殴り合い
突然の叫び声に驚いた人々は一斉に私へ視線を集めます。今のスラム街を仕切っているのは私。不安を取り除いて欲しくて、彼らは今まで通りに新しい庇護者である私に助けを求めてしまうのです。
聖竜様に帰依したところで、長年の慣習は体から抜けきれるものでは御座いません。
皆の歪んだ期待も背中を押しつつ、私はゆっくりと歩いて騒動のあった方へと向かいます。
スラムの東の入り口。神殿に近い方というのがまた嫌な感じですね。巫女長が見えた瞬間に特大の火炎魔法と氷魔法をぶつけてやりましょう。
奇襲攻撃が外れてから話し合いを持ち掛けても良い、と私は思うのです。なぜなら、相手もそうするだろうから。
前方からガルディスと何人かが走ってきました。
「ボス! スゲー強いババァが来たぜ!」
「でしょうね。予想しておりました」
「カァ! 占い師みてーだ!」
「それは以前の職です。さあ、お前は戻ってスラムの人達を聖竜様の祠の前に集めなさい。あそこなら安全でしょう。今から、私は死闘です」
「おぉ! ボスが本気になるのかい? そりゃ、見物だ! 俺も付いていくぜ! おい、オメー! 弱っちいクソどもは聖竜様の祠の前だってよ! 集めておけ!」
「へ、へい!」
魔力感知を使用。ショーメ先生ほど広い範囲をカバーできませんが、それでも敵の位置や構成を事前に知ることは大切です。
微妙な変化も見逃さず、しかし、弱気にはならないように胸を張って、ただし、顔は見えないようにフードを更に深く被って、私は前進します。
「見るからにイカれたヤツだったぜ。ボスが負けるとは思えねーが、気合い入れてこーや」
「えぇ」
黒蜥蜴ファミリーの元構成員の集団が見え始めました。誰かを囲んでいるようですね。
しかし、巫女長の気配はそこにない。別の意外な人物です。
「ガルディス、その強いババァは変な髪型でしたか?」
「おう。真ん中だけ残して剃った頭だぜ。赤毛を立てて鶏みたいだった」
そんな奇妙なヤツはこの世に1人しかいません。デンジャラス・クリスラ、元デュランの聖女。
ガランガドーの言っていた巫女長からの使者か? いや、あの風貌に見合った居住区を探してスラムに流れて来たのか。
しかし、ガルディス、あの人は確かに私のお母さんと同じくらいの歳ですが、決してババァなどと呼んではなりません。大変に気まずい、微妙なお年頃なのですよ。
「すみません。通してくださいね」
黒蜥蜴ファミリーの連中に声を掛けると、直ぐ様に脇に寄ってくれました。
そして、視線の先に現れたのは、やはりデンジャラス。彼女も私を真っ直ぐに見ていました。
「おい、コラッ!! 拳王様がお越しだぜ! 覚悟しやがれ!!」
チンピラの1人が考え無しに私の蔑称をデンジャラスさんに伝えてしまいます。今夜、彼には聖竜様の愛を再教育が必要ですね。とんでもない失態ですよ。
「メリナさん?」
魔力隠蔽のローブを身に付けているというのに、先程の大ヒントもあって、あっさりと私の正体がバレました。
こうなっては仕方ありません。すでに神殿に派遣した奴等からも情報は漏れているのですから。
「えぇ、私です。本日はどうされましたか?」
目を隠すほどに深く被っていたフードを後ろに外します。久々に日光で顔を照らされまして、少し眩しいです。あと、デンジャラスさんの頭も眩しいです。
「フローレンスさんからの依頼で参りました。強大な敵が迫っているため、メリナさんの協力を求めたいとのこと」
……本当かな。
いえ、まずはゆっくりと話をすることが大切です。その中で真偽がはっきりとするでしょう。
「そうですか。ところで、うちの者を殴ったみたいですね?」
道の脇に仰向けに倒れた人が2人見えました。頬を殴られて気絶しているようです。
「はい。服を脱げと不躾に申されましたので」
……なるほど。
私が平等にと命じたので、女性であっても平等に身ぐるみを剥がそうとしたのですね。盲点でした。
って言うか常識で考えなさい。幾らなんでも白昼堂々と女性を裸にして良いわけが御座いません。牢屋に入るべき事案発生ですよ。元が下卑た連中であることを忘れておりました。
「それは失礼しました。あとで教育しておきます。でも、お殴りになられるのはやりすぎでしょう?」
「私は自分が思う通りに生きることにしました。なので、立腹すれば腕を出します。メリナさんも分かりますよね?」
……分かりませんよ。逆に、そんな野蛮な考えはよくないと感じたくらいです。
「おい、ボス。早く教育して、そのババァを黙らそーぜ」
っ!? ガルディス!! 死にますよ!!
この人は聖女を引退したけれども、未だに王国の中でも上位の武力を持つ実力者。2年前の現役聖女時代は転移の腕輪を使っていたとはいえ、戦闘で私を追い込んだこともある者ですよ。
デンジャラスさんの体内の魔力が一瞬だけ強く震えました。
が、抑えてくれたようです。
「メリナさん、記憶を失っただけでなく、このような質の悪い連中とつるむようになったのですね。嘆かわしい」
ん? 違う。抑えてない。魔力が体内で練られて膨張していく……。
「私は聖竜様の王国をここに作ろうとしているだけです。世界中の人々が聖竜様の教えの下で平等に暮らす楽園です」
「何を言っているのですか、メリナさん。頭は大丈夫ですか?」
素で返されると、私も冷静になって辛いものがあるので勘弁してください。
「あ? お前、ボスの決して呼んではいけねー名前を連発してやがんな。ボス、やっちまいましょーぜ、そのババァ」
ガルディス、止めなさい。完全に無能な男になっておりますよ。
チラッとデンジャラスさんはガルディスを睨みます。立て続けの暴言が気になったのでしょう。
「ふぅ、すみません。メリナさん、強いショックを与えれば、失った記憶が戻ることもあるそうです」
そう言うと、デンジャラスさんは拳を前にして構えます。
そして、それを囮に私の脛を叩き折るかのような鋭い蹴り。流れる動作は以前にも増して達人の領域。
慌てて間合いを取らざるを得ませんでした。
「ちょっ! デンジャラスさん、私、正気です。もう記憶が戻って大丈夫ですから!」
「街中の通りを勝手に封鎖して、通行人から金品を巻き上げる連中のボスになる。そして、それを正気と言い放つ狂気。シャールの警備兵も怯えて手出しできないのでしょう。ならば、私がメリナさんを救って差し上げましょう」
デンシャラスさんは拳で連打してきました。ここ数日は街造りに忙しくて、私は腕が鈍っていたのでしょう。またもや見事に誘導に騙されまして、腰に重い蹴りを入れられます。
「……やってくれましたね……」
私も構えます。そして、敵意を全力でぶつけます。アシュリン以下の戦闘力で私に挑もうとは命知らず。この元聖女にも教育が必要なようです。
私の腕は空を切る。それに合わせたカウンターを紙一重で躱す。
……鈍っている訳ではないかな。デンシャラスさんが強くなっている。私の動きが読まれている感じがします。
その後は殴り合い。
でも、互いに当たりません。当たりませんが、諦めません。
「アデリーナさんとともに国を支えるのが貴女の役目でしょうが!」
「勝手な事を言わないで下さい!」
「ゴロツキを従えて愚連隊でも作る気ですか!」
「ゴロツキそのものの格好の人に言われたくないです!」
「メリナさん、フローレンスさんに従いなさい! 貴女の力が必要だそうです!」
「巫女長、怒ってませんか!?」
「常に穏やかなのは知っているでしょ!」
「穏やかに見えるだけじゃないですか! 王都でめちゃくちゃしていたのを覚えてないんですか!」
「竜の陰部の干物を食べていたくらいでしょ!」
「あれ、美味しかったですね!」
「知りません! 何にしろ、年長者には従うものです!」
「嫌です!」
「メリナさんのお母様も案じておられますよ!」
「えっ! えぇ!?」
「お母様も国と年長者に従ってもらわないとねぇ、って仰ってました!」
「本当ですか!?」
「本当です!」
「嘘です! どうして、デンジャラスさんがお母さんを知っているんですか!」
「戦場で知り合ってます!」
「嘘です!」
「ノノン村にも行きました! 出産祝いです!」
「虚言には引っ掛かりません!」
「言伝てです! そっかぁ、メリナが記憶喪失かぁ、私が殴れば戻るかな、だそうです!」
「それ、殺されますから!」
「大袈裟なことを!」
「本当ですって! 私、記憶が戻ってますし!」
「記憶が戻っているのに、この事態なんて信じられません!」
「信じてください! 私ですよ!」
お互いの殴打や蹴りが旋風のように暴れていたのですが、さっきの私の言葉でデンジャラスさんが止まります。
「そうですね。メリナさんでした。それで、記憶が戻ったと言うのは本当ですか?」
ふぅ、やっと落ち着いてくれましたか。
「はい。竜の干物だって覚えていたじゃないですか」
「そうでしたね。信じます。ところで、メリナさん、記憶が戻られてからと思っていたのですが、そうであるならば、お伝えします。貴女に弟と妹ができました」
っ!?
「ご安心下さい。2人とも玉のように丸々とした元気な赤子です」
デンジャラスさんは生まれて間もなく亡くなった弟と妹のことを知っていて、そういう表現をされたのでしょう。
「このスラムについては私にお任せになって、村に一度お戻りなさい」
「ありがとうございますっ! ガルディス、この立派な方を私の代理とします。後はよろしくです!」
「おうよ。ボスと互角とは大した女だぜ」
「しかし、メリナさん、先にフローレンスさんとお会いください。強大な敵、非常に気になります」
「そんなのオロ部長とアシュリンさんに任せれば良いですよ。では!」
なお、フロンの気配が近くの家の屋根に感じていたのですが、ヤツが戦闘中に助力する様子は全くありませんでした。
舐めたヤツです。




