有能なメリナ
アデリーナ様から頂いた紹介状を係の人に渡し、許可を貰ってから私は門をくぐる一歩を踏み出します。
分厚い壁の下はちょっとした広場になっておりまして、魔導式ランプの明かりで照らされていました。
広場の先にも大きな門があります。きっと帝国との国境である川を渡る橋に通じているのでしょう。
「緊張しますね。生まれて初めて異国の地を踏みます」
「あん? 諸国連邦に居ただろーが」
「あそこは属国扱いなので王国みたいなものです」
「ふざけるな。サブリナが泣くぞ。あいつはお前を独立の英雄として敬っているんだからな。今もお前の活躍を後世に残すんだって絵を描いているんだぞ」
サブリナか……。とても良い娘さんでしたが、絵のセンスだけは理解し難いものでした。彼女の描く全てがおどろおどろしいのは、彼女の内面が実は闇一色である顕れなのでしょうか。
「それ、兄としてサブリナに忠告して頂けませんか? 『お前の絵、不気味だからメリナは絶対に喜ばないぞ』って」
「ストレート過ぎるだろ! サブリナの気持ちを考えろよ」
私も言えなかったんですよね。
親友と呼んでも良いくらいに仲が良かっただけに、余計に伝えることができなかったんです。ショーメ先生が然り気無く、サブリナの絵を蹴り飛ばした時は痛快でした。
さて、私達が喧しく会話をしているのにソニアちゃんは眠そうです。どうにか歩いてはいますが、半眼です。
「ね、眠い……」
これから帝国の人に正体を明かすというのに大丈夫でしょうか。
「メリナ閣下、お気を付けて」
このシュトルンの長であるクハトさんが奥の門の横にいまして、私に恭しく挨拶をしてきました。
「お隣の男性は?」
「剣王ゾルザックです。帝国に縁があるので、道案内してくれるのかな」
「あぁ、帝国を旅するならな。帝都や軍には知り合いも多い」
「……そうですか」
クハトさんが少し眉をひそめました。
気にはなりましたが、先に歩みを進めます。
2番目の門が開き、太陽の光が溢れます。
石造りの橋の向こうには帝国側の門が見えました。そちらもゆっくりと開き、王国に入国する人たちが歩いてきます。
橋の真ん中ですれ違いますが、特に視線や会話を交わすことなく通り過ぎました。荷馬車の商人がほとんどです。
「パウスに聞いていて良かったぜ。帯剣してるヤツはいないな。没収されるって話だったからな」
「禁止なんですか?」
「あぁ。如何なる理由でも持ち込み不可だとさ。意味ねーよな。魔法使いの方が普通に危ねーだろ」
「そうですね。何なら私一人で帝国の街を5個くらいは陥とせそうですし」
「……冗談じゃねーのが怖いわ」
さて、遂に私は帝国の地を踏みました。
王国側と同じく壁下に設けられた広場です。
門が閉められ、ランプの光だけとなります。
帝国兵が入国者を一人ずつ確認していきます。常連っぽい人はほぼ顔パスですね。
もちろん、私達の方にもやって来ます。
先に剣王の身分証明を確認します。
「冒険者か?」
「あぁ。こっちが依頼書な。こいつらの護衛と魔物退治だ」
「用が済んだら帰れよ」
そう言って、剣王の身分証明に何かを書きました。雰囲気的には入国が許可されたみたいです。
「次はお前らだ。姉妹か?」
「いいえ」
私はアデリーナ様から頂いていた書状を手渡します。
「開封済みだぞ?」
うん。王国側で身分証明の代わりに使いましたから。
「何か問題がありますか?」
「書状内容の真贋に関わるだろ」
ぶつぶつ言いながら、彼は畳まれた紙を広げて目をやります。
「公爵閣下……?」
途中で出てきた情報なのでしょう。文章を読みきる前に、顔を上げて私を見ます。
「公職停止処分中ですので、今も公爵なのかは分かりません」
アデリーナ様が公爵と書いているなら、処分が撤回されているのかもしれません。特に興味はないので、どちらでも良いことではありますが。
焦りが見える彼は更に読み進めます。
「えっ、前帝王の隠し子が王国にいた……」
「はい。こちらのソニアちゃんです」
私と手を繋いでいる彼女は、残念ながら立ったまま目を瞑って寝ています。
「何! 前帝王の隠し子だってよ! 凄いな! 聞いたか、お前! ソニアっていう前帝王の隠し子だぞ! こいつはスゲーな!」
突然、剣王が知らない人に言い触らしました。言われた方もビックリしています。
兵士に剣王は口を止められましたが、もう遅い。商人たちの情報網にソニアちゃんの存在が乗った瞬間です。
なるほど、剣王の役目の1つはこれだったのか。彼のキャラクターに合わない道化っぷりでした。
慌てて兵長が駆け寄ります。担当兵士から奪い取るように手にした書面を見て、それから、広場の横壁に設けられた石階段を上っていきました。
「暫しお待ちください、閣下」
担当してくれていた兵士が丁寧な口調になって、私に接してくれました。
この間に、私達以外の帝国入国者は開門した前方へと向かい、外へと出てしまいます。
剣王はそちらには向かわず、私達と同行するみたいです。ソニアちゃんの噂を流すなら、あちらへ行った方が良いのにと思いました。
剣王が私達の横にいたら、帝国側の人も今のが王国の策とはっきり分かってしまいますし。
……それで構わないのか……。こちらの意図を暗に伝える策?
「案内致します。無礼をお詫び致します」
戻ってきた兵長が兵士と共に跪きながら、そう申されました。
連れて行かれたのは、豪華な応接間。
足が埋もれるくらいの毛の長い絨毯を踏んで、ソファーに座ります。私と剣王を挟んで真ん中にソニアちゃんという配置です。
召し使いっぽい女性がお茶を出してくれて、早速、私は美味しく頂きました。
「……お前、毒の可能性は考えないのか?」
「えっ。毒を飲まされるような事はしてないですよ。はい、ソニアちゃんも眠気覚まし」
しかし、剣王の毒という言葉が気になったので、私が口を付けたばかりのカップを手渡します。
「ありがとう、メリナ。美味しい」
ソニアちゃんが本日初めて声を出しました。
「ここは?」
「帝国側ですよ。今から偉い人と会うんだと思う」
「そう。メリナ、頼りにしてる」
相手を待っている間、剣王が座ったまま、部屋中に視線を動かしていました。
「何してるんですか?」
「安全確認だ。魔力的にはおかしな点はないが、機械式のトラップなんてのもあるからな」
ほぅ、ちゃんと護衛の仕事をしていますねぇ。見直しましたよ。
ゆっくりとしたノックの後、扉が静かに開きます。
先頭にいたのは、まだ30にもなっていなさそうな女性でした。軍服姿ですが、他の方よりも明らかに立派な服装。生地自体が異なるみたいです。その他、7名くらいが入室してきました。
ソファーに対面するのは、内3名。他は扉側と窓側に分かれての警護目的の様です。
「お会いでき大変に光栄です、メリナ公爵閣下。私はこの関所の責任者であるベリンダ・バーヌスと申します」
「こちらこそ光栄です、ベリンダ様」
座ったまま、お互いにご挨拶。
昔から憧れていた淑女の様です。嬉しくて興奮してきました。
自然と優雅にカップに手が行き、ズズッと啜ります。
「こちらのお嬢さんが、書状に書かれていた方で御座いますか。ご苦労様でした。私どもがお預かり致します。この度は大変なお手間をお掛けしたお詫びとともに、両国関係の更なる発展を慶び申し上げます」
早速、本題に入りましたね。
「ソニアちゃんの処遇はどうなりますか?」
「兵より聞いております。わざわざ民の耳に触れさせたそうで御座いますね。後顧の憂いを絶つのが最善となりました」
つまり、殺すってことか。いえ、もしかしたら、先程の剣王の話を聞いた全員の口を封じる可能性もあります。
「愚かしい。極めて愚かしいですね」
私はベリンダさんにそう言いました。
「メリナ閣下。貴女の御名は帝国にも轟いております。新女王アデリーナ陛下の懐刀にして、最大の戦力。貴女のお怒りを買うのは、大変な不運ではありますが、我々も国の誇りと秩序を守る必要が御座います。この場にその娘を置いて、どうか我々の面子を立てて頂けると幸いです。それに、ここまで連れて来られたのに、引き渡さないなど道理に合わぬことは百も承知のことだと思います」
そうですね。
王国内にソニアちゃんを置き、そこから帝国内の前皇帝派に呼び掛ける手段もありました。でも、そうすると王国が矢面に立つことになります。アデリーナ様はそれを避けたのです。
「私はソニアちゃんに幸せになって貰いたいのです。先程の苛烈な言葉は到底、承服できません」
「……メリナ」
ソニアちゃんが少し顔を下にして呟きました。
「大変に失礼致しました。私の言葉は過ぎたものでした。よもや、そこが交渉のスタートラインとは思いもせず、大変な失言で御座いました。閣下の仰る通り、大変な愚かさで御座いました。それならば、その娘は私の養子として立派に育て上げましょう」
……手を変えて来たか。養子云々は信じません。方便でしょう。
しかも、私は分かります。このベリンダさんは交渉と言いました。ソニアちゃんを手土産に王国が帝国に何かを要求してくると覚悟されていたのです。
「いえ、ソニアちゃんはやはり王国に戻しましょう。私が立派な教育を施します。実は既に数日前から教師になっているのですよ。ね、ソニアちゃん?」
「メリナは厳しい。でも、私の為によくやってくれている」
「ほら? 本人もこう言ってますし。本日は失礼しますね」
私は腰を上げます。しかし、ベリンダさんは座ったままです。
「メリナ閣下、時間はまだまだ御座います。我々としてはその娘を手元に置かない訳にはなりません。ゆっくりと話をしましょう。それこそ何日でも顔を付き合わせて、双方に満足な結果を得たいもので御座います」
「良い考えですね。そう致しましょう」
アデリーナ様のご要望通りに膠着状態に持っていくことができました。
私、本当に凄い。有能です。
座り直した私は、ソニアちゃんの前に置かれたお茶をズズッと啜ります。それから、ベリンダさんの眼を見詰めます。
彼女、少し緊張したのが分かりました。
おもむろに私は告げます。
「すみません。飲みすぎたみたいで、トイレをお貸し頂けますか?」
「……誰か、閣下をご案内しなさい」




