に出るようになったんだ」
けど、と。そう呟くと、刀夜の表情が歪む。それは、烈火のような怒りであり、深い深淵に沈む悲しみでもある。二つの感情が溶け合い、後悔という毒素を放つ。
「本来メインとなるはずだった惨殺者の性格の意思は強くて、機会があれば出てこようと蠢く。けど、この現代日本で、そんな性格が出る可能性なんて皆無に等しいしね。けど、この街で起こった事件――連続焼殺事件、それと同時に生み出された異形のせいで出番が来てしまった。けど、途中で訓練を終えた静間は、性格を切り替えるスイッチが無い。だから、二つの性格の壁を切り崩し、表の部分を侵食していっていたんだ。その結果、僅かながら表の性格にも影響が出始めた」
兆候はあったはずだよ? と、刀夜。
――今だから解る。異形と戦う魅霊の姿を見たときの感情――それは、嫉妬。心のどこかで、俺もと、俺も殺したいと叫んでいた。
――ある夜、魅霊にコーヒーを渡し、苦味に悶える姿。それを見て、もっと苦しませたいと願う自分がいた。
「でも、まだ大丈夫だよ。完全に変わったわけじゃないでしょ? 静間は静間だし、深く考える必要は無いよ」
「だけどさ、俺、人を殺したっていうのに、罪悪感がないんだぜ? いや、むしろ清々しいくらい。こんな奴、まともじゃないよ」
「大丈夫さ。いくら侵食されてるっていっても、まだメインは静間宗司という性格だからさ」
少女のような顔を悲しみで歪める。溜息をつき、呟く。
「――今は休みなよ。学校と望さんには連絡してあるから」
「……分かった」
◇
ふと、目が覚めた。
布団から這い出て、空を見上げる。痛みは気力で捻じ伏せる。
朗々と輝く月は淡い光を放ち、夜の街を微かに照らす。
「――」
窓から外に出る。周囲に人の気配は無い。おそらく刀夜は夜の見回りだろう。好都合、おかげで簡単に外に出られる。
――もう一度、魅霊に会おう。
今、思い返すと、魅霊と一緒に戦うと誓ったあの時も正気ではなかった。おそらく、首に刃を突きつけられた瞬間、刀我の性格が覚醒したんだろう。あの時、日常を守りたいという思考は建前で、俺はただ、異形と戦いたいという衝動に身を任せていた。
いつもの公園に向かい、ベンチに腰掛ける。今は何時くらいだろう。携帯が無いのが悔やまれる。
それに、いくら寒いのが好きだといっても、作務衣だけでは寒すぎる。どうせ夜で人と会わないんだろうから、布団を羽織ればよかったかもしれない。
ははっ、と笑う。ああ、夜が愉しい。空に浮かぶ月も、その明かりで木々も、世界を型作る因子だ。
しばらく空を眺めていると、微かに足音が響いてきた。少しずつ近づいてくるそれを聞きながら、そっと物陰に隠れる。
足音はベンチ付近で止まり、しばらく無言。だが、諦めたように溜息をつくと、
「やっぱり、来ない、よね」
寂しげに、呟いた。
遠ざかる足音。物陰から出て、肩を落としたその姿に思いっきり蹴りを放つ。「はうぅっ?!」などという奇声をあげ、地面にダイブ。その『ゴスロリ服を着る魅霊』に指を突きつけ、
「はぁ――っはっはぁ――! 戯け、どんな状態でも背後に注意を怠るでないとあれほど言ったであろう馬鹿弟子がぁ!」
思いっきり高笑い。だが、見上げる魅霊は呆然と、なんの事だか理解できていない顔。
「……あー、ミレイさん? 個人的に、反応が無いと、寂しい、です」
「宗司――なんで?」
「なんで、って言われてもな。深い意味はねえよ」
そう、深い意味なんて無い。友人と語り合うのに理由が不要なのと同じで、俺が魅霊に会いに行くのに理由など不要だ。
それに――
「約束も、したしな」
一緒に戦うという誓い。例えそれが刀我の性格が望む事でも、約束したのは間違いなく俺だし、なにより、
「ここまで来たんだ、最後まで付き合うさ」
ぼんやりと、ただ俺の顔を見る魅霊。だが、獰猛な笑みを浮かべ、立ち上がる。
「そう、なら気を引き締めなさい。異形生み出す男が死んだから、犯人も焦ってるはずよ。近いうちに直接対決する事になるわ」
「上等。行こうぜ、夜の世界へ」
公園の外に出ようとすると、二つ分の影が地面に映っている事に気付く。だが、角度的に俺と魅霊ではありえない。
「――――静間を誑かしたのか、薄汚い黒い花」
気の弱い奴ならそれだけで殺せそうな、濃密な憎悪。一瞬、誰の声だか理解できなかった。だが、すぐに気がつく。その中性的な声音は――
「刀、夜?」
小柄な体を覆うのは、昼の空に広がる雲のように清んだ白の長衣、夜の暗雲のように黒ずんだ袴、両の腕を半ばまで覆う金属光沢を放つ手甲。そして、信じられないほどの怒り。
――誰だ、こいつは。
つい最近、似たような事を考えたな、と冷静な部分が告げていた。
「あら、守護者さん。街の見回りはどうしたの?」
「黙れ畜生。お前はどこまで静間を破滅させれば気が済む」
どういう事だろうか。その疑問に答えるように、刀夜はやさしく諭す。
「静間、前に二つの性格の壁が崩れかかってるって言ったよね? 今でも一般人の性格が表に出ているのは奇跡なんだよ? これ以上、戦ったらきっと――」
ああ、そのくらい何となく理解していたさ。けど、けど俺は言う、
「悪いな、刀夜」
と。
今なら解る。俺は、静間宗司は冬樹魅霊と一緒にいるのが好きだ。
常人には届かない高山に咲く花のように、美しく、孤高な姿に引かれる。
そして、刀我としての俺も魅霊を好いている。
気高い戦乙女のような、強さと美しさを兼ね備えた姿に、惹かれている。
だから、俺は――
「俺は魅霊と一緒ならどうなろうと構わない。魅霊と一緒に居られるっていうのなら俺は、日常を捨てる」
「そう――じ?」
困惑する魅霊を抱き寄せる。この温もりがあるのなら、今まで生きてきた世界など、惜しくは無い。
「迷惑か?」
「――そんな事はない。ない、けど」
それだけ言うと、俯く。
ざぁ、と風が吹く。夜に揺れる黒髪、いや、揺れているのは心だろうか。
「まだ、答えられない。けど――嫌じゃない事は確か」
ああ、その言葉だけで十分だ。
「刀夜、そういうわけだ。退いてくれたら嬉しいんだけどな」
「――静間は、その女の事を詳しく知らないから、そんな事を言えるんだよ。嬉々として仲間を殺すような女、信用できるわけないじゃないか」
――一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
刀夜は俺の驚愕を煽るように、言葉を連ねていく。
「彼女、冬樹魅霊が黒百合の二つ名を持つ前の事だよ。この女は、ある任務の最中に事故に見せかけて仲間を一人殺した。――もっとも、殺す瞬間をもう一人の仲間が見ていてね、結果、その事実は異法協会の上層部に伝わった。本来なら、処刑されるはずだったんだけどね。彼女のずば抜けた戦闘能力を手放すのは惜しいと考えた上層部は、その事件を無かった事にした。もちろん、記録として無かった事になっただけで、今の協会の皆知っている。――それからかな、この女がこの名前で呼ばれる事になったのは」
魅霊の顔が歪む。痛みに耐えるように、唇を噛む。
「近づくだけで呪いを撒き散らす黒の花――黒百合ってね」
声に乗る感情は侮蔑、そして怒り。一緒に会話するだけで反吐が出る、と言うような感情が込められていた。
刀夜は、魅霊と一緒にいれば、静間も殺されてしまうかもしれない、と言外に告げていた。
だが、
「それが、どうした」
染まりはじめた意識は、もはや止まらない。
「それがって――」
「俺は別に死んだって――まあ、少しは恐いが構わない。それに、他人を殺したなんて事実、知った事じゃねえ」
「そんな――もうそこまで」
刀我に染まってしまったのか、と。絶望を孕んだ声が投げかけられる。
「違う。まあ、拍車がかかってるのは事実だろうがな。前にも似たような事、言ったろ?」
『人間ってそんなもんだろ? 自分が関係無けりゃ大抵の事はどうでもいいんだよ』と。
そう、他人なんてどうでもいい。もし、知人一人を救う代償に、見知らぬ人々が何千、何万、何億死のうと、俺には関係ない。俺は――俺の知り合いだけを守れればいいんだ。
「だからさ、関係ないんだよ」
危険な思考だと理解はしている。だが、変えるつもりなどない。少なくとも、見知らぬ他人と自分の友人を同列に扱うような正しい――けれど冷たい人間になるよりは、俺は危険でありたい。
「ふふっ、なるほど。静間はやっぱり静間なんだね」
「ああ」
背を向け、立ち去る刀夜。その後を草加さんが追う。
路地に消える前に、一度立ち止まり振り向いて、
「黒百合、僕は君を信用したわけじゃない。もし、静間に何かあったら――殺すから」
そう付け加え、去っていった。
そして、公園に静寂が訪れる。
「――今日はもう帰りましょ」
「賛成だ。まだ体いてぇし、休み足りない」
「そう、じゃあこれで」
また明日ね、と帰路へ向かう魅霊の手を掴む。どうしたの、とでもいうような、不可解な顔で振り向く。
自分でも、理由は分からない。ただ――今、一人にしてはいけない。そう、漠然としたイメージが離れないのだ。
「いや、さ。連続で無断外泊しちまったから、姉貴にあわせる顔がねえんだよ。だから、お前の家に泊まってもいいか?」
少なくとも、嘘ではない。俺の力を少し知っている姉貴だが、この状態を説明できるかと問われれば否、としか言えない。
もし、なんの手立ても無いまま帰っても拉致監禁されて説教二十四時間耐久、なんて事にされかねないしな。
そんな、誰に言うでもなく言い訳を脳内でまくし立てていると、魅霊は呆れたように溜息をつき、
「まあ、その――別に構わない、けど」
「そうか。なら、さっさと行くか」
俯き、ぼそぼそと喋る魅霊の手を取って歩き出す。
そんな――幸せな時間。




