無策
微妙に戦意が上がりませんが、それでも叫ぶと同時に突撃。
化け物は壁から離れて、無防備に立っていました。私の狙いは顔面。
だらりとしていた腕なのに、生意気にも私の踏み込みに合わせてのカウンターで鋭いパンチが飛んで来ます。
相手は小柄だから、私の体を下から狙うコースでした。
「メリナさんは乱暴者ね」
靴でキュッと床を踏み鳴らして急停止。それから、拳を避けるために横へとステップ。
「売られた喧嘩を買ってやって――」
「メリナ、言葉」
「っ! 不束者ですが、何卒、宜しくお願いします!!」
振り上げた腕を再び下ろそうと攻撃体勢に入った状態のですが、穏和な表情をした化け物も私に向き直っていました。相手も攻撃体勢でした。これは避けれない。
だから、化け物の拳を腹で受け止めます。
「グッ!!」
思わず、空気が口から漏れます。
なんてパワー。流石は分裂したとはいえ、巫女長です。舐めてました。
十分に固めたはずの腹筋を超えて、私の内臓が傷つき、血も吐きます。
倒れる前に回復魔法で凌ぐ。そして、すぐに距離を取る。
「でも、もう気が済んだかしらね。すみませんね、メリナさん。私は平和を愛しているから、暴力は好きじゃないの。働いて欲しいって気持ちは伝わっているかしら? 貴女がいつも虫を観察したり、石を砕いたり、業務時間中に早引きして寮で眠っている間、皆は――」
「メリナ、そうなの?」
「嘘だよ、お母さん。待ってね。ちょっと、お前、黙りなさい!!」
叫びながら化け物に飛び掛かります。
とんでもない話です。こいつ、事態が分かっているのですか?
お前の発言が続けば、奴隷として仕事をする前に私は殺され兼ねませんよ、お母さんに。
お互いにそれは避けたいでしょ!
狭い部屋で激しい攻防が続きます。
そして、相手の抜群の戦闘センスに震撼します。
体が老婆の巫女長よりも若いからか素早いのかも。私の拳が当たらない。一年前の模擬戦ではお母さんでさえ、私の攻撃を見切りきれなかったというのに。
でも、化け物の拳も私に当たることはありません。私も強いのです。
その内に、化け物の魔力が膨れ上がり始めます。ちょっと尋常じゃない量でして、でも、魔法を行使する感じでもない。
「村ごと消えるかもね、うふふ。分かるでしょ? このままだと、私、自爆するわね。だから、拳を下ろしてもらえないかしら?」
その魔力量を爆発させるなら確かにそうでしょう。かなりマズイことになります。が、構いません。
「脅しは無意味ですよ」
敗北も有り得る状況ですので、勝てるならば、多少の被害は甘んじて受け入れます。すみません、私の弟と妹よ。仇は討ちますので、どうかお許しください。
「メリナさん。貴女、貧民街を暴力で支配してたでしょ? 良くないわ」
「あれは布教活動ですっ!」
良かった。聖竜様の祠を立てていましたから物証もあります。
「――憂悶は去り、雨氷たる青柳の麗色を眺めん。而て、其は可惜夜を兾う貙虎の欺き! ナタリアを危険に晒さないわよ!」
フロンの詠唱が完成。ガラスの様な光沢を持った障壁が部屋の天井と周囲に築かれます。
これは覚えています。ヤナンカとエルバ部長の中身が合体したヤツと戦った時に見せた、強めの結界魔法。
「化け物、遠慮なく終わらせなっ!」
「言われなくても!」
私は再び突進します!
「メリナさん、私は仕事をして欲しいのよ」
「してるって言ってます!」
サッサッと絶命してください!!
「してないの。全然してないのよ。私はメリナさんに自覚して欲しいのよ。奴隷以下のダメ人間なんだって」
「死ねっ!!」
「言葉よ、メリナ」
「し、死すべしっ!」
タイミングはずれましたが、怒りと焦りを込めて拳を放ちます!!
が、横にスライドされて避けられ、空振りした殴打がフロンの出した障壁に激しく当たりました。
私の全力の打撃だったのに粉砕されない。フロンも少しずつ成長しているのですね。戦闘中なのに感心してしまいました。
「さようなら、メリナさん。私、働かない人は好きじゃないのよ」
「あと、メリナ。あのね、死ねを丁寧に言っても死すべしじゃないと思うの」
ひっ!!
死すべしはないって理解はしてるよ。理解はしてるけど、咄嗟では出てこないもん!
「それから、フローレンスさん? 貴女も言葉が上品だけど失礼だわ。教育に良くないかな」
お母さんが遂に動き出します。
「あのフローレンスさんとは違うと分かったわ」
「だよね!!」
ここぞチャンスと、私は即座に化け物の胴へ蹴りを放ちます。
化け物はガードせず、横跳び。
そこを狙うのはフロン。
「仕事してないって、竜の巫女全員じゃん!」
……やっぱり?
フロンは長く伸びた爪を振り下ろす。
サイドから不意を突かれた化け物は体を横回転させながら、新たな相手も視野に入れようとしました。
愚か。
あなたが背を向けた人は私のお母さんですよ。
「娘をダメ人間呼ばわりとは感心しないわね!!」
強烈な前蹴り。吹き飛ぶ化け物は目で追えなくて、フロンが構築した障壁が震える音で、化け物の位置が分かったくらいでした。
「でも、聞いて欲しいのよ。メリナさんが――」
チッ! しぶとい!
床に尻を付いて座る化け物の腹へ、よく見たら、自爆用の魔力を込めて膨れ上がった腹へ、接近した私は爪先で鋭く蹴ります。
そのまま死になさい!
言葉にしたら、またお母さんに怒られますので心の中で叫びます。
「メリナ! ローブを脱いで、魔力吸収!」
「何すっ立ってんの!? 早く何とかしな!」
お母さんとフロンが大変な事態みたいに叫びます。
脱げと言われたので、ビリビリと引き裂きます。その間に化け物の腹はその顔を隠すくらいに膨れ続けて、遂には破れて中の魔力が姿を現します。
それから爆発。
お母さんに言われるまで、すっかり忘れていた私の特技の魔力吸収を実行します。
手を前にして爆発してきた魔力を吸い取ろうとしましたが、追い付かずに指どころか肘のところまで爆発に巻き込まれて消失しました。
ヤバッ!! 痛っ!!
もう化け物が発した魔力が私の顔にまで到達しそうです。
私の危機感を察知したお母さんが背中を支えてくれます。遅れて、フロンも同じく私の背後に。
爆発で吹き飛ばされないようにとの瞬時の配慮なのでしょう。ならば、それに応えなくては。
私は全身への回復魔法とともに、四方に氷魔法で壁を構築。それから、もう一度、気合いを入れ直しての魔力吸収です。
「うぉぉぉおお!!」
絶対に負けないという意思を絶叫で表現。
光が収まった後、私は息を切らして座り込みます。危機一髪でした。本当に死ぬかと思った。
衝撃波を逃がすため、氷の壁を上には作らなかったので、天井も二階部分も吹き飛んで明るいお空が覗いていました。
また、床もバラバラのボロボロです。死骸を更に傷付けるのは良くないですが、酷い惨状の報いを受けてもらいたい気持ちもあって、まだ形を残している化け物を睨みます。
「驚いたわよ、化け物。まさか無策で爆発させたの? バカよ、あんた、バカ」
カチンと来ますね。
「勝てば何でも良いんですよ」
「メリナ、その通りよ。でも、もっと早くから魔力を吸収しておけば、こんなことにならなかったんだから。あなた、忘れていたでしょ?」
「え? いやだなー、誤解だよ。誤解。いつだったか、アデリーナ様が『相手の手札を全て出させた上で完膚なきまでに打ち倒すのですよ』って言っていたのを実行しただけです」
確か、そんな戯れ言を口にしていたと思います。よく思い出して、スラスラと言えました。私、頑張りました。
「そう? アデリーナさんがそう言うのなら正しいわね。うん、メリナ、よく頑張ったわ。自慢の娘ね」
……娘の言葉よりもアデリーナ様の発言ですか? 自らの言い訳でしたが、そんなに簡単に納得されると、すごく複雑な想いになりますね。でも、黙ってます。
「で、そいつ、どうすんのよ?」
フロンは動かない化け物を見ながら訊いてきました。
「どうするって生きてるんですか?」
「生きてるんですかって、あんた、最初から生かすつもりだったんでしょ? だから、私も結界魔法にしたんだけど」
「メリナ、あのローブを着たままじゃ、力が出ないでしょ? 生け捕りにするんだと思ったのだけど違った?」
魔力遮断の黒いローブは燃え尽きて、最早、お母さんが言ったような効果があったのかどうかは分かりません。
でも、知らなかったとは言えない雰囲気ですね。
「えぇ、勿論です。巫女長から分裂した化け物ということですから、尊敬する巫女長みたいなものです。殺せません。私にはそんな非道はできません」
胸を張る虚勢も見せます。
尊敬……。うん、神殿に入りたての頃はそんな思いをしたものです。懐かしい。アデリーナ様に対してさえ尊敬の目で見ていた私はピュアでしたね。
化け物の処遇に迷っている間に、赤子の泣き声がして、お母さんは授乳に向かいました。私はペチペチと頬を叩いて、化け物を起こします。
あー、この服も袖が燃え落ちてます。シャールに戻ったら、宿屋に着替えを取りに帰らないといけませんね。
「もう食べ尽くしちゃったのよ、むにゃむにゃ」
……寝言ですね。
本当にタフ。分裂したってことは、こんなのがもう一体いるんですか? ヤバイなぁ。
「起きてください。殺しま――永遠の眠り姫になりますか?」
赤子が汚ない言葉を覚えてはいけませんからね。ちゃんと言い換えました。偉い、私。
とはいえ、起こさないとなりません。なので、代わりに喉を殴って叩き起こします。
咳き込む化け物。タフだった化け物が苦しい顔をしたことに、若干の戸惑いを受けましたが、まぁ、巫女長も生物だからと自分を納得させます。
「……メリナちゃん……。そっかぁ、私、負けたんだ。初めて負けた。他のとは引き分けだったのに」
他……? どういう意味だ……。
あっ!?
「お前、何体に分裂している?」
「4体」
っ!? あぁ、聖竜様、世界の滅びが近そうです……。




