暴力が支配する地区
スラム街で1日を過ごした私は、早朝からの喧嘩の音で目を覚まします。
昨日、保護した方々に聞きましたが、この地区は強い者が弱い者から物品を巻き上げることが日常だそうです。
特にシャールの普通の市街ではお金がなくて暮らしていけない貧乏な移住者が流れに流れて、この地区に来るのですが、そういった人達は格好の獲物となります。
他の地区で野宿なんてすると、警備兵に追い立てられ、最悪、壁外への追放も有り得えるそうです。高い入街料が無駄になるのは避けたいところですので、だから、この無法地帯にやって来るんですね。
そして、そんな哀れな彼らを狙う野蛮な輩が多いのです。貧しく恵まれていない者がより貧しくて弱い者を襲う。ここは地獄のような場所です。
そう言えば、私も荷車を押してここを通りましたが、即行で絡まれましたね。
シャールの行政としては、ここを一種の緩衝地帯とすることで、他の地区の安寧を計っているのかもしれません。
そうすれば、外から流入する貧しい人達が集まりますので治安管理がしやすく、また、歓迎されない移住者たちが空腹や喧嘩によって衰弱して死んでいき、悪い言い方をすれば、自らの手を汚さずにその人口を減らすことができるのです。
嘆かわしい。聖竜様を讃える神殿が自慢の街なのに、そこで行われている所業とは思えなくて、私は胸を痛くします。
昨日に頂いた「俺たちを救ってくれない聖竜と竜の巫女」という暴言も心にトゲとして引っ掛かっています。
街全体からしたら極少数とはいえ、聖竜様がそんな風に思われていたなんて、メリナ、とても最悪な気持ちです。
なので、彼らの意識改革が必要です。私は強くそう思っています。聖竜様は全てにおいて絶対的存在であることを刻み付けないとなりません。
「おはようございます、ガルディス。朝御飯を食べたいのですが?」
寝室の扉を開くと執務室に繋がっていまして、そこにいた大男に私は訊きます。
「今、ナディアが持ってくるところです」
女性の名前だから、前のボスの護衛だった人ですかね。すみませんね、お腹に氷を突き刺してしまいまして。もしも妊娠していたら、私、赤ん坊殺しの罪悪感で更に大変な気持ちになるところでした。
これからは胸を貫くようにしなきゃ。
目玉焼きと丸パン2個。質素ですが美味しい。彼女の料理は潜伏生活の楽しみとなりそうですね。
「ボス、昨日、捕らえた黒蜥蜴ファミリーのヤツラ、どうしましょか?」
一階の部屋に寝かせているんですよね。1晩経って頭が冷えたでしょう。
「その黒蜥蜴ファミリーの他の連中に迎えに来させなさい」
「……お、おう。血で血を洗う抗争も辞さないってのか……」
「ん? 平和的解決ですよ。勘違いしないでください」
さて、ガルディスはどこかに行きまして、私は寝室へと戻ります。
そして、ガランガドーさんに連絡を取ります。彼と私は念話的に遠くに離れていても会話が可能なのです。
ガランガドーさん、私からの使者は到着しましたか?
『先ほど神殿に入った』
良かったぁ。心配させんなっつーのです。
私の血を入れた瓶を持って神殿へと向かったチンピラ2人ですが、なんと昨日着くと思っていたのに道に迷って辿り着いていませんでした。
本当に無能です。こいつら、スラム街じゃなければ暮らしていけないヤツラなんだと強く思いました。
それで、彼らはちゃんと巫女さんに物を渡しましたか?
『うむ』
受け取った巫女さんの名前は?
私はガランガドーさんに尋ねつつ、ドキドキしていました。アシュリンやフロンだったら最悪です。あいつらだと、手紙も読まずに捨てて、私の計画が潰されます。
ルッカ姉さんもダメです。あいつは吸血鬼なので、私の血を見たらゴクゴクと堪能しそうです。
理想は薬師処か礼拝部の人達。彼女らは理知的ですので、私の一大事を副神殿長に伝えてくれるはずです。次点で調査部。エルバ部長はあんまりですが、他の方々は仕事できそうでしたから。
『フローレンス』
っ!?
巫女長!? 巫女長ですかっ!?
お前、それ、巫女長ですかっ!?
『そうであるな』
マジか!? あの地下迷宮から脱出してくるのは時間の問題だと思っていましたが、もう神殿に戻ったのか!?
巫女長の様子は!? 誰かを殺したいとか、生き埋めにしたヤツは誰だとか仰っていませんか!?
その答えはもちろん「アデリーナ様です!」ですよ! ガランガドーさん、分かってますよね!
『主よ、安心するが良い。強大な力を持つ我が付いておるぞ。一撃で粉砕してやろうぞ。グワハハ』
どこに安心材料を感じれば良いのですかっ!? お前、巫女長の精神魔法を受けて泣き喚いた過去を忘れたんですか!?
ガランガドーさんからの最悪で極悪な報告を受けて、私は呆然とします。
しかし、いつまでも悩んでもいられません。私は覚悟を決めました。
殺るか殺られるかです。ならば、殺りましょう。
「ボス! 黒蜥蜴の連中が来やがりました。昨日のヤツらは引き渡したんですが、話があるっつー話です」
扉向こうからガルディスの荒い声が聞こえました。
「お連れしなさい」
私はフードを被り直して、執務室へと入ります。そして、威厳を出すために敢えて偉そうに革椅子に深く座りました。
巫女長の件で気が焦りますが、大丈夫。私の居場所はバレていないはずです。安心しなさい、メリナ。
落ち着いて、落ち着いて対応すれば、きっと道が開かれます。
まずは目の前のことを着実にやっていくのです。
「誰だ、テメーは!?」
向こうのお偉いさんが私に叫びます。
「新しいボスだ。頭がたけーぞ、蜥蜴野郎」
「控えなさい、ガルディス。初対面なのですから仕方ありません。当然の反応です。まずは挨拶ですよ。私の名前はメ――」
ここまで言って、私は気付きます。メリナと言ってはならぬ、と。水を溜めるダムの決壊も小さな穴からと言いまして、些細なことから私の潜伏場所がバレる可能性が増します。
切り替えましょう。挨拶は不要です。
「メ、メ……面倒だから言いません。さて、何をしに来たのですか?」
「あぁん? お前らが俺たちのファミリーを拉致ったんだろうが!? どう落とし前付けるんだッ!? あぁん!?」
あぁ、そうでした。巫女長の件で頭がいっぱいになっていて、こいつらが何故に訪問してきたのか忘れていました。
「無事に返すように命じております。教育も与えましたから、むしろ感謝してほしいと思いますよ。ねぇ、ガルディス?」
「へい、ボス。見違えるほどですぜ」
「あぁ? お前ら、舐めた口を叩くなよ。おい、あいつらを引っ張ってこい!」
相手の偉い人は配下の方に命じて、私が保護して教育まで施した方々を部屋に連れてきました。
彼ら4人は姿勢良くキビキビと歩いております。私の教育のお陰です。
「おい! お前ら、この黒ローブの女に何をされたか言ってやれ。脅されていても構うな! 俺が守ってやる!」
偉い人に最初に応えたのは、昨日まで目付きの悪かった男です。
「はい。ボスに聖竜様の素晴らしさを学びました。全ての物が聖竜様からの賜物。皆で分かつ必要があるのです。私は今までの強欲を恥じ、いつでも死ぬ覚悟で聖竜様にこの身を献じようと思います」
おぉ、ちゃんと言えましたね。
うんうん、ここまでなるのに真夜中まで血反吐を吐く猛特訓でした。
「……次っ!」
若い女性が一歩前に出ます。
「はい。ボスには聖竜様の愛を学ばせて頂きました。全ての生物は聖竜様により生かされ、また死にいく時も聖竜様の下へ還るのです。死を恐れる必要はなく、穏やかな顔で迎えることが聖竜様への恩返しです。私は生きる標を頂きました。物を独占することなく平等に分配し、この地上に愛の国を作る。それが私の夢です」
良いですよぉ。
うんうん、「殺せ! お願い! 殺してェエーーッ!!」って叫んでいた昨夜が嘘の様に立派な淑女になられましたね。
続いて、昨日は3人に絡まれていたおっさんも彼女の横に出ます。
「ボスは平等です。僕たちに分け隔てなく愛を注いでくれました。貧しいからこそ全てを皆に分け与えましょう。あぁ、聖竜様は偉大。聖竜様はこの世の全て。聖竜様こそが救世主」
うん、彼も頑張りました。
やっぱり教育は平等にしないといけませんから、彼にも聖竜様への帰依を求めました。
「おかしいだろ!! 何をした! お前ら、殺されたいのか!!」
それに最後の若い男が答えます。
「俺、今までお金や物に執着していました。その気持ちを捨てたら、こんなに楽なんですね。命があるだけで幸せです。ボスは、ボスは……何もしてません。ボスは何もしていません。ボスは本当に何もしていないんです! 何も! 何も!! あー、取らないで! 俺の腕は脱着可能じゃな――」
「ガルディス」
壊れ始めた男の信心の無さを危惧して、私は頼りになる腹心に声を掛けました。
「へい」
そして、彼は激しく震える男を抱き締め、耳許で囁きます。
「……落ち着け。ボスは不愉快に感じているぞ」
「ひっ! ひっ! ひいぃ!! ひっ!」
「大丈夫だ。ボスのアレを耐えきったお前に怖いものなんてねーさ。なぁ、そーだろ?」
「ひふっ、ひ、ひ、ひ。ふひ、ふ……」
奇妙な声を上げながら、徐々に彼の震えが止まっていきます。
なお、ガルディスは今日も上半身裸ですので、抱かれた男の人も大変だろうなぁと思いました。
「何をしたらこんな風になるんだよ!!」
偉い人が私に詰め寄ります。背後にいる護衛の方々が今にも私たちに襲い掛かりそうです。
「知りたいのですか? 体験します?」
「あぁ!? 舐めてたら殺すぞ!! おい! お前ら、こいつらをぶちのめしてやれ!!」
話し合いの途中ですのに、乱暴ですこと。
早速、ガルディスが顎を殴られましたが、中々にタフ。気にした様子もなく、太い腕で反撃を相手に食らわしました。
それを見ながら、私は暴力的な方々の間を駆け抜け、振り向けば、皆さん、床に倒れていくところでした。
「ボス、すげーぜ」
「いえいえ。本気の私はこんなものではないですよ」
「ボスの底が見えねーな。痺れてしまうぜ」
さて、また教育が必要ですね。
ガルディスに彼らを一階に連れていくように伝えました。
今日も忙しそうです。




