言葉と対極
この地区は奥にいく程、つまり、シャールの街全体を囲む街壁に近付く程、家屋が粗末になり、また住民の姿格好も惨めになっていくのが、私が最初にここに来た時の印象でした。
昼間でも壁が作る日陰に入ってしまうので生活するには不適で、貧しく力のない人がそこに追いやられるからなのかもしれません。
でも、今は私が手掛けた清掃や改築活動により、すっかり様変わりしていまして、少なくとも鼻を突く悪臭はしないし、今にも死に絶えそうな人が道端に倒れているってこともありません。
まだ順番が来ていない手付かずのおんぼろ長屋は有りますが、住んでいた人は他の新しい家に引っ越しているようで、人の気配はしませんでした。
子供の遊ぶ声も以前より元気になっているように思います。素晴らしい功績です。
借金から逃げるという、今考えれば情けない理由ではあったのですが、私の行いが人々の役に立ったのなら、それは大変に嬉しいことだと感じておりました。
「初めて来ましたが、薄汚い通りで御座いますね」
は?
「お言葉ですが、アデリーナ様。この地区はもっと酷い有り様だったのです。正しく弱肉強食でして、私はそれに心を痛め、皆が平等に暮らせるように尽力しました」
「暴力が支配する地区にとても強い人が来たら、そうなるでしょうね。その一人を除いて皆が平等に弱くなるのですから」
チッ。
「ソニアちゃん、今の内に更正しないとこんな感じの嫌な大人になりますからね。気を付けようね」
私とアデリーナ様は微笑み合います。もちろん、それは表面だけで実は牽制し合っているのです。
「2人は仲良し。羨ましい」
子供には分からないかぁ。私とアデリーナ様はバチバチとマウントを取り合っているのですけどね。
「私も友達が欲しい」
……え? ソニアちゃん、確かに口が悪いし生意気だから友達いなそうです。でも、急にそんな事を告白されても、辛い気持ちになって困るんですけど。
「ソニアちゃんは明るいお母さんがいるよ?」
優しい私は即座にフォローします。
「ソニアさん、私からもアドバイスです。今までは貴女の友に相応しい者に会えなかっただけで御座います。不運ではありますが、悪いのは周りで御座いますよ」
アデリーナ様も彼女らしい言い回しでソニアちゃんを慰めました。もしかしたら、アデリーナ様の子供時代の経験なのかもしれません。この人はずっと友達いなそうですもん。
「私、常々、一方的にアデリーナ様の親友認定されるんですけど、相応し過ぎるんですかね? 光栄だけど遠慮したいです」
「たまに斬首の刑に処したくなりますよ。メリナさん、お気を付け下さいね」
「2人ともありがとう」
今の会話さえ仲良く聞こえたのか、ソニアちゃんは平気な顔で頭を軽く下げました。
さて、私達は当てもなく散歩している訳ではありません。ショーメ先生を探しに来たのが第一目的。その次にソニアちゃんのお母さんを見付けることです。でも、ソニアちゃんのお母さんはここには居ないかもしれません。ご飯を無料で頂けるところに向かったっていう情報だけですからね。
「フェリスが向かいそうな場所は分かりますか?」
「あの人、気配を絶つのが上手なんですよ。とりあえず聖竜様の祠の方に行きましょう」
スラム街の奥の方に作った場所です。あそこなら知り合いが多くて情報が集まりやすいですから。
さて、3人で歩くと狭く感じる道なのですが、それをノシノシと前方から半裸の大男がこちらに向かっているのが見えました。
遠くでも分かりました。彼はガルディス。このスラム街で私に最も忠実な男です。
「おうおう!! オメーらか!? この地区のルールを無視するたァ、覚悟はできてンだろーな!!」
荒々しく脅し文句を放つ彼は、一切私に気付いていませんでした。
愚かです。ただ、このスラム街で活動している時は常に黒いローブ姿だったので、今の私服姿では私が私だと分からないのかもしれません。
「ガルディス。何様のつもりですか?」
私は努めて穏やかに話し掛けました。
「アァン? 何だ、このクソアマ!! 俺を呼び捨てにするなんざ、根性が座ったつもりか!?」
ダメだ。私だと気付く様子なし。
「アデリーナ様、すみません。黙らせます」
「えぇ。お早めにお願いしますね」
「はい」
戦闘準備などさせません。瞬きをする暇もなかったかのように、次の瞬間には私の拳は彼のデカイ腹に深く撃ち込まれていました。
あっさりと膝を折って地に沈んだ彼に向けて、回復魔法を使います。
「私が誰なのか思い出すのです、ガルディス」
「そ、その声と拳の強さはボス! やっと戻ってくれたのか! 道理で俺の迫力にビビらなかったはずだぜ!」
ふぅ、ようやく思い出しましたか。
「……メリナさんがボス? 猿の群れみたいで御座いますね」
「あぁ!? ボスの決して口にしてはいけーねー名前を口にした上に、俺達を猿だとっ!! テメー! ボスの鉄拳を知らねーな!! ボス! とっちめてやって下さい! 教育ですぜ!」
「ガルディス、野蛮な物言いはお止めなさい。すみませんね、アデリーナ様。気を悪くしないで下さい。あと、私をボス猿みたいに言ったことを謝罪下さい」
「ボ、ボスが気を遣うだと……。テメー、何者だ……」
驚くガルディスに私は静かに命じます。
「黙りなさい、ガルディス。まずは私達の用件を聞きなさい」
私はショーメ先生、と言ってもガルディスは彼女を知らないので「メイド服を着ている慇懃無礼な女性を見ましたか?」と尋ねました。
「知らねー。そんなことよりもボス聞いてくれ。ボスが居なくなってから、あの鶏みたいな頭をした女が仕切りだしたんだ! 気に食わねーよ、俺は!!」
デンジャラスさんですね。
「だから、ボスの教えに従う俺と仲間達は独立したんだ。頼む、ボス。あの生意気なババァをぶちのめしてくれ!」
「メリナ、物騒」
ほらほらソニアちゃんの教育にもよろしくないし、アデリーナ様も冷たい眼差しで私を見てきますよ。
「ガルディス、まずは話し合いですよ。お互いに理解し合えば平和に事を収められます」
「おぉ。さすがボス! 何か策があるんだな!」
ノープランです。
「その言葉と対極の未来が目に浮かびますね」
は?
「アデリーナ様、大変な誤解です。さぁ、行きましょう。恐らく、デンジャラスさんの近くにショーメ先生はいます」
「私のお母さんを忘れてる」
「大丈夫。もしも、ここにいなくても皆で探せば良いですしね」
私は颯爽と前に進みました。




