64 驚きの画力
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アリエスとシリウスはユージンが腰を下ろしたソファの向かい側に座ると、心の準備を整えるために息を大きく吸い込んだ。
「まず、手紙でも伝えているけど、父上が倒れたのはあの女が送ったというワイングラスが原因だと思います」
ユージンは初めにそういった。
既に知っていたアリエスとシリウスは続きを待つが、隣に座っているナルシスは「え?」とユージンを見上げる。
「今は成分分析をしてもらうために業者に渡していますが、結果は数か月かかるといわれています。
また医者からも同様に、排せつ物に含まれた不純物の特定には時間がかかると、成分分析調査を依頼した業者と同じことをいわれました。
調査時間の短縮のためにはワイングラスの製造をお願いした職人に話を聞いた方がいいということですが、公爵家としての依頼ではなく、あの女本人からの依頼として出していたとのことで、職人の特定が難しいです」
「結局は調査に時間がかかるってことか…」とシリウスが呟く隣でアリエスが身を乗り出した。
「そのワイングラスの写真はないの?」
「写真?」
「そう。ウォータ家で雇っているのはアクセサリー職人だとしても、物づくりの職人同士なにか情報があるかもしれないでしょ。
実は私、毒となる有害な成分を使用した制作依頼を引き受けた人はいないか聞いたんだけど、そもそも口に含んだり長時間肌に接触しない用途の物なら使用制限がないから、言葉だけだと聞くのも難しいって言われたの。
だから写真やスケッチ図とかあればと思ったんだけど、………そういうのないかな?」
ユージンはアリエスの言葉に「写真か…」と呟いた。
正直な話写真はない。
分析を依頼している業者から取り寄せればいいが、その時間分調査結果が遅れるかもしれないことを考えると、業者に別の依頼をしたくなかった。
だがアリエスからのお願いはすべて叶えたいユージンはどうするべきかを悩む。
そんな時、ユージンの隣に座っているナルシスが恥ずかしそうに手をあげた。
「……どうした?ナル」
ちなみに一週間の間でナルシスはユージンに更に懐き、ナルと呼ぶことをお願いしていた為、ナルシスからナルと呼ぶようになったのだ。
「あ、あのね、ボク書けると思うんだ。お父様が使っていたワイングラスの絵…」
恥ずかしながらも話すナルシスに、ユージンとシリウスは苦笑する。
“子供が書く絵だがら期待はできないが、特徴さえわかれば……”と思っているのがまるわかりな表情であったが、指先をもじもじと絡めていたナルシスは二人の顔を見ていなかった。
「助かるよ!早速書いて欲しいから書くもの持ってくるね!」と足早に部屋を出るアリエスに、ナルシスは「うん!」と照れ臭そうに笑みを見せる。
アリエスが出て行った部屋の中でやる気に満ち溢れたナルシスに、ユージンは尋ねた。
「……えっと……、あのワイングラスは結構特殊だったと思うけど、ナルは覚えているの?」
「うん!お父様が毎日使っていたところは見てたから!…それにボク、絵をかくの好きだから、きっと役に立つと思うよ!」
「…………………そっか」
沈黙が生まれた部屋にはすぐアリエスが戻ってきたため、“子供を気遣う為に必死で言葉を選ぶ”ユージンとシリウスの姿は見られることはなかった。
アリエスは持ってきた紙とペンをナルシスに渡すと、ナルシスは早速ペンを握り、迷いなく線を描き始める。
手が小さいナルシスは大人が使うペンを拳を作るかのように握り、どう考えても絵に期待は出来そうにないと思われたが、ひかれた線は美しい曲線と歪みなくまっすぐな線がいくつも引かれていた。
握りこぶしのような持ち方でどうやってこのような力加減が出来るのか、細かい装飾部分は細く、影となる部分の線は太く描かれ、まるで有名な画家のスケッチ画のような出来栄えだった。
それでも子供らしく、金色と銀色と指定された色を示す文字は歪んでいて、なんともいえないアンバランスさがあった。
「すごいよ!ナルシス君!将来はデザイナーか有名な芸術家だね!」
そんなナルシスの作品をアリエスは目を輝かせて褒めちぎる。
「ううん……、ボク絵が好きなだけだから……、あの、これで大丈夫、かな?」
ナルシスはアリエスに答えると、期待を込めた眼差しでユージンを見上げた。
ユージンは正直、ここまでの出来を求めていたというよりも考えてもいなかったため、まるで一人前のようなスケッチ画を見て言葉が出ないといった体験をしてしまったが、すぐに褒めてほしいと期待するナルシスの視線に我に返りナルシスの頭を優しくなでる。
「ああ、すごくよく書けてるよ。ナルがいてくれてよかった」
ナルシスはユージンの言葉に笑みを浮かべ、嬉しそうに微笑む。
「じゃあ早速私、ナルシス君が書いてくれた絵を送ってくるね!速達で届けるようにお願いするだけだから、すぐ戻ってくるわ」
アリエスはそう言って早速絵を届けるために再び部屋を後にした。
パタパタパタと足音が聞こえてくることから急いでいるのだろう。
淑女としては不適切な行動だが、ユージンはアリエスのそんな姿を想像しながら足音に耳を澄ませ、自分のために一生懸命になってくれるアリエスに心臓を脈打たせていた。
「申し訳ない。あれでも外では_」
「大丈夫ですよ。どんなアリスも好ましいですし、それにアリスは学園でとても慕われていますから」
廊下を走る妹をフォローするシリウスだったが、ユージンに遮られるように言葉を被させられ、そして告げたられた言葉に驚きながらも口角をあげる。
アリエスだけでなく母親もユージンのことを気に入っていたため、カリウスのようにはならないだろうと不安な気持ちを抱いてはいなかったが、それでもアリエスのことを心配になる気持ちはなくならなかった。
だが今目の前にいるユージンを見て、シリウスは初めて心から妹を任せられる男性であることを認識すると、本当の意味で安堵した。
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