フォビの追憶
☆フォビ視点
○2000年前
俺達は湖の辺ほとりに設置した前線基地の一室で円卓に着いていた。窓から見える古名シャールドレバンテニス、清らかなる生命の湖を意味するそれの水面は、戦況とは違って、青い空に浮かぶ雲さえも綺麗に映すくらいに穏やかだった。
「何だと!? お前はカレンとワットだけで、あの化け物と対峙するって言うのかっ!?」
「まぁ、そういうこった」
「しかも、俺はここに留まれだとっ!? 俺が信頼できないのか、貴様っ!?」
「そんな事はねーよ。信頼しているからこそ残すんだわ」
「そうそう。カレンは死にに行くの。マイアが封印魔法を完成させるまでの囮だよ」
「ふざけるなっ! もっと良い方法があるだろ!!」
「ねーよ。時間が経つほどに魔王は強くなってやがる。今、あいつを倒さなきゃ、どうしようもなくなるぜ。10日もすれば、ここも放棄だって分かるだろ。そうなったら、もう、あいつの拠点には辿り着けなくなる」
相変わらずブラナンは真面目で怒りっぽい。もっと楽に生きゃいーのに。
魔王はあらゆる魔力を吸収している。その範囲が尋常でなくて、今は馬車3日分の移動距離内が完全に魔力の存在しない死の大地となってしまった。
希代の魔法使いマイアが対応する魔法を開発しなければ、この地にいる俺達の魔力も徐々に奪われていったであろう。
テーブルを挟んで向こうにいるブラナンに俺は頭を下げて、言葉を続ける。
「ブラナン、済まない。カレンはそう言ったが、もちろん死ぬつもりはない。俺は死んだことがない。今回もきっとそうだ」
マイアが魔王に封印魔法を使う。俺達は魔王にそれを気取られないように囮になるのだ。防御に専念するだけなら、いくら魔王が強くても何とかなる。
「フォビ!! 死んだら、どうするつもりだっ!?」
「ん? そうだな。もしも負けたら、お前は周囲の村の人間を連れて逃げてくれ。どこかで遠くで街でも作って俺達を待ってくれたら有り難い。なに、心配するな。お前なら良い指導者になれるさ」
「堅苦しい街にしないでよ、ブラナン。私に相応しい魔法研究所をこさえて待ってなさいよ」
「ヤナンカもブラナンを補佐してくれ」
「りょーかい」
「いや、ヤナンカはマイアを助けてやれよ! 街作りなんざ、俺だけで十分だ! 今は戦力だろ!」
「はぁ? 私に助けは要らないわよ。私は天才なんだから。魔王の側近だった、人間好きの魔族さんは王になるブラナンの補佐に最適よ。ほら、魔王や魔族が嫌がる街設計をしてくれると思うわ」
「だ、誰が王だっ!?」
「お前だよ、ブラナン。任せたぞ」
「ああ!? ふざけ――」
「頼む。任せた」
「――くっ! ワット! 魔王を倒せるのか!?」
「うーん、出来るかなぁ。魔力をグイグイ吸い取られるから辛いんだよ」
「出来るさ、ワット。俺たちなら、きっと出来る」
「ワットちゃん、より一層、竜らしくなくなったよね」
「カレン、言っちゃダメよ。この会議に出たいからって、折角、人化してくれているのに」
「ワットちゃんは竜の姿が一番だと思うよ。だって、美味しそうだもん」
「ハハハ、仲間を食おうと思うなよ、カレン。さて、ブラナン、じゃあ、行くわ」
「止めても聞かんよな、お前は!! ……絶対に皆を連れて戻って来いよ」
「あぁ、約束だ」
しかし、約束は破られた。
魔王の渾身の一撃はワットを狙い、それを庇ったカレンが直撃を受け、この世に何も残さずに消失した。強力な封印魔法を使用した反動で、マイアもその身を石に変えた。
マイアの師匠であるシルフォさんは、2人を助ける方法があると言う。
気休めだと思った。だから、俺はシルフォさんの言葉を信じなかった。
2度とこんな想いをしなくて良いよう、強くなるために俺はワットと修行の旅をする。
ただし、約束を違えたブラナンとヤナンカに詫びる勇気がなくて、再会するのに数年の期間を要した。
ヤツらは良い村を作っていた。適材適所ってのはある。魔王戦に同行させなくて良かった。
ワットともこのタイミングで別れた。
魔王の封印は絶対じゃない。だから、監視は必要で、それを信頼できるワットに頼んだのだ。
臆病なところがあるので、別れる理由として俺は「神になることを目指す」と釈明し、ワットは安心する。
自分に乗せる騎士が強くなることは、習性として強さを追及する竜の本望だからだろう。
その後も俺は世界を飛び回った。魔王の襲来程ではないが、幾つもの世界の危機を救ったと思う。カレンやマイアが復活できないか蘇生魔法の噂なんてのも収集してみたが、そっちは徒労に終わった。
やがて、俺は加齢により衰える。
顔には皺が深く刻まれ、髪も白くなった。
昔は各地のお姫さんが喜んで靡いたというのに、同じ様に誘うとドン引きされるか、恐怖で泣かれるかだ。
身に宿していた膨大な魔力もいつの間にか保持できなくなっていて、遂には剣を両手でも支えられなくて自分に失望した日、シルフォさんが訪問してくる。
彼女の姿は魔王を封印した日と変わりがなかった。
「シルフォさん、魔族だったのか。気付かなかった」
「いいえ、私は神ですよ」
「ははは。なら、コネで天国に連れて行って欲しいな」
冗談に軽口で返したつもりだったが、シルフォさんは表情を変えず微笑んだままだった。
「そのつもりです。フォビ、貴方は稀代の英雄。その功績を評価し、私の下で働きなさい」
シルフォさんは俺を神にした。
後から考えれば、俺が断れない状況になるのを待っていたのだろう。
○1800年前
俺はひたすらシルフォさんの命令で、人間の手には負えない魔物を倒し続ける。
シルフォさんは偉い神様で、俺は大勢の下っ端の神。反抗して封印された連中を何人も知っているし、シルフォさんにとって俺の変わりが何人もいることも分かっている。
ただ、解せなかったのはマイアやカレンが死んだ魔王戦で、シルフォさんは何故に俺達を助けてくれなかったのかだ。
そんな疑問はあったが、俺はシルフォさんに従っていた。
神は不死である。
だから、いくら働いても死なない。つまり、休みなんか必要ない。
「休むくらいなら死ね。死ねないなら休むな」
職場標語大会の最優秀作品として、シルフォさんの宮殿の掲示板に貼ってあったものだ。「これが最優秀? 論理破綻してるし、何より下手くそだろ」と思ったけど、シルフォさん作の標語だと知って、口に出さなくて良かったと心底、神様に感謝する。つまり、疲れていた自分に感謝した。
しかし、俺はまだマシな境遇だった。
神に選ばれるのは元からあらゆる能力に秀でたヤツらばかりだが、下っ端の中では俺は戦闘力に優れていた。
だから、世界に害を為す者を滅ぼすために地の界に降りられて、ある程度の自由があった。事務方なんて1000年単位で仕事をしているヤツもいて、俺は自分の幸運を神に祈った。つまり、自分自身に。
多忙の中だったが、シルフォさんとは別の偉い神様が魂の実在を証明していたと聞き、最初は興味本位で書を漁る。
「貴様ッ! 我と戦っているのに目を合わさぬのか!!」
「いや、ごめん。忙しくて本を読む時間が今くらいしかないんだ」
「この魔王ザランジョーヌを前にして、その行動は侮辱であるなッ!」
「すまんって。しばらく黙って、最期の言葉を考えていてくれないか」
戦闘中に本を読まないといけないくらい忙しかったのだ。
アンジェディールという神様による古書だった。
温湿度、光度、電磁場、魔力場、重力、雰囲気、ガス濃度、あらゆる条件を精密に制御した密閉空間での記憶消失と操作によって、人間の行動がどう変化するかを調べたものだった。
記憶消失させても同一の記憶を新たに植え付けた同一人物は同じ行動を取るらしい。
同一の記憶を植え付けた別人は、其々の行動を取る。
俺が驚いたのは蘇生魔法を使った場合の実験。蘇生魔法後に記憶操作した場合、死んでから蘇生魔法を掛けるまでの時間で行動が変化するらしい。
短時間なら同一記憶で同一行動。しかし、時間が経つと同一記憶なのに別行動。
アンジェディール様は何万回も実験を繰り返し、死んで間もない蘇生魔法は本人の魂が戻って復活し、時間が経てば別の魂が入ると結論付けていた。
俺は一回死んでいる。
マイアの全裸を覗き見していたらバレて、あいつの怒りの大隕石魔法で殺されたのだ。
その後、魔王ダマラカナが何故か出現して俺を復活させたらしい。
死んだとは言いきれないが、もう一つ気になることがあった。転移魔法も俺は数えきれないくらい使っていた。それこそ歩く代わりにしていたくらいに。俺の転移魔法は別空間に自分と同じ配列で物質を作り、元の自分を消し去る魔法で、つまり、転移の度に俺は自分自身を必ず消していたのだ。自殺しているんじゃないか、転移先の俺は自分じゃないのではという軽い不安感を持っていた。
アンジェディール様はその点も検証していて、時間の制約が許す限り、どんな距離でも魂は同一であると証明していた。
俺は感動する。
更には、後書きも俺の心を揺さぶる。蘇生魔法を掛けてはいるものの、何度も殺すことになった試験体の人物に朴訥ながら純真な言葉での謝罪が入っていたのだ。偉い神様にもまともそうな方がいらっしゃるんだ……。
「その涙と笑みはなんだッ!」
「俺……上司をアンジェディール様に変えたい……」
決して他人には知られてはならない言葉を発したことに気付いた俺は、魔王と呼ぶには弱過ぎる魔王を瞬殺した。
○1000年前
状況は変わらない。世界を守るため、俺は新たな魔王や魔王候補を滅ぼし続ける。
仕事に慣れてきたので、たまに同僚の目を盗んで地の界で子作り。
もう1000年近く神を続けたので、神の中での序列も上がった。
マイア復活の可能性も出てきた。
マイアの魂が異空間に保持されていたのだ。シルフォさんが俺の長年の功績に報いるということで教えてくれた。
もっと早く教えてくれと思ったが、シルフォさんにも深い考えがあるに違いないと自分に言い聞かせる。
多忙なのと、マイアは俺に助けられたなんて知ったら屈辱感で自殺しかねないので、救出用の道具の作成と、ブラナンやワットに仄めかす程度で抑えた。
ブラナンのヤツ、生きてやがったんだな。
死ねるなら死んだ方が楽とか思わないんだろうか。真面目なヤツだ。
自分の国を安定させる為とは言え、汚いこともやるようになっていやがる。
俺も言えた義理じゃないが、友としてちょっと忠告でもしてやるか。
俺が突然現れたものだから、姿を変えているとは言え、ブラナンは昔と同じ様に目を大きく見開いて大袈裟に驚いていた。
「やり過ぎは良くないと思うぜ、ブラナン」
「いやしかし、地の魔力を安定させたいんだ。何とかならんのだろうか、フォビよ。死んでも死にきれん」
「お前な、自然な死が一番幸せなんだぞ。しかし、地の魔力か……あれを触ると、それはそれで問題が発生するんだよな」
「何か知っているのか!?」
「……スードワットに聞いてくれ。あいつが管理している」
ははは、スードワットねぇ。
聖なるを意味するスーに女性冠詞のド、直訳すると、ワットたる聖女。偉くなったもんだな。俺もあやかって、男性冠詞でスーサフォビットにするか。聖者たるフォビット。
「あんまり無理すんなよ。ちょっと俺も辛くなる。それが甘いって、シルフォさんに言われるんだよな」
「……シルフォ?」
「あ、俺の女上司だ。忘れてくれ」
咄嗟に誤魔化したが、ブラナンはシルフォさんを忘れている?
ヤナンカにも確認したが、彼女もシルフォさんの記憶を失っていた。
○500年前
俺の子供の内の1人、ロヴルッカヤーナの体をブラナンが狙っていた。やらしい意味にも聞こえるが、そうではなくて、魔族である彼女の体を乗っ取ることを計画していたのだ。
多忙だったのと、辛い目に合っているブラナン達は神の存在を知らない方が良いだろうという気持ちで、俺は放置した。
ロヴルッカヤーナなら自力で何とかするだろうとも信じていた。
シルフォさんに反旗を翻した仲間を封印するために、神界で俺は槍を握っていた。シルフォさんの為に懸命に闘う。
マイア復活の可能性について教えてくれたのだから、カレン復活についてもヒントをくれるのではと期待したのだ。
良いように使われていると感じる。だが、女性に奉仕することは良いことだ。
○60年前
カレン復活は不可能。
そう結論付けた。シルフォさんは、俺に色々と教えてくれたけど、全て嘘だったし、これからも嘘を言い続けるだろう。
もう神を続けるモチベーションはなくなった。でも、シルフォさんに知られたら、記憶操作とかを神である俺にもしてきそうで怖い。
だから、策を練ることにした。
神となってからも俺は竜に乗って戦う竜騎士であり続けた。そのワットではない竜のコネで龍王の鱗を入手し、地の界へと出向く。
『こ、これは失礼致しました……』
ワットが俺に変な言葉遣いをする。
「いいよ。ってか、敬語は止めろよ」
『強者に平伏すのも竜の本能でして』
「初めて聞いたよ。本当かよ」
『何用でしょうか?』
「ん? あぁ。ちょっと久々に一緒に空を飛ぼうか」
満天の星空を翔ぶ。
「でかくなったな。跨がっても安定しねーよ」
『申し訳ありませぬ』
「いいよ。お互い歳を喰ったからな。変わってないのはヤナンカだけだったぜ」
『会われたのですか?』
「あぁ。楽しかった」
しばらく黙って夜空の旅を楽しむ。
それから、俺は意を決して謝る。
「悪いな、ワット。カレンは復活させられない。誰にも無理だ。そんな結論になった。姿形は似せられても、それはカレンじゃない。失った魂は神でも取り戻せないらしい」
ワットの心情は分からない。
竜と人では感じ方も違うだろう。
俺は今回の訪問で各地に龍王の鱗の欠片を埋めた。精霊である古竜から神となった龍王。その鱗を食した者は龍王の庇護に入る。そして、運が良ければ、その子孫に龍王を守護精霊とする者が生まれるかもしれない。
全て運任せだが、俺には永遠の命がある。
いずれシルフォさんに一泡吹かせてやる。記憶操作されて仕事をさせ続けられるくらいなら、封印される方を選んでやる。
◯現在
思ったより早く策が為る。
メリナという娘は龍王サビアシースを守護精霊とし、瀕死からの強制復活を幼い時分から繰り返すことで、神からしても驚異的な魔力量を宿していた。
メリナはシルフォさんを滅ぼすという信じられない成果をもたらす。
神になると魔力が固定化される。魔力量が成長しなくなるのは死に等しい。
なのに、メリナは神ではないのに神を上回る魔力量を既に持つ。どこまで強くなってしまうのか。
……これ、どうするんだろう。
アンジェディール様達が面倒を見てくれるのかな。
世界を滅ぼす存在を俺が誕生させたとか、ブラナン達が浮かばれないだろうに。




