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読まれない手帳

 木製のタライに張った冷たい水で顔を洗って気合いを入れました。今日はアデリーナ様がやって来るのです。

 今日のあいつも無駄にプレッシャーを加えてくるでしょう。だから、少しでも汗を掻かないように体温を抑えておくのです。



 部屋の扉がノックされます。


「お嬢様、来客で御座います」


 来たか……。


「分かりました、爺」


 タオルが無かったので、濡れた手と顔をベッドのシーツで拭いてから廊下へと出ます。タライの水は窓から放り捨てました。


 そして、ゆっくりと階段を下ります。

 視線の先には深くお辞儀するオズワルドさんが見え、アデリーナ様がそこにいることを知ります。もちろん、魔力感知からも分かっております。


 相変わらず外見だけは良くて、美しい金髪を輝かせています。肩で止めずに伸ばせば良いのにと思います。


「あら、メリナさん。今日も楽しそうなお顔をしていますね」


 ふん。褒め言葉に似せたジャブを放ってきましたね。楽しそうな顔の裏には面白い顔ですねって嫌味が込められていることが私にも分かります。


「えぇ。一戦も交えずに敵から逃亡した憐れでひ弱な方に、私の武勇伝を披露できるかと思うとワクワクが止まりませんでして。申し訳ありません」


 手摺を軽く掴みながら、踏み外さないように一段一段とゆっくり歩みを進めます。余裕の笑顔も忘れません。


「まぁ、私が敵前逃亡したかのような言い方。それは誤解が御座いますよ。私は信頼できる手下を強敵にぶつける采配をしたので御座います。私の思惑通りに敵を撃破したとのこと、ご苦労様でした。手下のメリナさん」


「そんな指示、貰ってないもん! 他人の功績を横取りとは恥を知るべきです!」


「恥知らずに言われたくはないですが、まずは食事に致しましょう」



 前哨戦は引き分けたようですね。まずまずです。そんな気がします。

 私達はそのまま食堂へと入りました。



 さて、食べ終えた食器を前に私は熱弁を振るっています。


「聞いてます、アデリーナ様? 巫女長から分裂して生まれた化け物は『うふふ、私が爆発したら世界が滅ぶわよ』って言ったんですよ。そんなに強烈な自爆攻撃を前にして、勇敢な私は叫びます。『させない! そんなことは女王が許しても、聖竜様の愛を一身に浴びる巫女メリナがさせません!』って!」


「きったないわね。唾が飛んで来るのですが?」


「私は身を挺して爆発を受け止めます。強烈な爆風を完全に遮断して私は立ち続けたのです。良いですか、アデリーナ様? あなたが今、その間抜けな顔で生きていられるのも、私があの化け物の攻撃を防いだからなのですよ。感謝なさるべきです。さあ、私に感謝とお詫びの言葉を!」


「王を守るのは臣民の常識でしょうに」


「は? 何、目を瞑って茶を楽しんでるんですか? 何様ですか?」


「女王様ですよ」


「土下座で感謝の意を表してください、女王様」


「はいはい。メリナさんが異常な強さで化け物を排除したのは分かりましたよ。ついでに神殿にいる方も退治して頂けない?」


「えっ、神殿の方ですか? ガランガドーさんから聞きましたが、そっちは老婆なんですよね。本体じゃないんですか?」


「見た目はフローレンス巫女長でしたが、中身は違いました。本人曰く、『竜を愛する飼育係フローレンス』らしいで御座いますよ」


 ……こいつ、どこまで知っている? もしかして、4体に分かれていることまで知っているのか。それは切り札として取っておきたいのですが。


「ふ、ふーん。やっぱり化け物なんですか?」


「元からあの方は化け物ですから、そこは気にしておりません。その老婆の巫女長から聞いております。他に『竜を食材として愛する料理人フローレンス』『強い者に会いに行きたい喧嘩屋フローレンス』も生まれたと聞いています」


 残念。4体発生していることは把握済みか。


「竜を愛するのが2ついますね。巫女長らしいです。で、どうするんです?」


 私の問いにアデリーナ様は薄く笑います。


「神殿にいる『飼育係フローレンス』は御しやすい。先程は冗談で排除と申しましたが、あれを我々は本物としましょう」


「……他2体は?」


「フロンから聞いております。帝国にいるのでしょう? ならば放置で構いません」


「帝国の人達、大変なことになるんじゃないかな?」


「メリナさんはもう忘れてしまったかもしれませんが、帝国貨幣を持った魔族が蟻猿を操っていた事件が御座いました。一応、先方に照会しましたが、『魔物が貴国に移動したとしても我が国に責任は及ばず』と冷たく(あしら)ってきました。なので、立場が逆になりましたが、帝国の方々も納得されるでしょう」


 帝国のドラゴンは絶滅しちゃうかもしれないなぁ。喧嘩屋の方もヤバそうですし。

 うん、深く考えないようにしましょう。



「さて、メリナさん、貴女の記憶を奪った犯人を検討しようと思います」


「え? まだ探していたんですか? もう私は正常だから結構ですよ」


「いいえ。事故なのか意図的なものなのかは、はっきりさせておかねばなりません」


「じゃあ、聞くだけ聞いてあげましょうか。でも、私を巻き込まないでくださいよ」


「当事者の言葉とは思えませんね。さて、ルッカ曰く――」


「えっ、ルッカ姉さん? もしかして、ずっと私を監視しているんですか? こわっ」


 アデリーナ様は少し目を大きく開かれました。驚きの感情だったのでしょうか。

 何故にこのタイミングだったのかは私には分かりませんでした。


「メリナさん、少し黙りなさい。続けますよ。フローレンス巫女長の魔法により貴女は記憶を取り戻した」


「えぇ、酷い話です。ショック療法にしろ、もっと手段はあったと思うんですよ」


「あれは巫女長が勝手にしたことで御座いますので、私への異議は無意味で御座います。しかし、メリナさんを物理的に叩くよりは現実的でしたから、さすがは巫女長と褒めるべきでしょう」


「あっ、ノノン村にいた化け物は『メリナさんが羨ましい。若いし強いし』って言ってました。もしかしたら、巫女長本人も私に嫉妬していたのではないでしょうか。そして、聖竜様に愛されている私を消そうとしたのかもしれませんよ」


「巫女長がメリナさんの記憶を奪ったって言うのですか? いいえ、それはないでしょう。もしも実行するのなら、巫女長であればもっと徹底的にしますよ。記憶でなく命を奪いに来るはずです」


 ……怖い話です。人の命を鳥の羽よりも軽く思っている人達ばかりですね。


「ところで、メリナさんはルッカを姉さんと呼んでいるので御座いますね?」


「えっ、はい」


「いつからで御座いますか?」


「昔からですよ。ルッカ姉さんはルッカ姉さん――ん? あれ? あの売女みたいな格好の人を姉さんと呼ぶのはおかしいですね。気持ち悪いです」


「そうで御座いますね。記憶が戻った後なのに、おかしいで御座いますね」


「……私が記憶を失くした時に最も近くにいたんでしたっけ、ルッカのヤロー?」


「えぇ、その通りで御座います」


「ちょっとお空を見て来ます。取っ捕まえてやります! あいつ、私に何かをしてますね!」


「カトリーヌさんに確認しましたら、しばらくルッカを見ておられないらしいのですよ」


 っ!? 完全に黒じゃないですか!?

 私は部屋を飛び出そうとしました。

 しかし、アデリーナ様は静かに手を上げて私を制します。


「ルッカの件は後回しにしましょう」


「何故ですか!? 私と聖竜様の仲を切り裂こうとしたのかもしれませんよ!」


 そうです。記憶を失くした私は聖竜様との想い出さえも忘れてしまったのです。そんな卑劣な行為は世界に対する大罪です!


「ルッカは理知的です。何らかの事情があったものと思いますし、今の状態で尋ねても惚けるだけでしょう。もう少し情報が必要で御座います」


「はぁ」


 アデリーナ様から見るとルッカさんは実の祖母に当たる訳ですから、家族に対する温情が入っているのか……。いや、アデリーナ様にそんな感情はないはず。父親のヤギ頭でさえ冷たく扱っていましたもの。



「それよりもお仕事手帳の進捗を確認致しましょう」


「……それ、重要ですか? 今やらないといけません?」


「仕事をしていないメリナさんを悪く言う巫女の方々から庇うのに必要なのですよ。持ってきなさい」


「……はい」


 渋々ながら私は自室に戻り、手帳を持ってきてアデリーナ様に渡します。同時にベセリン爺がお茶のお代わりを入れてくれました。

 手帳を広げるアデリーナ様を尻目に私はその香りを楽しみます。



○お仕事手帳6 地図製作

 地図を作るコツは全体がどれくらいの大きさになるかを把握することです。それができなければ、途中で紙からはみ出したり、小さくて不便な物になるでしょう。プロとアマの差が出るところです。

 筆を入れる前にババッと魔力を感じて全体的な空洞の大きさを掴むことが大切なのです。あと、どんな情報が必要か自分で考える能力も要りますよ。

 人には適した職業というものがあるようでして、私、メリナは竜の巫女となるべく生まれてきましたが、そうでなければ、地図職人として生きたでしょう。いやー、褒められるの気持ち良かったなぁ。



「これだけ?」


「忙しかったですからね」


「こんなの読んでも『ふーん』で終わりますよ。これっぽちも面白くない」


「お仕事手帳に何を期待しているんですか。さっきも言いましたが、私は忙しかったのです」


「その忙しかったことをお書きなさいな」


「仕事じゃなくて忙しかったんです! あっ、私に弟と妹ができたんですよ!」


「それは聞いています。メリナさんみたいなのが増えたら困った話ですが、今は祝福しましょう。でも、今は手帳の話で御座います。メリナさん、狂言誘拐をされていたでしょ? 犯罪者の告白と懺悔も読みたいところでしたよ」


「は? 何のことですか? それよりも、誰も私を心配しないし、助けにも来なくてビックリしたんですけど」


「当初は神殿も凍り付きましたよ。あの莫大な身代金も有志により準備されそうでしたし」


「えっ!? えぇ!? 本当ですか!?」


「えぇ、礼拝部の方々も恩を売るチャンスと見たんでしょうね。引退されて各貴族家を取り仕切る元巫女さん達さえ動いたくらいです」


 ……私、実は好かれていたのか。

 少し嬉し涙が溢れそうになりました。


「が、すぐにバレました。あんな小物を使いに出してはなりませんね」


 あいつらですね。はい、私もそう思ったものです。でも、スラム街には使える人材が少なかったんですよ。



「しかし、お仕事手帳はダメでしたね。こんなのメリナさんがサボっていることしか分かりません。日報に戻しましょうか?」


「あれ、メンドイので嫌です」


「仕事ですから手間暇を掛けないといけないでしょうに。メリナさんは本当に怠け者で御座いますね。それに、あれに書かれたのは日記でしたし」


 チッ。

 私は嫌な雰囲気を感じ取り、ベセリン爺に助けを求めて視線を流します。

 そして、彼はちゃんとそれを受け止めるだけの才気が御座いました。



「私めが横からお言葉掛けするのは大変に失礼なことで御座いますが、一つ提案させて頂いて宜しいでしょうか」


 ゆっくりとアデリーナ様の視界に入り、丁重に言葉を紡ぎます。


「どうぞ」


 ベセリン爺に対しても不遜。アデリーナ様の人間性は疑いようもなく底辺ですね。


「お嬢様が書くのではなく、周囲の人間にお嬢様のお活躍を書いて頂くのはどうでしょうか?」


「ふむ……」


「ナイスアイデアです! さすが爺! そうすれば私の労力は減りますものね!」


「では、あなた、書いてみなさい」


「はい。畏まりました」


 ベセリン爺はスラスラと綺麗な字で手帳に記していきます。


「ふむ。まあ、良いでしょう。褒め過ぎの感は否めないですが、初日はこんなものでしょう。では、メリナさん、今日から毎日欠かさず書いてもらうのですよ。あと、人は変えなさい。そうしなければ、この者が忙しい中、毎日心にもないことを書くことになりますので」


「お任せください。それくらいなら余裕です。あと、心ない言葉はアデリーナ様だけですよ」


「そうだと良いで御座いますね。えーと、これはメリナさん観察日記にしましょうか」


「蟻みたいに言わないでください。あっ、表紙にも書きやがりましたね!」


 余りの非道に私は鼻息荒く立ち上がります。

 でも、アデリーナ様は涼しげな顔。


「まぁ、怒りたいのは私の方で御座いますのに、メリナさんには驚かせられますね」


「はぁ!?」


「私の部屋、ぐちゃぐちゃでしたの。何故か」


「…………はぁ!? いったい、どこのどいつの仕業ですか!?」


「あなたですよ、メリナさん。あなた」


 アデリーナ様は朗らかな笑顔でした。なので、私も笑顔で返します。


○メリナさん観察日記1


 お嬢様は人徳に秀でた方で御座います。

 私は長年様々な方にお使いしてきましたが、ここまで心の広く、また、他人を赦す方を見たことがありません。

 気高く、優美で、ユーモアも持ち合わせる稀有な方。

 ご友人に恵まれるのもよく分かります。

 諸国連邦でのご活躍はもはや書く必要もないくらいに、当地では伝説となっておりますが、この街でも貧しい人々のために自ら労苦を買って出て、施しをしていることを人伝てに耳にしました。

 爺は影から表からこの優れた人物の助けになるべく、ここに命を賭けて誓います。

 元執事ベセリン著

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