十話 刃ノ式
姉貴の目を盗み、家から抜け出す。
ざぁ、と細身の枝たちが揺れる。寒い寒い、そう言いながら身を縮ませるようだな、とぼんやりとした頭で考える。
「――いい夜だ」
海底のような静謐さを内包する空間が体を包み込む。そこで悠々と歩く俺は深海魚ってところか。なら、靡く黒のジャケットはヒレか。
こんなどうでもいい事ですら、頬は緩み、声帯は笑い声を放つ。
最近、夜が待ち遠しい。いや、今までだって夜は好きだし、楽しみだった。だが、最近は尋常じゃない。胸が高鳴る……いや、想い人を待つ少女……そんなレベルじゃないか――あぁ、くそ、少ない語彙が怨めしい。
そんな自分がピエロのようで、さらに笑いを煽る。誰か俺にドラッグでも打ったんじゃねえか? それも深夜だけに効能が発動するようなやつ。
ふざけた思考で頭が埋め尽くされた頃に、そいつは姿を現した。
白。月の光を照り返す純白だ。その色を身に纏った男が、公園への通り道に立っていた。
「よう少年。元気そうじゃないか」
「まぁな」
ひらひら、と手を振りながら通り過ぎる。
「待て、少年。お互い全快したようだし、殺り合うなら今だと思うけどね?」
「生憎、さすがに一人であんたに勝てるとは思ってねぇ。魅霊でも呼んでパーッと騒ごうかと思ってさ」
軽い会話。だが、俺の手は冷たい汗で濡れる。さすがに今はマズイ。死ねるから、ほんと。そう言うかろうじて冷静な部分の意見を拾い集め、言葉に変換していく。
やべえ、まじやべえ。一気に振り向いて刃振り上げ特攻したい衝動が胸の中をぐるぐると這いずりまわる。なんか今、俺やばいですよ? 後で思い出したら自分が狂ってるんじゃないかと悩みそうなくらいに。
「それは困るな。オレにはあんな化物を相手にする実力は無いんでね。勝負はここでつけさせて貰うぞ」
ピンと一回指が鳴る。それと同時に生み出されるのは、昨夜に出した首なし人間に犬の生首を乗っけたグロテスクな剣士。ニューフェイスでも出るかと思っていたが、見損なったぞ。
一歩、化物が足を前に出す。背中に走り抜ける悪寒。けれど、それが快感。ぞくぞくしてキモチイイねぇ、そう来なくっちゃ。
刃を生み出し、化物に先端を向ける。無粋な雨も無い、真の夜。いいねえいいねえ。
「ま、ちっと絶望的ではありますが――殺り合おうぜ、化物」
地面と平行に剣が走る。屈んで回避するが烈風が側面を打つ。剣圧、とでも言うべきか。それによってバランスが崩れ、立て直した時には既に巨剣が顔面を叩き割るように落下して来る!
すかさず右手の掌の中心点に刃を生み出すイメージを思い浮かべ、手近な壁に向かって突き出す。
コンクリートを薄く削りながら刃は俺を後方に押し出す。化物の剣が鼻スレスレのところで通り抜けていくのにヒヤリとしながら、立ち上がりサイズ修正。刀程度の大きさになった刃を構え間合いを計る。
「――愉しいねぇ」
一歩間違えば頭蓋骨が叩き斬られてた! ぞくぞくするね、最高だ。
三日月型に歪む唇の感触を感じながら、低姿勢で疾駆する。ぶった斬る為に化物の剣が疾風と化すが、遅い遅い! 俺を止めたきゃ神速で振るいやがれ!
勢いを殺す事無く跳躍。軌道上に化物の頭。刃を抜刀の要領で振るう。俺が着地する頃には、後ろで重い物が落ちる音が夜に響き渡った。
「いやいや、まさかあんな化物にも首に骨があるとはねぇ。てっきり載ってるだけだと思った」
「おや? 少年、昨日より動きがいいね」
「ああ、昨日は雨だったからな」
刃に纏わりついた水滴がサイズを相手に伝え、少なからずこちらの手を教えてしまう。故に、雨という天候は俺にとって最悪の条件と言っていい。
先程だって、俺の間合いが分からないからこそあの化物は早い段階で剣を振るったのだ。ある程度、接近されると間合いがあやふやになり、混乱してしまう。故に、近づけぬ為に先手を打つ。だが、そういう行動に出てくると知っていれば、ある程度行動に予測がつく。突き、薙ぎ、振り下ろし、袈裟斬り、なんでもいい、とにかくこのタイミングで出てくると分かればそんな攻撃など無駄なのだから。予測がつく攻撃ほど避けやすいものはない。
「さぁ……次の化物を出しやがれ! 欲求不満でしかたねぇんだよ俺は! さっさと殺らせろ! 出した奴、全て斬ってバラして抉って潰して刺して犯してやるからよ!」
――なんて痛快! 日常のしがらみから解き放たれた俺は一匹の獣。その獣を繋ぎとめる鎖は喪失し、俺は歓喜の笑いをあげた! いいねいいね、最高だ!
「少年。君、名は?」
「静間宗司……つーかどうでもいいだろんな事! さっさとしろ、顔面に白濁の液体ぶちまけっぞ!」
「――勘違い、か。性格の変化が似ているからまさか、と思ったが……ま、どうでもいいな」
ずん、と地面を揺らし姿を現すのは巨大な岩人間。すごいね、どういう原理で動いてるのやら。関節とかも全部、一繋がりの岩じゃねえか。普通、繋ぎ目とかあるだろうに。きっと硬いぞ、あれ。
試しに疾駆し、脚に刃を振るう。角度、勢い、力加減、共に最高の一撃だと思うのだが、刃が崩れる感触。普通の剣で言う刃こぼれってところか。つーか硬すぎ。鉄くらいは気合入れたら斬れるくらいの自信はあるんだがね。
「どうだ、鋭い刃も無意味だろう?」
「心底同感。正直、俺がこいつ倒すのキビシイ」
腕力に自信がないから砕くわけにもいかず、かといってチリも積もれば的な戦術も体力が持たないので却下。うわぁ、相性悪いねこの人。いや、化物だけどさ。
「まっ、――やってみるさ」
地面を蹴り大地を這う烈風と化して刃を突き出す。勢いのついたそれは化物の胸板に届くが、僅かに削っただけで終わり。次の瞬間、真横から振るわれる豪腕を屈んで回避。だが、反対側の腕も同じタイミングで振るっていたのか、胸の真ん中で激しい音をたてて組み合う。まて……これってまさか――!?
「――っち」
噛み合った両手が、鉄槌のように振るわれた。
慌てて相手の股を潜ると、すぐ後ろで化物の拳がコンクリートを砕く音。背中に当たる砕けたコンクリートの塊に眉を顰めながら立ち上がり構える。
――マズイな。
倒す術が考え付かない。今は軽々と避けているが、体力が尽きたら、そこらに散らばるグロ画像なんて目じゃねえぐらいのミンチに変化。冗談じゃない。
ビルを砕くクレーンハンマーのような勢いと質量を内包した豪腕が、再び俺へと放たれる。前方に刃を生成、衝撃を受け止める盾の役割を与える。だが、容易く砕け貫通。腹に重い一撃が叩き込まれる。口内が熱い。酸っぱい味と鉄っぽい臭い。
本格的に、マズイ。死ぬ、殺される。ふざけやがって。殺してやる殺してやるハラワタばらまいて空いた穴に手ぇ突っ込んでかき回してやる――――!
だけどだめだ、これじゃ駄目だ。静間宗司という肉体を動かす要素が欠けているような錯覚。
そう、それは――遥か、彼方の――
――その時――何か、知らない――知っているはずのない、知識が――
そう、それは、泥のように濃密な、殺戮の意思。全てを暗い水面へと沈めるような、漆黒の感情。
頭が軋む。忘却した何かが這い上がり脳を圧迫する――そんな感覚。意識が溶け、何かと混ざり合うイメージ。鮮明に浮かび上がる何か。失せろ失せろ失せろ、と俺の意識を犯し砕き変質させていく。
「あぐ、ぎ――は」
頭とは無関係に体が動く。
ぎしぎし、と体が軋むくせに、今まで以上に軽やか。
「ぐ、く、は――ざけやガって」
――刀我異能技法刃ノ式。そんな言葉が、頭に浮かんだ。
ガチン、という金属質な音が響いた気がした。
◇
おかしいな、そう感じたのは数分前の事。その時から冬樹魅霊の表情は移り変わる。
始めは怒り。時間に遅れた愚か者に対するそれは、次に困惑、最後に心配と化す。
「――どうしたのかしら」
静間宗司という人間は大雑把な部分もあり、変人でもある。だが、約束した時間を簡単に破るような人間ではなかった。一度だけ遅れた日も、姉の目をどうやって盗んで外出すべきか悩んでいたからだ。
だというのに、既に約束の時間は十分以上過ぎている。
――携帯電話、持ってたらよかったかな?
現代日本において連絡の常套手段。望に捕まって家から出られないのなら、それで連絡すれば事足りるだろう。今度買ってみようか、と一人頷く。
――様子、見に行ってみよう。
擦れ違いになる可能性はたぶんない。この前みたいに遠回りしていなければ、だが。
「深夜徘徊が趣味って、どんな暗い人間よ」
宗司曰く「なんか落ち着く」との事だが、それが魅霊には理解できない。夜とは非日常の時間、古来より化生や異形、妖怪などが闊歩する人とは相容れない時間のはず。
人工的な明かりで包まれた街並が好き、ならばまだ理解はできる。そこは擬似的な昼の世界、人の世界なのだから。人間の本能は暗闇を恐怖する。なぜなら、そこに何があるのか理解できないからだ。故に、人は火で、ガス灯で、電灯で、夜を照らし不安要素を光で覆い隠してきた。
「だっていうのに――」
静間宗司。
異能でありながらそれをひた隠し生き続けてきた男。日常が好きだという、けれど夜を好む。――僅かな矛盾。それが、魅霊の興味を引いた。
刃を首に押し当て、脅迫したあの時。
日常から外れるのなら死を選ぶと、なんでもないように口にした姿。けれど、学校ではそこらの学生と同じように笑う彼。だが、初めて見た時の狂った殺戮者の風貌。理解が、できない。
そんな風に、最初は観察しているだけだったはず。だが、いつからだろう。彼が気になり始めたのは。
冬樹魅霊。
彼女はある事件から異法協会内部でも畏怖の目で見られている。そして、学校でも皆どこか違う雰囲気を敏感に感じ取り――そうやって人は離れていく。
だというのに、宗司はまるで何事もないように、そこらの学校に通う女友達に話しかけるように笑顔を振りまく。誰かと一緒に昼食をとるなんて、何年ぶりだっただろう。歳の近い誰かと街で遊び歩くに至っては初めての経験だ。
そんな彼が、昔の相棒に重なって。
「……ッ」
今思い出しても胸が痛む。あの時、もう少し自分に理性的ならば、関係は壊れる事はなかっただろう。
――考えても仕方ない事。もう終った事なんだから。
頭を左右に振るい、宗司の家に向かう。
その途中、思わず目を見開いた。
「――ッ!?」
視界を覆うのは赤色。所々に灰色の脳漿が散らばり、千切れた肉に骨が突き立つ。その中心で舞うのは、静間宗司であった。
「くは、はははあはははははぁ!」
尋常ではない笑みを浮かべ、血液が張り付いた刃を振るう。その合間を縫って鋼の獣が懐に入り込む。腕を噛み千切るべく銜えこむと、獣の口から膨大な血液が流れ出した。
それは宗司のものではない、見ると、獣の眼球は内部からの刃で貫通している。腕を銜えさせ、喉に腕を突っ込み、内部で刃生成、内部を崩壊させたのだ。
「――ありえねぇ」
震え、引きつった声。脚は工事現場のドリルのように震えている。指からは絶えず弾く音。そして生み出される異形は、ものの数秒で惨殺されていく。
岩の異形――おそらくゴーレムを模したのだろう――が姿を現し、宗司に向かって疾駆する。だが、彼は笑みを崩さず右手の刃を刀術で言うところの抜刀の形に構え駆け出す。
「――落命」
神速で振り抜かれたそれは、異形の胴を薙ぎ払う。ずるり、と上半身がズレ、下半身だけが勢いを止める事無くどこまで進んでいく姿がシュールだ。
「ふざけんな、なんだお前は! こんな奴がいるなんて聞いてねえよ!」
「おやおや、さっき名乗ったはずだけどな。静間宗司だ、よーく頭に刻み込んでおけ」
違う。魅霊は何の根拠もなくそう思った。
白い男の膝が折れる。異法の力は無限ではない。使い続ければ体力を失うのは道理――だが、見たところこれほどの異形を生み出せるという事は、この男はかなりの実力者。なら、その男を畏怖させる宗司はなんだというのだ。
「あ、ああああああああっ!」
恐慌状態に陥った男は無数の化物を生み出し宗司に向かって放つ。それは、百鬼夜行にも似た禍々しさ。あんな集団に襲われて助かる術などあるものか。
だが、宗司はプレイし慣れた格闘ゲームでもするように、落ち着きながら、愉しそうに笑う。
「ようこそ、この麗しき刺殺領域へ」
宗司のジャケットが千切れ飛ぶ。何が起こったのか? それを疑問に思った瞬間、宗司に襲い掛かかろうとした異形の群れがハチの巣のように体に無数の穴を穿たれる。
……もし、宗司の刃が視認できたとしたら、彼の上半身から無数の長大な刃が飛び出している事だろう。例えれるならフグ、敵から身を守るべく体からトゲを出すその姿に似ている。無論、飛び出す刃の量、切れ味は桁違いだが。
もし、男に冷静な思考能力が残っていれば、まだ勝機はあっただろう。だが、恐慌という二文字に思考を支配された男には無理な注文である。刃の鎧で身を固めた宗司に無駄な特攻、そして、無駄な手札の喪失。自身の全能力を使った異形の百鬼夜行は、先導者の無能で数秒で終着に辿り着く。正気、故に勝機、馬鹿馬鹿しい言葉遊びではあるが、それは核心をついている。
「は? もう終わりか? まだ遊びたんねぇんだけどな。まあ、いいか」
軽い足取りで男に近づき、腕を振り上げる。その手には、おそらく刃が握られている事だろう。
「く、来るな!」
「却下。もう化物出せないお前に用はねぇんだよ。おとなしく――死んどけ」
振り下ろされる腕。つむじ辺りから二つに断たれていく男。股間まで一直線に分かれた男は、多量の血液を噴出しながら、どう、と倒れこむ。
それが、この街で異形を生み出していた男の最期だった。あまりに呆気ない終着に、思わず息を呑む魅霊。それは、男が消えた夜に思いのほか大きく響く。
「あぁ、魅霊か。化物生産機は壊しといたぜ。……しまったなぁ、縛り付けて監禁してりゃ、何日もこの感覚を愉しめたってのに」
くつくつ、くつくつ、自分の愚かさを嘲うように声を漏らす。
――違う。
再度、思う。
これは宗司ではないと。少なくとも、今まで彼女と一緒にいた宗司ではありえないと。
「――あんた、誰?」
知らず、そんな問いかけが零れ落ちる。それを、宗司は心底不思議そうに、
「こいつもそんな事言ってたな。静間宗司だっての」
なんでそんな事も分からない? そんな口ぶり。――それくらい魅霊とて理解している。だが、記憶の姿と今の姿、それを纏めて『静間宗司』と呼ぶことにためらいを感じてしまう。
目を合わせているだけで冷汗がでるような殺気を纏うその姿、それは例えるなら人という形に姿を変えた殺戮衝動。荒唐無稽な例え、そう思うのなら先程の戦いを思い返すがいい。体のどの場所からでも自由に刃を生み出すそれを見れば、的を射た例えだと理解してくれるだろう。
「ま、んなこたぁどうでもいいか。魅霊、前みたいにちゃちゃっとコレ消してくれよ。化物どもと違って死体として残るからな」
言われるまでも無い。けれど、それを彼が言うのに違和感を感じる。
おかしい、おかしい、まるで多重人格者ではないか。だが、違うと、魅霊は頭に浮かんだ答えを否定する。
始めに出会った時も狂った殺戮者の姿を現していた。が、昼の学校ではどうみても普通の学生だったというのに、夜の殺戮を覚えていたのだ。普通、人格が入れ替わるとその時の記憶に、ぽっかりと穴が開くはずだというのに。
――まるで、性格を使い分けてるみたい。
そう、それは昼の日常では見慣れた宗司の姿、夜の殺戮には血に飢えた狂人、それらを演じ分ける俳優のようである。
「wish――Black laly」
巨剣。質感、重量、サイズ、それらを緻密に、分厚く想像――そして創造。右手に伝わる重い感覚。考えるよりもまず目の前の障害を消し去る事にする。
「……Erasure」
突き立つ刀身、そこから分解される骸。それで終わり。名も知らぬ異法士は誰にも知られる事なく姿を消した。
「いやいや、ほんっと便利だねぇ異法って――」
感嘆の声が途切れ、倒れこむ音。慌てて振り向くと、地面に倒れ伏す宗司の姿があった。
口からどす黒い血塊を吐き出し、両手で頭を押さえる。手を離せば内側の圧力で頭蓋が弾け飛ぶとでもいうように、必死に、呻き声を漏らしながら。
「あ……違っ、俺、俺は俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺ぇ、ぐげ、あヅっあ! やめろ、それで染めるなぁ!」
……狂った。そう思った。
瞳は虚ろに夜景を映し、叫ぶ声は支離滅裂。口からはすっぱい臭いのする元食物が零れ、呼吸で誤ってそれを吸い込み激しく咳き込む。
「そう、じ――?」
――ワケが、わかんない。なんの脈絡もなく、こんな――。
「み、れ――たす、たす、ぎぃ!」
伸びる腕。救いを求める腕。だが、それを握る事はできなかった。恐い。理解できない。魅霊はただ、原始の人間が持つ恐怖――未知に対する恐怖を味わうのみ。
だが、そんな魅霊の隣を抜け、宗司向かって疾駆する姿。勢いを殺す事無く、鳩尾に一撃。それで狂乱は収まった。
闇に映える白の長着、それとは真逆の漆黒の袴を履く。手には鈍い金属光沢を放つ手甲がつけられていた。
そして、小柄な体躯、女のような顔。
「あんたは――」
「何のつもりだ、黒百合」
怒気を孕んだ声音。今にも魅霊を殺しかねない殺気を纏い、睨み据える。
「パートナーとして選んだまでは黙認してた。悔しいけど、僕より君の方が階級は上だから。――でも、この不始末はなに?」
「そんな事より、あんた、宗司になにをしたのよ!」
「気絶してもらっただけだよ。あの状態、意識があるほうが危険だしね」
「――どういう事?」
魅霊の問いかけに、「そんな事も知らずに一緒にいたのか?」という言葉で返す影。
「彼は、静間宗司は、旧姓は刀我という。静間は引き取られた家の性――それだけ言えば、理解できるだろ?」
「――!? そんな、だってその家系は」
「……しかも、性格反転がまだ完全な状態じゃないまま、なんだよ。非日常に身を委ねていたらどうなるか、解るだろ?」
「なら、さっきのは……」
「そういう事。とりあえず、僕は静間を休ませる。黒百合はさっさと帰って」
でも、と食い下がる魅霊。だが、「黙れ」と、激しい罵声がそれを遮る。
「苦しむ静間に救いの手を差し伸べられないお前が何を言うんだよ。……さっさと、消えて」
――返す言葉が、ない。
共に戦うと誓い、ここまで来たというのに、あの狂乱を見て救いの一つも出せなかった自分。彼の状態を知らなくても、できる事はあったはずなのに。
「わかったわ、宗司を、お願い」
「ふんっ、言われるまでもないよ。それより、早く犯人を倒して欲しいんだけどね。君の為にキチガイじみた異形たちを殺すのは疲れるんだ。ま、それも今日で終わりみたいのようだけどね、それは感謝するよ。もちろん、君じゃなくて静間にね」
宗司を担いで夜の街に溶ける影。それを見送って、魅霊は帰路につく。
――宗司。
人生で二人目の友人の名を、心の中で呟きながら。




