アシュリン、照れる
暗くなりつつあるのに、街中を散々歩かされました。馬車を使えって距離です。
さて、何だかんだ思いながら着いた先のアシュリンさんの家は豪邸でした。
この付近は高級住宅街だなと思っていました。その中でも高い壁が続いている通りがあって、留学時代の学校を思い出していたのですが、1つの広大な邸宅だったのです。それだけでも驚いていたのですが、そこの門番に恭しく挨拶されたアシュリンさんが平気な顔で中に入りました。
慌てて追った私の目に、貧民街に作った聖竜様の祠のある空き地よりも広い庭園が広がります。豪華な像が真ん中にある噴水だとかきれいに剪定された木だとか、アシュリンさんのくせに生意気です。
庭だけでなく建物も大きく、白くて立派で横に長い二階建ての建物は竜神殿の本部よりも重厚なデザインでした。
使用人も多くて、至る所から現れてはアシュリンさんに礼をしていきます。
すっかり忘れていましたが、巫女服よりも迷彩柄の特殊軍服を好むヤツなのに、アシュリンも貴族だったのでした。
しかも、確か、シャール伯爵の血筋でして、前伯爵ロクサーナさんの孫、現伯爵の姪、シェラの従姉妹に当たる人物です。
信じられないです。ここまで貴族らしくない貴族はそうはいません。数々の暴力事件により、貴族の権威を傷付けまくっているのではないでしょうか。
しかし、何はともあれ、お食事を皆で堪能し、今はゆったりと団欒です。私は1人掛けソファに深々と座り、フットスツールに足を伸ばしてリラックスモードです。サイドテーブルにはカップや菓子の載った皿があり、「うむ、アシュリンよ、苦しゅうない」と心の中で言ってみました。
アデリーナ様は湯浴みを終えて、着替えておられます。彼女は昔からアシュリンさんと交流があるので、他人の家なのに自室まで貰っているのです。私なら迷惑なので、大金を積まれてもアデリーナ様に部屋を貸さないですね。
今はショーメ先生が入れ替りで汗を洗い流しに行っております。
「メリナもスッキリしてきてはどうだ?」
「えー、どうしようかな。んー、それじゃ、お言葉に甘えさせてもらいますね。あっ、アデリーナ様、私を待っている間、暇でしょうから、私の日記を書いておいてくださいね」
「日誌で御座いますよ。それに、メリナさんが妙なことをしていないか、後日私が確認するための日誌です。なのに、私が書いてはおかしいでしょ」
「はぁ? そんな意図があったんですか? マジ最悪です」
「あとはメリナさんを恐れない若い巫女見習い達がいましてね。これ以上増やさないように、新人教育のテキストに出来たらと思っております」
「いや、御託は良いんで書いて頂けます?」
「分かった! 私が書こう!」
横からアシュリンさんが申し出てくれました。私としては自分で書く必要がなければ誰でも良いので、快く書かせてあげることにしました。
そして、使用人さんに案内されて湯浴み場に向かいます。途中、ショーメ先生とすれ違いました。ほんのり湯気が体から上っていて、ポカポカになられたみたいですね。
小部屋で裸になって、続きの間に入った私はまたもや驚愕します。
そこは総大理石で作られていて、お湯もプールみたいに張ってある物凄い湯浴み部屋でした。私の実家の2倍くらいあって、戦慄しました。
これだけの財力があるのに、神殿では、ふざけた名前と仕事内容の部署に配属されているんですね。私なら、退職しますね。
戦闘バカのアシュリンさんだからこそ、仕事を続けているようなものですよ。
体を清めた私は部屋へと戻ります。体は温もりましたが、ある事情で心は冷え冷えです。
「あら、メリナさん。どうされましたか、浮かない顔をされて?」
私はアデリーナ様のお古を着ております。そう伝えられた訳ではありませんが、状況からそれが正しいと推測しています。
余りのショックの大きさに私はソファにどっかと座って、足を投げ出します。
「メリナ! 書けたぞ。受け取れ!」
日記の紙ですね。私は折りたたんでポケットに入れました。
「元気がありませんね。事情を仰っては如何ですか、メリナ様?」
心配そうにショーメ先生が尋ねてくれましたが、こいつは面従腹背なところがありますから、私は無言です。
「あっ、スケスケパンツ?」
っ!?
ショーメの単語に私は体をビクッとさせます。
その通りですが、私は無言を貫き通します。屈辱です。2年前に深いトラウマを刻み込まれた経験を、再び味わうとは思ってもおりませんでした。
歯を食い縛って耐えます。
「あぁ。メリナ、なんだ、また切れ味の良いカミソリを贈ってやろう」
アシュリン、その妙な優しさも辛いので黙ってなさい。
床を見ながら、焼き菓子をバリバリと食べて気持ちを落ち着かせます。
「メリナ様、履かなきゃ宜しいと思いますよ」
うるさいっ! そんな問題では御座いません! お手入れをサボっていた自分に強い怒りを感じているんです!
それに私は股間に布なし生活に戻れない体になっているのですよ! あと、アデリーナ様が気まずそうにしているのも分かっているでしょ!
「この中で一番強いのは誰でしょうね」
気が付けば私の話題は終わっていて、ショーメ先生がこんな事を尋ねてきました。
「面白い話ですが、別にこの中で選ばなくてもよろしいでしょうに。一口に強さと言っても、基準は様々ですし。そこらも踏まえて考えましょう」
太ももに置いたふーみゃんを撫でながらアデリーナ様が提案し、続けて喋ります。
「接近戦ならば、やはりメリナさん」
「違いますよ。私のお母さんです」
「うむ。私もそれに同意するぞ! 私を子供扱いするような戦い方であった」
あれ? アシュリンさん、お母さんを知ってるんだ。前職の近衛兵繋がりかしら。
「メリナさんの強さの秘訣は回復魔法だと思うんですけどね。あれのせいで、持久戦に持ち込めません」
「でも、ショーメ先生。ルッカさんとかフロンなんかは瀕死にさえもなりませんよ。魔族ってズルいです」
「殺すコツを掴めば簡単ですよ」
「ほう。私に勝てなかったお前が偉そうに言うとはな!」
なお、アシュリンさんはフロンに体を乗っ取られた過去があります。この辺は相性の問題なのかもしれません。
何回か話題が変わりつつ、やがて扉がノックされ、アシュリンさんの使用人が入ってきました。
「ナウル様がご帰宅になりました」
「うむ。ご苦労。来客のため、自室で待つように伝え――」
「お母様、ただいまー!」
おお! 使用人の脇から元気な男の子が飛び込んできました。アシュリンにも彼女の夫であるパウスさんにも似てない!! 可愛らしくて利発そうな男の子です! まだ5、6歳くらい。
「あー、お母さん! 家では普通の服を着るって約束したよー!」
「待て、ナウル。まだ仕事中だ」
「約束したもん!」
ナウル君的には軍服を着て欲しくないのかな。うん、物騒ですものね。
「しかしだな、ナウル――」
「ダメ! 皆に笑われたからダメなの! 遠足の時の忘れたの……?」
あー、学校か何かの親子参加のイベントで、アシュリンさんはいつも通りの格好で行ったのか。
「お母様が男だって笑われたー!」
あらあら、可哀想に泣き始めましたよ。
「アシュリン、着替えていらっしゃい」
「しかしだな――」
「息子が泣いているのに、何を躊躇っているのですか。幻滅します、アシュリンさん」
「デュランなら母親失格ですね」
皆から非難轟々となりまして、アシュリンさんは部屋を出ます。
そして、戻ってきたアシュリンさんは見事なドレス姿を披露したのでした。
筋肉質な体ではありますが、細身で絞られた体であったこと、顔も中性的な感じで整っていたことなど好条件が揃い、新たな淑女が誕生したのです。アントニーナとは違い、外観は完璧です。体の大きさと短髪だけは誤魔化せていませんが。
アシュリンさんは頑張りました。なのに、ナウル君はまだ不満だったのか、部屋を飛び出してしまいます。
「ま、待て! ナウル!」
慣れないおしゃれな靴のせいで、アシュリンさんは追い掛けずに声だけで静止しました。が、当然に感情が爆発している子供は聞きません。
チャンスです。さすがに子供がいる前では耐えていましたが、今ならオッケーです。
「ぷふ。馬子にも衣装」
「メリナっ! 喧嘩を売っているのか!」
「いえいえ、滅相もない。案外に似合っていますよ」
「メリナっ!!」
いやー、アシュリンさんも可愛らしいところがありますね。照れておられる。
「結婚式以来で御座いますよ。アシュリンのドレス姿は」
「えぇ。普段から着たら良いと私も思いますね。メリナさんとは違って、腹の中だけで笑いますので安心してください」
真っ赤な顔をするアシュリンさん。
そんな中、ナウル君が再び部屋に走り込んで来ました。
「お母様、これを忘れてる!」
手にしていたのはウィッグです。色の薄い金髪。長すぎてナウル君が持つと、だらりと床に届いていまして、まるで人間の頭だけを持っているみたいに見えました。
「あ、あぁ、そうだな、ナウル」
言葉だけで受け取る気のなかったアシュリンさんに、私がナウル君から引き受けて渡します。
「ほら、どうぞ。うわぁ、似合ってますよ、アシュリンさん。ナウル君も嬉しいよね」
「うん!」
彼は満足して満面の笑みです。
そして、私も満面の笑みでアシュリンさんの耳のそばで囁きます。
「くくく、これで3年はアシュリンさんをいじり倒せますね。おぉっと、暴力反対。子供が見てますよ。悲しみますよ」
彼女は肩を震わせて、恥辱を我慢していました。愉快です。
アシュリンさん、ありがとうございます。十分に楽しませてもらいました。いやー、借金を立て替えて良かったです。
メリナ観察日記3
メリナ・デル・ノノニル・ラッセン・バロは有能な戦士である。
突出した戦闘意欲、戦況に合わせた判断能力、万物を捩じ伏せようとする殺意。体技や魔法能力に優れている者はいても、これらを併せ持つ者は少ない。
しかし、今日もであるが、私とフェリス・ショーメなる女中が戦うとなったのであるなら、戦士であるメリナも参加するべきであったのだ。戦闘を愛する気持ちが足りない!
常に目をギラギラさせ、戦闘と聞けば涎を垂らす! そうすることで、他者はメリナを畏れ、そして、意見する者もいなくなるであろう。
最後にメリナよ。近々、私は神殿を退職する。指導する者がいなくなるが、自らを律して立派な戦士となるが良い。
なお、淑女を目指すのは辞めたのか? 賢い選択だ。それで良い。私達には辛い道だ。




