メリナの危機感
私は窓の外を眺めています。今日は雨。
シャールに戻ってきたのは昨日でして、今日こそは就職活動をしようと思っていたのに、大変に残念です。
窓ガラスを伝う雨粒を見ていると、私も何故か涙を流してしまいそうでした。
大丈夫かな、巫女長……。
巫女長は暗い地下迷宮の中でも独りで生きています。そんな確信が有りまして、再会した時にどんな反応をされるのか、大変に気になるところではあります。
私が殺されないか、とても不安なのです。あの人、無邪気な感じで殺意なく殺人を犯せるタイプだと思うんです……。
逃げた方が良い気がします。
少なくとも、地下迷宮から脱出した巫女長とのファーストコンタクターになるのは避けるべきです。アデリーナ様やショーメ先生に任せましょう。
食堂へと向かいます。ここに来た理由は空腹だけではなく、ショーメ先生の様子を探るためです。逃げるのは私一人で十分、いえ、私一人であることがベストですからね。
「お嬢様、お久しぶりで御座います。再びお嬢様にお逢いできる日が来まして、爺は感無量で御座います」
ベセリン爺!! 記憶が戻った私には分かります。
諸国連邦に留学していた際にとってもお世話になった執事さんです。最後まで主人だった私に忠実でして、私の留学が終わった時もベセリンが職を失うのが気掛かりだったんです。
ピシッとした黒い上着と白いシャツを身に付けている彼は深々と私に一礼をしました。
私は驚きの余りに声を出せていませんでした。
「メリナお嬢様、爺は耳にしておりますぞ。記憶は失われたとのこと、さぞや深い悲しみに包まれていらっしゃるのだろうと心を痛めるばかりです。お嬢様の宝物である、ご学友との交流も忘れておられるのでしょうから」
「え、えぇ。ベセリン爺、大丈夫ですよ。お気になさらず」
「あら、メリナ様。ベセリンのことは覚えておられるんですね?」
ショーメ! 物陰から出てくるとは、なんと嫌らしいヤツっ! 私の動きを観察していましたね! どういうつもりですか!?
いえ、ここは平静です。落ち着きなさい、メリナ。
「えぇ、当たり前です。諸国連邦では最も信頼できる方だったんですよ。で、どうしてベセリン爺がこんなボロ宿屋に? 爺なら、もっと良い仕事があるでしょうに」
「メリナお嬢様にお仕えすること以上の幸せを爺には考え付きませんので」
胸にグッとくるお言葉を頂きました。感動にうち震えてしまいます。
「しばらく、私はシャールを離れますので、どうかベセリンをお頼りください」
そんな私に対してショーメ先生が爆弾発言をしました。私、とても衝撃的ですよ。機先を取られたのです。
「……何か急用ですか? 私が代わりにしますけども?」
逃しませんよ。その気持ちを隠しながら、私は丁寧に返します。
「いえいえ。メリナ様のお手をお借りるほどでは御座いませんので。デュランの自宅をですね、少し掃除したくなっただけですので」
微笑みの裏に、巫女長からの逃亡、そして、私に押し付けようという意思を感じました。こいつは最低なヤツです。自分だけが助かれば良いとでも思っているのでしょうか。
「オズワルドさーん、オズワルドさん、いますか? おたくのメイドが職務放棄しようとしていますよー?」
「あっ、オズワルドさんは外出中です。お客さんを迎えに行かれてますよ。それでは、メリナ様、ご達者で。ご武運をお祈りしています、デュランで」
そう言うとショーメ先生は消えました。短距離の転移魔法です。魔力的には既に宿の外に出られたようです。
最悪です。私がやろうとしたことを先にやられました。
雨に打たれてずぶ濡れになってしまえ。
思わず、歯軋りをしてしまいそうになりましたが、ベセリン爺の手前、それはできませんでした。私は淑女ですし。
「メリナお嬢様、フェリス・ショーメ様よりこの宿の管理を依頼されております。そこで提案なのですが、諸国連邦で私とともに働いて頂いたウィローとエスメを雇わせて頂いて宜しいでしょうか?」
ん? その2人に関しては本当に記憶がないなぁ。やっぱり全ての記憶が戻った訳ではないのか。
「えぇ、構いませんが、それはオズワルドさんとご相談して頂ければと思いますよ。私、ただの客ですし。あと、すみません、その2人って誰でしたか?」
「屋敷で働いていたメイドの2人で御座いますよ。2人もメリナ様には深く感謝しておりました。それでは、メリナ様のご許可を頂きましたので、オズワルド様と交渉致します」
あぁ、あの人達か。湯船から上がった私の体を拭いてくれたり、毎食の準備とかベッドメイキングとかしてくれていたんです。あんまり交流はなかったのですが、あぁ、あの2人ならよく働いてくれますね。
名前、すっかり忘れていますが、私はなんて恩知らずなのでしょうか。
「それでは、ベセリン爺。私は急用ができました。今日中には戻って来ますのでご心配なく」
「分かりましたが、お食事は? それに雨ですので、雨具を準備させて頂きたいのですが」
ベセリン爺は大変に気の効く人間です。私をよく労ってくれます。その気持ちは大変に嬉しい。
しかし、私は一刻を争う使命があるのです。
「ありがとう御座います。しかし、本当に急を要しますので」
そう断りを入れて、私は食堂を出ます。背中越しに、ベセリン爺が深く頭を下げて私を見送ったことを察しました。
彼の忠義に感謝しつつ、私は宿の裏口から中庭なのかな、とりあえず空き地に出ます。
石畳はあれど、庇はないので私の頭は雨に打たれます。
ここでガランガドーさんを構築。
慣れたものですね。この術なのか技なのか分かりませんが、再び出来るようになって3回目。なのに、私は素早く完璧にガランガドーさんを呼び出せるようになっています。
たちまちに獰猛な外観のドラゴンが私の目の前に現れます。
『……もう食べない……?』
濁りきった彼の目には一切の生気が感じられませんでした。
「何を言ってるんですか。お前は死を運ぶ者なんですよ? 弱肉強食の代名詞みたいな自称をしているんですから、自分が食われたとしても文句は言ってはなりません」
厳しい言葉に思えますが、私なりの励ましです。彼に伝わりますでしょうか。未熟な部下を見守る上司みたいな心境です。
『うぅ、折角、復活したのに酷い……。全ての意識を失くして、無に還りたい……』
チッ。
「もう食べないですよ。だから安心なさい」
固くて脂も少なくて、あんまり美味しくなかったし。
『主よ!! 何て言い種であるかっ!? 食べられた者の心を考えるのである!!』
こらこら、私の意識を読むのはお止めなさい。
「巫女長が悪いのですよ。私は気が進まなかったのをお分かりでしょう?」
『主が! 主がっ、「皆のためにお肉を出しますねー」って、軽いノリで我を出したのをしっかり覚えておるぞ! 我、いきなり殴られたし、全力の殺意を全身に浴びたのである! しかも、本当に殺されたっ!!』
それは記憶違いです。被害妄想です。そもそも、お前、死んでないじゃん。反省しなさい。私も反省します。さぁ、これでおあいこです。
『ふ、ざ、け、る、なーっ!!』
……めんどい。雨粒と一緒に唾が飛んできそうですよ。調子に乗ってるんじゃないかな、ガランガドーさん。私は急いでいるのですよ。こんな所で雨に打たれ続ける暇はないのです。
『な、なんであるか……』
私の睨みは彼を少しだけ震わせました。
「つべこべ言ってると、肉屋に並ぶことになりますよ」
『何たる暴言』
チッ。また舌を鳴らしてしまいました。
「お前、私が気付いていないとでも思っているのですか? 邪神の肉を喰らって呪いを受けたのは1年前。あの時に私は教わったのです。精霊の肉を食べることは、その精霊の眷属になることを意味すると。今回、お前を食べた巫女長、ショーメ先生、アデリーナ様はお前の眷属になった。その事実をお前は隠している」
ガランガドーさんは目を反らしました。
「元からお前の主人である私はどうなるのか知りませんが、少なくともお前は3人の異常者を手下にしたも同然。それを何故、黙っているのですか?」
ショーメ先生は食べてないかもしれませんね。あの人、邪神の肉も口にしませんでしたもの。
『え、えぇ? そうなの? えぇ? 知らなかったなー』
白々しい。吐きなさい。食って欲しくなければ、それを死ぬ前に伝えれば良かったはず。何を企んでいた?
『主よ、背中に乗るが良い。我は分かっているぞ。竜神殿に赴き、アディの様子を探りたいのであろう。任せるが良い。ひとっ飛びである』
ほぅ。
最初からそう素直になれば良いのですよ。
ほら、私達、仲良しでしょ? 一蓮托生。もうヤダなー。誰がガランガドーさんの眷属になろうと私には関係ないってゆーか、私の下僕であるガランガドーさんの眷属となると、もう私の下僕の下僕でしょ。うふふ、つまり、アデリーナ様は私の下僕なんでしょ? 痛快です。
さぁ、行きましょう。私の奴隷同然であるアデリーナ様に巫女長対策を押し付けて、平穏な日々を保つ為に!




