潜伏するメリナ
手元には酒瓶に入った私の血が有ります。
我慢してナイフで腕を切ってもらい、その切り傷から造血魔法も駆使しながら注いだ逸品です。なお、うまく入らなかった血が周囲を染めております。
「ふぅ、痛かったなぁ」
私は呟きます。過去には強く殴られたり、剣で刺されたりした経験も有るのですが、今回の様に自傷は始めてかもしれません。
戦闘の緊張感を伴わないせいか、痛みが怖かったんですよね。
巫女長の存在が私を後押ししてくれました。あの人、本当になんで分裂なんてしたんでしょうか。めちゃくちゃ怖いんですけど。
どうしよ、縦に二つに分かれているとか、上下に分離して動いているとかなら、正しく魔物なんですけど。
うちの部署の駆除対象になることを期待します。あー、しばらくの間、ノノン村に帰郷する方が良かったかなぁ。
いえ、余計な事は考えないでいましょう。精神が不安定になります。
打てる策を手早く進めるのです。
血は準備できました。魔力感知が使える者ならば、この血が私の物だと判別できるでしょう。私が捕えられ傷つけられたと分かるのです。
切断した指とか手とかでも良かったのですが、やっぱり怖いし痛いですから血にしたのです。
「ガルディス、手紙は書けましたか?」
ズボンも燃えましたのでお着替え済みの大男に尋ねます。こいつ、上半身はまだ裸でして、気味が悪いです。
ガルディスはでかい体を丸めて床に置いた紙に文字を書いていました。私が命じて書かせている脅迫状です。
「あ、あぁ。どうだろうか?」
立ち上がった彼から机越しに受け取った手紙に目を通します。
汚い字ですし、誤字も目立ちます。でも、字を書けるのはこいつしか居なかったんですよね。
"きれいな巫女メリナは俺たちが誘拐じた。返してほしば、みんのしろ金を金貨8000万枚用意だ。びた一文まけないで。それができなれば、メロナは殺す。さっしょぶんであるぞ。ギタギタにみじん切りだ。証拠は渡す。血がいっぱいの瓶と使ったナイフだ。わかるやつがみれば、それがメルナの血だと分かるだる。明後日の朝が期限だ。良いか、八せん万だぞ。それをシャールの西の森の一番高い一本木の下に持ってこい。それをずたらメムナは土の下で永遠のねむりに。"
……子供のいたずらだと思われないかな。
アシュリンさんの手に渡ったら、細かく千切られて捨てられてしまいそうです。
「ガルディス」
「へい、ボス」
大男は既に私に忠誠を誓っています。
焼いて回復させて焼いて回復させてを10回くらい繰り返したら、反抗心を失くしました。それを見ていた人達も私をボスと崇めるようになっています。
「私の名前は?」
「ぜってーにその名を公言してはならねーお方です」
「よろしい。常にボスと呼びなさい」
私は殺されたと思わせて、隠れる必要があります。だから、スラム街に突然メリナという女が現れたと噂が立つとまずいんですよね。
なお、さっきまでボスだった男は無言で出ていきました。ブライドが許さなかったのかもしれません。申し訳ないことをしましたね。
「しかし、それはそうとして。私の本名はメリナです。でも、この手紙ではメロナ、メルナ、メムナと間違えすぎではないでしょうか?」
「すまねー、頭わりぃんだわ」
ガルディスと同タイプの図体の大きいバカは何人か知っていますが、私の名前を覚えられない程のヤツは初めてです。
さすがスラム街、ヤベー奴等が集まるところです。
私はガルディスの書いた手紙を封筒に入れる。
「ボーディ、これらを竜の神殿に持っていくのです。そして、竜の巫女に渡しなさい。分かりましたか?」
ボーディは血を採るために借りたナイフの持ち主の名前です。彼も私に素直になっています。
「はい、ボス!」
私から手紙と血の入った瓶を、小刻みに震える手で受け取った若者はそのまま滑り落として瓶をパリンと割りました。割ったのです。無惨に私の血が広がります。
「ひっ! ひぃぃ!! ボス、すみません!!」
「おい、ボーディ。死んどくか?」
「よしなさい、ガルディス。不注意は誰にでもあるものです」
私は平静を装いながら、血の瓶詰めを再び作りました。痛みを味わうのがすっごく憂鬱ですが、人の上に立つ者としては部下を消沈させる訳にはいきません。
二度目もパリンと割れました。
「おい! ボーディ!! ボスに謝れ!!」
「ひぃ! ボス!! お助けを!!」
「死んで来世に期待した方が良いんじゃないですか? 無能にも程があるでしょ。瓶を運ぶだけですよ。それを開始前に2度も失敗するなんて、生きている価値を疑います」
私、ぶちギレそうですよ。強敵と戦っている訳でもないのに、過去一番に血を流す日となっています。
「俺が殺りましょか、ボス?」
「ひ、ひぃ!!」
「頭が痛いですが、チャンスをもう一度あげましょう」
私は3本目を作りました。最悪です。人選を間違えましたね。
「はい。では、聖竜様を貶した愚かな男がいたでしょ? そいつは改心して竜神殿にお参りすることになっています。一緒に向かいなさい」
私は鞄に入れて渡すという工夫により、無事、瓶を男に持たすことができました。ガルディスが書いた脅迫状は血を吸い過ぎてふにゃふにゃです。良い感じに猟奇的になっていますが、解読できるのかな。不安だなぁ。
ボーディは部屋を出て階段を下りていきます。汚れた床は前のボスの護衛だった女性が甲斐甲斐しくモップで吸い取ってくれています。
「ボス、これからどうするんだ?」
「良いですか。哀れで可憐なメリナはお前によって切り刻まれ死んだのです。そんな噂を流しなさい」
「分かった」
その後、アデリーナ様の魔法のローブを纏い、私はほくそ笑みます。
ようやく安心しました。これで、私の気配は消え、居場所が分からなくなったことでしょう。
「ボス、あの金は高すぎやしないか?」
「私にはそれだけの価値が有りますから当然です。少ないくらいです」
「そうかい。しかし、回収場所がボスしか分からねーぞ。西の森で一番高い木なんて誰も知らねーだろーし」
「私も分かりませんよ。私は死ぬんですからそれで良いのです。それよりも、もしも私を誘拐した犯人の捜査が始まるとしましょう。その時、捜査陣は私や犯人がシャールの街の外にいるだろうと判断するでしょ? その間はここは安全です」
「……なんて、賢い。恐ろしい人だ」
お前……そんなに凄いアイデアじゃないですよ。大丈夫ですか?
さて、しばらくはこのスラム地区で暮らさないといけません。土地勘を得るためにも散歩しましょうかね。
「ガルディス、少し外に出てきます。夕飯などを用意していなさい」
「へい、ボス」
私が部屋を出るまで、部屋の中にいた他の人たちは頭を下げ続けました。
汚い街です。
老若男女が穴の空いた汚れた古い服ですし、靴さえ履いていない者も多い。腐ったゴミからの異臭も強烈。少し健康そうに見えるヤツらは大概が悪そうな外見でして、神殿のある地区とは大きく異なる様相です。
同じシャールの街の中だとは思えないですね。
「よぉ。お前、見ない顔だな。金を寄越せよ」
私に言ってきたのかと思ったら、近くにいたおっさんに対してでした。絡んでいるのは目付きの鋭い男と、その腰巾着っぽい若い男女。
「何か恵んでくれよ」
「俺も何もないんだ。昨日、街に入ったばかりで仕事もないし家もない」
「そうか、それは大変だな」
そう思っている口調ではありませんでした。
「こっち来いよ。仕事を紹介してやる」
「ほ、本当か?」
「あぁ。早く来いよ」
おっさんは薄暗い横道へと入っていきました。騙されているって本人も分かっているでしょうが、万に一つの可能性に賭けたのかな。
私は気になって、物陰から覗いて様子を窺います。
「おら! 服があるだろ! 裸になれよ!」
「ギャハハハ」
んまぁ、予想通りです。
なんて野蛮な事なのでしょう。
おっさんがとても強くて反撃する展開もあるので、もう少し様子を見ておきましょうか。
しかし、おっさんは倒され、馬乗りになった男に顔面を殴られていました。もう3発目です。
うん、無駄に待ってしまいましたね。ごめんなさい、おっさん。
「これこれ、お止めなさい」
私は強盗どもに優しく語り掛けます。騒ぎになると私の潜伏計画に支障が出ますので、平和的解決をしたいのです。
「あん? お前も金を持ってそうな顔だな?」
振り向いた男に声を掛けられます。
しかし、顔って、お前……。ローブに付属したフードを深く被って隠しているんですよ。見えるはずがないでしょ。
「持ってないのでごめんなさい」
逆に負債ならいっぱいあるんですけどね。
「おい、そいつも捕らえておけ」
おっさんに馬乗りになっている目付きの悪い男が若い男女に命令しました。
「皆さん、ちょんとお仕事をしましょうよ。先日まで私も懸命に働いていましたが、楽しいものですよ」
私は説得を続けます。
「あん? 黒蜥蜴ファミリーを舐めてるのか? 殺すぞ」
黒蜥蜴……。ガランガドーさんの蔑称みたいです。あいつの肉、煮込んだら美味しくなるかなぁ。
おっさんを殴るのを止めて、男が立ち上がります。場が静かとなり、一触即発の状況となりました。
うーん、仕方御座いません。
私は一撃ずつ彼らに拳を入れて気絶させます。吹き飛んだ男に驚いたおっさんも悲鳴をあげそうになったので、胸を踏んづけて意識を刈ります。
このまま放置すると事件性が出てしまいそうだったので、全員を両肩に担いでガルディスの待つ建物へと運びました。
まったく……。倫理観の欠片もない連中が多いですね。私が安心して住むには、住民達にかなりの教育が必要だと思いました。
金貨8000万枚……現実日本における32兆円相当(笑)




