34 記憶障害?
「プロント伯爵令息、君はまだアリス…いや、アリエスに付きまとっているのか」
ユージンはカリウスに問いかけた。
途中アリエスの呼び方を言い直したのは、カリウスがアリスに入れ込んでいることを知っているからだ。
アリエスによく似合う愛称を使いたい気持ちを抑えて話さなければ、話がややこしくなるとユージンは悟る。
「付きまとう…?お前はこいつのなんなんだ。ただの他人が何故アリエスを庇うんだ」
カリウスはアリスから視線を移動させるとユージンに問いかけた。
元婚約者が一体何様のつもりなのだとアリエスとユージンは思ったが、とりあえず指摘するのをやめる。
今は事実を告げるのみと、ユージンはアリエスの傍に近寄るとそっと肩に手を置いた。
アリエスとカリウスの間に入り込む形でユージンが割り込んだため、アリエスの隣で震えていた令嬢は圧倒的なユージンの美貌に今度は違う意味で震える。
恐怖で胸の前で丸まっていた手は、今では美しさを称えるように手のひらを合わせていた。
アリエスと向かい合わせで座っていた令嬢たちも、恐ろしい表情のカリウスではなく、美しいユージンの顔面に釘付けになっており、先ほどまでカリウスに感じていた恐怖心なんて簡単に吹っ飛ばしていた。
またユージンは一般クラスではちょっとした有名人である。
公爵家の令息という肩書だけではなく、眉目秀麗で人当たりも完璧。
勉強だけでなく運動もできるユージンは非の打ち所がないことはすぐに知れ渡った。
だが婚約者はいないことから、女関係が緩いなのかと思いきや一年以上通う学園でそんな話は一切なかった。
王太子殿下の側近候補である令息たちが、一時的ではあったが婚約者以外の女性に入れ込んでいたのにも関わらず、ユージンはむしろ困っていた令嬢たちに手を差し伸べるというまるで神か神の使いのような行動に出たことは誰でも知っていることだった。
そしてカッチョイイクラスバッチに替えるきっかけもユージンが裏で動いたからと噂されている。
そのため、今この場でユージンが寄り添う令嬢、アリエスとどんな関係なのだとユージンという人物を少しでも知っている者は足を止め、視線を釘付けにし、そして耳を傾けていた。
「僕は今アリエスに婚約申し込みをしている最中なんだ。つまり元婚約者となった君よりも、アリエスとは関係が深い、ということだね」
ユージンの言葉にカリウスは固まった。
眉間にしわを深く刻み、ギギッとまるでグリスの塗布が必要になったおもちゃのようなぎこちない動きでアリエスを睨む。
「……どういうことだ。重婚は犯罪だぞ…」
カリウスの言葉にアリエスとユージンだけでなく、他の人たちも首を傾げた。
まるで今でもカリウスと関係が続いているような、そんな言葉だったからだ。
アリエスとカリウスが婚約解消できたのはつい先日のことであるし、個人的な内容だからこそ公表してはいないため、アリエスの身近な者しかその事実は知らない。
だが先ほどこの食堂内でアリエスはカリウスに告げたことで婚約解消したのだなと、聞いていた者は知っている。
つまりアリエスが発言したときそばにいた者とアリエスのクラスメイトは正しい意味で疑問に思った。
こいつ、婚約が解消されたのに何を言っているのだ。と。
ちなみに婚約解消の話を知らずとも他の人たちまで首を傾げたのは、婚約者がいながら他の令嬢を腕に引っ付けていたのかよと呆れたに近い気持ちだったからだ。
「……プロント様、まさかとは思いますが私との婚約が解消した事実は知らされていないのですか?」
アリエスは有り得ないといわんばかりに、扇を取り出す心の余裕もなく口元に指先を当てながらカリウスに尋ねた。
だがカリウスから放たれた言葉はアリエスの予想を上回る言葉だった。
「何を勝手なことを!?婚約は家と家との契約だぞ!?わかっているのか!?」
わかっているに決まっているだろう。とアリエスは思った。
それにアリエスが一人で婚約解消できないことだって普通に考えればわかることだ。
両家を代表する人物の署名と、当人たちの署名、それに王族と神殿の許可が下りて初めて婚約解消ができる。
ちなみに王族の許可がいるのは高位貴族の場合だけであるため、本来ならば伯爵家同士の婚姻解消には不要であるが、今回ばかりは王太子殿下も動いてくれたために王族のサインまでされていた。
文句のつけどころのない完璧な書面である。
アリエスは肩に添えるように触れているユージンの手に自身の手を重ねると、ゆっくりとした仕草で立ち上がった。
そして身長差はあったが、カリウスをまっすぐな瞳で見つめる。
「……存じております。既に両家の同意を得て、プロント伯爵子息のサインもいただいております。………貴方は覚えていないようですが」
「は?」
「もう一度いいましょう、カリウス・プロント様。貴方との婚約は正式な手続きによりすでに解消されております。
私と貴方の縁はこの先交わうことはありません。これ以上の接触をされた場合、家を通して抗議させていただきますので、それ相応の行動をお願いいたします」
では、とアリエスは言葉を区切り腰を下ろした。
すっかり冷めてしまった料理ではあったが、「いただきましょう」と友人たちに言葉をかけつつ、ユージンにも空いている隣の席を進める。
ユージンは「ありがとう」と笑みを浮かべ、アリエスの言葉に甘え、食事をとりに行くと堂々とアリエスの隣に居座った。
ワイワイと楽し気に食事を勧める中、まるで蚊帳の外に追いやられたようなアリスは悔しそうにその場を離れるためカリウスの腕を掴んだ。
アリスが呆然と意識を飛ばすカリウスの太い腕を引っ張りながら移動する中、カリウスは見たことがないはずの書類の残像と、持ってきたばかりの温かい料理とアリエスの冷たくなった料理を交換しようとするユージンに、戸惑いながらも嬉しそうに好意を受け入れるアリエスをじっと見つめていたのだった。




