55 利用される息子
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次の日イマラは不安に駆られていた。
昨晩はユージンを誤魔化せたといっても、逃げるように厨房から出てしまったイマラはユージンが何故厨房に来たのか、その理由を知ることができなかった。
その為本当は怪しい行動に出た自分のことを監視していたのではないか、今まで目を向けられてこなかったワイングラスに対しても調査をするようになってしまったらどうしようかと、夜も満足に寝ていられなかった。
ユージンが公爵家へと戻ったことで、自分の兄であるユージンに興味を示したイマラの息子ナルシスは、恐る恐るといった様子でイマラの部屋へと尋ねた。
初対面でしかも忙しそうにするユージンに「遊んでほしい」と声をかけるよりも、母であるイマラを通して対面したいと考えたのだ。
ナルシスは声がする母の部屋へ向かうと小さな手でトントントンとノックをした。
「誰よ!?」
寝起きで機嫌が悪いのだろうか、ナルシスは苛立ったイマラの声に体をビクつかせるとそっと扉を開けて「ぼく、です…」と顔をのぞかせた。
ナルシスの顔を見ても苛立ちを沈ませることが出来ないイマラは「何の用?!」と鬼の形相で尋ねる。
「あ、…あのね、ボクお兄様にご挨拶をしたいんだ…」
もじもじと指先を絡ませ、俯きがちに言い終えたナルシスはちらりとイマラを伺った。
だが不機嫌な様子を隠すことすらしないイマラを見たナルシスは、こみ上げていた涙を流し「ひっ!」と怯えた声を上げる。
「挨拶したいんなら勝手にやってよ!いちいち言わないで!」
「ご、ごめんなさい!!」
ぷるぷると震えたナルシスを見たイマラははぁと大げさなほどに大きく息を吐き出すと、「あ」と声を出した。
ナルシスはそんなイマラに首を傾げ、不思議そうに見る。
「………そうだわ、あんたちょっと様子見に行ってきてよ」
「様子?」
「そうよ。厨房に行って、公爵様がいつも使っているワイングラスがあるかみてくるだけでいいのよ」
イマラはナルシスにそういうと、ベッドから足を下ろし組んだ。
マントゥール侯爵の者が一夜限りの相手として選ぶことからみても、イマラは“そこそこな美人”だったため、ベッドから降ろされた長く白い足は欲望を内に秘めた男にはたまらないものがあるだろうが、生憎この部屋には幼いナルシスしか男はいない。
ナルシスはイマラの命令に「でも、厨房は危ないって…」と言葉を濁すと、「できないの?」と返された。
「う、ううん!ボクできるよ!」
「なら早く見に行ってきてよ」
実の息子をパシリのように使うイマラは、厨房へと駆けて行ったナルシスが開けたままの扉を閉めに立ち上がる。
ふと鏡に映った自分の目の下にはっきりと描かれた隈をみると、チッと舌打ちした。
それでも厨房に、イマラがセドリックにプレゼントしたワイングラスがまだ残っている状態なのだとしたら、昨晩のユージンはイマラの行動を不審に思わなかったと考えてもいいだろうとイマラは思う。
公爵家に戻ってからセドリックの容態を知ったユージンはすぐに行動に移した。
イマラを怪しんだのなら、イマラが厨房から去ったあの晩の間に、確実に行動に移していただろう。
イマラが開けようとしていたあの棚にある食器をすべて回収し、毒物反応がないか調査をする筈なのだ。
次の日となった今、もし棚にまだ食器があったのなら、そして証拠となるワイングラスがあったのならば、昨晩のユージンの言葉をそのまま受け止められる。
イマラはそう思ったからこそ、疑われることがない幼い息子であるナルシスにお願いした。
早く、早く見て戻ってこい。
そう思いながらイマラは扉を閉めて、行儀悪くベッドへと倒れこんだ。




