メリナ、満足する
聖竜様は寝ておられましたが、私が出した照明魔法でお目覚めになられ、首をゆっくりと上げられました。
『お前達か。ここは聖域であると何度も告げたであろう。気軽に来て良い場所ではない』
威厳たっぷりに聖竜様は仰いまして、その渋い重低音が聞けただけでも「来て良かったなぁ、また絶対に来ますね」と思いました。
「でも、聖竜様。緊急事態なんです。巫女長が分裂したんです」
聖竜様は尾を振ると、転送魔法で地上に戻らされます。そうならないように、私は挨拶もせずに用件を伝えました。
『アデリーナよ、メリナは何を言っているのか?』
む……私に尋ねてくれないんだ……。
「そのままで御座います。フローレンス巫女長が4体に分かれて、それぞれが動いています」
聖竜様はそれを聞いて、眼を瞑ります。
『うむ。地上を確認したのであるが、いつものフローレンスであったぞ』
あれ? あっ、そうか。
飼育係のフローレンスは巫女長の外観と同じですものね。
「帝国領の方に喧嘩屋フローレンスがいるそうなんですが、分かります?」
『そこらは分からぬな』
遠いですものね。
「スードワット様、そのいつものフローレンスはいつもの巫女長と同じでしょうか?」
『何を言っておる、アデリーナ? 同じである――ん? あれ? えっ、怖い』
明らかに聖竜様が動揺しています。
「どうしましたか、聖竜様!? 遂に左右の半身に離れて活動し始めましたか!? そうであるなら、私、メリナにお任せください!」
巫女長のめちゃくちゃ具合ならそれくらいしそうです!
『こっちは見えないはずなのに、あの人、視線を合わせてくる……。えー、何? 見えてるの……?』
聖竜様は千里眼的な能力をお使いになっておられるみたいです。巫女長はそれを感知して、逆にこちらを覗いているのでしょうか。
偶然だと思うんですが、確かに怖いですね。
『うん、でも、いつも通りのフローレンスであるな』
再び目を開いた聖竜様はそう結論付けました。聖竜様の目は節穴では決して有りませんので、それが真実なのでしょう。
「どう思います? メリナさん」
「どうもこうも、聖竜様の言葉が真実ですよ。飼育係の巫女長はいつも通りの巫女長だと判明しました」
「……聖竜様、もう1人のフローレンスは見当たりませんか? 料理人を自称する中年女性で御座います。魔力の質は今見た巫女長と同質なので御座いますが」
『シャールの街にはおらぬな』
一瞬で即答する聖竜様、かっこいい。素敵。さすが。有能。
「シャールの郊外、いえ、あなたが感知できる全域では?」
『それは時間を要する。分かれば伝えようぞ』
「はい。宜しくお願い致します。なお、その料理人のフローレンスにはお気を付け下さい。聖竜様を料理的な意味で調理したいと申されておりましたので」
『えっ! 怖い! それ、竜の巫女としてどうなの!?』
今日の聖竜様、驚き過ぎて話し方がフランクになることが多いですね。
「その料理人はメリナさんが倒してはおりますが、生死に不審な点が御座います」
『メリナよ、可能であれば倒すが良い。喧嘩屋とかも怖いので、念のために倒して』
「勿論です! 聖竜様のご命令とあれば、このメリナ、全身全霊でぶち殺してやります!」
ヤル気と殺気に満ち溢れて来ました。これが愛の力なのですね。
「ちなみに、メリナさんの好物も竜の肉です」
「私は聖竜様を食べませんよ。料理的な意味では」
キャッ。軽く口にしてしまいましたが、下ネタ過ぎたかしら。
部屋がとても静かになりまして、私は穴があれば入りたい気持ちになりました。赤面です。
「聖竜様、私は精霊についてお聞きしたいことが御座います」
幸いにもアデリーナ様は私の発言を無視してくれたみたいです。
『何であろう。我が知り得ることならば、答えようぞ』
聖竜様も同様に聞き流してくれました。
メリナ17歳、とても助かりました。口が滑るとはこういうことを言うんですね。
「精霊の肉を食らうと祝福を与えられる。そして、その代償として精神に影響を受ける。意識の一部を乗っ取られると表現した方がよろしいでしょうか。でも、何のために?」
聖竜様はすぐには答えませんでした。深く考えるように少し上を向いて、しばらくした後に答えられます。
『精霊の肉に限らぬ。新たな魔力を体内に取り込めば、その影響を受けるのは必至。普段の食事でも僅かではあるが、思考の変化は起きているのである。精霊の肉は魔力が沈着しやすいだけのことよ。それに理由はなく、そういうものでしかない』
私も聖竜様と会話したいです。だから、無理矢理にでも横から口を挟みたいと思ってました。今がチャンスです。
「でも、聖竜様。精霊は人に食べられたいのかもしれませんよ。だって、獣の形で現れるんですもん。あれが石とか泥なら私も食べようなんて思わないです」
横でアデリーナ様が「ほぉ」と偉そうな感嘆の声を小さく上げました。
『……そういう仕組みなのである』
歯切れが悪いです。でも、困ったお顔の聖竜様も珍しくて、私は嬉しいです。なので、更に喋りましょう。
話題に困りますが、お父さんの読んでいた自己啓発本に載っていた『逆転の発想』を実践します。『逆に』という言葉を使えば、何となく賢く思われるっていう安易な方法です。
「逆に、アレですかね。人間は精霊を食べるために進化したとか。魔力は精霊が自己防衛のために人間に与え意識を支配しようとしているとか。そんな風にも考えられます」
アデリーナ様が「……やるじゃない、メリナ」とまたもや上から目線の呟きを吐きました。
逆転の発想、成功しました。私はウキウキです。
『メリナよ。時に精霊は人を利用し、時に人は精霊を利用する。両者は持ちつ持たれつであるのだから、それで良いではなかろうか』
「はい! 聖竜様がそう仰るなら、私に異論はありません!」
『アデリーナよ、お前もそれで良かろうか?』
「そうで御座いますね。まさか、よりにもよってメリナさんに気付きを与えられるとは思いもしませんでしたが、少し自分で考えたいと存じます」
……こいつ、私を何だと思ってるんですか。
『ふむ。では、用は済んだようであるな。早々に立ち去るが良い』
聖竜様は気が早くて、いつ訪問しても「ゆっくりして行くが良い」とは言ってくれません。
「お待ちください、聖竜様。私、お詫びしないとなりません」
急ぐ気持ちもあって、一歩前へと出ます。
『何であろうか。気にすることはないぞ。帰るが良かろう』
帰りませんよ。
「先日は失礼致しました。実は私の記憶が奪われていて、聖竜様の雄化魔法成功のお祝いをできませんでした。是非とももう一度お見せ頂きたく存じます」
『うむ。恥ずかしながら苦心して習得した魔法であるので、我も是非褒められ――ごほん、我の古竜としての権能をしかと見て、我を尊敬するように』
おお! 聖竜様、ちょっと嬉しそうです。
私との結婚が近付いたからでしょうか。さっきとは違って、若干良い意味で私は赤面してしまいます。
『はい。どうでしょう!』
聖竜様の体内を結構多めの魔力が駆け巡ります。外観に変化無し。私は鋭く観察しています。
ゆっくりと聖竜様に近付きます。
『む? メリナよ、どうしたのであろうか?』
鱗の表面の薄い紋様まで確認できる至近距離まで来た私は、思いっきり聖竜様の下腹を殴ります。
ドガッと大きな音がして、小山の様な聖竜様の体が横倒しになりました。衝撃と共に土煙が巻き起こります。
「どりゃぁああーー!!」
更に渾身の一撃を狙いすました場所へと打ち込みます!
私、ガランガドーさんで試したことがあります。ヘビも竜と同じなのですが、雄が雄たる大事な部分は普段は体内に納められていて、雄なのか雌なのか分かりにくいのです。
でも、下腹のところを強く押すとニョロリと出てくるんですよね。これを半陰茎と呼びます。マイアさんに教わったのです。
聖竜様の体からも出てきました。白いニョロニョロが。複雑な形ですね。
「魔法の成功、しかと確認致しました。メリナ、聖竜様の偉大さを噛み締めております。ちゃんと目に焼き付けました」
聖竜様は横になったまま、無言でした。
満足してアデリーナ様の下に戻った私に、置物の様に動かず立っていたイルゼさんが寄って来ます。
「メリナ様。ご自身が敬愛する大覇聖竜スードワット様をも打ち倒し、この世の儚さを私に見せてくれたのですね。大司教レイラ、枢機卿ジョアンとともに信者に今見せて頂いた奇跡を語らせて頂きます」
……ん、うん……。
何だか、凄く絡み難い人になったなぁ、イルゼさん。
「しかし、一点だけ分からない事があります。愚かな私がお教えを乞うことを許して頂けないでしょうか?」
「……はい。どうぞ」
「料理的な意味では食べないということは、別の意味ではメリナ様は大覇聖竜様を食べてしまうのでしょう。では、どういった意味でしょうか?」
…………それ、引き摺るかぁ。
「イルゼ、時間の無駄です。戻りますよ」
アデリーナ様が助け船を出してくれました。小さくお礼を言ったら、「耳が腐り兼ねませんから」と冷たく言われました。




