失態からの立ち直り
このままではダメだと思った私は、とりあえず火に当たって体を温めることにしました。風邪を引いてしまったら、巫女長に襲われた時に対処できませんからね。
うん、どんな苦境でも前向きに生きていかないとなりません。運命に立ち向かうのです。そうであってこそ、高潔な淑女です。
魔法で出した炎がメラメラと燃えています。
最初は手をかざして、ジワジワと熱を感じていた程度だったんです。でも、いつの間にか床からソファに延焼しまして、続いて、火柱みたいになりました。
私、奥に見える棚に入っていた酒瓶の陳列に注目してしまって、そんなになるまで気付かなかったんですね。
どれが飲めるお酒なのかなって、ガラス戸の棚の前に移動して選別していたんです。と言うのも、アデリーナ様は盗難防止に毒を混入した瓶も飾るんですよね。だから、私も慎重に見極めざるを得ませんでした。
扉が開けっ放しだったものですから、焦げ臭い煙が寮の中に広がり始め、巫女見習いさん達が異変を感じている声も聞こえてきます。
いやー、困ったなぁ。ちょっと目を離しただけなのに。
これ、アデリーナ様の部屋が全焼するんじゃないかな。うわー、書類とか灰になって舞い始めましたよ。
手に終えないくらいに炎が広がり始めているのに、私の心は大変に冷静でして、これを明鏡止水と表現するのかもしれません。体の震えも止まっています。
一応、バンバンと氷の槍を突き立ててみたのですが、消火にまでは至らずでして、これは困ったものですね。
そろそろ、私もお暇するかな。
すみません、アデリーナ様。帰って来られたらビックリされると思いますが、私もビックリしていますので、勘弁してください。
お外がまだ豪雨だったからという理由で、火を室内に出したのが私の敗因かもしれません。とてもよく燃えておられますね。
あっ、天井にまで炎が移りました。
さて、決断の時でしょう。もはや無理。この建物は焼け落ちます。
ガランガドーさん! 緊急事態です! アデリーナ様の部屋までお越しください! 見えてますよね!!
『主よ、本当に大変な事態ではないか……』
うっ、うっさい!
早くなさい! 逃亡しますよ! そう、諸国連邦! 諸国連邦まで私を連れていくのです! あそこなら親切な仲間がいっぱいいますから、私を匿ってくれるはずです!
『し、しかし、火は消した方が良いのではなかろうか』
今さら手遅れですよ。
ならば、寮全体を燃やして火元が分からなくしてしまった方が良いでしょう。このままでは、私の仕業だと疑われますからね。
『主よ、水である。水を出さないのは何故なのか』
おぉ!!
そうです! 水ですよね!
私、水魔法も使えます!!
全力で部屋中に水を出します。色んな物がビチャビチャになりますが、焼けて灰になるよりは遥かにマシでしょう。
水を掛けられて炎の勢いはドンドン弱まりますが、煙とかは止まりません。むしろ、増している感じ。
「火事! やっぱり火事だわ!」
見習いどもが遂にその単語を口に出しました。そこでハッとして、私は慌てて扉を閉めます。ただ、そうすると部屋に滞留する煙や蒸気で私が死にそうになるので、窓の方を開けることも忘れません。
『主よ、すぐに水を出せばこの様な惨事には至らなかったのではなかろうか』
本当にうっさい。後からなら何とでも言えます。そういう卑怯な話は聞きたくないですね。
明鏡止水とかうそぶいていましたが、私は混乱していたのです。お前がもっと早くアドバイスしていれば良かったんですよ。つまり、ガランガドーさんにも何割か罪を分担して欲しいです。
『100パーセント、主の責任である』
はいはい。後程、ガランガドーさんの主張を聞くだけ聞いてあげますからね。今は時間が惜しいのです。
改めて、私は部屋を眺め回します。
ビチャビチャで、しかも炎に巻かれて散乱してしまった書類の山に、焦げた床と天井。壁や家具に突き刺さった氷の槍も数本。
アデリーナ様が王都へ仕事に行っていて、不幸中の幸いでした。この惨劇がバレることは当分ありません。
ガランガドーさん、お願いがあります。
『我は聞けぬ。新人寮を完全破壊するならば、主だけですれば良いと思うのである』
あー、ずるいですよ。また私の思考を読みましたね。ダメですよ。はい、その罰として、すんごいデスブレスで粉々に建物を破壊してください。
『主よ、素直に謝れば、アディもきっと――』
「化け物、何してんのよ?」
っ!?
フロン!? 全開にしていた窓の外から、桃色の髪の毛をした愚か者がこちらを覗いていたのです。
これは大変にまずい! 放火魔や火事場泥棒に断定される可能性があります。
「あー、ちょっと待ってくださいね、フロンさん。そこを動いちゃダメですからね」
殺意を隠して、私は世間話を開始するかのように近付き、全開の窓から一気に足に力を込めて外へと跳び出ます。
そして、暢気に傘を持って立っているフロンの首へ鋭い蹴り。
シュッと私の足先によって空気が切り裂かれます。
が、避けられる。
チィッ!!
「ちょっ! 危ないじゃない!!」
「すみません。お前の仕業かと思ったんです」
綺麗に着地してから、私は答えました。水溜まりがあったので飛沫が飛び散ります。
「もう服が汚れるじゃない。で、何がよ? って、アディちゃんの部屋がボロボロじゃないの!?」
良し。その反応からすると、私が火炎魔法を使用したとは気付いていない。
「はい。得体の知れないヤツが襲ってきました。転移魔法で逃げたのですが、まさか、フロン、お前ですか?」
「そんな訳ないじゃない! 今の姿で私がアディちゃんの部屋に忍び込んだら殺されるのよ! 本当に殺されそうになったんだから!」
フロンは魔族です。私が巫女見習いに成り立ての頃、彼女は魔力暴走とかで悪い考えに支配され、ある村を支配している事がありました。その後は色々あって、竜の巫女となったのですが、基本的には魔族らしく自己本意の悪どい性格をしています。
でも、そんな彼女ですが、元々はアデリーナ様が幼い頃に親から与えられた猫でして、猫状態のフロン、つまり、ふーみゃんは私とアデリーナ様のお気に入りです。おそらく、猫状態のフロンは魅了魔法的な何かで私達を縛っているのですが、私達は心地好いのでそのままとしています。
「早く猫に戻りなさい。皆が幸せになる唯一の道ですよ」
「私は人間でいたいのよ。って、化け物、記憶が戻っているの?」
チッ……。しまった。
「全てではありません。忌々しいお前の記憶など消し去りたい――」
喋っている最中に私は異変を感知します。
明らかな敵意をフロンの後方に確認したのです。
「メリナっ!!! 戻ってきて早々に放火とは正気かっ!?」
その軌道からすると、かなりの距離からの跳躍だったのだと思います。アシュリンさんが空中で拳を振り上げながら、叫んできました。
私を貫き殺すのではという迫力でして、私は一気に臨戦態勢に入ります。
バカは何を言っても聞きませんからね。
迎え撃つ!
「人聞きの悪いことは言わないで下さい!」
激突する拳同士。衝撃波が周りに生じ、新人寮も大きく揺れます。近くにある木からたくさんの葉が舞い落ちてきました。
伸びきっていなかった私の腕は勢いに負け、拳と肘を破壊されました。しかし、それは予想の範疇で、瞬時に回復魔法で治します。
次の攻撃に備えます。
衝撃波に逆らって空中で一回転したアシュリンは、死神が大鎌を一閃するかの如く、その長い足を上から私へと真っ直ぐに振り下ろします。
それをクロスした両腕で防ぎました。ズンと掛かるとんでもない負荷を体全体で受け止める。
アシュリンは強くなっています。訓練の中で私に負け続けている彼女ですが、瀕死から復活する度に戦闘力が上がっているのです。
今では私も油断できない存在になっています。
「フロン! このバカを制圧するぞ!」
「へ? えぇ、よく分からないけど、化け物の鼻をへし折るチャンスね」
「奇襲の上に2対1なんて恥知らずですね!」
「ガハハ! 戦場で泣き言を言うな!!」
戦場じゃないでしょ!! ここは聖竜様の神殿ですよ! 暴力とは無縁の平穏な場所のはずです!
ガランガドー、早く来なさい!!
私はアシュリンの拳の連打をいなしつつ、それなりに戦力になるドラゴンを呼びました。
「メリナっ!! 弛んでいるなっ!!」
心の中での呼び掛けが隙となり、アシュリンさんの大きな拳が私の顔面を襲う。それをガードした瞬間に前蹴りで腹部を強く蹴られました。
私は吹っ飛び、寮の壁に激突します。凄まじい威力でして、壁に大穴を作りながら突き破った私は部屋の中の反対側の壁に当たってようやく止まりました。
「出てこい! 気合いを入れてやるっ!!」
ふん。生意気な。
不意を突かれましたが、殴られてからの展開は計算通りですよ。アデリーナ様の部屋をグチャグチャにした真犯人はたった今、アシュリン、お前になったのです。
私は笑みを浮かべながら、壁だった木片を払いのけて立ち上がります。
深い痛みとともに喉を駆け上がってきた血は飲み込みました。




