心変わり
濡れた手で取っ手を持つのは、何だか気持ち悪いですね。ヌルッとするし、金属がいつもより冷たく感じます。
「お待たせしました」
私は両手をぶんぶん振りながら、着席します。
「……汚ねーな」
は? ソニアちゃんの向こうから剣王の呟きが聞こえました。
私が不在の間にベリンダさんから厳しい話をされたのでしょうか。例えば、帝国側に味方しなければ、諸国連邦を攻めるとか。
ふむ。その時は鉄拳制裁ですね。
「メリナ、ハンカチ。イルゼがくれた」
ソニアちゃんがポケットから白い布切れを出してくれました。
「あっ、大丈夫。乾きましたから」
「メリナ閣下、続きを宜しいでしょうか?」
「はい。えーと、ソニアちゃんを王国に戻して良いかでしたっけ?」
ベリンダさんが柔らかくお笑いになられました。
「いいえ。どういった条件であれば、彼女を私の養子に出来るかという話で御座います」
ふむ。これは簡単に断れそうですね。
「ソニアちゃん、この人の養子になりたい?」
「なりたくない」
はっきり言える、良い子です。
「本人の意志が一番大切ですよね」
私の主張に対してもベリンダさんは譲りません。
「閣下、ご心配なさらなくても大丈夫で御座います。私の養子となったのなら、我が国の者が手出しをすることはないでしょう。それどころか、いずれは学校に進み、やがて国を支える人材となりましょう」
「養子となったのなら? 揚げ足を取っているのかもしれませんが、そんな曖昧な返答では話になりませんね。気概が足りません。そもそも、失礼ながら、ベリンダさん、貴女に子育てが出来るのですか?」
「手厳しいお言葉です、閣下。軍に生きた私の出で立ちをご覧になってのご心配、それはご尤もの事と存じます。しかしながら、子育てとは子本人の成長を手助けするものであり、その子にあった方法に合わせる必要が御座います。教育の良否は幾数年の結果を見ての判断に過ぎず、事前に想定することは困難。大切なのは子に対する愛情とビジョン。それに、私は負けず嫌いな所もありまして、養子としたからには、この娘を立派な帝国淑女として育て上げ、他者よりも抜きん出た逸材として帝国中にその名を轟かせてみせましょう」
ふむぅ。スラスラと長いセリフをよく喋れますね。重圧を発しないアデリーナ様と話している気分になります。
「そうで御座いますか。しかし、気概だけではいけませんね。子育てというものは、お金も掛かるのです。ベリンダさんに賄いきれるものなのでしょうか」
「閣下の仰る通りでして、その娘の将来を案じる心優しさに、閣下が治める領民は極めて幸せであることを確信致しました。さて、その点についてもご安心を頂きたく、我が実家のバーヌス家は帝国でも有数の資産家で御座いまして、喜んで資金を供出することで御座いましょう」
私は剣王を見ます。
彼は頷きました。バーヌス家と言うのが、帝国内の名家であることは嘘ではないようです。
その後も何回かやり取りをしましたが、平行線です。だって、私はソニアちゃんを養子に出すなんて了承するはずがないからです。
「メリナ閣下、旅路のお疲れを考慮せず、不躾に長くの時間をお取らせしております。有意義な話の途中ではありますが、ここで暫しの中断としまして、昼過ぎより再開致しましょう。閣下の熱情は休止を必要としないことは存分に承知しております。しかし、未熟なるベリンダに憐れみを込めてご承諾頂きたく存じます。閣下らの食事につきましては、この部屋に用意致します」
長い。「昼ご飯を取りましょう」で済む話でしょうに。
「警護の人も休憩させて下さいね。見られながら食事するのは肩が凝りそうです」
「彼らの休息を想いつつ、自分を卑下する言い様。なんと心優しき方かと大変に感動致しました。その申し出、有り難く拝命致します」
帝国の人は部屋から出ていきました。
私は肩の力を抜きます。
「いやー、大変ですね」
「あぁ。しかし、存外、お前も頑張れるんだな」
「どういう意味ですか?」
「めんどーになったら暴力に訴えると思っていた」
「剣を持っていない剣王が偉そうな口を私に聞くものです」
「あぁ。剣を持っていない俺は二流だ。あと、剣王とは呼ぶな。剣の腕でパウスには遠く及ばないし、お前の村のナトンにも引き分ける。調子に乗ってた過去が恥ずかしい。ゾルって呼んでくれ」
もっと生意気な男だったはずですが、少しは成長して謙虚になったんですね。
しかし、ベリンダさんは抜かりないです。魔力感知を使うと隣の部屋にも上の部屋にも人がいて、この部屋に向けて耳を付けているのが分かります。
私達の会話を盗み聞きして、交渉を有利に進めたいのでしょう。
私は背中から鞄を外します。
「お前、やっと鞄を下ろすのかよ。座り辛くなかったか?」
「ソファーに凭れたらお行儀悪いかな、でも、クッションは欲しいなぁ、と思った妥協の産物です」
「メリナ、合理的」
「でしょ! ソニアちゃん、分かってるね」
「んな訳ねーだろ。客人じゃなかったらぶっ飛ばされてたぞ」
さて、私は中からペンを出し、手の甲に「盗聴されている」と書いて皆に見せます。
剣王は「あぁ」と短く答え、既に分かっていた様子です。ソニアちゃんも黙って頷きます。
簡素ですが、美味しいお食事も頂きまして、私は満足します。
「散歩したいですね」
「呑気なもんだな」
「ほら、天気も良いですよ」
私は窓に寄ります。遠くは向かいの建物が邪魔していて、私達に眺めを楽しませる意図がないのでしょう。でも、青空はちゃんと見えます。
「ゾルは帝国にいた?」
ソニアちゃんが剣王に尋ねます。
「あぁ。武者修行でな。傭兵をしていた。前の皇帝を殺したのも俺だ。今の皇帝が帝都を攻めた際に先鋒を務めた」
前の皇帝はソニアちゃんの本当の父親です。でも、全く実感のないソニアちゃんは無反応でした。
「私を助けるのは罪滅ぼし?」
「あん? 剣士が戦うのは罪じゃねーよ」
「そう。……ゾルの心も強い」
「心だけじゃダメなんだよ。俺は最強になりたいんだ。いつか、そこのメリナにも勝つ。一度勝ってるけどな」
あん?
「負けてない」
「戦場で腕を切られて転がっただろ? 邪神が出てこなければ勝っていた」
「へぇ、増長にも程がありますね。反吐が出そうです。今から稽古を付けてやりましょう」
「バカ言え。俺は丸腰だろ。王国に帰ってからなら、幾らでも相手してやる。いや……こちらから願いたい」
「じゃあ、剣を貰ってきますね」
「おい、待て!」
制止を無視して、私は扉を開けます。出てすぐ、廊下を挟んで向こう側の壁に武装した兵士が2人立っていました。
「どうなされましたか? ご所用が御座いましたら、お申し付けください。案内役もしくは係の者をお呼び致します」
丁寧に対応してくれました。
「では、剣をください。魔剣が良いです」
「畏まりました。上長と相談致しますので、部屋でお待ちください」
おぉ、あっさりと要望が通りました。
素直に部屋へと戻ります。
「お前、相変わらず滅茶苦茶だな」
「要望するものですね。持ってきてくれるって」
「んな訳あるかよ。『検討の結果、残念ながら』ってとこだろ」
「お金もくれるかな?」
「あん?」
「借金あるんですよ。あっ、剣王、稽古を付けたら謝礼を払ってくださいね」
「ふざけんな」
「稽古、私も?」
「いえ、ソニアちゃんはタダで良いよ。今日も稽古して強くなりましょうね」
「ありがとう、メリナ」
暫く待っていると、ベリンダさんを先頭に一行がぞろぞろと部屋に戻ってきます。タイミング悪く、座っている私は欠伸と背伸びをしながら出迎えました。
「閣下、続きで御座いますが、まずはこちらをご覧ください」
彼女はすぐに仕事に入りました。
そう言ってから合図をすると、扉の向こうで準備していた係が台車を押して入室します。何だか重そうで豪華な箱が載せてありました。
ベリンダさんがそれを開けると、中にはぎっしりと金貨が詰まっておりました。
「私の資力に対して閣下は疑問をお持ちでしたので、お見せした方が早いと思い立ったのです。もちろん、これは我が資産の一部。幸運な出会いを祝して、閣下に奉じさせて頂こうかと存じます」
「こんなにいっぱい……。ありがとうございます」
貰えるなら頂いておきましょう。断るのも失礼ですもの。
ベリンダさんは優しく微笑まれました。
「その娘を私の養子と致す資格は満たしたでしょうか?」
「うーん、まだまだかなぁ」
「私どもは王国との不戦条約を締結する用意も御座います。極めて有能なメリナ公爵閣下には、貴国との取り次ぎを担って頂きたく、我が帝国は毎月の付け届けを忘れぬことになりましょう。また、閣下の名は和平を導いた功労者として、両国の歴史書に永遠に刻み込まれることでしょう」
「メリナ、これ買収」
分かってますよ、ソニアちゃん。
「いいえ。ご多忙な閣下に、取り次ぎという大変な役目をして頂くのです。労いの気持ちを形に示すまでのこと。閣下、その娘の件はさておき、取り次ぎ役は引き受けて貰いたく存じます。あぁ、こちらは帝国で採取された宝石を装飾した首飾りになります。是非、お納め下さい」
「ありがとうございます」
私は早速、首に掛けます。赤い楕円の宝石が私の胸で光っております。
「お前な、それが魔道具で首が絞まったりしたらどうすんだよ?」
「メリナは強欲」
んふふ、嬉しいなぁ。生まれて初めて宝石を身に付けました。
「閣下、外を歩いてみませんか? 貴国と我が国、将来どのように良好な関係を築いていくのか、この点について聡明なる閣下のご意見をベリンダはお聞きしたく存じます。他の者には聞かれないように2人きりが良いかと」
2人きり。ソニアちゃんはここで待機か……。
「稽古もしたいんですよね」
「えぇ、構いません。今回の交渉が纏まれば、可能な限り、閣下の願いに応えたく存じます」
うわぁ。凄いなぁ。
何て言うか懐が深いです。アデリーナ様なんか、私に何も与えずにこき使うだけです。帝国民に生まれてきたら良かったですよ。今までの自分の不運を呪います。
「私が願うならば、何でも……?」
「はい。可能な限り」
「例えば、何もせずにベッドで毎日寝ていたいとかも…?」
「閣下、そのような願望を持つ程にまで、ご多忙なのですね。ベリンダは閣下の健康をお祈りし、また、心痛を共にします」
……ベリンダさんの両眼を見詰めるに、今の言葉に嘘はない。私、信じます。
「ソニアちゃん、ベリンダさんの養子になりなさい。幸せになれますよ」
「おい!」
黙れ、剣王。邪魔立てするなら、排除しますよ。
「メリナ……どうして? ……金?」
「幸福のためです。ソニアちゃん、大丈夫。私もベリンダさんの養子になります。お母さん、よろしくお願いします。さぁ、散歩に出掛けましょう」
「ご冗談を、閣下」
「冗談かどうかは、歩きながら話をしましょう」
「了解致しました。それでは、案内致します。ところで、閣下にもご家族がいらっしゃるでしょう。養子となると、そのご家族の許可も必要なのではと、お戯れであると分かってはいるのに愚考してしまいました」
「なるほど。確かに。では、養子じゃなくて居候にさせて頂けませんか? あと、剣を要望していたのですが、どうなりました? 何でも希望を叶えてくれるって言ったのに」
「閣下は英明なだけでなく、ユーモアの心もお持ちと分かり、私はただただ感嘆せざるを得ません。さて、さすがに武具はお断りせざるを得ないと思っていたのです。しかし、散歩となると、閣下が従者の心配をされるのも無理なからぬと存じます。ここは1つ、素晴らしい逸品を贈らせて頂きましょう。また、別途、メリナ閣下には黄金でできた大剣をお渡しましょうか。気に入って貰えれば、幸いなのですが」
おぉ。素晴らしい。帝国万歳。
王国なんて、私に莫大な借金を負わせたというのに。なんて待遇差なのでしょう!
私は散歩に行きます。ついでに、剣王とソニアちゃんの為に稽古場所も探しておきましょうかね。




