竜を愛する料理人
私は起きてすぐに宿屋のカウンターに向かいました。今日はオズワルドさんが居たのです。ノノン村から帰ってきてから、彼を見たのは初めてかもしれません。お忙しくされていたのでしょう。
金貨がぎっしりと詰まった皮袋を2つ、艶光りするカウンターに置きます。
「メリナ様、これは?」
「宿賃ですよ。未来永劫とまでは行かないでしょうが、これで暫くは私を泊めてください」
「コリー様からも頂いているのですが、それではご遠慮なく頂きます」
オズワルドさんは慣れた手付きで皮袋の紐を解いて、中身を確認します。
「えっ!! メ、メリナ様! こんな大金をどうやって稼いだんですか!?」
「……知りたいと言うのなら、お答えしましょう」
「い、いえ!! 結構で――」
オズワルドさん、その勘は当たりですよ。しかし、私は止まりません。
「なんとアデリーナ様の竜神殿に預けていたお金を勝手に下ろして用意したのです! オズワルドさん、お受け取りして頂き、大変にありがとうございます」
笑顔で私は言い放ちました。
「ひ、ヒィィイイ!!」
「オズワルドさん、これって共犯ですかね? マネーロンダリング的な」
私が勝手に使っているだけな気もしますが、オズワルドさんが頷けばマネーロンダリングでしょう。
「じ、自首しましょう! 今なら間に合います!」
小さな男ですね。
「大丈夫ですよ。アデリーナ様は腐ってもこの王国の女王様。金貨2000枚くらい、大した額じゃないでしょう。それにバレたら、これは私の正当な報酬だって言える状況ですから安心ですよ」
「そ、そうなんですか……」
「はい。でも、もしもアデリーナ様が怒髪天を衝くって感じになったら、一緒に謝りましょうね」
「ヒィィイイ!!」
凄い表情をするなぁ。オズワルドさんは面白い人です。
「あっ、オズワルドさんは私の両親の知り合いなんですかね?」
「あ、あっ、はい……」
おぉ! すごい奇遇ですね!
そして、違う話題になって、オズワルドさんが少し安定して良かったです。
「お父さんが『昔に立て替えてもらった借金を利子を含めて返せそうです』って。どれくらいの借金だったのかな? お父さんの計算が間違っていたらご迷惑ですし、アデリーナ様の口座からもう少し拝借しておきましょうか?」
「止めてー!!」
いやー、オズワルドさん、面白いなぁ。こんなにノリの良い人だったんですね。
「お嬢様、それくらいでご容赦されて下さいまし。オズワルド様、水をお持ちしました」
「あ、あぁ……。助かる、ベセリン」
む、私のベセリン爺を呼び捨てですか……。オズワルドさんのクセに、それは頂けませんよ。
「……ちょっと横になってくる。しばらく任せた」
オズワルドさんはカウンターの向こうにある部屋にフラフラと消えて行きました。
さて、私は食堂です。朝御飯を食べながら、お仕事手帳だったノートを広げまして、昨晩、料理人さんに書いてもらった私の日誌を糊で張り付けます。
ソニアちゃん親子も窓際の席でお食事中でした。昨日は遅くなったので、この宿屋に泊めてもらったんですよね。
ソニアちゃんは静かに食べているのに、お母さんの方は騒がしく食器を鳴らしています。あのお母さんから、あれだけよく躾られた子供ができましたね。何だか3角形の心にも詳しかったし。
うん、ソニアちゃん、あの幼さで苦労しているんだと思います。それが良い方向への成長に繋がったのでしょう。
さて、改めてノートに目を遣ります。
料理人さん、達筆ですね。大変に読み辛い。
……一目見て、私は背中がゾクリとしました。
私はこの独特の崩し文字を見たことがあります……。最初に見たのは、2年以上前、まだ村に住んでいた私が竜の巫女に誘われた時の紹介状です。今は色んな書類を読むことで慣れましたが、あの時は署名者が誰かさえも読み取れなかったものです。
えっ、まさか……。私は最悪の事態に巻き込まれているのかしら。
いえ、筆記法は色んな流派が有りますから、たまたま彼女と一緒なのかもしれません。何より、あの料理人からは強さを感じなかったではありませんか。
そう心を落ち着かせて、私は最初の文章を読みます。
"食材を余るところなく利用するのは、大変に良いと思ったわよ。もったいないし、食べようと思えば何でも食べられるものよね。素敵よ。"
普通です。料理人さんも食材を大切にする気持ちが伝わってきて、私は少し安心します。
"それに、世の中には気付かれていない美味があるの。メリナさんもお気付きかしら。もし、まだなら私と共に食を追求しない?"
うんうん。
一時期、私も美味しい肉包みパンに衝撃を受けてパン職人を目指したことがあります。
私の職人気質が知らずに漏れ出ていて、こんな誘いを受けたのかもしれませんね。
うふふ、ちょっと嬉しいです。
"そうそう、精霊って美味しいのよ。ほら、覚えてる? あの地下迷宮の奥にいた獣型の精霊。メリナさんにも食べて欲しかったと思ってるのよ。"
……え…………?
うん? ……え……?
見間違えかと思って、目を擦ってもう一度見ましたが、間違いではありませんでした。
私の心臓がバクバクと音を立て始めます。
ゆっくりと次の文章に目を動かします……。
"ところで、聖竜様の所にはいつ連れて行ってくださるのかしら? 私、早くお会いして調理したいのだけど。"
体が震えます。
固唾を飲み込んで、最後の名前へ。
"竜を愛する料理人 竜神殿巫女長フローレンス"
「ヒッ! ヒィィイイ!!」
私の大声にソニアちゃんが顔をこちらに向けました。また、ベセリン爺が外から駆け付けます。
「どう致しましたか、お嬢様?」
心配する気持ちを抑えた彼の静かな物言いでしたが、私の恐怖を抑えることはできません。
「ガ、ガランガドーさん! ガランガドーさん、居ますか!?」
本当は心の中だけのつもりでしたが、口にも出していました。
「ガランガドーというのはお嬢様のペットのドラゴンですな。残念ながら、私めはどこに行っておるのか存じ上げません。ご命令とあれば、探しに参りますが」
「い、いえ、すみません。水を、冷たい水をください。あと、ショーメ先生は!?」
ベセリンはすぐに水が入ったコップをテーブルの上に置いてくれました。また、ショーメ先生がキッチンから出てきます。
「これが原因ですか? 朝から騒がしいですね」
先生は私のノートを手に取り、じっくりと目を通します。
「よく分かりました。どうされます? 始末しましょうか?」
「で、できるんですか!?」
「どうでしょう。あの魔力量の少なさは却って警戒させますよね」
でしょ! 私もそうなんです!
何かを隠し持っているみたいで怖いんです!
「アデリーナ様にご相談なさっては?」
「そうですよね!!」
いざと言う時には、アデリーナ様です!
何なら全責任を背負って頂けると有り難いのです。
ガランガドー! ガランガドー! 起きているでしょ!
『主よ、聞こえておるぞ』
ならば、分かっているでしょ! 竜を愛する料理人の巫女長がこの街に入っているんです! どうして教えなかった!
いや、どうして帝国に居るって虚偽の情報を流した!?
『騙した訳ではないのだ。気付けば、こちらに来ていたようであるな。その料理人とやらは、既に我の眷属ではなくなっておる』
何が起きているのですか!?
『ルッカがそれをシャールに連れてきた。全てはルッカの仕業ではなかろうか』
ルッカだと!! あいつ、私の記憶に関しても何かした様ですし、完全に私を害してきていますね!
ガランガドー! すぐにアデリーナ様を背中に乗せて、この宿屋まで来なさい!
『ルッカと戦うのであるか?』
無論です! 1発、いえ、10発くらい叩いて顔面を潰してやります!
『ふむ。では、そう――えっ、誰? えっ、イタっ!! 嘘! 包丁!? デカっ! えっ、助け――』
突然にガランガドーさんが混乱しまして、事態が急変したことを知ります。
私の勘が外れていれば良いのですが、竜を愛する料理人に調理されたのではないでしょうか。
竜好きで精霊好き。ガランガドーさんは彼女のために生まれてきた食材みたいな者です。
哀れなガランガドーさんからの返答は、もう一切ありません。私が優しく問い掛けても、沈黙です。
あっさりと絶命、と思われます。過去には『死を運ぶ者』と嘯いていた彼ですが、最近は彼自身の死ばかりが運ばれている気がします。
さて、急ぎましょう。
あそこは聖竜様の聖域である竜神殿。血で穢すなど許されることではありません。巫女長への恐怖など吹き飛ぶくらいの想いが、心に涌き出ていました。
私はショーメ先生を伴って、またもや皆の家の屋根を疾走します。




