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出立前

 ブホッ、ゴホホホと、私は激しくお茶を噴き出しました。

 ベセリン爺が静かに寄って来て、ポケットから取り出した白い布で汚した場所をきれいに拭ってくれます。


「どうなされましたか、お嬢様」


「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」


 読んでいた冊子にもお茶は飛んでおりまして、爺から借りた布を置いて吸わせます。



 近々、神殿を退職するだとっ!!

 ふざけんなっ!

 お前が抜けたら、今でも罰ゲームみたいな部署なのに、私以外が蛇、淫乱、淫乱ってより酷くなるじゃないですか!



「お嬢様、新しいお茶で御座います」


 ベセリン爺がそっと出してくれたのは、爽やかな香りのするものでした。私が狼狽したのを見て、適したハーブティーを出してくれたのでしょう。


 それを啜りながら、私は文章の続きを読みます。



「はぁ!?」


 淑女を目指すのを諦めることが賢い選択だとッ!? 私達には辛い道とか、それはお前だけだろッ!! 私を巻き込むんじゃありません!!


 爺が出してくれた新しいお茶の効果なのか、怒りでテーブルを叩き割りたい衝動は抑えられました。



「メリナ、うるさい」


「……すみません」


 今日も私から離れた窓際で食事を取っていたソニアちゃんがこちらを見て呟きました。

 お母さんは一心不乱にお食事されていて、そちらの方が見苦しくて騒々しいと私は思います。



 気分を一新させましょう。今日は聖竜様のご命令である喧嘩屋フローレンスを倒すために旅立つのです。かなり心を乱されましたが、戦闘に悪影響があってはなりませんからね。

 場合によっては、喧嘩屋フローレンスだけでなく、私を記憶喪失に陥らせたり、料理人フローレンスをシャールに運んだりと、不審な動きをするルッカさんが敵に回る可能性も考慮しないとなりません。

 気合いをしっかり入れていきましょう!



「お嬢様、お客様で御座います」


 そろそろ出立するかと思っていましたら、タイミング悪く来客でした。こんな朝っぱらから訪問してくる迷惑なヤツは1人しかいません。


 アデリーナ様です。胸にはふーみゃんを抱いておりました。

 誰も案内していないのに食堂に入って来ていて、私の前に座ります。その席は私が茶を吹き掛けたばかりのところなのですが、よろしかったのでしょうか。

 お尻、濡れていませんか?



「メリナさん、喧嘩屋フローレンスを倒しに行かれるのですか?」


「えぇ。聖竜様からのご命令ですから。帝国にいるのですよね。私、今から街を出るつもりです。しかし、アデリーナ様、これをご覧になってください!」


 私はテーブルに開いていたノートをアデリーナ様にお渡しします。


「どうしましたか?」


「何を暢気な事を言ってるのですか! アシュリンが神殿を辞めるって書いてるんですよ! 絶対に阻止しましょう!」


「いや、私は存じておりましたから。ご子息の教育と自らの修練の為、巫女を辞めたいと申し出を頂いております」


 ぐぬぬぬぬ、涼しい顔をしやがって!


「じゃあ、私があの何でしたっけ、息子のナウル君の面倒も見ますし、アシュリンの修行にも付き合ってあげますから、止めてください!」


「ふーん。メリナさんがここまでアシュリンに懐いているとは思っておりませんでした。考えておきますね」


「私しか人間のいない部署は嫌なんです!」


「失礼で御座いますね。オロ部長も人間ですし、メリナさんが人間かと問われると返答に窮するのが現状で御座いますよ?」


「兎に角、私はアシュリンさんがいない魔物駆除殲滅部なんて認めません!」


「はいはい。別にアシュリンがシャールから居なくなる訳では御座いませんよ。会いたくなればいつでも会えるのですが、了解しました。一度アシュリンに話をしておきましょう」


「ありがとうございますっ!」



 私が満足したところで、アデリーナ様は用件に入ります。


「怠け者のメリナさんが喧嘩屋フローレンスに立ち向かう気になったのは聖竜様のお蔭なのでしょうね。で、どうやって帝国領に入るつもりですか?」


「帝国って西の方ですよね。とりあえず、そっち方向に向かいます」


「……道は?」


「森を突っ切ります!」


 アデリーナ様は黙って、ベセリン爺が入れた茶を飲まれました。


「地図くらい用意しなさい。あと、普通は街道を行くものでしょ。普通なら西の大門を出て、バンディール方面に向かい、その奥に川を挟んで関所が御座います。そこを抜ければ帝国で御座います。メリナさんの策は密入国で御座いますよ」


「へぇ、お詳しいですね」


「問題は、国境を抜ける際の身分証明です。メリナさんは有名ですから、普通に行けば警戒されましょう。帝国で喧嘩屋フローレンスが暴れている今、メリナさんが向かえば、帝国の愚者どもは『やはり王国の差し金だったのか』と要らぬ考えを持つでしょう」


 ……喧嘩屋は暴れてるんだ……。帝国の人達、大変だなぁ。


「更に、メリナさんを私の側近だと誤解をされているようですので、隙を見せれば食事に毒を混ぜてくるかもしれません」


 ……帝国容赦無し。

 数年前に帝国がバンディール地方を攻めた時に捕虜になったシャールのおっさん、ヘルマンさんがお尻の純潔を奪われた話を思い出しました。恐ろしいです。


 しかし、そんな恐怖で私が聖竜様のご命令に背くはずが御座いません。



「それで、私は考えたので御座います。いっそのことね、戦争にしてしまいましょうって」


「……前はバンディールまで攻められたんですよね。下手したら、逆襲されてシャールも落とされるかもしれませんよ」


 アデリーナ様でなく前王が統治している頃の戦争でして、王国は最終的にバンディール地方は取り戻していますが、中心だった街バンディールは戦災で廃墟となったはずです。


「うふふ、メリナさん。帝国だけの戦争、内乱で御座いますよ」


「そんな巧く行きますか?」


「えぇ。そこの娘とともに帝国へ行きなさい。それだけで構いません」


 娘? ソニアちゃん?


「知ってたの? アデリーナ」


「私の国が違法な国境越えを見落とすとでも? 帝国内の動きも観測してないとでも?」


 ソニアちゃんは黙って首を横に振りました。

 その前で、お母様はガツガツと美味しそうに野菜を食べ続けていました。娘の会話は一切耳に入っていない様子でした。

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