アデリーナ様の心遣い
日報を開いた途端に目に入ってきた文字は確かに私の筆跡でした。早速、読んでみます。
初日
今日からナーシェル貴族学院に入学した。
いっぱい勉強するぞ!
ふむ。これは私が留学していた頃の日報ですね。ナーシェルとは何か分かりませんが、国か偉い人の名前かな。王国の外の国は蛮族しかいないと何かの本に書いてありましたので、うほほ言っている連中しかいない学校だったでしょう。
……いや、違いますね。私は卒業時に寄せ書きを貰っていました。ナーシェル貴族学院の人達も文字を知っていますし、理解はできませんが絵を描く文化もお持ちです。
この日報を書いている私も入学した喜びしか書いていません。つまり、蛮族どもの学校という偏見は全く感じられません。
当然の事ですが、過去の自分も極めて理知的な人間であるということが分かる文章です。
素晴らしい。
2日目
今日の私はシャイニング。
あいつの股間はハプニング。
真っ赤に染まったチンチ――
下品過ぎて最後まで眼を遣ることは叶いませんでした。
ビックリしました。
この日に何があったのか……。
シャイニング、この意味する所は輝きです。よって、私は何かワンダフルな事をしたのでしょう。例えば、いきなりダントツの成績でクラスの皆の度胆を抜いたとか。有り得ますね。
「うわっ、あの美少女転校生、頭も良いのかよ!」
「きゃー! 憧れちゃう!」
「フッ、あいつがナンバーワンだ……」
「是非! 是非とも我が校の教師に! いえ、国の王様になってください!」
と、色んな褒め言葉が鳴り響いたでしょう。
しかし、次の2行目と3行目は何でしょうか。
あいつと書かれた誰かの股間に事件が起こり、真っ赤に染まったとは読み取れます。
それをどういった目的で日報に書いたのか。可能性としては暗号ですね。
ナーシェル貴族学院があるのは異国。留学生を隠れ蓑に、私はスパイ活動をしていたのかもしれません。
……女スパイ、カッコいい。
ん? 兵隊さん達も私がお忍びでここに居るという話を簡単に信じていましたね。
なるほど、過去に私はそういった事をしていたならば、すんなりと受け入れられるでしょう。女スパイ説有力です。
となると、2日目にして任務を遂行した私はシャイニングという言葉で、ミッションコンプリートの事実を記した訳です。
うんうん、分かってきましたよ。
ヒントは過去に読んだお父さんの秘蔵小説です。女スパイは大体の場合、敵に捕まると裸にされます。正体を怪しまれ、それから脅迫されてヤラしいことを強制されたりもします。
悪どい人間に清純派美少女スパイであることを見抜かれた私は例えば「胸を揉ませろ」的な言葉で脅されたのでしょう。
しかし、無論、私はそんな言葉に従う訳が御座いません。
そして、相手の股間を破壊。
この3行の報告文を読む人が読めば、何が起きたのか、はっきりと分かるのです。
ふふふ。では、3日目に行きましょう。
3日目
好きな食べ物は「人間の肉」じゃなくて、「お前達だっ! グハハハー、食らえ、デスビーム! ビビビー」なら盛り上がったかな。
次は外さないもんね。
……どんな状況なんだろ?
そもそも、これ、日報なのかな。日記だと勘違いしてない? それにしても恥ずかし過ぎる。
やった事も書いた内容も外し過ぎてますよ。気付いて欲しかったなぁ、当時の私。
表紙を確認します。
うーん、やっぱり日報帳って書いてあるなぁ。
これ、他人に読ませる前提ですよね……?
死にたくなるほどの駄文なんですけど。
私は続きを見るのを諦めました。
これは暗号です。中身は日記と見せ掛けて、きっと事情を知っている人にしか理解できない構成になっているのでしょう。
仕方御座いませんね。収穫はなさそうです。
あとは最終日だけでも読んでおくか。
87日目
いっぱい戦いました。
一番興奮したのはアデリーナ様の顔に唾を吐いたことです。とても面白くて、背中がゾクゾクしました。一生涯、忘れることはないでしょう。
また、やりたい。
……んー? 戦った?
あっ。さっき門番さんから漏れ聞こえてきた模擬戦ってヤツかな。
でも、私、やっぱりダメな人間だったのかもしれません。先輩巫女であるアデリーナ様の顔にどんな事情があって唾を吐き掛けたのでしょう。しかも、またやりたいだなんて。背中もゾクゾクしたとか、変態さんですか。
私はノートを閉じ、そして、照明魔法も消します。明るさに慣れた目でしたが、やがて星空が見えます。
私はいったい何者なんだろう。
出戻りみたいで恥ずかしいけど、村に帰った方が良いかもなぁ。
夜になって閉じられたはずの門が開く音がしました。
そちらを見ますと、兵隊さんが傅いていました。そして、その間を堂々と一人の女性が歩いて来ます。
「メリナさん、こんな所にお住まいで御座いましたか?」
アデリーナ様です。親友である私を心配して来てくれたのでしょう。
「はい。街の中は魔法禁止ですが、ここなら自由で便利だと思いまして」
「そんな理由で屋根もない野外にベッドを置く人は居ないと断言できますね。それに、その家具は全部、神殿の備品で御座いますよ?」
えっ? そうなのですか……。
衝撃的です。
「驚いた顔をされましたが、驚いたのはこちらで御座います。神殿を去られた方を何人も見てきましたが、家具を盗んだ人間は始めてで御座います」
盗み……。この私が犯罪者になってしまうのですか……。
黙ったままの私にアデリーナ様は凄く冷たい感じで笑ったのか、唇の端を上げただけでした。
この人、怖いなぁ。妙な威圧感が有ります。私、ベッドで寝ているんですよ。何故に枕元で、そんなに見下した目をできるのでしょう。
でも、窮鼠猫を噛むという言葉があります。内気で大人しいと評判の私ですが、本気を出したならば、アデリーナ様なんて一撃のパンチで顔面を貫き殺すことができると思います。
「唾を吐いて良いですか、アデリーナ様?」
「は? 許可するとでも? ……いや、記憶が戻ってるので御座いますか?」
「いえ、戻っていませんが、何となく直感的にそう思いました」
「記憶を失っても腹立たしいヤツで御座いますね。家具の件は貴女の先月の給金からさっ引いておきますので、ご安心を」
……良かったぁ。
「では、何をしに?」
「来客に対して、ベッドに寝転んだままで対応するなんて、ふてぶてしさも変わり御座いませんね」
起きるの面倒ですもの。
意地でもこのままですよ。
沈黙が流れます。
「メリナさん、今日も働かなかったみたいですね」
「いいえ。狩りをしました」
「そんなことだから、野人とか蔑まれるのです。まったくメリナさんのお母様のお耳に入ったら、悲しまれますよ」
「でも、私は働きました」
「メリナさん。街の中で働きなさい。貴女を知っている人間がシャールにはいるでしょう。交流して記憶を思い出す努力をしては如何で御座いますか?」
あっ。アデリーナ様は親友である私を心配してくれているんだ。言葉も態度もドクズですが、優しさが心の奥底に有るのですね。
人は見掛けに寄りません。
「ありがとうございます。そうします」
「まったく。貴女のお母様はもう少し常識を持たれていましたよ」
「そう言えば、記憶を失うのは母譲りかもしれません」
「……どういう事で御座いますか?」
「あの人、とても優しいです。でも、戦闘で死んだ人間は一切覚えないんです」
「ん?」
「盗賊とかを返り討ちにして、何人か殺しても覚えてないんです。降参した盗賊に向かって『誰も死ななくて良かったわ。手加減したもの』って嬉しそうに呟くのに、周りにはゴロゴロ死体が転がってるんです。さっきまで自分が殴ったり、蹴ったりしていたのに」
「それは捕らえた盗賊の心を折る話術でしょうに」
「いいえ。村の人に対してもそうでしたもの。森の中に遠征して近所の人が死んだら、その瞬間から、その人の存在がお母さんの中から消えるんです。さっきまで名前を呼んで語り掛けていた人でさえ、すっかり忘れるんです。葬式には一応出席するんですが、一切喋らないし、ボーとしてました」
「……怖いで御座いますね」
「えぇ。本当ですよ。私も怖いから誰も死なないように回復魔法を使い続けてましたから」
「パウスが狂気の元凶と呼んだ理由は、それなのか……。分かりました。それは兎も角、メリナさんは明日から働きなさい」
「……はい」
お仕事の話題から話を上手に反らせたつもりでしたが、ちゃんと覚えていましたか。
アデリーナ様は抜け目がないですねぇ。
働かなくても知人とお会いするだけで良いじゃないと思ったのになぁ。
「でも、私、働いたことがないんです。いえ、記憶を失くす前の私は巫女として懸命に精進していたとは思いますが」
「前も働いていませんでしたよ」
「そんな……。でも、お給金を頂いているのですから……」
「全く働いておられませんでしたよ。暇な時は蟻を観察したり、道端の石を砕いて顔に塗ったりして遊んでおられました」
な、何の為に……。絶句です。
絶対に嘘です。嘘だと言ってください!
私が穀潰しみたいじゃないですか!
「メリナさん、あなた、自称が天才パン職人でしたから、パン屋にでも行かれたら?」
「……そんなに豪語するほど美味しいパンを私は作っていたのですか?」
あり得ます。私は万事に対して才気溢れる乙女ですから。
「実際には作ってなかったと存じ上げますよ。作ったとしてもお腹を壊しそうなので丁重にお断りですし」
……言葉の節々に私への敵対心が見え隠れするのは、このアデリーナ様の心が大変に醜いからでしょう。なんと哀れな女性なのでしょうか。
完璧美少女の私に敵うわけないのに。
「可哀想ですね、アデリーナ様」
「メリナさん、唐突に理由もなく同情されるのは苛立ちしか与えませんよ」
……うん、ちゃんと理解していますよ。わざとですもの。喧嘩を売られているなら買いますよ、私。
「はい、これ」
アデリーナ様は私に日報帳と同じノートを手渡されました。
「ありがとうございます。……日報ですか?」
「いえ。日報は結構で御座います。前回は日記を書かれましたね。今回はお仕事手帳で御座います」
「それは何ですか?」
「副神殿長とメリナさんの件を相談致しましたらね、退職されるのは惜しいと仰るのですよ。そこで、巫女見習いで去られる方々へ職を紹介する際の参考書を、メリナさんに作ってもらうという名目で街に出ているということにしました」
「何だかすみません。色々と気を遣ってもらっているみたいで」
「えぇ。私も暇では御座いませんのですよ。今回の事態、誰の仕業か調べておりますので」
「……と言うのは?」
急に不穏な雰囲気になりました。
「貴女が頭を打っただけで記憶を失くす訳が御座いません。殺しても死なないヤツだったんですよ。誰かがメリナさんの記憶を奪ったと考えています。そして、一番得した者が犯人で御座いましょう」
っ!?
「ち、ちなみに今の段階での最有力容疑者は……?」
「聖竜スードワット」
な、なんですって!!
こんなにお慕いして、愛してるって言っても過言じゃないくらいに敬っている聖竜様が……。
「スードワット様ってアデリーナ様は本当にいるって知っているのですか?」
「えぇ。最後に会ったのは一年程前かしら」
す、凄い!!
アデリーナ様はクソみたいな嫌み女なだけと思っていましたが、実力もあるんですね!
「少し見直しました、アデリーナ様」
「メリナさん。その謎の上から目線、とても不快で御座いますよ? 人間性、地位、知性、美貌、その他のほぼ全てにおいて私が貴女を凌駕していることをお忘れなく」
こいつ……。
無駄にブライドの高いアデリーナ様を私は哀れみの目で見るのでした。




