69 物質の特定3
「………、あの、オロリマーさん」
「は、はい!」
オロリマーは顔をあげ神妙な面持ちのアリエスに名を呼ばれ、思わず大きな声で返した。
若干声が裏返ってしまった気がしたため、オロリマーは頬を赤くさせたが、伏せることなくそのままじっと待つ。
「…オロリマーさんに依頼した女性と交わした書類、とかはありますか?依頼書は確か、十年保存……だったと思うのですが…」
オロリマーは驚いた。
貴族女性でしかもまだ未成年だろうアリエスが、依頼書の保管期間を知っていること。
そもそも思い返してみれば、自分に話がきたときもとある令嬢が探しているといっていたことを思い出す。
そして職人仲間であるその人物は、貴族の令嬢がかいたデザインのアクセサリーを作るようになって、随分生活に余裕がでたという話を思い出した。
「あの、オロリマーさん?」
「あ、はい!すみません、あります!依頼書!」
アリエスが答えないオロリマーをもう一度呼ぶと、我に返ったかのように話し出すオロリマーを不思議に思いながらも話に集中した。
一方ユージンは、アリエスを見て顔を赤らませたり、アリエスを見て呆然とするオロリマーに訝し気に見る。
父であるセドリックが摂取した有害な物質名が判明したが、その危険性に思考をとられていたため、目の前でアリエスに見惚れているオロリマーの反応に気付くのが遅れたのだ。
だがオロリマーが顔を赤らませたのも、呆然としてしまったことも別の理由があってのことだが、それを知る術は話されることはないため、オロリマーは横からの痛い視線がチクチクと刺さりながらも口を動かす。
「お嬢様の言う通り、今の依頼書の保管期間は十年に変わりました。その為ワイングラスの依頼書もまだ保管していますし、危険成分の使用として取り交わした誓約書の保管期限は決められていませんので今も勿論保管しています」
「危険成分の誓約書、ですか?」
アリエスはオロリマーの言葉に目を瞬かせる。
「はい。使用用途によって許可が下りている成分だとしても危険な材料であることは変わりませんので、我々は使用用途とその危険性について秘匿することなく使用したわけではないこと、そしてきちんとお話ししたという書類を取り交わすのです。
使用用途を間違えない限り、体に害が及ぶことはありませんし、あとで問題になってはいけませんので……」
トラブル回避だと告げるオロリマーに納得すると今度はユージンが尋ねた。
「その書類を借りることは可能だろうか」
「え…っと……」
オロリマーはユージンの問いかけに渋り、すぐに返答ができないでいた。
だがそれも仕方ないことだ。
先ほどオロリマーの作品で倒れた人物はユージンとナルシスの父であることを悟ったばかり。
ここで所謂責任逃れにも使える誓約書を手放してしまえば、その時点で自分を守る証拠品はなくなってしまう。
しかも相手は貴族。
だがはっきりと拒否することもできないため、オロリマーは渋って返答を誤魔化すしかなかったのだ。
ユージンはそんなオロリマーの気持ちを悟り、息を吐き出すとゆっくりと話し始める。
「オロリマーさん、僕はあなたを罪に問うつもりはありません。寧ろ罪人を捕まえることを手助けしてほしいのです」
「て、手助け、ですか?」
「ええ。貴方にワイングラスを依頼した人物ですが、その女性は子を孕んだと偽……、僕の父と再婚しました」
一瞬言い淀んだユージンにオロリマーは不思議に思いながらも話し続けるユージンの言葉に耳を傾ける。
「まだ六歳だった僕を殺そうとしたこと、そして危険成分だと知っていながらも誤った使用方法で今も父を苦しめ、殺そうとしていること。
僕はその人を許せないのです。ですが確実に追い詰めるためには、実際に依頼を受けたあなたのもつ証拠と証言が必要になる。
そこであなたの協力が必要なのです」
ユージンは一瞬硬直したナルシスの反応を感じながらも、言葉を止めることなく話を続け、最後にはオロリマーに手を差し出した。
オロリマーは悩んだ。
ユージンの話が嘘か本当かすぐに判別できなかったからだ。
だがナルシスの反応を見ると、彼らの父親は床に伏している状態であることは間違いない。
自分の元へと依頼しにやってきた女性が彼らの母親であるのならば、そして女性の不自然な程に使用材料に見せたこだわりは、単に価格を安くするためではなく人の命を軽んじてのことだったのならば……。
そして自分はそんな人間に利用されたのならば……。
オロリマーはもう悩む必要はなかった。
顔をあげ伸ばされたユージンの手を取ると、アリエスとシリウスはほっと安堵する。
勿論協力を約束してくれたオロリマーに対して、ユージンも安堵した。
無理やりに従わせてしまった場合、どこで裏切られるかがわからないからだ。
良心に付け込むという言葉はあまりいい印象を与えないが、それでも自ら決めた選択はそうそう簡単に人は人を裏切らない。
ユージンは自らが立ち上げた事業でそれを学んでいる。
だからこそ自らユージンを選んだオロリマーに安堵した。




