貧民街の楽しい夜
「ボスのお姉ちゃん。お代わり、欲しいな」
ずっと私を応援してくれている女の子がやって来ました。先程も私達のお料理をお渡ししたばかりなのですが、足りなかったのかな。
私は快くお椀にお汁を入れて上げました。気持ち、具材を多めに。
「ありがとう。こんなにいっぱい食べたの初めて」
「そうなんだね。でも、このお肉は食べられないかもだから外そうか」
私が除こうとしたのは鞄の紐の断片です。
「大丈夫だよ。革だから大丈夫だよ」
……大丈夫じゃないと思うけど、ここの住人はいける口になっているのでしょうか。
「黒い服のお姉さんも竜の巫女?」
今日もアデリーナ様は巫女服を着ております。
「はい。そうで御座いますよ」
「私もなりたいんだ。どうやったらなれるかな?」
「聖竜様がお呼びしている声が聞こえましたら迎えに参ります。でも、何かこれだけは他人に負けない、という特技と自信がないと入ってからが大変で御座います」
特技の件は初耳です。でも、確かに私の同期2人もシェラは踊り、マリールは変な実験で活躍しています。魔物駆除殲滅部の奴らは……うん、人を人と思わない粗野な性格で抜きん出ていますね。
「特技かぁ。何か有るかなぁ」
「必ず御座います。しかし、ご自分でそれが何かを見付けるのが大切なので御座います。どうか精進なさってくださいね。きっと道は開かれます」
神殿では新人の面倒を見る係のアデリーナ様。その立場からの発言だったのかもしれません。
「メリナ様、お疲れ様でした」
ショーメ先生がやって来ました。また何か悪さを企んでいるかもと私は警戒致します。
「こちらのステーキをどうぞ」
「下剤でも入っているんじゃないですか?」
「うふふ。大丈夫ですよ」
「メリナさん、頂きましょう。私に毒を盛っているのなら冗談では済ませません」
確かに。私ではなくアデリーナ様にも危害を加えるとなると恐ろしいことになりそうです。
絶品でした。やはりドラゴンの肉は良いものです。油がよく乗っていまして、お口の中でとろけて、舌に旨味が纏わり付く感じです。
「自信作でしたが、ここの方々の口には濃すぎたようで残念です。負けましたね」
あー、普段から粗食だったから胃が受け付けなかったのかな。
ショーメ先生の顔に悔しさは見えませんでしたが、勝敗は決していることを分かっているのか柔らかい表情でした。
私はステーキのお礼に煮込み料理を振る舞います。デンジャラスさんの分も用意しました。
「ありがとうございます。でも、これは要らないですね」
ポイっと浮いていたカブトムシの足と頭が捨てられました。
「あと、これは危ないですね」
あー、鍋の欠片ですね。えぇ、口に入れたら大出血しそうです。なお、鍋底に沈んでいるので意図的に掬わないと入らない具です。ショーメ先生、その意図が分かったかなぁ。
「メリナ、私達のも食べて」
ソニアちゃんが薄く切られた生肉を私に持ってきます。
「意外に美味しい」
負けん気の強いお子様ですね。食べて上げたいのは山々ですが、それ、腹痛が凄いことになるんじゃないかな。
回復魔法を覚悟しつつ、私は指で掴んで頂きます。
「……うまっ! 何これ!?」
焼いていない只の生肉です。でも、程よい弾力に加えて、噛むほどに溢れてくる肉汁。塩のみのシンプルな味付けなのに、臭みもない!
「ほぼ野生生物のメリナさんだからこその感想でしょう」
「いやいや、アデリーナ様! 騙されたと思って食べてくださいよ!」
「そう。アデリーナ、食べてみて」
しかし、それでもアデリーナ様は頑として聞き入れません。だから、私はアデリーナ様の口にお肉を捩じ込みました。
「……美味しいわね」
「でしょ!!」
そんな会話が周囲にも聞こえていたのでしょう。いつの間にかガルディスが大きなダミ声で行列を仕切っていました。
「これ、私が切ったお肉。こっちは不味い」
ソニアちゃんは仕事もせずに、私達の傍にまだいます。
見た目は似た感じなのに、確かにただの生肉です。噛み切るのに力が要りまして、生臭くて、味も薄い。これなら焼いた方が美味しいです。
「あの料理人、凄腕」
「切り方と部位の選び方ですね。本職の人には勝てませんよ」
なるほどねぇ。
勝敗は決しました。食べた者の感想を聞いた者がドンドン流れて行って、皆、ガルディスと料理人の所に並んでいます。
これ以上、煮込み料理を配る必要はなさそうです。明日の朝とかに食べて貰えば良いかな。
「皆様、お疲れ様です」
片付けを終えたデンジャラスもこちらに来ました。元上司に汚れ仕事を任せきりにするショーメ先生は流石だと思います。
「本日は失礼致しました。能力の高いお二人ですが、分野によっては敵わぬ相手がいるのだと知って頂きたく、このような失礼なマネを致しました」
「では、あの料理人もデンジャラスさんの手の内だったんですか?」
「……どのような経緯でも結果が重要ですので」
あぁ。口から出任せでしたね。
デンジャラスさんは元々聖職者のトップでしたので、物事を耳障り良く喋ることに慣れています。でも、慣れているだけで、その裏の打算とか透けて見えるんですよね。
今回も敗北が決定しているために被害を軽くする目的でしょう。
「優勝者はあの料理人で良いでしょう」
ほら!
第3者を勝たせることで、実質引き分けに持ち込みたいのですよ。
でも、私もそれでオッケーです。
そもそも、このスラム街に潜伏したのは借金から逃げるため。その借金は返し終えましたし、逆に2000枚くらい余分に入手しました。アデリーナ様の口座から落としたお金ですが、これは私が色々と運搬した代金ということで説得できる自信があります、
「そうですね。そうしま――あっ、あれ! ソニアちゃんのお母さん!!」
暗いから分かりにくかったのですが、かがり火の近くに来たから、生肉の行列に並んでいるのが見えました!
「本当だ。いた。メリナ、ありがとう」
喜びも驚きもしなかったソニアちゃんは生意気ですが、それでもスタスタと歩いて行きます。感情を出せない性格なだけで内心は嬉しいのでしょう。
優勝者はソニアちゃん、ガルディス組です。料理人の方は「あらあら、まぁまぁ。でも、私は流離いの料理人だから優勝者にはなれないわね」と遠慮されました。
ソニアちゃんもこのスラム街に縁も所縁もありません。だから、新たなボスにはガルディスが就任することに決まりました。
……とても気になる口調です、料理人。
それはアデリーナ様もショーメ先生も同じでして、皆の体内の魔力に動揺というか戦闘態勢に備えるような動きが読み取れました。
でも、料理人はそれに気付いた様子はなく、人の良い笑顔でキョトンと私達を見るだけでした。やっぱり違うか。何回確認しても魔力的にはガルディス以下の雑魚です。
それでも、何とも言えない不安感はありました。そんな中、アデリーナ様が寄ってきました。
「メリナさん、日報の件、覚えていますか?」
「はい。お仕事手帳の代わりに付けるんですよね?」
「その通りです。今日の分は、あの料理人に依頼なさい。氏名を書かせて素性を探るのです」
「ベセリンが今日の分を書いてくれましたよ?」
「構いません。お行きなさい、メリナさん」
もう我が儘なんですから。どういう躾をされたら、こんな暴虐三昧の王様に成長するのでしょう。
「すみません。突然ですが、私の日報を書いて頂けませんか?」
反対に私がこんな話し掛けをされたら、一目散に逃げますね。怖いです。
「まぁ、あなたの日報? このお料理対決であなたがどうされていたか、私の感想も書きつつ綴れば良いのかしら?」
話が早い方で良かったです。
私は紙を一枚渡しましてお願いしました。「お名前もお忘れなく」と言い添えて。
夜も深まり、帰宅の時間となりました。ベセリンが手配した馬車にアデリーナ様は乗って神殿へ、私やソニアちゃん親子、ショーメ先生はベセリンに宿屋に連れて帰ってもらう予定です。
デンジャラスさんはスラム街に残ります。既に、ここに住居を持ったからだそうです。彼女の見た目に相応しい場所ですので、それで良いと思います。ガルディスが新たなボスでは不安でしたが、彼女がいるならば、治安も少なからず良くなることでしょう。
「でも、ここは聖竜様の楽園にしてくださいよ。リンシャルのは他の場所でお願いします」
「そうですね。そうしましょう。メリナさん、私は味わって欲しかったのです。自分が信仰する物が奪われる屈辱と悲しみを。メリナさんの意思ではないのですが、デュランでは分派メリナ正教会が力を持ち過ぎ、古来からのマイア正教の伝統は疎かにされつつあります。慣習に安寧を感じる古い人間もいるのです。どうかメリナさんから聖女イルゼに変革の速度を緩めるように言い含めて頂けませんか?」
片方は私の名前を冠するとはいえ、邪教の派閥争いに興味は御座いません。
でも、デンジャラスさんは私に取り引きを求めているのです。デンジャラスさんは聖竜様の楽園を作り、私はメリナ正教会の勢いを削ぐ。
どちらも私にとっては大変に良いことですので、断る必要はありません。
しかし、交渉で即答は悪手になり得ます。なので、たっぷり沈黙の時間を取った上で私は返答しました。
「分かりました。私もイルゼさんが少し性急だとも、また、私の名前を勝手に使うなとも思っておりました。その約束、果たすと誓いましょう」
「流石はメリナさん。頼りになります」
「ガルディス、このデンジャラスさんの言葉も聞くのですよ」
「おう。ボスの聖竜様を大切にするなら、この女の言うことも聞いてやらぁ」
「良い心掛けです。精進なさい」
「ボス、教育が足りねーヤツが増えたらまた来てくれていーんだぜ」
「お前が教育しなさい。もしも、お前が間違った道に進んでいたら、その時はお前を教育してやります」
「おぉ、それはこえーな。気を付けるぜ、ボス!」
さて、アデリーナ様とは別れて馬車に乗ります。その際に、料理人のおばさんから記入頂いた紙を渡して頂きました。馬車の中に灯りはなくて、私はそれをポケットに入れて宿屋へと戻りました。
(料理人さんによる日報)
食材を余るところなく利用するのは、大変に良いと思ったわよ。もったいないし、食べようと思えば何でも食べられるものよね。素敵よ。
それに、世の中には気付かれていない美味があるの。メリナさんもお気付きかしら。もし、まだなら私と共に食を追求しない?
そうそう、精霊って美味しいのよ。ほら、覚えてる? あの地下迷宮の奥にいた獣型の精霊。メリナさんにも食べて欲しかったと思ってるのよ。
ところで、聖竜様の所にはいつ連れて行ってくださるのかしら? 私、早くお会いして調理したいのだけど。
竜を愛する料理人 竜神殿巫女長フローレンス




