頑張るメリナ
ショーメ先生は平気な顔で紙を配ります。もちろん、私の机の上にもペロリと置かれました。問題用紙でしょう。
明鏡止水と表現して良いくらいに落ち着いている私は目を瞑ります。
この目に映るまでは実在しない。つまり、出題されていないことと同然なのです。
私は代わりに魔力感知を使います。周囲の状況を正確に知る必要があるからです。
聖竜様の祠は芝生の庭に作りました。この芝生広場自体も荒れ果てたごみ捨て場に私が作ったものです。また、地下には清掃活動で発見された数々の哀れな方々の死体を埋めまして、あの世での安寧を祈念した場所でもあります。
……何と不埒なことなのでしょう。
シャールという大きな街に生きる希望を抱いて、しかし、この貧民街に流れ着いた挙げ句に死んでしまった名もなき方々。彼らを哀れみ、そして、世の非情を嘆くために作られた地であるここは、悲しみの場所なのです。
なのに、我々は筆記試験という名の暴虐にさらされているのです。
許されることではありません。冒涜です。
「メリナさん、ご様子がおかしいで御座いますが、どうなされましたか?」
何も知らないアデリーナ様の暢気な声が聞こえました。
しかし、心を痛めている私は無言です。
それどころではないのです。
左にアデリーナ様、右にソニアちゃん。後ろはガルディスという配置です。左前はデンジャラスで、私の前方に当たる所と右前は知らない人が座っています。後ろのガルディスの両隣も知らないヤツですね。
つまり、机が三列と三行に配列され、私はその真ん中に囲まれて座っているわけです。
ふっ。私の逃亡防止のつもりでしょうが、余裕で御座いますよ。
「メリナ様、お気を確かに」
ショーメの無粋な声も聞こえてきましたが、私は目を閉じたままです。
本当にこいつは失礼です。頭、おかしいんじゃない?
「すごい。メリナの精神統一は本物」
「……フフフ」
ソニアちゃんに対して無駄に虚勢を張ってしまいました……。何をしているのだろう、私は。
頭を抱えて叫びたいです。ハヤク逃げろって。
「それでは始めま――」
「異議ありッ!!!」
ショーメの掛け声の途中で、私は有りっ丈の声量をもって邪魔をします。
「ちょっと、メリナさん。耳が痛くなったので御座いますが?」
うっさい。アデリーナ、お前も「女王なのにテストも解けないなんて大爆笑」とか陰で言われる羽目になるんですよ。それを私が救ってやろうって頑張っているんです!
「どうしましたか、メリナ様?」
「ショーメ先生はデンジャラス派です! なのに出題者なのは極めて不公平です!」
「大丈夫です。この問題は前の職場の貴族学院の先生方に作成頂きましたから」
「いいえ! 事前にデンジャラスさんが内容を見ている確率が高いです! だから、私は参加しません!」
なお、私は目を瞑ったままです。私に貶されたデンジャラスさんが堪らず反論します。
「メリナさん、その懸念はごもっともです。しかし、そのような小細工を私がすると思いますか?」
デンジャラスよ、お前が反応することは読めておりましたよ。プライドの高い貴女は自分が誹謗されることが許せないのですものね。
「思います! だって、デンジャラスさん、聖女決定戦で私を失格させないために、アントンを女性だって偽りましたもん!」
くくく、まさか、あの時のアントニーナ事件が今日と言う日に役に立つとは思ってもいませんでした。
デンジャラスさんは沈黙しました。
勝った予感がしたのに、それを妨害したのはアデリーナ様でした。
「メリナさん、宜しいではないですか? 相手の手を全て出させた上で勝つ。それが王者の戦いで御座いますよ」
お前……どういうつもりですか!?
「アデリーナ……気高い」
ソニアちゃん、ダメですよ! そんな雰囲気に酔ってノコノコ許諾したら大変な目に逢うんです!!
「ボス、言葉はなんですが、この問題、心がどうのこうって書いてあるぜ? ボスの鋼の精神であれば、なんてこたぁない問題だと思うんだがな」
チッ。一切の情報を耳にも目にも入れないつもりだったのにガルディスの野郎が小さく呟いてきました。
しかし、心? ふむ。このスラム街をどう思い、どう発展させていくのか、その心を、つまり、気概を問うているのでしょうか。
知力とデンジャラスは言いましたが、知識力でなく知恵や高潔な精神を競うのかもしれません。それなら、私は好成績を取れる気がします。
「そうですよ、メリナ様。これはそこの半裸のキモいのが言った通りですよ。はい、じゃあ、始めま――」
「異議ありッ!!!」
私の全力の声が響き渡ります。シャールの外壁にその声が反射して、何重にもなりました。
「メリナ様、我が儘はいけません」
「不公平だもん! こんな筆記試験は止めましょう! そうだ! お料理対決にしてください!」
「メリナさん、それは自殺行為で御座いますよ。貴女の料理なんて最下位決定で御座いますから」
「は? アデリーナ様は私の本気料理を食べたことがあるんですか!?」
徹底抗戦です。何としても筆記試験を取り止めにするのです。
「メリナ様、分かりました。じゃあ、筆記試験の後にお料理対決をしましょうね」
くくく、ショーメよ、めんどくさくなって、私に妥協したな。
私は知っています。お前はすぐに飽きるクセがある。もう少しゴネたら、筆記試験をすることさえ放り投げることでしょう。
「嫌です! お料理対決がしたいです!!」
「でも、メリナ様。石と骨を煮込んだものはお料理じゃありませんよ? あれ、ただのお湯でした。むしろ、「お湯を汚すの勘弁して欲しいなぁ。お腹痛くならないかなぁ」って思ったくらいです」
貴様ッ!
それは巫女長に無理矢理に連れていかれたダンジョンでの食事のことでしょう。しかし、あの非常時に感謝もせずに、そんな事を思っていたのですか!
「ふん! ガルディス、言いなさい! 私の料理は旨かったか!?」
「おう! ボスの飯はサイコーだったぜ!」
宜しい。私はお前に料理を作った覚えはありませんが、バカなお前はノリで答えると信じていましたよ。
「はぁ、分かりました。もう今回限りですよ? はい、じゃあ、筆記試験は第1問目だけで良いですから。その後にお料理対決にしますね。それで良いですか、メリナ様?」
む……。完全消滅には至らなかったか。
「メリナさん、いい加減になさいませ。貴女がバカなのは皆、承知の上で御座いますよ」
「バカではありません! 心外です! バカって言うヤツがバカなんです! ……ところで、ショーメ先生、その一問目は後ろのガルディスが言った心の問題ですか?」
「ええ、そうですよ」
「分かりました。なら、それで良いです」
自由作文なら大丈夫です。貴族学院では毎日、日記を書いていましたし、最近はお仕事手帳も作っていました。得意分野ですよ。
「はい、それでは始めてください」
自信に漲る私はゆっくりと目を開けます。
"重心、垂心、内心、外心のいずれか2つが一致する三角形は、どの組み合わせであっても全て正三角形であることを証明せよ"
ガルディス! おい、ガルディス!!
テメー、このヤロー、ガルディス!!! 殺すゾッ!!
私は卒倒しそうになりました。
「三角形の5心で御座いますか。傍心は省略したので御座いますね」
アデリーナ、お前、私にプレッシャーを与えるために敢えて口にしましたね?
「三角形の5心とは言うけれど、実質的には4心」
……え? ソニアちゃん、分かるの……?
「傍心は内心と似た考えで対応できますからね」
「そう。よく知ってる」
貴様らっ! 私を挟んで会話をするんじゃない!




