改革をする女
屋上で起きたばかりの目には眩しい日差しを浴びながら、私は伸びをして早朝の空気を吸い込みます。
あまり新鮮な感じはしないというか、澱んでいると表現した方が正しい空気ですので、少し咳き込んでしまいました。
でも、今日の街は昨日の街よりもキレイになる予定です。
黒蜥蜴ファミリーとかいう連中の事務所を殴って粉々に破壊したのですが、彼らの事務所の中にはかなりの蓄えが有りました。金貨も持っていたくらいです。
こんなに貧しい地区でも悪い連中は溜め込んでいるですね。これを資金にして、私は皆の協力の下で清浄で平和で平等な街を作りたいと考えています。
しかし、その前に敵の動静確認です。勿論、敵とは巫女長のことです。
ガランガドーさん、起きてますか?
『うむ。主よ、我も今日から仕事である。手短に頼むぞ』
……とんでもない話ですね。お前、ご主人様よりも仕事を優先ですか? しかも仕事ってアレでしょ? 神殿に来た参拝客を背中に載せて中庭を一周するだけのことじゃないですか。何なら、喋りながら出来る仕事ですよ。
『主には分からぬか、自ら働いて得たご飯の美味しさを』
死を運ぶ者と自称していたヤツの言葉とは思えない腑抜けぶりですね。
まぁ、良いです。神殿の状況を教えなさい。まずは巫女長はどうしていますか?
『ククク、驚くことなかれ、我の体を磨いておる』
ッ!? 殺されますよ!!
早く! 早く逃げなさい!!
それは磨いているように見せ掛けて、鱗を剥ごうとしているんだと思います! 本当に驚きましたよ!
『ガハハ、主よ。我は闇の深淵より現れし死竜。この老いぼれた弱き者も我の偉大さを遂に理解したのであろう』
そんな訳ないでしょ……。恐怖で頭がおかしくなったのですか。
いや、違う。なんだろ、凄い違和感です。ガランガドーさんはアデリーナ様を除いて人の意識を読めるはず。なのに、この平静とはおかしい!
……お前、何かを隠しているでしょ? 私の記憶喪失に関しても隠し事をしていましたよね。洗いざらい教えなさい。
『本日は既に予約があって忙しいのである。後日にしてもらいたいと願う』
チッ。距離が離れていることを良いことに調子に乗りやがってますね。
しかし、最低限の情報は入手できました。最大の懸念である巫女長の動向は把握できたので良しとしますか。
それにしても、巫女長は分裂したと聞いていましたが、神殿で普通に活動しているのならば、人間の形をしていそうですね。魔物認定されなかったことが至極残念です。オロ部長の出番だと思ったのになぁ。
次の質問です。拐われた私に対するアクションを知りたいです。皆さん、心配されていますよね。膨大な身代金の用意とかどうなっていますか?
『神殿は平穏である。昨日、主の血を持ってきた弱き者どもは捕らえられ、尋問を受けておるがな』
なっ!? 尋問だと!?
それは想定していませんでした……。
そっかぁ、そうですよね。あんな脅迫状を持ってきて「はい、お疲れさまでした」なんてことは有り得ないです。
うわぁ、やってしまった……。私のバカ。
ガランガドーさん、真剣な依頼です。その2名を抹殺しなさい。
『最早、遅いと思うのである』
お前の意見は聞いていません! 私がどうしたいかですよ!
『では、主よ。我も忙しいのである。また暇な時に話し掛けてもらおうぞ』
ガランガドーさん! ガランガドー!! ちょっ! 本当に聞こえてないんですか!?
「お願いだから、奴等を殺して下さい!! まだ間に合います!!」
私の心の中の叫びは言葉としても出てしまいました。なのに、ガランガドーは答えないのです。
くそぉ、失敗しました。
メリナ誘拐殺人事件計画が破綻した事実に、私は震えます。
全額は無理にしろ、大金を積んだ馬車が用意され、それを襲撃して新人寮破壊の賠償金に充てようとも考えていたのに……。
「ボス。どうした?」
ガルディスの声が事務室から聞こえました。私の叫びに驚いたのでしょう。
「な、何でもありません。ところで、ガルディス、準備は出来ていますか?」
「あぁ。人数は揃っているぜ、ボス」
失敗した計画に拘るのは愚かな者のみでして、私は震えている間に殺人事件計画を完全破棄して新たな計画を思い付いたのです。我ながら、自分の才能が恐ろしい。
ガルディスを伴って、私は外へと出ます。
そして、集めた方々の前で演説を致します。
「おはようございます、皆さん」
「「おはようございます!!」」
昨日、教育を終えたばかりの黒蜥蜴ファミリーの方々が大声で返答してきました。
「あら、挨拶をされていない方がいらっしゃいましたね」
ガルディスや黒蜥蜴ファミリーに誘われただけとか、何となく人がいるから集まっただけなんて人達も大勢いるからでしょう。
「テメーら! 拳王様の挨拶が聞こえなかったのか!?」
不意に他人よりも良い服を着た人物が叫びます。教育済みの黒蜥蜴ファミリーの偉かった人です。
彼の言葉には気に障ることがあります。拳王なる蔑称は遠く離れた諸国連邦に留学していた時のものでして、何故にシャールにいたはずのお前が知っているのか、と……。
「ガルディス、どうして彼は私を拳王などとふざけた呼び方をしたのですか? 舌を引っこ抜いて良いですかね」
「拳の一撃で石造りの建物を破壊したんだぜ。そりゃ、ボスを拳王と呼んでおかしくないさ」
奴らの建物を破壊した件か。
「でも、この国には女王様がいますよね。それなのに、私が別の王を名乗ったらおかしいかな。畏れ多いっていうか失礼っていうか、ねぇ?」
「ガハハ、ボス、気にしすぎだぜ。 うん? オラっ!! そこ! 何を座ってんだ、コラッ!! 拳王様の拳がお前の胸を突き破るぜ!! 立て、オラッ!!」
くぅ、別の者にくれてやることで、その呼び名から解放されたはずなのです。まさか、もう一度呼ばれるとは思っておりませんでした。
しかし、計画を、新たな計画を進めなくては。巫女長の進撃が始まる前に。
「皆様、おはようございます」
「「おはようございます!!」」
ガルディスの脅しの効果もあって、ほぼ全員から挨拶を返してもらいます。
「良いですか? 本日はこのスラム地区のお掃除大会です。汚ない物は黒蜥蜴ファミリーさんの事務所跡地に集めてくださいね」
「「へい!」」
率先して行動するのが黒蜥蜴ファミリーのお偉いさんだった人ですので、普段は無気力な皆さんもサボる訳にはいかず、溝さらいや道に落ちた生ゴミの収集なんかを始められました。
その間に私は金貨を1枚握ってスラム街の外に出まして、パンや果物を荷車いっぱいに買いました。お肉も忘れません。
金貨1枚でこんなにも買えるんですね。私、知りませんでした。
でも、黒いローブで全身を隠すという怪しげな出立ちで、しかもスラム街に数日いたものですから臭いも染み付いていたのでしょう。店主さん達からの視線は少し冷たいように感じました。
スラムに戻った頃にはお昼時でした。
「オラァ!! 拳王様が戻ってこられたぞ!! クズども、殺されたくなければ、集まって挨拶だ!!」
黒蜥蜴ファミリーの人が私を見て叫びます。とてもドスの効いた声でして、何人かはそれだけで震え上がっていました。
怯えた表情の方も多く、でも怖い人の命令でしたので、恐る恐ると近寄って来られます。
しかし、私がお昼ごはんを皆の為に配っていると分かると、競うように集まり始めます。
「ガルディス、一列に並ばせなさい」
我先にと走ってきて混乱が生じ始めたのです。
だから、一番最初に私の下へ駆け寄り、パンと焼きたての骨付き肉を頬張っている彼に命じます。
「おう、分かったぜ」
彼は他の人にも手伝わせながら、規律なんて知らなさそうな人達を一直線に道に並ばせました。こいつ、有能ですね。
人々は喜んでおります。平等にパンと果物を1個ずつと肉を1本。私から手渡されてすぐに食べてしまいます。
「おい! 足りねーぞ!」
こんな事を申す人間もおりますが、私は気にも止めずに配布を続けます。
「ガキと俺が同じ量じゃおかしいだろ!」
無視です。聖竜様の前では人間の大小の差など誤差範囲です。言い方は良くないですが、等しく矮小。
「聞いてんのか、このアマァ!? その黒い服は竜の巫女気取りか? あぁ?」
蝿のようにうるさい。
見なさい、痩せこけた女の人がご飯を食べながら泣きそうになっていますよ。
「俺達に聖竜様の加護なんて届いてないんだよ! お前にも教えてやるぜ!!」
粗末なナイフを取り出したのが視界の端に見えました。
しかし、彼は言ってはならないことを言いました。聖竜様は全てを見ておられます。それを疑うことは大変に悲しいことです。
私は彼の顔面に慈愛に満ちた拳を叩き入れる。顔の骨が砕けて凹んだ感触がします。
ここ数日でコツは掴みました。ギリギリ意識が飛ばない程度の威力です。
「もう一度言ってみなさい」
私は優しく語り掛けます。しかし、彼は体を丸めて呻くだけでした。
「ガルディス、すみません。この人には教育が必要みたいなので、例の部屋に運んでおいてください」
「おう。ボスを怒らせるとはこいつも運がねーな」
昼ご飯を配った後、皆の清掃活動を見ていただけの人々が働けば食事ができると知ったのでしょう。老若男女がこの地区をきれいにする活動に参加してくれました。
元気のない人もいますが、必死です。ふらふら動くのがちょっと亡者みたいと思ったのは秘密。
私は皆の働きを見守りながら、微笑みながら立っています。よしよし、善行を積むのですよ、皆さん。
しかし、そんな穏やかな私を敵対心を持って囲む人達もいました。
今まで街を仕切っていた悪い人達は急な清掃活動にビックリされて、更には反感まで覚えたみたいなんです。ひょっとしたら、この地区にあるルールに違反したのかもしれません。「明日までに立ち去らなければ、お前を殺す」と集団で私を脅したんです。
なので、晩ご飯を配り終えた後に、その方々を襲撃しまして、聖竜様の偉大さを彼らに教えてあげました。
私は逃げません。聖竜様を篤く信仰する楽園をここに作り上げるのです。
その思いだけが私の心に安寧を与えてくれます。いずれは聖竜様を讃える立派な祠も作りましょう。
そして、巫女長がここに踏み込んだ時には、聖竜様の愛を説きまして、如何に巫女長がダメな人間だったかを自覚してもらい、私を赦す方向に持っていくのです。
これぞ、「メリナは巫女長より巫女っぽいことしているぞ。だからお助け作戦」です。
……無理があるのは承知しています。逃げたら良かった。




