精霊界
翌朝、私は食堂へと向かうのです。
そして、ショーメ先生が出してくれた炒り卵と丸パンを頂きます。
今日は快晴。何をしようかと迷ってしまいますね。お金もいっぱいあるし、今の私は衣食住が充実しております。既に自活できているんじゃないでしょうか。流石、私。
私のそんな軽快な気分をぶち壊す奴が扉を開けてやって来ました。
黒い巫女服に身を包んだアデリーナ様です。
「どうされましたか?」
私は一応丁寧な言葉遣いで用件を訊きます。
「いえ。メリナさんの記憶を奪った犯人に繋がる手掛かりがないか、メリナさんを調べに来ました。大人しくしなさいね」
「何だか私を取り調べるみたいな言い方で、ちょっとおかしいですよ、今のセリフ」
「えぇ。最有力容疑者の取り調べで御座いますから」
チッ。こいつは平然とそういう悪辣な言い回しができる人間だということを忘れていました。
「メリナさん、その前に私に謝ることがあるでしょ?」
えっ。全く身に覚えがないです。
微笑むアデリーナ様の目が笑っていないことが非常に気になりますが、冤罪でしょう。
「……ないです」
「そうですか。フェリスが伝えてくれたのです。確か、『アデリーナは行き遅れ。鬼ババァへの進化、間違いなし』。嘆かわしい話で御座います」
っ!?
つい昨夜に私が吐いたセリフッ!!
忘れてたっ!!!
「へ、へぇ……。私は言った記憶ないなぁ」
「まぁ、また記憶喪失で御座いますか。大変ですね、バカは。今なら謝れば許しますよ、バカでも」
「すみませんでしたっ! 心にもない事を言ってしまい、すみませんでした! バカではないですが、すみません!!」
私は即座に腰を深く折って、心の底から叫んで謝罪を致しました。アデリーナ様の許すという言葉を信じたのです。
「忌々しいバカで御座います。そこまで潔いと殺意が倍増します。しかし、まぁ、前言撤回して斬首に処すのも私の気品と評判に関わりますので、約束通り許してやりましょうかね」
「ハハァ! 流石はアデリーナ様! 再び足の激臭が戻れば、天下無双ですね! 強烈なインパクトで敵もたちまちに怯んでしまうことでしょう! 私なんて敵わないです!」
ゴマは擦れる時に擦っておかないといけません。特に今は妙に怖い笑顔ですから、刺激してはなりません。
「挑発には乗りませんよ。足が臭いのはメリナさんですし」
んだとっ!!
「臭くないっ! 昨日、いっぱい洗ったもん!」
「あら、そうで御座いますか? でも、メリナさん、その靴、2年間ずっと履いておられますよ? 聖女になった時も前王に殴り込みに行った時も王国に反乱した時も邪神と対決した時も、いつも同じ靴で御座います。色んな意味で伝説の靴になってますね。ルッカとフロンが笑っておりましたよ、『あれ、スッゴい臭そう』って」
…………。
ルッカ姉さんもフロンさんも魔物駆除殲滅部の同僚でした。つまり、私は職場内イジメに合っていたという訳ですね。
可哀想な私。
体がぶるぶる震えてしまいます。
「あいつら、ぶっ殺してやります!!」
そして、殺意が全身を駆け回りました。
「嘘で御座います」
「はぁ!?」
「嘘で御座いますよ、メリナさん。私の作り話で御座います。私に酷い言葉を吐きましたので、些細な仕返しで御座います。あと、暇潰し」
納得はいきません。でも、私は気持ちを落ち着かせるためにティーカップに手を伸ばします。動揺と殺意の衝動のため、まだ腕は震えていました。
「さて、本題に入りましょう。今日はメリナさんの精霊にお逢いします」
「精霊?」
「はい。どんな方にも守護精霊という存在が見守っているのはご存じですね?」
「何となく分かります」
守護精霊という言葉自体は初めてかもしれませんが、人間の体内の魔力の循環や魔法発動に関与する精霊が存在することは知っています。それを守護精霊と呼ぶのでしょう。
精霊の種類は様々でして、その種類によって各々の魔法の得手不得手が決まると本に書いてありました。
「王国内で最も優秀な精霊鑑定士にお願いしております。彼女の術により精霊と逢うことができるので御座います」
「全く興味がないですよ。私の精霊ならば、極めて清らかな乙女の精霊であることは明らかですので」
「真っ黒で御座います。メリナさんの精霊は真っ黒でトゲトゲの見るからに邪悪な外観で御座いましたよ?」
こいつは私を誹謗中傷して何が楽しいのでしょうか。
「メリナさんの守護精霊ならば、何故にメリナさんが記憶を失ったか詳細に語るでしょう」
「へいへい。最初からそうしておけば良かったんじゃないのかと私は思いますよ」
「はい。ガランガドーさんが生きてらっしゃらない可能性も有りましたから躊躇していたので御座いますよ。エルバ部長が彼の気配がすると教えて下さったので、私は安心しております」
エルバ部長か。蟻猿との戦いで同行したちんちくりんの女の子です。つい先日のことですから、覚えていますよ。
アデリーナ様からも部長と呼ばれているのですから、彼女本人が言っていた通り、本当に竜神殿の情報部長なのかもしれません。あんな役立たずを要職っぽいポジションに置くなんて、末恐ろしいですね。
しばらくして、そのお子様がやって来ます。今日の服装はアデリーナ様と同じ様な黒い巫女服です。少し丈が余ってはいまして、背負い鞄を身に付けておられました。
「すまない。遅れた」
「えぇ、お待ちしておりました、エルバ部長」
アデリーナ様が珍しく恭しく頭を下げてお迎えしました。
「神殿を出る時にフローレンスに捕まってな。無下にはできんから話していたのだが、結果、馬車に乗り遅れた。すまない。私が言うのも何だが、時間が惜しいだろう。早速、始めるぞ」
そう言って、エルバ部長は空いているテーブルに鞄から出した厚い布を敷き、更に、その上に両手で抱える程の大きさの水晶玉を供えます。
「それでは、私と手を繋いでくれ」
私とアデリーナ様を両手に、エルバ部長は魔法詠唱を開始します。
『我、レギアンスに連なる者にして、連綿と紡がれる糸巻きに索寞と無量を包摂せし者。我は問う。寂寥満つる雪中の渓、久離の離別は霜雪の如く、地原を編まんと欲す腫脹に。百眼の淫蕩を顕現とし、雨氷の痛念を予奪し。その生を決歩して終焉を混濁すべし、琥珀の徒爾』
風景が一変します。食堂にいたはずなのに、目で見る限りは周りは何もない薄暗く灰色の空間。足下さえ見えず、でも、私達は3人とも立っているので床は有るのでしょう。
ただ、魔力だけは豊富でして、信じられないくらいの量が充満していました。それはまるで魔力で息が詰まるのではと感じる程でした。
「これが精霊界で御座いますか。人間の身ではエルバ・レギアンスの秘術でしか到達できないと言われている場所」
「ふむ。そうだ。よく知っているな」
うわ、偉そう。アデリーナ様とは違ってコミカルに偉そうな態度です。
「私には植え付けられた記憶が御座いますので」
「ブラナンか……。あの呪縛をよく断ち切ったものだ」
エルバ部長の呟きを聞いた後、アデリーナ様はハッと、私を見てきました。
「メリナさんも記憶を失くしたのではなく、記憶を上書きされた可能性もあるので御座いますね」
「は?」
「メリナさん、今のご自分のことをかなり過剰に評価されていますよね?」
「いえ。ただの清純な美少女乙女です」
あっ、少女と乙女が被ったなぁ。まぁ、私の特徴が強調されているってことで良いか。
「2年前のメリナさん、もう少し自重されて、田舎から出てきた村娘ですからって、健気に申されておりましたよ? なのに、今は美少女を自称するなんて不思議です。普通の人間なら思っていても言葉にできないはずです」
「ふーん」
その程度の指摘で鬼の首を取ったかのように言われても心に響きません。ご自分の首を掻っ切ってはどうですかね、アデリーナ様。
「おい、来たぞ」
エルバ部長の声で、いつの間にか大きな黒い竜が私達の前に現れていることを知りました。
誰かが言っていた通り、トゲトゲの見た目でして、禍々しささえ感じられるものでした。




