気になるから
靴紐をキュッと締めてから、私は立ち上がります。この靴はアシュリンさんに貰ってもう2年くらい履いているでしょうか。
数々の死闘を私とともに乗り越え、なのに、まだ壊れていない本当に良い逸品です。
背負い鞄の紐も肩に掛け、気合い十分。
ソニアちゃんも準備万端で、私達はお互いに頷き合って、ドアのノブに手を伸ばしました。
「あっ!」
「メリナ、何?」
「日記を書いて貰うのを忘れていました」
「私達は寝坊してる。もう門が開いてるし、門が閉まる時間も決まってる」
「ダメですよ。後回しにしたら、私はずっと気になります。例えば、ソニアちゃんが『死刑だ! 今すぐに断頭してやる!』ってなっていても、私は『あー、どうしよう。昨日の分と今日の分の2日分かぁ。辛いなぁ。でも、ソニアちゃんが死んだら、日記のトピックスにちょうど良いなぁ。3日くらい、ソニアちゃんの死刑の話で引っ張るか』とか思うんですよ!」
「鬼。メリナは鬼」
「そんな状態になるくらいに、日記が気になるってことなんです。と言うことで、ソニアちゃん、お願いしますね!」
「私?」
「そうです。この日記は私のなんですが、他の人に書いて貰うことになっているんです」
「意味不明だし、めんどい」
相変わらず無表情で言ってきますねぇ。
でも、悪気はなくて、ただ単に人との間合いを詰めるのが下手なのかもしれません。
「そっかぁ。ソニアちゃん、小さいから文字が書けないかな」
「そんなことない。テストもメリナより良かった」
はぁ? 自慢ですか!? 3角形の心が分からない私は畜生にも劣るって言うんですか!?
ソニアちゃんなんて、背が私の胸にも届いてないじゃないですか! 回し蹴り一発で、頭を砕かれて絶命するんですよ!! 生意気を言わないで下さい!
「分かった。ペンを貸して。サッサと書く」
何ですか、その自信……。日記を書いたことがなくて、その難しさを知らないのかしら。
うふふ、泣いて後悔なさい!
○メリナ観察日記4
メリナはバカで鬼。それが第一印象。
料理対決で仲良く会話していた料理人をも、敵と分かったら躊躇わずに殺している。
極めて野蛮だし危険。
でも、よく笑う。優しく笑う。
見知らぬ私を助けてくれた。深く感謝。
だから、今日、私の命が守れなくても悔やまないで。
…………。
「どうして黙る? 私は書いた」
「ソニアちゃん」
「うん?」
「私は昨日の日記を頼んだんだよ? でも、これ、昨日のことが書かれてないの。100点満点のテストなら0点だから」
「……感動にうち震えるメリナを期待した」
「いきなりバカで鬼って書いた人が何を期待しているんですか。親の顔を見てみたいです」
「もう死んでるらしい。で、書き直そうか?」
「んー、時間ないしなぁ。駄文だけど、ソニアちゃん、子供だからアデリーナ様も許してくれるかな」
「侮辱。私がうち震えそう」
さて、じゃあ、行きますかね。
私は帝国へと続く正門へと向かいます。でも、宿を借りたのが、国境の街シュトルンの中枢である軍司令部の建屋でして、正門は極めて近い所にありました。角を曲がって真っ直ぐに歩くだけです。
その短い道中、ソニアちゃんが私に尋ねてきました。
「さっきの帳面の別の頁。複雑な木の枝みたいな絵があった。もしかして、アデリーナとの暗号?」
目敏い。よく気付きましたね。
「違います。聖竜様の……チンコの絵です。忘れないように」
「まさか」
「聖竜様に誓って本当ですよ」
「何の為に……。あっ、答えなくていい」
えぇ。私も何となく気恥ずかしいので、すみません。
「えっ! もう門が閉じたんですか!?」
「は、はい。帝国との国境は厳重に管理することに休戦条約で定められております。その為、双方で取り決めた時刻以外での開門は国王陛下であっても許可されません」
「私もそう言ったから」
まぁ、他人事ですね、ソニアちゃん。
「了解しました。明日は寝坊しないようにしましょう」
「メリナは前向き」
さて、私達は散策します。
偉い人がやって来て、特別に私達を案内してくれます。おっさんですが細身。失礼ながら、軍人よりも商店で勘定している方が似合ってそうな風貌でした。
まずは帝国方面を守る壁の上です。帝国との国境は川です。でも、そんなに幅の広い川ではなく、オロ部長3体分くらいの距離。矢は余裕で届きます。相手の顔も判別できるくらいです。
その川の両岸で王国と帝国が対峙する形になっておりまして、それぞれの側に長い城壁みたいなものを長々と構築しています。
私達はそこをのんびりと歩いています。
「これ、どこまで続いているんですか?」
「さすがに森の方は瘴気が強くて無理ですが、結構な長さです。壁が終わっても柵での防御網もあります」
「転移魔法を使えば、侵入するのは余裕っぽいですね」
「川幅はそうないんですが、王国側にも干渉地帯を設けておりますので、並みの転移魔法の距離では監視に見付かります。それに、関所を通らずに入った者は殺すことになっています」
「でも、魔族級の転移魔法だったら?」
「ハハハ。それは無理です。空を飛ぶ魔物に対しては、ここの抑えが無駄なのと同じですよ」
川には1本だけ橋が架かっていました。誰も通っていないのは門が閉じているから。でも、そこが唯一の往来なのでしょう。
「おーい」
突然、帝国側から声を掛けられました。
「おーい」
偉い人も返します。
「馴れ合ってるとお思いかもしれませんが、それが大切だと私は考えています。相互理解が最大の戦争抑止力です」
「なるほどねぇ」
私は本当に感心しました。最前線の場所だから、もっと殺伐としているのかと思いましたが、むしろ牧歌的な雰囲気さえあります。それは、この偉い人の功績なのかもしれません。
「お名前は?」
「クハト・ムーラントです。取るに足りない者ですので、閣下の煩いとならぬよう、名乗りを控えておりました。非礼ではなかったことをご了解頂きたく」
「気にしないでください。私は平民出身ですし」
「篤く感謝致します」
ソニアちゃんも物珍しそうに見渡していました。近くの風景は川と帝国側の壁くらいですが、遠くの山は見えます。あのどこかに喧嘩屋フローレンスがいると思うと、気が引き締まります。
「そちらのお嬢様が女王陛下の手紙にあった帝国の方ですか?」
「はい。ソニアちゃんです。帝国の前の統治者の隠し子らしいです」
「お会いでき光栄です、ソニア様」
「いい。私は実感ないから」
クハトさんは反対側、つまりバンディール地方を視野に入れる側の壁も案内してくれました。
そちらには石畳の道が1本。それがずっと向こうへと続いていて、その先遠く、何日も掛ければシャールの街に至るのでしょう。
他に幾重ものトゲトゲの柵だとか、空堀や水堀もあります。見廻りの兵士さんも多く、下手したら帝国側よりも厳重に警備しているのではないかと思うくらいです。
「不思議でしょう? 我々は守るべき民からの襲撃に備えています」
「恨まれているのですか?」
「恨まれているのだとは思います。バンディールの地は帝国との戦争で荒廃し、次の戦争でも戦場となることでしょう。それを踏まえて、緩やかな棄民政策が取られています。人口を減らし、現地徴発をできないようにするのです。少なくない住民が自身の人生を恨み、そして、支配者を恨んでいるでしょう」
「嘆かわしいですね。国が民を守らないなんて」
今度、アデリーナ様に会ったらちゃんと苦言を申さないといけませんね。
「前王の政策ですが、アデリーナ陛下も今更の変更は難しいのでしょう。即位すぐに王国直轄地だったバンディールをシャール伯爵に授けた意図もよく分かりません」
小難しい話を私は難しい顔で聞いています。
「食料も帝国側の行商人から買い足す必要があるくらいです。彼らにとって良い商売相手ですよ、我々は」
「その商売相手が居なくならないように、攻められることはないかもしれませんね」
「ハハハ、ご明察ですな」
「こっちからは攻めないのですか?」
「このシュトルンの兵力では戦線を維持できませんよ。そして、帝国側も同様です。国境を自由にはしていませんが、平和と呼んで構わない状態です」
ソニアちゃんは、この間、黙って私達の後ろを付いてきていました。
アデリーナ様の予想と期待によると、彼女は帝国に内乱を及ぼします。その混乱は王国と帝国の平穏な関係を破壊するかもしれません。それを後ろめたく思っているのかと私は感じました。
「クハトさん、ありがとうございました」
「いえ、何も見処がないところです。ご退屈されていないか心配でした」
「そんなことない。クハトの有能さを知れた」
「ハハハ、お嬢さん、ありがとう。メリナ閣下、それでは失礼致します」
おっさんは爽やかな笑顔で去って行きました。
あんな感じの優秀な人が現場を支えてくれるから、女王様が遊んでいても王国は安泰なんですね。
部屋に戻った私はベッドに腰掛けていました。夕食までお昼寝と思ったのですが、ソニアちゃんが寄って来ます。
「ソニアちゃん、何?」
「日記。今日の分も書く」
「偉いねぇ。はい」
私は日記帳を快く渡しました。
○メリナ観察日記5
寝坊した。だから、帝国への門が閉まってしまった。明日はちゃんと起きたい。
メリナと一緒に街を廻った。真面目な顔をするメリナは初めて見た。ちょっとカッコいいと思った。
(作者より:新年明けましておめでとうございますm(_ _)m 今年もよろしくお願いします)




